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天の父と地の父(母と娘の会話)――『若草物語』のばあい Your Heavenly Father and Your Earthly Father in _Little Women_: A Conversation Between a Mother and a Daughter [Little Women]

〔記事「『あしながおじさん』における神 (第3のノート) 」と「天にまします我らの父――主の祈り Our Father in Heaven: Lord's Prayer」につづく記事「父なる神 God the Father」につづくものです〕  

『若草物語 Little Women』第一部第8章「ジョーはアポリオンに会う Jo Meets Apollyon」における母と娘の会話〔章の内容を書き始めたのですけど、ややこしくなるので別の記事にまわします〕の一部――

     "No, dear, but speaking of father reminded me how much I miss him, how much I owe him, and how faithfully I should watch and work to keep his little daughters safe and good for him."
     "Yet you told him to go, mother, and didn't cry when he went, and never complain now, or seem as if you needed any help," said Jo, wondering.
     "I gave my best to the country I love, and kept my tears till he was gone.  Why should I complain, when we both have merely done our duty and will surely be the happier for it in the end?  If I don't seem to need help, it is because I have a better friend, even than father, to comfort and sustain me.  My child, the troubles and temptations of your life are beginning and may be many, but you can overcome and outlive them all if you learn to feel the strength and tenderness of your Heavenly Father as you do that of your earthly one.  The more you love and trust Him, the nearer you will feel to Him, and the less you will depend on human power and wisdom.  His love and care never tire or change, can never be taken from you, but may become the source of lifelong peace, happiness, and strength.  Believe this heartily, and go to God with all your little cares, and hopes, and sins, and sorrows, as freely and confidingly as you come to your mother."
     Jo's only answer was to hold her mother close, and in the silence which followed the sincerest prayer she had ever prayed left her heart without words.  For in that sad yet happy hour, she had learned not only the bitterness of remorse and despair, but the sweetness of self-denial and self-control, and led by her mother's hand, she had drawn nearer to the Friend who always welcomes every child with a love stronger than that of any father, tenderer than that of any mother.  (Norton Critical Edition, 70) 
(「いいえ。でもお父さまのことを話していたら、お父さまのいないさびしさ、お力の大きさをあらためて思い、お父さまの大切な娘たちが無事にちゃんと育っていくようにしじゅう心をくばり努めなければならないとしみじみ思っただけなの。」
 「でも、お母さん、お母さんは自分から従軍を勧め、出発のときも泣いたりしなかったし、いまだって愚痴ったりしないし、助けなどいらないように見える。」
 「わたしは、愛する祖国にいちばん役に立つものを捧げ、お父さまが行っておしまいになるまで涙をこらえていたのよ。わたしたちは義務を果たしてそのおかげで最後には前以上に幸福になれるのに、どうして愚痴などこぼせましょう。もしも、わたしが助けを必要としていないように見えるなら、それはお父さまにも優る、慰めと力を与えてくださる良き友を持っているからよ。ねえ、ジョー、あなたの人生の悩みも試練も、ようやく始まったばかりでたくさんに増えるかもしれない。けれども、あなたの<天上の父>のお力と慈しみを感じ取ることを知りさえしたならば――そう、地上の父に対すると同じように――あなたはすべてのものに打ち勝ち、生き抜くことができるのです。<彼>〔天上の父〕を愛し、信じることが深いほど、<彼>〔天上の父〕のおそば近くにあることを感じ、人の力や知恵などに頼ること、少なくなるもの。、<彼>〔天上の父〕の愛と優しさは倦むことも変わることもなく、奪われることもなく、生涯にわたる平和と幸福と力の源となるでしょう。このことを心から信じて、あなたの小さな心配や、望み、悲しみ、罪も、お母さんのところへ持ってくるのと同じように、<神さま>の前に、気楽に、何もかもさらけだすようになさい。」
 ジョーの返答は、ぎゅっと母親を抱きしめることだった。それに続いた沈黙のなかでジョーのこれまでで最も真心のこもった祈りが、言葉を伴わずにその心から出ていった。というのは、この悲しいけれども幸せな時間に、彼女は悔恨と絶望の苦さを知っただけでなく、自制と克己の甘さも知ったのだ。そして、母の手に導かれて、この世のどの父よりも強く、どの母よりも優しい愛で、すべての子に手をさしのべてくれる<友>のそばへ引き寄せられたのだ。)

  この、女性作家オルコットによる、母と娘の会話には、おのずと、「地上の父」だけでなくて「地上の母」も参入するのですが、控えめで相対的な言及にとどまります。相対的、というのは、天上に対し地上、というのと、父の強さに対して母の優しさというのと、二重です。

  ところで、興味深いのは、最後の大文字の<友 Friend>です。「この世のどの父よりも強く、どの母よりも優しい愛で、すべての子に手をさしのべてくれる<友>」は、話の流れからすると「天上の父」ということになりそうです。しかし・・・・・・神様を友とか呼んじゃっていいのかしら? なんか唐突で意外な感じがしたのでした。

  もっとも、この「友」は、お母さんのコトバのなかでは、原文小文字で前に出ていました――「もしも、わたしが助けを必要としていないように見えるなら、それはお父さまにも優る、慰めと力を与えてくださる良き友を持っているからよ。 If I don't seem to need help, it is because I have a better friend, even than father, to comfort and sustain me.」 

  このテクスト、実は大文字・小文字で異同があって、プロジェクト・グーテンベルクが採用しているテクストはこの箇所の father は Father だったりします。でも friend は小文字のままみたい(上に引いたノートン版は1868年初版のテクストを採用)。

  で、まったく自信があるわけでもなんでもないのですけれど、この "comfort" つまり慰めを与える存在である friend (大文字のFriend にしてもいいのだけれど)というのは、父なる神というよりは、子なるイエスが告別の辞のなかで「慰め手 Comforter」、「真理の霊」と呼んだ、パラクレート Paraclete、つまり聖霊のことを言っている可能性はないのだろうか、と。(エマソンとの交流を考えれば、ある種のキリスト教神秘主義にオルコットが自覚的・無自覚的に親しんだ可能性はあるのではないかと思うのです。)

  ともあれ、この「友」は性別(性差 gender)が特定されないままに終わっています。あたかも「父なる神」のほうのあからさまな「彼」「彼」の連発的 reference とは対照的に、ひそやかに呼び込まれた存在であるかのごとく。

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えーと、パラクレートについては『カリフォルニア時間』のほうの2009年春の記事、

March 9-10 『自然の夜の側面』における神殿の居住者をめぐって On "Dweller in the Temple" in Catherine Crowe, The Night Side of Nature――擬似科学をめぐって(28)  On Pseudosciences (28) [擬似科学周辺]」など参照。


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morichanの父

kaoru さん、おはようございます。ありがとうございます。
by morichanの父 (2010-08-08 08:16) 

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