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ミュージカル『キスメット』のなかの "Stranger in Paradise" "Stranger in Paradise" in the Musical Kismet (1953) [歌・詩 ]

なんだかカリフォルニア時間に戻ったような気分で、ミュージカルの詩について考えてみます。

いわゆる「スタンダード」と呼ばれる曲がしばしばそうであるように、"Stranger in Paradise" は verse 部と refrain 部をもっていて、verse 部分は元のミュージカルのコンテクストをrefrain 部以上に想起させるものとなっています。もっともverse を読んだからといって物語がすべて凝縮されているはずもなく、非具体性は残ります。それでもrefrain 部だけ独立して読むよりは、よかれあしかれキャラクターたちの関係、そしてラブソングのコンテクスト、は推測されます。それだけ歌(refrain部分)の抽象化の度合いは減るわけです、よかれあしかれ。

と、なんだかわけのわからない前口上はそれくらいにして、とりあえず、「男女」「彼・彼女」に割り振られた詞を見てみます。歌詞を適当に直して、適当にパンクチュエーションを付加しました。(その前のところに、あとから見つかったのですが、日本人によるすてきなパフォーマンスを)――


"『Le Mani』Vol.1 《Kismet》 Stranger in Paradise" (5:06) posted by "LeMani2007" on July 3, 2009: 「Le Mani旗揚げ公演《Kismet》Stranger in Paradise

Piano1.難波益美、2:横田真弓
Vl.松下あすか
Vo.兎束康雄、守谷由香

Arr.内田塊 」

VERSE 
She:
Oh why do the leaves ああ、どうしてマルベリーの
Of the mulberry tree 木の葉のささやきは
Whisper differently now?  今は違って聞こえるの?
And why is the nightingale singing そして、ナイチンゲールはなぜ
At noon on the mulberry bough?  マルベリーの枝で真昼に歌っているの?
For some most mysterious reason なにかとても神秘的な理由から
This isn't the garden I know.  ここは私の知る庭ではなくなっている。
No, it's paradise now.  いいえ、いまは楽園なの。
That was only a garden  ほんの少し前には
A moment ago.  ただの庭だったのに。

REFRAIN
He:
Take my hand,  私の手を取ってください
I'm a stranger in paradise, 楽園では他所者なのです
All lost in a wonderland,  不思議の国ですっかり迷子になった
A stranger in paradise.  私は楽園の他所者なのです。
If I stand starry-eyed,  夢見るような目で立ちつくしていると
That's a danger in paradise,  楽園では危険なこと
For mortals who stand beside  あなたのような天使のかたわらに
An angel like you.  生身の人間が立っているのは。

I saw your face 私はあなたの顔を見、
And I ascended  凡庸な世界を抜け出して
Out of the commonplace  私は上へ昇りました
Into the rare!  稀有な場所へと!
Somewhere in space  宇宙のどこかで
I hang suspended  私は宙吊りになっています
Until I know  あなたが好いてくれる運命があると
There's a chance that you care.  私が知るまでは。

Won't you answer the fervent prayer  楽園の他所者の
Of a stranger in paradise?  熱い祈りに答えてくれませんか?
Don't send me in dark despair  私が渇望するすべてから
From all that I hunger for, 暗い絶望へと送らないで
But open your angel's arms  あなたの天使の腕を広げてください
To the stranger in paradise  楽園の他所者に
And tell him that he need be  そして彼に告げてください
A stranger no more  彼はもう楽園の他所者ではないと。

She:
I saw your face
And I ascended
Out of the commonplace
Into the rare!

Both:
Somewhere in space
I hang suspended

She:
Until I know

He:
Till the moment I know

She:
There's a chance that you care.

He:
There's a chance that you care.

She:
Won't you answer the fervent prayer
Of a stranger in paradise?

He:
Don't send me in dark despair
From all that I hunger for,

Both:
But open your angel's arms
To the stranger in paradise
And tell me that I may be   そして私に告げてください
A stranger no more.  私はもう楽園の他所者ではないのだと。

  庭のなかの二人の男女が、庭の変貌とともに日常性を脱して恋愛の恍惚境に至るおはなし。でしょうかw。 そこは人間性も剥奪されて天使に変容しうるパラダイスなのでした。

  しっかし。男も女も同じセリフを言い合うのはなんだかなあ。下の短い映像は、デュエットを含む後半部分です。


"Kismet: Stranger In Paradise" (1:30) posted by scrim808.

 

  さて、ミュージカルの物語を少し導入して、コンテクストをよかれあしかれ構築してみます。

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  2幕からならミュージカル Kismet (1953) において、"Stranger in Paradise" は、第1幕10曲中の7曲目に出てきます。舞台は千一夜物語のころのバグダッド。売れない詩人Haji は美しい娘のMarsinah を伴って詩を民衆に売ろうとする ("Rhymes Have I") がまったく売れず、バザールのオレンジを盗んでこいと娘は父に言われます。乞食のあいだに入って物乞いを始める詩人をほんとうの乞食たちが非難すると、自分は乞食仲間で行方不明になっているHaji のいとこなのだと詩人は言い訳する。詩人の物乞いは魔術的な言葉の力を持っていて、金が手に入り、詩人は運命をたたえる歌を歌う("Fate")。そのとき砂漠からやってきたHassen-Benが、彼をHaji と思って誘拐します。詩人は山賊のJawan のもとへ連れて行かれますが、そこで、Haji が15年前に呪いをかけたために息子が行方不明になっているJawan の話を聞き、金貨100枚で呪いを解くことを約束します。ううむ。話が長いですね。詰めます。オレンジを盗んだ果物売りから追いかけられたMarsinah ですが、そこへ金をもった父親の詩人が戻ってきて、商人に金を渡し、また大金の半分を娘に与えます。商人がMarsinah を美しく着飾らせます("Baubles, Bangles and Beads" )。そこへお忍びで、街に出ていたカリフがやってきて目を留め、Marsinah に一目ぼれして後をつけます。実は、カリフは借金を返すためにAbabu の王の3人の娘のいずれかと結婚せねばならない羽目におちいっています。Marsinah は美しい庭のある小さな家を見つけて、その家を買って、父と娘で住もうと考えます。Marsinah が庭を賛美しているところへカリフが忍び入り、庭師のふりをして娘に自己紹介します。その場で恋に落ちるふたり("Stranger in Paradise)。ふたりは月の出に庭で会うことを約束して別れます。

  と、読んでいただいても、特に歌の理解が深まるわけではないかもしれませんw。逆に言うと、歌は必ずしもミュージカルのプロットに完全にガッチガチに合致していないのではないか。とも思えます。半年以上前に考えて前のブログに書きとめていたことをまた書きとめておきます(ほんとはコピペ)――

ひとつはミュージカルの歌詞について(*)、というか、結局、歌詞について。ほとんど本人ぐらいしか覚えておらないと思うのですけれど、ハナシの元は「おおスザンナ」の歌詞の受容なのですが、いったい歌詞というのは音楽(というより歌曲)にとってどれほど重要なのか、という問題をはらんでいます。書きだしたついでに書いておくと、フォスターはヴァース+リフレイン形式を出して、その後の歌謡曲に先駆けるところあり、だとすれば、ミュージカルにおける歌詞の変奏についても示唆的なものをもったのではないか思われます(たぶん)。「おおスザンナ」の問題には、ミンストレルショーという舞台を離れて曲がひとりだちしたときに、歌詞に何が求められるか、どう理解されるか、ということが含まれていると思われます。既に書いたように、歌詞の3番だかでは話者は自分のことを "this darkie" と呼んでおり、普通には「私」=黒人という歌の物語の世界が追認されるわけですし、この歌の歌詞は一人称の物語を語っていて(まあ、その中に夢の物語も枠として入っているけれど)、だから、簡単に言うと、たいへん特殊な状況を特定の人が歌っているわけです。それを芝居ではなくて(つまりミンストレルで黒人のなりをした白人が演じるのではなくて)日常の空間でふつうの人が歌うときって、どうなるんだろう、という、たいへん素朴といえば素朴な話です。

  いっぽう、アイラ・ガーシュウィンは、実は、バラバラの歌曲の寄せ集めではなくて、ひとつのミュージカルの物語やプロットに相互に関係づけられた統一のある作詞を行なったほとんど最初の人として位置づけられています(急いで付け加えておきますが、これも既にみたように、ボツになった歌を改編してのちのミュージカルで使用するとかはしょっちゅう行なってはいますけれど、まあ、考えてみれば男女の物語というのがミュージカルであれなんであれ物語の基本だから、愛や恋の歌は再使用可能だし、だからこそ特殊な物語状況があっても他の人に歌われ、かつ共感を呼ぶわけでしょうが)。けれどもアイラ・ガーシュウィンのこの努力は、ひとつの歌の自律性、といったらいいだろうか、をヘタをすると損ないかねないかもしれないですよね。その歌がミュージカルの中で置かれたコンテキストが歌詞の意味を左右するからです。
(*) September 15 アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (1)  " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (1)にはじまる September 26 アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (1 1/3)  " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (1 1/3) の3分の1つづきのSeptember 27 アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (1 2/3)  " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (1 2/3)の3分の1つづきのOctober 3, September 30 アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (2)  " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (2)のつづきの October 4 ミュージカルの歌詞というもの(上)――アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (3)  On Musical Lyrics: " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (3) のつづきのOctober 8, 19 『ファニー・フェース』 (1927) のプロット I ――ミュージカルの歌詞というもの(下の1)――アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (4)  On Musical Lyrics: " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (4)のつづきの October 20 『ファニー・フェース』 (1927) のプロット II ――ミュージカルの歌詞というもの(下の2)――アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (5)  On Musical Lyrics: " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (5) のつづきのOctober 21 『ファニー・フェース』 (1927) のプロット III ――ミュージカルの歌詞というもの(下の3)――アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (6)  On Musical Lyrics: " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (6) あたりでとまって、メイポールやルネサンスフェアのほうへ話が広がってしまったのでした。ああ、そうだ。ジェンダー問題が底流としてあったのでした。

(「March 28-29 短い文 (ポーの『マージナリア』から) 付 ミュージカルの歌詞についての雑感 [歌・詩]」)

  何も思考は進歩しておらない自分がいます。がっくし。ただ個別の事例で反復しているだけですね。デモ人間というのはそういうものなのだという気もします。

  この歌についても例の『ジャズ詩大全』(私的情報)におさめられていることを知りました(第2集)。膨大な『大衆音楽徒然帖』はいつのまにかすっかりリンクが切れてしまったみたいで、断片的な引用を引証します――「mirukoの時間 ココログ: STRANGER IN PARADISE」 (2006.2.4)<http://blog.livedoor.jp/miruko1/archives/50159551.html>。主旨のひとつは(村尾陸男の訳にある「旅人」がJRのCM と響きあっているということですが、英語の原詞に別に「旅」の要素はないです。物語のカリフも旅人ではない。けれども、そんなふうに(どんなふうにか)人は歌にいろんなイメジを自由に重ねるものなのでしょう。し、この歌の場合は曲自体が、それこそ「異邦人」的な東西融合ないし東西の境の想像のオリエントみたいなものを喚起して、(『あしながおじさん』の)ジュディーが言うところの wanderthirst を駆り立てるところがあるのやもしれません。

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Kismet (1930)

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Kismet (1944)

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Kismet (1953, musical)

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Kismet (1955)

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Le Mani <http://mani.rakurakuhp.net/> 〔Le Mani. 2007年3月に武蔵野音楽大学出身のピアニスト10名が集い結成された〕

Le Mani通信 <http://blog.livedoor.jp/lemani/> 〔Le Maniの情報案内ブログ〕


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koji yoshino

ミュージカル・キスメット、(ロンドン:マントバニー版)ハイライトのLPを持っておりますが、ストリーの内容がライナーズ・ノートに記載されておりません。最後までのストーリを教えていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
by koji yoshino (2012-06-04 21:38) 

morichanの父

koji yoshinoさま――
コメント、ありがとうございます。応答が一年近く遅れて、たいへん失礼しました。
"Kismet" は1953年ロサンゼルス初演のミュージカルのタイトルですが、1911年にロンドンで初演された Edward Knoblock (Edward Gustav Knoblauch, 1874-1945) の芝居 Kismet: An "Arabian Night" in Three Acts を、Alexander Borodin の曲を使って Robert Wright (1914- ) と George Forrest (1915-99) のコンビが詞をつけてミュージカル化し、それがさらに映画化もされました。原作のE-textはこれの前の記事「楽園の他所者 Stranger in Paradise 」にリンクしたInternet Archive で読めます。上演用の書き込みがあって興味深いです。100ページちょっと。(実はストーリーを忘れてしまいましたw どうもすいません。今度時間ができたら書くかもしれません。)・・・・・・あ、Wikipedia に記事がありますね。"Kismet (musical)" です。
by morichanの父 (2013-05-02 03:07) 

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