天(国)地(獄)人(間) (1) Heaven, Hell, and Man [Daddy-Long-Legs]
「天使と悪魔、天(国)と地(獄) Angels and Devils, Heaven (, Earth,) and Hell」のつづきです。「実のところ、ケロッグ牧師の前年の説教は、ピューリタン的に、地獄をことさら強調するものでした。」と最後に書いた、そのケロッグ牧師の説教後の讃美歌について。
『あしながおじさん』1年目の7月にロック・ウィローからジュディーが書いた手紙の中で、屋根裏に見つかった On the Trail という本の扉に少年ジャーヴィスによって書き込まれた警告文が引用されているのは日曜日の午後に書かれた部分ですが、そのすぐ前のところに、日曜日の説教を聴きに教会に出かけたことから神について考えた一節があります。
We hitched up the spring wagon this morning and drove to the Center to church. It's a sweet little white frame church with a spire and three Doric columns in front (or maybe Ionic--I always get them mixed).
A nice sleepy sermon with everybody drowsily waving palm-leaf fans, and the only sound, aside from the minister, the buzzing of locusts in the trees outside. I didn't wake up till I found myself on my feet singing the hymn, and then I was awfully sorry I hadn't listened to the sermon; I should like to know more of the psychology of a man who would pick out such a hymn. This was it:Come, leave your sports and earthly toys
And join me in celestial joys.
Or else, dear friend, a long farewell.
I leave you now to sink to hell.
I find that it isn't safe to discuss religion with the Semples. Their God (whom they have inherited intact from their remote Puritan ancestors) is a narrow, irrational, unjust, mean, revengeful, bigoted Person. Thank heaven I don't inherit God from anybody! I am free to make mine up as I wish Him. He's kind and sympathetic and imaginative and forgiving and understanding--and He has a sense of humour.
I like the Semples immensely; their practice is so superior to their theory. They are better than their own God. I told them so--and they are horribly troubled. They think I am blasphemous--and I think they are! We've dropped theology from our conversation.わたしたちは今朝スプリングつきの荷馬車に馬をつないでセンター〔the Center〕の教会へ行きました。かわいらしい白い木造の小さな教会で尖塔がひとつと正面にはドーリア式の円柱が3本あります(もしかしたらイオニア式かも――いつもわたしはふたつをごっちゃにします)。
こころよい、眠くなるお説教で、みんなが棕櫚のうちわを眠そうにあおぎ、牧師さんの声のほかに聞こえてくるのは外の木で鳴くセミだけです。目が覚めたときには讃美歌をうたうために立ち上がっていました。そのときわたしはお説教を聞いていなかったことをひどく残念に思いました。わたしはこんな讃美歌を選び出す人の心理をとても知りたいです。これがそれです――さあ、地上の遊びも戯れも捨てて
我とともに天上の喜びに加われ
さなくば、友よ、永の別れ
汝が地獄に沈むままに残してわたしはセンプルさん夫妻と宗教について語るのは安全でないと知りました。ふたりの神さま(遠いピューリタンの先祖からそのまま受け継いできた神)は、狭量で、不合理で、不正で、卑しくて、復讐にもえた、頑固なペルソナです。わたしが誰からもどんな神さまも受け継いでいないことを天に感謝! わたしはわたしの神さまを自分の望むように自由にこしらえられます。親切で思いやりがあって想像力があって寛大で理解もある神さま――それにユーモアのセンスもあります。
私はセンプルさんご夫婦が非常に好きです。ふたりの実践はふたりの理論よりずっとまさっています。おふたりの神さまよりもご自身たちのほうがすぐれています。私はそのように言いました――するとふたりはおそろしく当惑しきってしまいました。わたしを瀆神的と考えるのです――わたしはふたりのほうが瀆神的だと考えているのです! わたしたちは神学を話題にするのはよすことにしました。
この4行の讃美歌からだけでは、そのつぎの段落のピューリタンの神に対する批判はいささか唐突、強引、暴発的にも思えます。神についての言及はほとんどここが最初で、これ以前と言えば、教室で扱われた詩の中のキャラクターが神ではないかと考え、でも次の連で「ボタンをいじる」みたいに書かれているので、これは瀆神的な想定だった、と考えを翻すエピソードがあるくらいではないでしょうか(1年生の4月の手紙)―― "When I read the first verse I thought I had an idea―The Mighty Merchant was a divinity who distributes blessings in return for virtuous deeds―but when I got to the second verse and found him twirling a button, it seemed a blasphemous supposition, and I hastily changed my mind."
不合理な神を糾弾する姿勢は、ほとんどおおおじさんのマーク・トウェインと重なるところがあるような気もしますけれど、とりあえず北部南部のキリスト教の違いという問題を棚上げにして、構図的には以下のような教義に対して、ある程度普遍的な怨嗟・糾弾があったのではないかと考えられます。
アメリカのピューリタニズムの17世紀以来の歴史的な基盤はカルヴィニズムです。カルヴィニズムの中心的な教義のひとつは total depravity(全的堕落)、もうひとつは predestination (予定説)です。「全的堕落」とは全人類的かつ全人格的堕落のこと、別言すれば、人間は「原罪」を負った不完全な存在であるという考え。「予定説」というのは、救済されるか(天国に入れるか)、地獄に堕ちるかは予め神によって定められているという考え。ぶっちゃけていうと、がんばって徳を積んだからといって予定がそれで変わるわけでないし、がんばらない人も救われうるし、みんな罪人といいながらそのなかに聖人として選ばれるエリートがいるし、全能な神が地獄堕ちをあらかじめ選別しておいて生かすのはなぜかとか、悔い改めよと説き続けるのはなぜかとか、いろんな、バチアタリな疑問が出てくるように思われます。
ジュディーがこれまでの人生でためこんできた神学的疑問が出てきたのか、あるいは作家自身の問いかけが筆としてすべって出てきたのでしょうか。ピューリタン的な地獄堕ちの暗い宿命論に対する反感が、自然と出てきたのでしょうか。それとも親に捨てられた孤児のジュディーが神の摂理なるものに疑問をもつのが自然ということなのでしょうか。よくわかりません。考え中w。 とりあえず、「『あしながおじさん』における神」というタッグを組んで継続審議することにしますぅ。
コメント 0