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煉獄と天国の関係はどういうものなのでしょうか The Heaven and the Purgatory [φ(..)メモメモ]

前の記事でも引用したように、日本語のウィキペディアの記事「煉獄」は、「煉獄(れんごく ラテン語: purgatorium)とは、キリスト教、カトリック教会の教義のひとつ。 すなわち、煉獄とは死後地獄へ至るほどの罪はないが、すぐに天国に行けるほどにも清くない魂が、その小罪を清めるため赴くとされる場所であるとする。」と定義を与え、さらに、「第2バチカン公会議以降の教会の現代化の流れにより、現代のカトリック教会においても煉獄について言及されることはほとんどない。」こと、また「正教会では煉獄を認めない。またプロテスタント教派もルターを始めとして煉獄の教義を認めない。」との説明を付加していました。

  実は個人的にかねて気になっていたのは、煉獄(浄罪界)のような超現実空間がなければ、最後の審判(そして神の国への参入)まで、キリスト教徒の死者はどこにいるんだろう、ということなのでした。もちろん上のウィキペディアの記事にあるように天国か地獄ということでしょう。

  しかし、モーリちゃんの父の知識では、擬似空間的に、天国を「この世」から超絶した場所として想定する世界観は、もともとはキリスト教が異端としたグノーシス主義の宇宙像にこそあるもので、キリスト教、特にピューリタニズムは、終末論を核心に置く時間的な世界観をもったのではなかったか。さらに、永遠回帰的な円環的時間でもなく、直線的・進化論的世界観を時間にこだわることでつくりあげたのがキリスト教ヨーロッパ文明ではなかったのでしょうか。死んで天国へ行くというのは正統教義ではなくて俗信だということは、日本語ウィキペディアの「天国」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9B%BD> にも書かれています(もっとも「独自研究」云々の嫌疑がかけられているようですけど)。――

キリスト教世界における天国

一般に「善き死者の赴く処」とされる天国の概念は、ギリシャ神話オリンポス北欧神話アースガルズとユダヤ・キリスト教の(=神の居場所)、イエスの説いた神の国などが民衆レベルで混ざり合って成立しており[要出典]、純粋なキリスト教の教えとは言えない[誰?] 。キリスト教の教理では、最後の審判以前の死者がどこでどのような状態にあるのかについて、各教派間の統一見解を得るに至っていない。

ダンテの『神曲』では、地球を中心として同心円上に各遊星の取り巻くプトレマイオス天動説宇宙を天国界とし、恒星天、原動天のさらに上にある至高天を構想していた。

  「要出典」とか「誰?」とか書かれているのが悩ましさを伝えておるようです。

  もちろん、天国での死後の世界や天使の奏楽やら、というのは絵画の題材になってきたのだし、アメリカ文学でいえば、初期植民地時代のピューリタンのエレジーや墓碑銘にも来世(天国)での(真の)生が(どうみても最後の審判以前に)期待されていますし、キリスト教倫理を大切にした19世紀のナサニエル・ホーソーンみたいな作家の小説(たとえば短篇の「優しい少年」や有名な長篇『緋文字』)にも天国の敷居や舗道みたいなのが描かれています。

  で、よくわからんですね。煉獄みたいな中間的・モラトリアム的時空間があれば、最後の審判まで待てるでしょうが(辛いかもしらんけど・・・・・・先に逝った人のほうが永く煉獄にいるというのはどういうことだ、みたいな疑念がどこからか提出されそうですけれど、煉獄10000(0)年免除みたいな、地上的時間を相対化し、歴史的差異を無化するような時間が永遠(神の国)の前には流れるなのかもしれません)。

  敢えて世俗的・文学的コンテクストで言えば、勧善懲悪 distribution of prizes 的なオチを付けたいときに、倫理的最終判断が地獄堕ちとか天国で天使に迎えられ、とかいうふうに結着してほしいという期待はわかります(みんな煉獄へ逝っちゃうんじゃいっしょくたになっちゃうし)。そしてそれ以前に、現実の死者の葬送において死後の生の期待が天国を切望するのもわかるように思えます。

  ところで、purgatory について検索してあれこれ見ていて、意外なヒットだったのは、ジーン・ウェブスターの1905年の小説『小麦姫 The Wheat Princess』なのでした。

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さらに、もっとあとのほうで――

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     "I think," she commented, "that I prefer a religion which does n't have a purgatory." (「私は煉獄を持たない宗教を選びたいと思います」)
     "Purgatory," he returned, "has always struck me as quite superior to anything the Protestants offer.  It really gives one something to die for." (「煉獄は、プロテスタントが提示する何ものよりもまったく優れたものとずっと私には感じられました。人に、それのために死ぬ場を真に与えてくれます」)
     "I should think, for the matter of that, that heaven direct would give one something to die for." (「それをいうなら、天国直行というのが人に、何のために死ぬかという場を与えるものではないでしょうか」)
     "What, for instance?  Golden paving-stones, eternal sunshine, and singing angels!" (「え、たとえばこういうこと? 黄金の敷石、永遠の陽光、歌う天使たち!」)
     "Oh, not necessarily just those things.  They 're merely symbolical." (「あら、必ずしもそういうものだけではないわ。そういうのはただの象徴にすぎません」)

  すげー適当な訳です。この小説は、ヴァッサー大学を1901年に卒業したウェブスターが、1903年に、在学中に書いていた短篇をまとめるかたちで出した最初の学園物『パティーが大学生だったころ』を出した、翌々年の1905年に発表した、ヨーロッパが舞台の物語です。実は何年か前にウェブスターの本を集めたときにこの本だけ手に入らず、読んでいません(ほんとは買ったのも読んでないのがあるのですけれどw)。 ウェブスターの推理小説『フォー・プールズの謎』(1909)以上に読まれておらんのではないか、と推測します(なにしろこちらは自分が読んでいるくらいですから)。

  冬休みに読めたら読んでみたいと思います。

  ということで、これはφ(..)メモメモです。

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