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キャプテン・ジョン・スミスと南北問題 (2)  Captain John Smith and the North-South Problem (2) [Daddy-Long-Legs]

キャプテン・ジョン・スミスと南北問題 (1)  Captain John Smith and the North-South Problem (1)」のつづきです。  ジョン・スミスは「ニュー・イングランド」の名づけ主でもあって、ニューイングランドの地図も残しています。――
NewEngland-CaptainSmith_1614.gif
Capt. John Smith's Map of New England, 1614 "Observed and described by Captayn John Smith 1614"

  この「新しい」イングランドには、古いイングランドの地名がちりばめられていることがわかります。ロンドンとかオックスフォードとか、プリマスとか、エディンバラ (Edenborough) とか、ケンブリッジ (Cambridg) とか。これ自体は、広い意味でのタイポロジーと言おうと思えば言えるかもしれませんけれど、基本は大英帝国の植民地であることを刻印する名付けではないでしょうか。ちなみに Plimouth は、1619年に英国プリマス港を出たピルグリム・ファーザーズがたどり着いた場所でした(なんたる偶然!)。

  ということで、1607年に南部ヴァージニアのジェイムズタウンに北米初の恒久的植民地を築いたジョン・スミスは、北部ニューイングランドにも足跡を残すのですけれども、初期アメリカ植民地は、北のマサチューセッツ湾と南のヴァージニアのふたつに大別され、文化的にちょっと異なる発展を遂げます。

  『あしながおじさん』の1年生1月の試験前夜の手紙で、ジュディーはジュリアから家のことを訊かれたと書いています。――

Julia Pendleton dropped in this evening to pay a social call, and stayled a solid hour.  She got started on the subject of family, and I couldn't switch her off.  She wanted to know what my mother's maiden name was―did you ever hear such an impertinent question to ask of a person from a foundling asylum?  I didn't have the courage to say I didn't know, so I just miserably plumped on the first name I could think of, and that was Montgomery.  Then she wanted to know whether I belonged to the Massachusettts Montgomerys or the Virginia Montgomerys.  (Penguin Classics 29)
(ジュリア・ペンドルトンが今晩、社交的訪問にやってきて、たっぷり1時間いました。家族のことをいいだして、わたしはどうしても話題をそらすことができませんでした。わたしの母親の旧姓を知りたがりました――捨て子の養育院の出身者に、これほど失礼な質問はないのではないでしょうか? わたしは知らないという勇気がなかったので、思いつくままにみじめなでたらめの名前をいったのですが、それがモントゴメリーでした。すると彼女は、マサチューセッツのモントゴメリー家か、それともヴァージニアのモントゴメリー家かと知りたがるんです。)

  ジュリアが言っているマサチューセッツとヴァージニアというのは、それぞれ北部と南部の初期植民地なわけです。

   ペンドルトン家自体は、1年生10月1日の手紙で "Julia comes from one of the first families of New York" (Penguin Classics 15) と書かれ、また、ジュリアの母親の旧姓はラザーフォード Rutherford (29) です。Rutherford あるいは Rutherfurd という姓はフランドル地方の Ruddervoorde にまで遡るみたいです、調べてみると。Pendleton のほうは調べがつきません(それなりの名前辞典はあるかもしれないのですが、仕事場へ行かないと見られず)。ニューヨーク州のNiagara Falls のとなりにペンドルトンという町があって、でも、それは Sylvester Pendleton Clark (? 1800年ごろ活躍)にちなむ名であるとか、ヴァージニアの法律家でアメリカ独立時に活躍した Edmund Pendleton (1721-1803) というひとがいたとか(あ、このひと日本語版もあります、Wikipedia エドモンドじゃなくてエドマンド・ペンドルトンだと思いますけど)。

  で、なんでこんなことを書いているのかというと、『あしながおじさん』における神問題とのかかわりです。ジュディーがしばしば糾弾している(ように見える)キリスト教的世界観は、1年生8月の日曜日のロック・ウィロー農場からの手紙にあるように、ピューリタニズムが色濃いように思われます。昨年の夏の記事「天(国)地(獄)人(間) (1) Heaven, Hell, and Man」[2009-08-06「ケロッグさんの選んだ讃美歌 Hymn Sung by Mr. Kellogg――天(国)地(獄)人(間) (2) Heaven, Hell, and Man」[2009-08-07]「サザン・ハーモニー The Southern Harmony――天(国)地(獄)人(間) (3) Heaven, Hell, and Man」[2009-08-08]で書いたような讃美歌を引いて、ジュディーはセンプル家の世界観との違和感を書きます。――

I find that it isn't safe to discuss religion with the Semples.  Their God (whom they have inherited intact from their remote Puritan ancestors) is a narrow, irrational, unjust, mean, revengeful, bigoted Person.  Thank heaven I don't inherit God from anybody!  I am free to make mine up as I wish Him.  He's kind and sympathetic and imaginative and forgiving and understanding--and He has a sense of humor.  (Penguin Classics 48)
(わたしはセンプルさん夫妻と宗教について語るのは安全でないと知りました。ふたりの神さま(遠いピューリタンの先祖からそのまま受け継いできた神)は、狭量で、不合理で、不正で、卑しくて、復讐にもえた、頑固なペルソナです。わたしが誰からもどんな神さまも受け継いでいないことを天に感謝! わたしはわたしの神さまを自分の望むように自由にこしらえられます。親切で思いやりがあって想像力があって寛大で理解もある神さま――それにユーモアのセンスもあります。)
  いま、自分の書いた記事を読んでみたら、こんなふうに書き留めていました。――

  不合理な神を糾弾する姿勢は、ほとんどおおおじさんのマーク・トウェインと重なるところがあるような気もしますけれど、とりあえず北部南部のキリスト教の違いという問題を棚上げにして、構図的には以下のような教義に対して、ある程度普遍的な怨嗟・糾弾があったのではないかと考えられます。

  アメリカのピューリタニズムの17世紀以来の歴史的な基盤はカルヴィニズムです。カルヴィニズムの中心的な教義のひとつは total depravity(全的堕落)、もうひとつは predestination (予定説)です。「全的堕落」とは全人類的かつ全人格的堕落のこと、別言すれば、人間は「原罪」を負った不完全な存在であるという考え。「予定説」というのは、救済されるか(天国に入れるか)、地獄に堕ちるかは予め神によって定められているという考え。ぶっちゃけていうと、がんばって徳を積んだからといって予定がそれで変わるわけでないし、がんばらない人も救われうるし、みんな罪人といいながらそのなかに聖人として選ばれるエリートがいるし、全能な神が地獄堕ちをあらかじめ選別しておいて生かすのはなぜかとか、悔い改めよと説き続けるのはなぜかとか、いろんな、バチアタリな疑問が出てくるように思われます。

  ジュディーがこれまでの人生でためこんできた神学的疑問が出てきたのか、あるいは作家自身の問いかけが筆としてすべって出てきたのでしょうか。ピューリタン的な地獄堕ちの暗い宿命論に対する反感が、自然と出てきたのでしょうか。それとも親に捨てられた孤児のジュディーが神の摂理なるものに疑問をもつのが自然ということなのでしょうか。よくわかりません。考え中w。

  とりあえず、「『あしながおじさん』における神」というタッグを組んで継続審議することにしますぅ。

  あー、そーそーw。  一歩踏み出します。

  ジーン・ウェブスターの母方は南部の家系で、父親は北部ニューイングランドの出身でした。ジーン・ウェブスターのユーモアのセンスは、母やマーク・トウェインの属していた南部的センスと考えることができます。父の出身地である北部は、対照的な伝統をもった地方で、きびしい戒律によって人間性の自由な発露を抑えるピューリタニズムの伝統が北部の伝統であったということができます。

  そういう、個人的かつ歴史地理的な視野がこの作品に埋められているか、という問題なのでした。たぶん。

US_stamp_1907_Jamestown_Expo_John_Smith_.jpg
1907年発行の、ジェイムズタウン建設300年記念切手

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The Plymouth Colony Archive Project <http://www.histarch.uiuc.edu/plymouth/index.html> 〔The Plymouth Colony Archive Project at the University of Virginia ――なぜ南部ヴァージニア大学がプリマス植民地研究をw

Thomas R. Smith Map Collection <http://www.lib.ku.edu/mapscoll/wworld.shtml> 〔The University of Kansas Libraries〕

New York State Historical Maps <http://www.stonybrook.edu/libmap/nymaps.htm> 〔State Univestiy of New York at Stony Brook/ Univestity Libraries/ The Map Collection〕

New York State Map Pathfinder <http://www.stonybrook.edu/libmap/nypath1.htm> 〔Stony Brook University/ Univestity Libraries/ The Map Collection〕

John Smith and Virginia <http://www.virginiaplaces.org/settleland/johnsmith.html> 〔Virginia Places <http://www.virginiaplaces.org/> 内。有益なリンクを含む〕


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