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女性の高等教育への偏見――貧しい、干からびた説教 (2) Prejudice toward Women's Higher Education: Poor, Dry Sermon (2) [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』4年生2月17、18日ごろの日曜日の手紙(再掲)――

Just back from church―preacher from Georgia.  We must take care, he says, not to develop our intellects at the expense of our emotional natures―but methought it was a poor, dry sermon (Pepys again).  It does n't matter what part of the United States or Canada they come from, or what denominaton they are, we always get the same sermon.  Why on earth don't they go to men's colleges and urge the students not to allow their manly natures to be crushed out by too much mental application?  (Century 268; Penguin Classics 118)
(いまさっき礼拝から戻ったところです――ジョージアから来た牧師さんの説教でした。わたしたちは情緒的本性を犠牲にして知性を発達させることのないように注意しなければならない、というのです――さりながら、我思うに、貧しい、干からびた説教であった(またピープス)。合衆国でもカナダでもどこの地域から来ようが、あるいは宗派がなんだろうが関係なく、わたしたちは同じ説教を聞かされます。いったい、どうしてあのかたたちは、男子大学に行って、過度の知的傾注によって男性性をしぼりとられないようにしなさいと説得しないのでしょうか?)

  日曜日に女子大に説教にやってきた牧師が「あなたたち」と壇上で呼んでいるのが「わたしたち」なので、わたしたちとは(その場にいなかった学生も含め)ジュディーの在籍する女子大の学生たちのことです。し、一般的には(とりあえず北米の)女子大生のことだということなります。時代は、作家ジーン・ウェブスター自身の学生時代を反映するところが大きいならば19世紀末、あるいは、作品自体の時代を考えると、1910年に近い頃(北米と書いたけれど、舞台としてはアメリカ東部)。

  実は、師走に若い友人からアメリカの大学についての本を何冊か借りて、友愛組織・ギリシア文字クラブ (freternity と sorority)に対する偏見とか、女子大の歴史とか、カリキュラム改革とか、ちょろちょろちらちら読んでいたのですが、典拠としてとりあげようと思っていた著作がむつかしすぎるので、とりあえず、別の本から、女性の教育に対する偏見について、文章を引いておきたいと思います。

  川端有子の『少女小説から世界が見える――ペリーヌはなぜ英語が話せたか』(河出書房新社, 2006)という本です。終章も入れると全6章からなる論考の第5章(177-98 +コラム「『続あしながおじさん』と『ジェイン・エア』の危険な関係) が『あしながおじさん』を扱っていて、そこにこういう文章があります。――

高等教育と女性
  あしながおじさんに宛てた手紙のなかで、ジュディは自分の大学生活をことこまかに報告する。ラテン語、幾何、歴史の授業、試験など。ところが、この大学の日常のディテイルに終始すると見えるその生活ぶりのなかには、実は「女子大生」に対する世間の偏見に対抗し、「新しい女性」の健全さを主張する言説が隠されているのである。ヴァッサー大学が古い常識に拘泥する世間から非難を受けたのは、この急進的女子大が、ハーヴァード大学などの男子学生とまったく同じカリキュラムを、女子大生に用意したためであった。
  大学生としてのジュディの生活が、今までの少女小説の主人公たちとはまったく違うのは当然としても、女性だけのこの世界で、彼女がのびのびと学業にいそしみ、スポーツを楽しみ、寮生活を謳歌していることは大変強い印象を残す。兄と同様にラテン語やギリシャ語を学ぶことを、女性の能力の範囲外であるとしてやめるよう諭された『ひなぎくの首飾り』(一八五六)のエセルの時代からは、想像もつかない進歩である。
  しかし、医学的言説ではこの当時も、勉強をしすぎると女性独特の生殖力に悪影響があるとして、生理の始まった少女には、頭を使う勉強を禁じていた。『あしながおじさん』より十数年前にアメリカで出版され、広く読まれていた医学書にも、そのことは明記されている。二十世紀の初めになっても、大学に行った女性は、知性を使いすぎて女らしさを失い、子どもをもつことはおろか、結婚すらもできず、健康を害してヒステリー症候群に陥る、そんな考え方がまだまことしやかに広まっていた。
  アメリカではヴァッサー、スミス、イギリスではガートン、ニューナムをはじめとして、いくつかの大学が女性の高等教育に門戸を開き、その重要性を訴えはじめていたが、まだまだ女子学生たちは、ひからびた青踏派として揶揄されることが多かったのである。 (188-9)

  (いったい、揶揄であるとか、まことしやかな考え方とか、多かったとか広まっていたといっても、どの程度まで一般的だったのか、どの程度まで正論とされていたのか、よくわからないのですが・・・・・・)

  川端さんはこの手紙に言及していないのですけれど、手紙のジュディーの抑制した反発の背後にあるのはこういう歴史的文脈だと思われ。

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"Female education," Wikipedia <http://en.wikipedia.org/wiki/Female_education>

「女子教育」, Wikipedia <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E6%95%99%E8%82%B2>

"Higher education," Wikipedia <http://en.wikipedia.org/wiki/Higher_education>

「高等教育」, Wikipedia <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E6%95%99%E8%82%B2>

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morichanの父

kaoru さん、こんばんは。どうもありがとうございます。
by morichanの父 (2010-01-12 21:42) 

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