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『あしながおじさん』における神 (第1のノート) [Daddy-Long-Legs]

ムカデの話神問題を調停する作業をちょっとずつ試みてみることにします。第一に、いっぺんに論じるのは時間とエネルギーが必要であり、第二に、少なくとも自分にとってブログのよいところは断片的なメモを、ふつうのメモ以上に意識化してくれるところにあるようだから。ひとさまに読んでもらうのだから情報をまとめて出さねばならない、という倫理もあるようですが、自分は必ずしもそういう考えに与(くみ)しません。自分のいのちあってのブログ種(だね)。

神についてジュディーが最初に問題にするのは、ロック・ウィロー農場のセンプル家のピューリタン的神観念だと思いますが(1年生の夏・・・・・・「天(国)地(獄)人(間) (1) Heaven, Hell, and Man」で書いた讃美歌の関係で・・・・・・もっとも「『あしながおじさん』とエミリー・ディキンソンの詩 Emily Dickinson's Poem in Daddy-Long-Legs」で書いたように、その前触れ的に1年生4月のディキンソンの詩があるのかもしれない)、読み直していたら、ロック・ウィローに着いてすぐの、たぶん6月下旬の手紙につぎのような一節がありました。――

Oh, Daddy, I'm so excited!  I can't wait till daylight to explore.  It's 8.30 now, and I am about to blow out my candle and try to go to sleep.  We rise at five.  Did you ever know such fun?  I can't believe this is really Judy.  You and the Good Lord give me more than I deserve.  I must be a very, very, very good person to pay.  I'm going to be.  You'll see.  (Penguin Classics 44-45)
(ダディー、わたしはとても興奮しています! 探検したくて夜明けが待ちきれないくらい。いま8時半ですが、キャンドルを消してなんとか眠ろうとしているところです。5時起床です。こんな楽しいことをたいけんしたことがありますか? これがほんとにジュディーだって信じられません。あなたと恵み深い神様がわたしには分がすぎるものをお与えくださいます。わたしはご恩に報いるためにとても、とても、とても善い人にならねばなりません。きっとなります。見ていてください。)

  人間(ダディー)と神(グッド・ロード)を並列したり、人間のほうを先に出したりするところは不遜である、と言いたければ言ってもいいのですけれど、ともかく、ダディーへの感謝と神への感謝が重なっているところを注意したい。

  以上、第1のメモノートなのですが、とりあえず、直接的に参照すべき箇所として、つぎの4年生1月12日の手紙をあわせてメモります。――

12th Jan.

Dear Mr. Philanthropist,

     Your cheque for my family came yesterday.  Thank you so much!  I cut gymnasium and took it down to them right after luncheon, and you should have seen the girl's face!  She was so surprised and happy and relieved that she looked almost young; and she's only twenty-four. Isn't it pitiful?
     Anyway, she feels now as though all the good things were coming together.  She has steady work ahead for two months―someone's getting married, and there's a trousseau to make.
     'Thank the good Lord!' cried the mother, when she grasped the fact that that small piece of paper was one hundred dollars.
     'It wasn't the good Lord at all,' said I, 'it was Daddy-Long-Legs.'  (Mr. Smith, I called you.)
     'But it was the good Lord who put it in his mind,' said she.
     'Not at all!  I put it in his mind myself,' said I.
     But anyway, Daddy, I trust the good Lord will reward you suitably.   You deserve ten thousand years out of purgatory.

                   Yours most gratefully,
                                           Judy Abbott

(慈善愛人様へ
  わたしの家族のための小切手が昨日届きました。どうもありがとうございます! 昼食後すぐ体育の授業をサボって届けてきました。あの娘の顔をお見せしたかったです! あまりの驚きと喜びと安堵とで、若返ったみたいに見えました。といってもまだ24歳なのですけど。可哀想でしょ?
  とにかく、彼女はいいことがあるだけまとめて舞い込んできたかのように感じています。二ヶ月先まできまった仕事もあるし ――誰かがもうすぐ結婚するので、その花嫁衣裳を仕立てるのだそうです。
  あの小さな紙切れが100ドルになるんだという事実を呑み込むと、「恵み深き神様、ありがとうございます!」と叫びました。
  「恵み深い神様じゃなくて」とわたしは言いました、「ダディー・ロング・レッグズのおかげよ」(ミスター・スミスのおかげ、ちゃんとそう言いました。)
  「でも恵み深い神様が、その人にそう思いつかせてくれたんだわ」と彼女は言いました。
  「まさか! その人にそう思いつかせたのはこのわたしです」とわたしは言いました。
  それはともあれ、恵み深い神様なら、きっとふさわしく報いてくださることでしょう。煉獄行きから1万年の免除に値するわ。

心からの感謝とともに
ジュディー・アボット

  3年間での変化は、人間中心主義への変化だと言えるのかもしれませんが、まぁ、結論は急がずにメモメモノートノートっと♪ 「浄罪界から10000年免除に値する Deserving Ten Thousand Years Out of Purgatory」もメモ的に参照。


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『若草物語』におけるライムのピクルス Pickled Limes in _Little Women_ [Little Women]

『あしながおじさん』1年生初めのころの12月19日の手紙で、普通の女の子たちが普通の家庭環境で自然に吸収して知っているものをいかに自分が知らないか、というジュディーのリストが示され、そのあと、ギャップを埋めるべく今同時並行で読んでいる作品として『若草物語』が言及されるとき、物語の代表的エピソードとしてライムのピクルスが出てきます。――

I have a new unbreakable rule: never, never to study at night no matter how many written reviews are coming in the morning.  Instead, I read just plain books―I have to, you know, because there are eighteen blank years behind me. [. . .] I look forward all day to evening, and then I put an "engaged" on the door and get into my nice red bath robe and furry slippers and pile all the cushions behind me on the couch and light the brass student lamp at my elbow, and read and read and read.  One book isn't enough.  I have four going at once.  Just now, they're Tennyson's poems and "Vanity Fair" and Kipling's "Plain Tales" and―don't laugh―"Little Women."  I find that I am the only girl in college who wasn't brought up on "Little Women."  I haven't told anybody though (that would stamp me as queer).  I just quietly went and bought it with $1.12 of my last month's allowance; and the next time somebody mentions pickled limes, I'll know what she is talking about!  (Penguin Classics 24) 
(わたしは新しいルールをつくって絶対に破らない覚悟をしました。翌朝いくら筆記試験があっても、前の晩は決してけして勉強しないことです。そのかわりに、やさしい本を読みます。だって18年というブランクを埋めるためには、どうしても必要なんです。[・・・・・・] わたしは1日じゅう早く夕方にならないかと待ちわびて、それからドアに「仕事中」の札をかけ、すてきな赤い化粧着にきがえて室内履きをはき、寝椅子にありったけのクッションを重ねてよっかかり、ひじのところに真鍮の勉強用ランプをつけ、読んで読んで読みまくるのです。1冊の本では足りません。同時に4冊を読んでいます。いま、テニソンの詩集と『虚栄の市』とキプリングの『高原平話』と、あと――笑わないでください――『若草物語』を読んでいます。『若草物語』を読まないで育ったのは大学内で私ひとりのようです。でも誰にも言いませんでした(言ったなら、変人とレッテルを貼られるでしょう)。黙ってその場を離れて〔本屋さんに行き〕、先月分のおこづかいから1.12ドル出して買いました。今度誰かがライム・ピクルスのことを言ったら、何を話しているかわたしにもわかります!)

  この『若草物語』の "pickled limes" のエピソードは、『若草物語』の第7章「エイミーの屈辱の谷 (Amy's Valley of Humiliation)」という短い章に書かれているものです。

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馬上少年過・・・・・・

  かいつまんで記述するならば――

  友情の証として女学生同士でライムのピクルスをあげっこするのが流行していて、エイミーは借りがだいぶたまっていて、ほしくても受け取れない状況がこの一週間ほど続いています。それで、一人言めかして、「ローリーが馬に使えるお金の一部でも自分にあったらなー」と姉たちに聞こえるように言い (she added, as if to herself, yet hoping her sisters would hear)、やさしく言葉をかける長姉のメグに、ライム・ピクルスの借りが少なくとも1ダースはあって、お金が入るまで返せないこと、そしておかあさんはお店でツケにするのを禁じていること (Marmee forbid my having anything charged at the shop) を言います。エイミーがあまりに真剣なのでおかしさをこらえながら、メグは、「詳しく話してみて。今の流行は、じゃあ、ライムなのね (Tell me about it.  Are limes the fashion now?)・・・・・・」と言う。
  "Why, you see, the girls are always buying them, and unless you want to be thought mean, you must do it, too.  It's nothing but limes now, for every one is sucking them in their desks in school-time, and trading them off for pencils, bead-rings, paper dolls, or something else, at recess.  If one girl likes another, she gives her a lime; if she's mad with her, she eats one before her face, and don't offer even a suck.  They treat by turns; and I've had ever so many, but haven't returned them, and I ought, for they are debts of honor, you know." (えーと、あのね、女子はずっと買ってるの。けちんぼと思われたくなければどうしても買わなければならないの。いまはだんぜんライムなの。だってみんな授業中は机に隠してなめているし、休み時間になると鉛筆やビーズ指輪や紙人形やらなんかと交換するんだ。もしもある女子が別の女子を好きだとするでしょ。そうするとライムをあげる。シャクにさわっている子だと、目の前で食べて、なめさせてもあげない。かわりばんこにおごるのよ。わたし、とってもたくさんもらったのに、お返ししてないのだもの。返さなければ。名誉にかかわる借りなのですもの。)
  そして、エイミーはメグに25セント玉をもらい、それだとおつりがくるから、お姉さんにも、と言いますが、メグは自分の分はあげるから大切に使いなさい、とさとします。エイミーは、おこづかいがあるっていいなあ、といいます(どうも順番のゴミの片付けのときとかぐらいしかお金をもらえないみたいです)。
  翌日、(たぶん店に寄ったために)遅れて学校に着いたエイミーは、机の下の棚に「湿った茶色の紙袋 a moist brown paper parcel」を突っ込みますが、その前に、ついそれを見せびらかすという誘惑に駆られます(でも語り手はこれを "pardonable pride" としています)。たちまち、エイミーが24個のおいしそうなライム・ピクルスをもってきた!というニュースが仲間内を駆けめぐる(1個はみちみち食べてしまったのでしたw ということで、ここで与えられる情報は、ピクルド・ライムはお店で1ヶ1セント也、ということなり)。ケイティー・ブラウンは、つぎのパーティーにエイミーを招待すると言明し、メアリー・キングズリーはつぎの休み時間まで懐中時計を貸すと言う。そしてライムをもらえない時期のエイミーに意地悪を言っていた皮肉屋のジェニー・スノーも、即座に矛をおさめて (promptly buried the hatchet) 気の遠くなるような足し算の答えを教えてくれる。のですが、このジェニーが前に言った「他の人のライムを嗅げないくらいには鼻が低くない人たち、と、他の人のライムを欲しいといわないくらいには高慢ではない人たち (some persons whose noses were not too flat to smell other people's limes, and stuck-up people, who were not too proud to ask for them)〔stuck up は "proud" の意味があるけれど、もとの現在形の stick up は「突き出す」とか「高いところにはりつける」の意味で、"flat" の反対〕」についての憎まれ口を決して忘れることのできないエイミーは、「電報」をまわして、「とつぜん親切にしていただくなくてけっこうよ。あなたにはあげません」とジェニー・スノーに告げてしまいます。
  結果、大人びたジェニーによって、エイミーは机の中にライム・ピクルスを隠しているとデイヴィス先生にチクられることとなります。デイヴィスは、ライム禁止を宣言し、破った者はムチ打ちの罰を与えると宣言していた先生でした。

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illustration by Norman Little

  エイミーは教室の窓から両手で2×2個ずつ×6回にわたってライムを投げ捨てさせられ、その後、手をムチ打たれます。さらに休み時間まで教壇上に立っているように命じられる。恥辱にまみれたエイミーは休み時間になると家に帰り、家族に報告します。ジョーは怒りに燃えて、母親の手紙を携えてデイヴィスの学校へ行き、エイミーの持ち物をすべて持ち帰ります。とうぶんエイミーは学校をやめることになります。

Amy(LittleWomen).jpg
illustration by Frank T. Merrill

  まー、この章のモラルとしては、教養や知性を見せつけたりひけらかさないことがすてきなのであって、それは、(ジョーの言葉を借りれば)ありったけの帽子や洋服やリボンを全部からだにくっつけてほらこんなに持ってるわよ、と見せびらかすのがいかにおかしいか、ということなのですけれど(そして、「屈辱の谷」というのはバニヤンの『天路歴程』で、「死の影の谷」につながる場所です)、そのモラルはさておき、モーリちゃんの父的には、あしながおじさんから若草物語に目を向けたときに、このエピソードがなんでジュディー(ジーン・ウェブスター)に選ばれたのかしら、と気になりました。(1) まじめに考えると学校や孤児院などの施設の専制的な体制に対する批判なのでしょうか。(2) でも、たぶん、それよりは友達同士の友好関係を示すシルシとしてのライムというのに孤児のジュディーは惹かれたのでしょうか、ね。

  個人的には、一升瓶の栓(フタ)のコルクの部分をとってメンコがわりにしたりとか、牛乳瓶のフタに切れ目を入れてゴムで飛ばすとか、あるいは地味(?)にアヤトリとかお手玉とか、小学校時代にアレコレと流行があったなあ、となつかしい思いになったりもしました。駄菓子屋にあったヘンな梅干しみたいなのと、黒いフガシは大人になっても食べませんが、子供のころ食べなかったよっちゃんの酢漬けイカはビールのつまみに食っているこのごろです。

  なお、自分が調べたところでは、pickled lime は塩だけでつくる場合と、塩とヴィネガーの両方を使うのと、ふたとおり作り方はあるようです。それから、ピクルド・ライムに使うライムは小型の品種(学名は2種類くらいまで特定できているのですがまだ自信なし)で、ゴルフボールぐらいのものみたい。


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『あしながおじさん』における神 (第2のノート) [Daddy-Long-Legs]

そもそも、だいぶ前に、「天(国)地(獄)人(間) (1) Heaven, Hell, and Man」という記事で、センプルさんのキリスト教について、次のように引用し、書いていました。1年目の7月にロック・ウィローからジュディーが書いた手紙の中で、日曜日の説教を聴きに教会に出かけたことから神について考えた一節があります。

     We hitched up the spring wagon this morning and drove to the Center to church.  It's a sweet little white frame church with a spire and three Doric columns in front (or maybe Ionic--I always get them mixed).
     A nice sleepy sermon with everybody drowsily waving palm-leaf fans, and the only sound, aside from the minister, the buzzing of locusts in the trees outside.  I didn't wake up till I found myself on my feet singing the hymn, and then I was awfully sorry I hadn't listened to the sermon; I should like to know more of the psychology of a man who would pick out such a hymn.  This was it:

           Come, leave your sports and earthly toys
           And join me in celestial joys.
           Or else, dear friend, a long farewell.
           I leave you now to sink to hell.


     I find that it isn't safe to discuss religion with the Semples.  Their God (whom they have inherited intact from their remote Puritan ancestors) is a narrow, irrational, unjust, mean, revengeful, bigoted Person.  Thank heaven I don't inherit God from anybody!  I am free to make mine up as I wish Him.  He's kind and sympathetic and imaginative and forgiving and understanding--and He has a sense of humor.
     I like the Semples immensely; their practice is so superior to their theory.  They are better than their own God.  I told them so--and they are horribly troubled.  They think I am blasphemous--and I think they are!  We've dropped theology from our conversation.

   わたしたちは今朝スプリングつきの荷馬車に馬をつないでセンター〔the Center〕の教会へ行きました。かわいらしい白い木造の小さな教会で尖塔がひとつと正面にはドーリア式の円柱が3本あります(もしかしたらイオニア式かも――いつもわたしはふたつをごっちゃにします)。
  こころよい、眠くなるお説教で、みんなが棕櫚のうちわを眠そうにあおぎ、牧師さんの声のほかに聞こえてくるのは外の木で鳴くセミだけです。目が覚めたときには讃美歌をうたうために立ち上がっていました。そのときわたしはお説教を聞いていなかったことをひどく残念に思いました。わたしはこんな讃美歌を選び出す人の心理をとても知りたいです。これがそれです――

     さあ、地上の遊びも戯れも捨てて
     我とともに天上の喜びに加われ
     さなくば、友よ、永の別れ
     汝が地獄に沈むままに残して

  わたしはセンプルさん夫妻と宗教について語るのは安全でないと知りました。ふたりの神さま(遠いピューリタンの先祖からそのまま受け継いできた神)は、狭量で、不合理で、不正で、卑しくて、復讐にもえた、頑固なペルソナです。わたしが誰からもどんな神さまも受け継いでいないことを天に感謝! わたしはわたしの神さまを自分の望むように自由にこしらえられます。親切で思いやりがあって想像力があって寛大で理解もある神さま――それにユーモアのセンスもあります。
  私はセンプルさんご夫婦が非常に好きです。ふたりの実践はふたりの理論よりずっとまさっています。おふたりの神さまよりもご自身たちのほうがすぐれています。私はそのように言いました――するとふたりはおそろしく当惑しきってしまいました。わたしを瀆神的と考えるのです――わたしはふたりのほうが瀆神的だと考えているのです! わたしたちは神学を話題にするのはよすことにしました。

  この4行の讃美歌からだけでは、そのつぎの段落のピューリタンの神に対する批判はいささか唐突、強引、暴発的にも思えます。神についての言及はほとんどここが最初で、これ以前と言えば、教室で扱われた詩の中のキャラクターが神ではないかと考え、でも次の連で「ボタンをいじる」みたいに書かれているので、これは瀆神的な想定だった、と考えを翻すエピソードがあるくらいではないでしょうか(1年生の4月の手紙)―― "When I read the first verse I thought I had an idea―The Mighty Merchant was a divinity who distributes blessings in return for virtuous deeds―but when I got to the second verse and found him twirling a button, it seemed a blasphemous supposition, and I hastily changed my mind."

  不合理な神を糾弾する姿勢は、ほとんどおおおじさんのマーク・トウェインと重なるところがあるような気もしますけれど、とりあえず北部南部のキリスト教の違いという問題を棚上げにして、構図的には以下のような教義に対して、ある程度普遍的な怨嗟・糾弾があったのではないかと考えられます。

  アメリカのピューリタニズムの17世紀以来の歴史的な基盤はカルヴィニズムです。カルヴィニズムの中心的な教義のひとつは total depravity(全的堕落)、もうひとつは predestination (予定説)です。「全的堕落」とは全人類的かつ全人格的堕落のこと、別言すれば、人間は「原罪」を負った不完全な存在であるという考え。「予定説」というのは、救済されるか(天国に入れるか)、地獄に堕ちるかは予め神によって定められているという考え。ぶっちゃけていうと、がんばって徳を積んだからといって予定がそれで変わるわけでないし、がんばらない人も救われうるし、みんな罪人といいながらそのなかに聖人として選ばれるエリートがいるし、全能な神が地獄堕ちをあらかじめ選別しておいて生かすのはなぜかとか、悔い改めよと説き続けるのはなぜかとか、いろんな、バチアタリな疑問が出てくるように思われます。

  ジュディーがこれまでの人生でためこんできた神学的疑問が出てきたのか、あるいは作家自身の問いかけが筆としてすべって出てきたのでしょうか。ピューリタン的な地獄堕ちの暗い宿命論に対する反感が、自然と出てきたのでしょうか。それとも親に捨てられた孤児のジュディーが神の摂理なるものに疑問をもつのが自然ということなのでしょうか。よくわかりません。考え中w。  とりあえず、「『あしながおじさん』における神」というタッグを組んで継続審議することにしますぅ。

  で、アメリカ神学問題はその後特に考えが進んだわけではないのですが、今回のメモシリーズは、ちょっと違う方向を考えているのです。それは、ジュディーが、自分の望むように「わたしの神さま」を自由にこしらえたときに、それが「親切で思いやりがあって想像力があって寛大で理解もある神さま――それにユーモアのセンスもある」神さまになることにかかわります。

  ジュディーが「わたしの神さま」として構想している神の姿は、なかなかに人間的であるといえます。いっぽうで正統的なキリスト教の考え方として Imago Dei 、「神の似姿」としての人間というのがあり、もういっぽうで、傍流的に「芸術家としての神」(『ヨーロッパ文学とラテン中世』のE・R・クルティウスのいう「God as Maker」というトポスに重なるもの)という常套もあるわけですけれど、人のほうから神をイメジするのはときに人間中心主義と見られかねません(たとえば――宇宙を神の創造した崇高(サブライム)な詩とみる詩人エドガー・ポーの宇宙論とか)。

  ここで、ジュディーの想像力が冒頭の「ブルーな水曜日」で強調されていたことが思い起こされます―― "Jerusha had an imagination―an imagination, Mrs. Lippett told her, that would get her into trouble if she didn't take care"。同じく「ブルーな水曜日」において、ジェルーシャ(ジュディー)は、リペットからスミス氏が「ユーモア感覚」をもっていることを告げられていました―― "the gentleman who has just gone―appears to have an immoderate sense of humour"。

  それから、ジュディーが3年生の夏休みにロック・ウィローで書いた小説について編集者が書き送ったことについて、4年生10月3日に報告されている手紙では、ジュディーの文章のユーモアについて触れられています――

"Plot highly improbable.  Characterization exaggerated.  Conversation unnatural.  A good deal of humor but not always in the best of taste.  Tell her to keep on trying, and in time she may produce a real book."

  想像力もユーモア感覚も、どうやらリペット孤児院長は評価しないもの。けれどもジュディーは、想像力をもつことこそが大切なのだ、とのちに語ります(2年生5月4日の手紙)。――

You know, Daddy, I think that the most necessary quality for any person to have is imagination.  It makes people able to put themselves in other people's places.  It makes them kind and sympathetic and understanding.  It ought to be cultivated in children.  But the John Grier Home instantly stamped out the slightest flicker that appeared.  Duty was the one quality that was encouraged.  I don't think children ought to know the meaning of the word; it's odious, detestable.  They ought to do everything from love.

  そして、卒業後、ジャーヴィスについてダディーに書き送る手紙ではユーモア感覚の共有の大事さについて触れられています。――

     And now, Daddy, about the other thing; please give me your most worldly advice, whether you think I'll like it or not.
     You know that I've always had a very special feeling towards you; you sort of represented my whole family; but you won't mind, will you, if I tell you that I have a very much more special feeling for another man?  You can probably guess without much trouble who he is.  I suspect that my letters have been very full of Master Jervie for a very long time.
     I wish I could make you understand what he is like and how entirely companionable we are.  We think the same about everything―I am afraid I have a tendency to make over my ideas to match his!  But he is almost always right; he ought to be, you know, for he has fourteen years' start of me.  In other ways, though, he's just an overgrown boy, and he does need looking after―he hasn't any sense about wearing rubbers when it rains.  He and I always think the same things are funny, and that is such a lot; it's dreadful when two people's senses of humor are antagonistic.  I don't believe there's any bridging that gulf!

  わけあって(予感的に)、長めに引用しておきます。アー、断片的。訳もいずれ補いますぅ。

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天使と悪魔、天(国)と地(獄) Angels and Devils, Heaven (, Earth,) and Hell

天(国)地(獄)人(間) (1) Heaven, Hell, and Man

ケロッグさんの選んだ讃美歌 Hymn Sung by Mr. Kellogg――天(国)地(獄)人(間) (2) Heaven, Hell, and Man

「サザン・ハーモニー The Southern Harmony――天(国)地(獄)人(間) (3) Heaven, Hell, and Man」

 

 


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母と娘の会話 A Conversation Between a Mother and a Daughter [φ(..)メモメモ]

June 10, 2010

 むかしカリフォルニアではよく会話を記録したものだった(遠い目)。

 午後に仕事が終わって、地下鉄から直通でのんびり帰ろうとして、でも自宅の駅から3つくらい手前までしか行かない電車だったので、ホームでしばらく待ってから乗り換えた電車の、左隣に座っていた自分の家族ではない母と娘の電車の中での会話を、数独の余白に書き記したもの。小学校4年生くらいの女の子と、なんかピンを薄い金属板で割って開いて小さなアクセサリー(用の飾り)をつくる内職みたいなのをその娘と共同で電車内でやっていた若いお母さんとの会話――

娘「東武動物公園ってなあに?」
母「・・・・・・」
娘「頭が動物になるって」
母「ちげーよ。そのトーブじゃねーよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

娘「ママ死んだらやだよ」
母「なんで。お化けになるから?」
娘「うん。おどかさないで」

  そのあと娘への愛をママは語っていたのだが、その言葉は数独の余白にはメモられていない。

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お気に入りの数独ページ――

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