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脚の話 (3) ――詩の歩格や詩脚についてムカデのむこうに透視するの巻の中 Leg Stories (3): Foots, Meters, and Centipedes Pt.2 [Daddy-Long-Legs]

承前 

英詩についていくらかかじったことのあるひとはごぞんじであろうことばに、詩脚という、ワープロでは変換してくれないことばがあります。逆に言うと、ふつうのひとは聞いたことのないことばであり、知りもしない概念ではないかとも思います。
  英語では単に foot です。詩脚というのは簡単にいうと、音節の配列パタンです。が、それでは簡単すぎてかえってわからないので、もう少し説明します。一般に音節のなかの母音(目に見える文字でいうと母音字)は強く読まれたり弱く(あるいはストレスがなく)読まれたりするわけですけれど、それによって文のリズムがつくられます。詩ではその調子をそろえて作り、また読むことが一般に散文よりも行なわれてきました。そのリズムの単位が詩脚です。強弱・強弱・強弱・強弱・・・・・・とつづくのは「強弱」格で trochaic foot [=trochee] といいます。弱強・弱強・弱強の「弱強」格の詩脚は iambic foot [=iambus]。個人的に聞いたことはないですが「音歩」という日本語もあるようです。
  ついでに雑学的に書きますと、「強弱格」をいう trochee の語源のギリシア語の意味は "running" です。 走っちゃってます。強弱格は、ギリシア、ラテン詩において、軽快な調子の詩に用いられました。英詩においても躍動感を出す場合に用いられることがあります。しかし一般的には、リズムは強→弱へと移るので、終止する感じを生み、沈鬱で物悲しい気分を表わすのに適している(といわれます)。英詩には強勢で始まる語が少ないため、trochaic foot のみで書かれたものは少ないのだそうです。いっぽうで、英詩の最も基本的な foot であるのが「弱強格」と訳されるiambic foot です。これは自然で重厚で落ち着いた感じを伴う(といわれます)。また、詩行の終わりが強勢で終わるため、そこからの解放という心理的欲求が生じ、次の行へとつながりやすい(といわれます)。詩行の連続する長篇詩にこの iambic foot が多く用いられるのはそのためだろう(といわれます)。
  音楽との類推でいうと三拍子の詩脚もあって、強弱弱格はdactylic foot 、弱弱強格は anapaestic foot です。anapaestic は「ひっくりかえした」という意味ですけれど、dactylic のうらがえし、という含みです。しかし、少なくとも英詩でいうと、頻度的には強弱弱格のほうがだいぶ低いです。anapaestic foot は、はじめの二つの弱音節が早く読まれるので、しばしば軽快なスピードを生み出すのに役立つ(といわれます)。強弱弱の dactylic は重苦しいリズムを作り出す効果をもつ(といわれます)。
  もちろん、組み合わせの問題としては、「強強」格というのもあります (spondaic foot)。「弱弱」格もあります (pyrrhic foot)。それから amphimaceric foot 「強弱強」格、amphibrachic foot 「弱強弱」格も、あんまり用いられないけれども他の型のなかで変化をもたせるたために入れられたりします。「強強」があるなら「強強強」と強気の歩脚もありそうなものですが、寡聞にして知りません(あっても不自然なことは確かでしょうが・・・・・・すいません、話がそれそうなので戻します)。

  〔25日追記――いちおうウィキペディアの「韻脚」という項目で説明があるのでリンクしておきます。詩の実例があがっているのでわかりやすいと思います。「Molossus(強強強格。稀に)」と強気の三強が英詩でもあるのですね。・・・・・・同日夜 本筋じゃない部分を少しだけ薄くしてみました。〕

  で、英詩の勉強を続けますと、この詩脚が一行にいくつあるかを測るのが meter です。というかふつうにいうと、1行におけるfoot の数が meter です。詩学では「歩格」と訳されます。音楽では meter は「拍子」ですから、どうも捉える幅が違うような気がするのですけれど、いっぽうで音の強弱によるリズムの規則的な配置、ということはほとんど詩脚を、「格調」とか「韻律」という訳語にして meter のなかに捉える場合もあるのも事実です(逆に言うと meter はあいまいな用語です)。語源となったギリシア語のmetron は "measure" の意味ですけれど、メトロノームのメトロの語源でもありますよね。
  一歩格 monometer 、二歩格 dimeter 、三歩格 trimeter 、四歩格 tetrameter 、五歩格 pentameter 、六歩格 hexameter 、七歩格 heptameter 、八歩格 octameter といったぐあいです。(foot の分類でも使われる「格」というのはどういう意味なんでしょう。meter の訳語とも思われんのですが。「法則」とか「規格」なのでしょうかね。)
  で、英詩は、あるいは英詩の詩行は、この詩脚と歩格の組み合わせによって分類されます。
   例)  iambus × 4  = iambic tetrameter
          iambus × 5  = iambic pentameter
          anapaest × 3 = anapaestic trimeter
  
  
  では、英詩講座はこれでおわります。

 

 

 

  ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

  ところで、興味深いのは、脚の問題です、もちろん。英詩では音の強弱によってリズムが形成され、そのリズムが foot とされ、その脚が集合して詩行をつくり、整然と進行していくというイメジです。なんで脚なのか、というと古典詩学を継承しているから、というのが理由であって、もちろん詩学というのは文学の中で例外的に学問的なところがありますから、古い概念に由来する用語をもっていてもぜんぜん不思議ではありません。しかし、古典詩学においては、音の強弱ではなく長短にもとづいて詩脚が測られ、また、複詩脚が韻律の単位であったということは、英語詩との大きな違いであり、かつ興味深いところです。つまり、ぶっちゃけていえば、脚の長短があったし、基本一対の脚を想定した、ということです。複詩脚の英語は dipody ですが、pody のもとのギリシア語のpod は、ムカデの centipede の pede (こっちはラテン語がもとでしょうけれど)と同じで、足 foot の意味です。古典詩で trimeter は2 x 3 で六歩格、英詩で trimeter は文字通りに三歩格です。

  いささか乱暴に(かつ、気がする程度の語りで)脚の比喩を語れば、英詩では一行に foot がいくつあるか、というのは数の問題でしかないし、別に脚と呼ばないでもいいような気さえします(それは本来的に詩において比喩であっただろう「脚」が比喩として生きていないからです)。しかし、古典詩では、一対の脚で、歩いたり走ったりしながら進んでいくというイメジが強くあるような気がします。

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  と、ここまでくると、ジュディーが描いた百足図に詩のイメジを透視することが自然にできるのではないでしょうか。音節ならぬ体節に対の脚を付けて進む節足動物ムカデに詩行の隠喩を透視することが――

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できませんか。まあ、透視というのはふつうのひとにはむつかしいもののようですw。

 

 

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   昨日から一日考えて、詩学のおさらいをしたり、途中で何度もページが飛んで消えてしまったり、パソコンがダウンしたりして、内容のないようなわりに疲弊しました。その「下」が書けるかわからないので、メモ的に思いつきを書きとめておきます。

  1)  ジュディーは英詩の勉強をしているのは明らかです。言及・引用されるのはバイロン、ワーズワース、シェリー、テニソンなどのロマン主義的詩人を中心に、マシュー・アーノルド、エミリー・ディキンソン、そしてシェイクスピアやマザーグースやたぶんロングフェローなど。同時にラテン語の勉強をし、ラテン詩を読んでいるのも事実です(はっきり読んでいると名指されるのはローマの抒情詩人カトゥルス)。

  2)  とりわけアメリカのロマン主義詩人ポー(この『あしながおじさん』には言及がありませんが、『続あしながおじさん』と『パティーが大学生だったころ』と『おちゃめなパティー』にはポーへの言及があります(詩ではないけれど))の詩と詩論で有名なこととして、詩が音楽の状態をめざすとか、あるいはそれも契機として反現実の願望なり天上的な憧れなりを示すというのは、とくにロマン主義の詩において顕著な特徴かもしれません。ジュディーはロマン主義とリアリズムのあいだで揺れるのだけれども、まずはリアリズムからだという決断を小説家としてはします(4年生4月4日の手紙)。

  3)  小説が地上的なものを扱う度合いが詩に比べれば強く大きいのが事実でしょうが、地上を這う存在であるムカデは文学的な比喩になりうるのだろうか(疑問)。とりあえず、古典詩学の、地上を歩く詩行のイメジは、天上的・音楽的状態を希求するロマン派的、(ポー的)音韻重視的詩学とは違うリアリティーを喚起するのかしら、文体的比喩として。

  4)  詩をやっているほうのアメリカの美女に聞いてみたいとこ・・・・・あ、このへんでやめておきます。

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1月31日朝付記――下ではないですけれど、「「六行目に脚が多すぎる」――ムカデ図への伏線――脚の話 (7) "The Sixth Line, Which Had Too Many Feet": Leg Stories (7)」を書きました。
  それから、以下の記事もそのまえに書きました。――「千本足――脚の話 (4) Thousand Legs: Leg Stories (4)」、「千本足パート2――脚の話 (5) Thousand-legged Worm, Part 2: Leg Stories (5)」、「足のむくまま、またはムカデの方向――脚の話 (6) As the Feet Will Carry: Leg Stories (6)」、「世界滑稽名作集の『蚊とんぼスミス』のムカデ  Centipedes in "Katombo Smith"」、「『蚊とんぼスミス』のムカデ(補足)  Centipedes in "Katombo Smith" [Daddy-Long-Legs] Translated by Azuma Kenji


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thisisajin

初めまして、一度読んだだけじゃ理解できません、また来ます。
知的好奇心?(みたいなもの)をそそられます。
by thisisajin (2010-01-25 13:11) 

morichanの父

kaoru さま、訪問とナイス、いつもありがとうございます。
by morichanの父 (2010-01-25 14:18) 

morichanの父

thisisajin さま、どうもありがとうございます。その、ナントカみたいなものをくすぐって笑かすのが本望なのですがどうもうまくいきません。
また、もっとわかりやすく書くべきなのかもしれません。自信のなさもあって中途半端に投げ出したような気もします。思いつきの即興の記録ということでかんべんしてください。
by morichanの父 (2010-01-25 16:58) 

morichanの父

sungen さま、ご訪問、どうもありがとうございます。
by morichanの父 (2010-01-25 21:51) 

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