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よろしくと伝えて――ジュディーの幸福論 (2) Give Kindest Regards to: Judy on Happiness (2) [Daddy-Long-Legs]

流れで、『あしながおじさん』4年3月の手紙の最後のところです。

Give my kindest regards to Mrs. Lippett (that, I think, is truthful; love would be a little strong) and don't forget to tell her what a beautiful nature I've developed.

                                     Affectionately,
                                                   Judy
(リペット先生にはジュディからくれぐれもよろしくとお伝えいただきたく(これがほんとのところだと思います。愛といったのではちょっと強いでしょう)、また、いかに美しい性質を開発したかを忘れずにお話しください。)

   流れで書いていますが、特別なにか書きたい箇所というのではなくw しかし、そういうところで何かしぼり出す努力をすることによって世の中や人生は開けてくるのではないかという気もします(気がするだけですし、出てくる何かがおもしろいとは限りませんが・・・・・・だからこの世はおもしろいのか、も)。しかしこういう駄文を読むのを自分のなかの自分以外のひとに求めるのは申し訳ないような気がします。そこで申し訳に必要なのは誠実さなのかしら。あるいは/そして遊戯・演技なのかしら。

  と無駄な前口上はそれくらいにしてっと。

  まず英語の勉強ですかね(芸がない)。

  カッコのなかの "that" は "my kindest regards" あるいは "regards" を、あるいは "Give my kindest regards to Mrs. Lippett" を指しています(選択肢多すぎだったら、最後のということになりますけれど、結局は「愛では強すぎる」といって "love" と対比されているものは "regards" に他なりません)。

  この一文は、この3月5日の手紙のふたつ目の段落と呼応しています。

     To-morrow is the first Wednesday in the month―a weary day for the John Grier Home.  How relieved they'll be when five o'clock comes and you pat them on the head and take yourselves off!  Did you (individually) ever pat me on the head Daddy?  I don't believe so―my memory seems to be concerned only with fat Trustees.
     Give the Home my love, please―my truly love.  I have quite a feeling of tenderness for it as I look back through a haze of four years.  When I first came to college I felt quite resentful because I'd been robbed of the normal kind of childhood that the other girls had had; but now, I don't feel that way in the least.  I regard it as a very unusual adventure.  It gives me a sort of vantage point from which to stand aside and look at life.  Emerging full grown, I get a perspective on the world, that other people who have been brought up in the thick of things, entirely lack.  (Penguin Classics, pp. 118-119: emphasis added)
(3月5日/理事さま
  明日は月の第一水曜日――ジョン・グリアー・ホームでは憂鬱な日です。5時になって理事さんたちがみんなの頭をなでて立ち去ったときに皆はどれほどほっとすることでしょう! 理事さん(ご自身)は、私の頭をなでてくださったことがありましたか、おじさま? わたしにはそうは思えませんけれど――記憶にあるのはみな太った理事さんたちばかりのようなのです。
  〈ホーム〉へ私の愛をお伝えいただければと存じます――本気の愛です。4年間の霞をとおしてふりかえると、ホームに対するほんとうに優しい気持ちを感じます。大学へきたてのころわたしはほんとに腹をたてていました。なぜってほかの女の子たちにあった正常な子供時代が自分には奪われていたのですから。でもいまは、少しもそんなふうには考えていません。とてもふつうじゃない冒険とみなしています。脇に立って人生を眺めるという利点をわたしに与えてくれています。十分に成長してから世に出てきたおかげで、豊かなモノに囲まれて育てられた他のひとたちにはまったく欠けている、世界を見とおす視座があります。)

  ジョン・グリアー・ホーム孤児院には「愛」を伝えてほしいけど、院長先生には「愛」というのではちょっと強い。それでも、それでも、最上級の "kindest" とするところが、それ(その言葉)が形式的なものであれ、ジュディーの精一杯の心情を示しているのでしょう。泣けるところです。すこし。

  それでも、こんなふうにマジメに考えるワタシは美しい性質を発展させつつあるような気もするくらいですが、なんだか作品に塗装されているユーモアの層をめくるというエッチなふるまいをしているような気もします。というか、めくるめくめくるならおもしろいかもしれないけれど、めくって顧みないという。めくったものとめくった下にあるものを同時に眺めるということをひとはなかなかできないものなのかなあと。(それにしても、ヒユに頭が進むことによって実体から離れるという誤りをおかしていますね、われながら。)

  ☆ジュディーが展開する性格についてのメモ

(1) 1年生の4月か5月の金曜日の手紙――

     Did you ever hear of such a discouraging series of events?  It isn't the big troubles in life that require character.  Anybody can rise to a crisis and face a crushing tragedy with courage, but to meet the petty hazards of the day with a laugh―I really think that requires spirit.
     It's the kind of character that I am going to develop.  I am going to pretend that all life is just a game which I must play as skilfully and fairly as I can.  If I lose, I am going to shrug my shoulders and laugh―also if I win. (Penguin Classics 38)
(〔ツイテナイ一日のあとで〕 これほどたてつづけにガックリする出来事が起こるって聞いたことありますか? 人格が求められるのは、人生における大きな困難ではありませんん。だれでも、危機に耐えることはできるし、押しつぶされそうな悲劇に勇気をもってたちむかうことはできますが、日常のささいな事故に笑いをもってむかいあうとなると――精神 〔"spirit" よくわからないです。フランス語の「エスプリ」みたいなもんでしょうか〕が必要だとわたしはほんとに思うんです。
  わたしが開発しようと思っているのはそういう種類の人格です。人生はできるだけ上手かつフェアにプレイせねばならぬゲームにほかならない、というふうを装っていきたいと思います。負けたらば肩をすくめて笑います――勝ったときにも。)

(2)  1年生の5月30日の手紙――

     I'm going to be good and sweet and kind to everybody because I'm so happy.  And this summer I'm going to write and write and write and begin to be a great author.  Isn't that an exalted stand to take?  Oh, I'm developing a beautiful character!  It droops a bit under cold and frost, but it does grow fast when the sun shines.
     That's the way with everybody.  I don't agree with the theory that adversity and sorrow and disappointment develop moral strength.  The happy people are the ones who are bubbling over with kindliness.  I have no faith in misanthropes.  (Penguin Classics 40)
(誰にたいしてもいいひとでやさしく親切であろうと思います。なぜってわたしはとっても幸せだから。そしてこの夏は書いて書いて書いて大作家への一歩をあゆみはじめるつもりです。なんと高邁な姿勢ではないでしょうか? ああ、わたしは美しい人格を発展しつつあるのです! 寒さと霜のしたではちょっとうなだれますが、日が照ればがぜん成長するのです。
  これは誰でもそうです。逆境と悲哀と失意が倫理的な強さを発展させるのだという説にはわたしは同意しません。幸せなひとは親切な思いであふれているひとです。わたしは人間嫌いのひとに信を置きません。)

  ちょっと(2) の文脈を補足しておきますと、5月のキャンパスの自然の美しさを "paradise" のようだというジュディーは、もうすぐ夏休みだし、試験などもののかずではない、みんなのんびり楽しそうにしている、と書いて、幸福感を口にします。――

Isn't that a happy frame of mind to be in?  And oh, Daddy!  I'm the happiest of all!  Because I'm not in the asylum any more; and I'm not anybody's nursemaid or typewriter or bookkeeper (I should have been, you know, except for you).
(これは幸せなこころがまえではないでしょうか? そして、ダディー! わたしがいちばん幸せ者です! なぜってわたしはもう孤児院にいないのですから。そしてだれかの子守りでもタイピストでも帳簿係でもないのですから(あなたがいなければ、そうなっていたでしょう)。)

  孤児院にもはやおらないから⇒自分がいちばん幸せ、という論理の脆弱さを云々するのは大人気ないですw。 子守り、タイピスト、帳簿係云々というのは、5月27日の手紙で、リペット院長から、もうすぐ夏休みだけれど行くところもないだろうから孤児院へ里帰りして大学が始まるまで食費代わりに働くようにという手紙が来たことを書いていたことに関わるのでしょう(つまり孤児院での仕事)。そして、このあと、孤児院での過去の行ないを、どう読んでもユーモアをまじえて、反省し(砂糖つぼに塩を入れておいたこととか、理事たちのうしろでアッカンベーをしたこととか)、(2) の文章が続くのでした。(孤児院がらみで「幸わせ」の話が出るのは、4年3月5日の手紙と同じです。)

  話が脱線気味ですが、5月27日の手紙では、"I HATE THE JOHN GRIER HOME."(わたしはジョン・グリアー・ホームが大嫌い)、 "I'd rather die than go back." (帰るくらいなら死んだほうがまし)と孤児院に対する強い感情を吐露していたのでした (Penguin Classics 38)。

  ところで、訳語をそろえて不自然な日本語になっているだけでなく、実は英語がよくわからないです。(1) でいうと、人生はゲーム、というのを pretend するのは、結局人生はゲームではない、ということなのでしょうかね(pretend は主張の意味もありますが)。いや、もともと人生はゲームというのはヒユですから、ヒユというふるまい自体がそもそも pretense なのか。


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morichanの父

kaoru さん、こんにちは。
わけのわからない文章を読んでいただき恐縮です。
by morichanの父 (2010-01-07 14:08) 

shj

ゲームというかお遊びというか、こんなの、勝っても負けても別にどうということはないのよ、わたしは、という態度で臨むのがpretenseなんでしょうね 
実人生はそりゃあそんな余裕しゃくしゃくではいきまへん

ていうか、初めのところ、ちょっとうるっとしたのに、最後まできたら難しく考え込んでしまった。。。このエントリのことですが。
by shj (2010-01-08 13:09) 

morichanの父

shj さま、丁寧に読んでいただき、どうもありがとうございます。
あと、うるっとしていただいてありがとうございます(あ、わたしの文章ではなくてジュディーの文章かw)  でも、自分の心が伊豆の踊り子の青年のように歪んでいないことを知ってちょっとほっとしました。
あと、考え込んでいただきすいません。
人生泣き笑い(泣いた後笑うというのではなくて、同時に泣いて笑っている)、ということで、一元化しないユーモア文学エクリチュール、ということでどうでっしゃろ。(自己矛盾的単純化か)

by morichanの父 (2010-01-08 13:31) 

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