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希望(という名)の光 A Ray of Hope [文法問題]

山下達郎がひさしぶりのアルバム『Ray of Hope』を出して、プロモーションにいろいろな番組にでている今日この頃。モーリちゃんの父がよく聞いているTBSラジオでも、先週、大沢悠里のゆーゆーワイドを聞けなかったのは残念だけれど、日曜日の朝の久保田智子のプレシャスサンデーでのインタビューは2週にまたがる長いもので、アレコレ話が脱線しておもろかった。おじさん、話し好きなのね。

  「・・・・・・癒しとか、包まれる感じが、アルバム全体にあるんだなあっていうふうに感じました。」

  「厳密に英語的な表現では、"a ray of hope" だと、ほんとに一すじの光なんですよ。だから絶望のなかにほんとに見える一すじの光のことを "a ray of hope" という。ほんとは "A . . ." にしたかったんだけど、日本語のアルバムなので、"a" をつけるとちょっとうるさいんですよ。で、"a ray of hope" という表現だと、天から降ってくる、雲の間から漏れてくる、バーって光があるでしょ、そういうものをだいたい "a ray of hope" と表現するんですよね。宮沢賢治の詩のなかに、空から雲のあいだから光の束が降りてくる、宮沢賢治はそれを「空のパイプオルガン」って表現していたけれど、そういう雲の間の、日本でもよく見るけど、"a ray of hope" っていうとだいたいそれくらいの感じなんです。ちょっとそういう宗教的な表現になりますけど。だからほんとは "A Ray of Hope" のほうがいいんですけど・・・・・・」

  ほかのところでも同じようなことを語っている――山下達郎さん サンデーソングブック 2011年08月07日『Ray Of Hope 』Part2」。〔8.16付記 まちがえてました。2011年8月5日bayfm 「Answer」です。小島麻子の「Ray Of Hopeという単語自体は、いつ頃から・・・」という問いに対してこう答えています――「宗教的な意味で言うと天から降って来る光の束とか、そういうようなものがRay of hopeって言いますね。だいたい、希望の光って、全く同じ意味だと思います。そういう曲はたくさんあります。特に宗教歌では沢山でてきます。」〕

  "a ray of hope" がほんとうに宗教的な表現なのかわからんけれど――達郎が好きらしいラスカルズの "A Ray of Hope" (1968年; 邦題「希望の光」)は主 Lord にむかって呼びかけていたっけ。あー、1年前の4月に「希望という名の光」のシングルCDが出たときに達郎自身が「そういった話を突き詰めていくと宗教観になってくるんだけど……。クライマックスのコーラスで歌っている“A Ray Of Hope”というフレーズは、アメリカのゴスペル・ミュージックでよく使われる言葉なんです。」と語っておったのね(映画『てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~』の主題歌『希望という名の光』を4月14日にリリースする山下達郎さんをフィーチャーした「Amazon.co.jp: Deep Dive」)。

  以上で前説おわり。

  ちょっと興味深かったのは、なるほど宗教的な感覚があるならば、「光」は啓示や知識の訪れの視覚的イメジとして伝統的にあったのだろうけれど、ひとつには「希望」と「光」の比重が逆転しているようなところが気になったのでした。

  えーと、文法問題的に捉えるべく、辞書の記述を列挙してみましょう。――

"a ray of hope" 「希望の曙光(しょこう)」(『ランダムハウス英和大辞典』

"a faint ray of hope" 「一縷(いちる)の望み」(『研究社英和大辞典』

"a ray of hope" 「わずかな希望、一すじの光明」 (『ジーニアス英和大辞典』)

"a ray of hope" 「一縷(いちる)の望み」(研究社『リーダーズ英和辞典』)

  ray は「光」というより「光線」です。『ジーニアス』は "a ray of moonlight" に「月の光」という訳語をあてているけれど、moonlight は既に「月光」なわけで、その月光がなんらかのかたちで――暗い部屋に射し込むなり、雲間から漏れ出るなり――部分的に可視化された場合が "a ray . . ." として表現される。

  さて、『ジーニアス』だけは(ふたつめの訳語として)「一すじの光明」というふうに、「希望」でも「望み」でもない日本語に置き換えているけれども、ここで「光明」というのは、念のために広辞苑の記述を引いておけば、②にあたります。――

①明るく輝く光。「一筋の」  ②比喩的に、苦しい状況での、将来への明るい見通し。「前途にを見出す。  ③仏・菩薩の心身から放つ光。智慧や慈悲を象徴する。

  (①の用例に「一筋の光明」とあっても、あくまでも②ですw。)

  希望というのは光っているモノではないのですから、英語の ray もまた、「比喩的」に使われているのだ、と言えます。

  山下達郎が日本語のタイトルを「希望の光」ではなくて「希望という名の光」とした意図はよくわかりませんけれど、The Rascals の「希望の光」と変えたかった以外には、歌詞としての語呂ならびに歌詞の他のフレーズとの関係があるのかと思われます――「自由という名の風」「勇気という名の船」「愛という名の絆」――「希望という名の光 山下達郎 歌詞情報 - goo 音楽」。

  ううむ。「愛という名の絆」はわかるけど、あとの「自由という名の風」とか「勇気という名の船」とかいうのはわかりませんね。

  わからんところがおもしろいのかも。

  えーと、たぶんこの詩(歌詞)のなかで考えるとなんか解決しそうな気もしますけど、もともとの興味深いと思ったところに戻ると、「希望」の比喩として「光」が抽象的に引き込まれているのではなくて、むしろ具体的なイメジとして光があって――山下氏が繰り返すことばをもちこんでしまえば、天から射す光というイメジがあって――それに希望が重ね合わせられているところです。だから、直喩的に言い換えるなら、「一すじの光のような希望」なのではなくて、「希望のような一すじの光」という感じ。

  英語で「比喩のof」と呼ばれる表現があるけれど―― "a beast of a man" (獣のような人)とか "silver pepper of stars" (「銀のコショウのような星々」――『ギャツビー』)――A of B の関係が入れ替わって主客転倒しているような感じ。

  敢えて広辞苑に重ねるなら、③の宗教的な「光」の「象徴」が比喩に先行しているということかな。そこが「自由という名の風」とか「勇気という名の船」とは違うところでしょうか。

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image via 991.com <http://991.com/Buy/ProductInformation.aspx?StockNumber=410932&PrinterFriendly=1>

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歌謡曲歌詞検索 Search Engines for Japanese Pop Music [2011/02/21 21:26]

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希望という名のあなた (1) Your Name Is Hope [歌・詩 ]

希望という名の光について考えていたら希望という名のあなたのことを思い出していた。

  岸洋子 (1935-92) の歌唱で有名な「希望」は、岸洋子のために書かれた曲ではなくて、もともとは倍賞千恵子のミュージカルのためにつくられたのを岸洋子が車中で聞き、自ら申し出て1970年にレコーディングしたのだとかなんとかいう薀蓄がWEBを検索するとたくさん出てくる。えーと、いちおう資料とかも示している「学術」的な文章は、東京大学社会科学研究所の希望学プロジェクト(まじです)のサイト『希望学』の<希望の名言集 第3回 岸洋子 「希望という名のあなたをたずねて 遠い国へとまた汽車にのる> <http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/meigen/meigen_3.html>だ。JASRACの許諾を得て歌詞も掲載しているので、読んでいただきたく、冒頭を引用しておきます。――

1970年、日本レコード大賞歌唱賞は、岸洋子の『希望』であった。岸洋子の代表作とも言うべきこの歌は、実は彼女のために作られたものではなく、倍賞千恵子のために作られたミュージカルの曲だった。しかもこの歌は、岸洋子のみならず、シャデラックス、フォーセインツという男性コーラスグループとの競作であった。『希望』は、1968年岸がタクシーの中でラジオから流れてくるこの歌にひきつけられ、曲の題名と資料を集めて、歌わせてもらうようお願いし、歌ったものだったのだ。
  男声フォークグループであるザ・シャデラックスのシングル版「希望」(SONA86109)は1970年5月1日の発売だから、岸洋子の「希望」(1970年4月1日発売)のひとつきあと、そしてフォー・セインツの「希望」は1年前の1969年5月1日の発売でした。作詞は藤田敏雄、作曲はいずみたく。
  
  あれこれ、暑いし図書館に行く余裕もなく、ネット情報によって、調べてみると、以下のようなことがある。――(1) 倍賞千恵子が出演するミュージカルの劇中歌の一つとして製作されたのは1967年〔『伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る<http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/c/b11ad4067974271aa29c31ab3b1f0de8>〕、(2) (岸洋子の1970年のヒットに関して)「この歌は4~5年前から労音で唄われていたのだという。」〔中之島のBOW さんの「歌と思い出 6」 <http://www.asahi-net.or.jp/~mf4n-nmr/song6.html>〕、(3) 倍賞千恵子LP一覧収録曲に「希望」がない <http://www.geocities.jp/marucyann1/lpichiran.html>)、(4a) いずみたくの回想として、文化講演会「体験的音楽論」(1986年10月5日NHKで放送、2011年2月13日・20日に深夜便アーカイブスで再放送)で語っていることとして、永六輔と作ったミュージカルが「見上げてごらん夜の星を」と「夜明けの歌」で、坂本九と岸洋子の同名の歌はここから出たのだけど、「希望」はもともと倍賞千恵子のために作った短いミュージカルで、その歌を岸洋子が歌ったのだ、(4b) いずみたくの著書『体験的音楽論』で語られていることとして、1962年から63年にかけてテレビで1時間のフォーク番組が生まれ、藤田敏雄といずみたくが担当し、大学生のフォークグループのチームが集まった。ふたりは月に2・3曲のオリジナル曲をつくり、そのなかから生まれたのが「君の祖国を」「君が若者なら」「希望のマーチ」「希望」「返しておくれ、今すぐに」だった。〔『倍賞千恵子応援ページ』のmarucyann の記事「希望のマーチ」 <http://www.geocities.jp/marucyann1/kibounomarch.html>〕
  ということで、作曲者いずみたく自身の回想自体に矛盾があるだけでなく、68年に岸洋子がラジオから聞いた音源がなんだったのかがわからんのです。
  さて、なんでこんなことを前置き的に書いているかというと、第一に、ミュージカルのコンテクストの中に置かなければならんのか、という『カリフォルニア時間』で考えた疑問(詩的メモ的にリンクしておくと、「March 28-29 短い文 (ポーの『マージナリア』から) 付 ミュージカルの歌詞についての雑感」など)が再燃したからですけれど、結論的にはたぶん考えなくていいんじゃないの、ということです(あっさり)。そして、むしろフォークソング的に――労音であれ歌声喫茶であれ、あるいはカレッジポップスとして――歌われたときに、中之島のBOW さんの言うように「わずかな希望をあてにして生きようと思う人たちの心に灯をともすような歌だった」だろう。労音ってよく知りませんけれど、大阪労音の音楽フェスティバルやミュージカルにいずみたくも藤田敏雄も一緒に携わっていました。「見上げてごらん夜の星を」なんかも大阪の労音でのいずみたくの同名のミュージカル主題歌でした。『歌のデータ・ベース Jポップス』は、メモとして「メモ:人生の終着駅死でさえも、愛があれば希望を持って汽車に乗れるというハイブロウな歌 」と記しているけれど(<http://www.asahi-net.or.jp/~mf4n-nmr/songs/1000_d2j2.html>)、そういうのとも違うと思う。そもそもどこに愛があるねんw
  第二に、(これは既に明瞭なことなのですが)岸洋子の苦難の人生――それは希望と絶望が暗転しつづけるようなものだったろう――を投影して曲がつくられたのではないということ。
 
  それでも、岸洋子が個人的に自己を投影して曲を歌ったということはありえる。さらに、有名な事実としては、ザ・シャデラックスとフォー・セインツの歌った3番の歌詞は岸洋子のヴァージョンと異なるということがあります。3番の冒頭「希望という名のあなたを訪ねて/涙ぐみつつまた汽車に乗る」は「涙ぐみつつ」以外は同じだけれど、男どもはそのあと「なぜ今私は生きているのか/そのときうたが低くきこえる/なつかしいうたがあなたのあのうた/希望という名のマーチがひびく/そうさあなたにまた逢うために/わたしの旅は今また始まる」と歌い、岸洋子は「希望という名のあなたを訪ねて/寒い夜更けにまた汽車に乗る/悲しみだけがあたしの道連れ/となりの席にあなたがいれば/涙ぐむときそのとき聞こえる/希望という名のあなたのあのうた/そうよあなたにまた逢うために/あたしの旅はいままた始まる」と歌いました。「そうさ/そうよ」「わたし/あたし」はジェンダーなんたらいう問題ですが(いちおう自分メモとして「October 10, 12 【メモ】 ジャズ、ジェンダー、CGP」参照)、そこではなくて、「希望という名のあなたのあのうた」とほとんど自己言及的に「あのうた」=「このうた」=「希望」とくるくるさせて希望を前面に押し出しながら(これは「マーチ」的な伴奏が出て盛り上がるところからも明らか)、奇妙にも「となりの席にあなたがいれば」と「人間性」「身体性」を最後になっても強調するからです。それもなんだか女っぽく。
  長くなったので、以下、パート2へつづく~♪
  

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希望という名の夜汽車 A Night Train Named Hope [歌・詩 ]

(山下達郎の)希望という名の光について考えていたら希望という名のあなたのことを思い出していた今日この頃。(岸洋子の)「希望」の話者はなんで毎日のように汽車に乗っているのだろう、という疑問に頭を揺らしていたら、希望という名の夜汽車の歌が浮かんだ。つなぎに書き留めておこう。

「夜汽車」   欧陽菲菲    1972(昭和47)年8月5日発売
作詞 橋本 淳  作・編曲 筒美京平
希望という名の夜汽車にゆられ  女心は何処まで行くの 
夜汽車 -  欧陽菲菲 歌詞情報 goo音楽     ○Live

「希望」  岸洋子  1970(昭和45)年4月1日発売
作詞 藤田敏雄  作曲 いずみたく
希望という名のあなたをたずねて  遠い国へとまた汽車にのる
希望 - 岸洋子 歌詞情報 goo音楽   ○Live

  夜汽車は演歌だけでなくポップスでもフォークソングでもかつては愛好されたイメジですから、どこに出てきても不思議はないのでしょうけれど、岸洋子が膠原病を再発して1970年の紅白歌合戦には出られず、翌1971年の紅白に「希望」を歌唱しているわけで、69年のフォー・セインツ(ちなみに彼らは1970年秋に解散)、70年のザ・シャデラックスと競作となった「希望」は強くひとびとの心と頭に刻まれていたでしょう。作詞家の橋本淳にも。

  そうすっと、なんらかの解釈なり応答みたいなもの、あるいはパロディー的思考が含まれていてもおかしくないのかもしれないと思われてきます。――アップテンポにしたことが曲としての明瞭な違いですけれど、「希望」が実は目的なのではなくて目的をもつことが希望なのだとか(これは「青い鳥」的「聖杯」的モティーフであるw)、毎日汽車に乗っているのは女「心」なのだとか。心の旅。あー、だから。

  橋本淳の顔は浮かぶけれど、仕事の総体をぜんぜん意識したこともなく、よーわからんですけれど、つらつら思うに、ブルーコメッツの「青い瞳」「青い渚」「ブルー・シャトウ」の青のシリーズとか、渚ゆう子の「雨の日のブルース」「風の日のバラード」とかあと、弘田三枝子の「渚のうわさ」「枯葉のうわさ」とか・・・・・・なんかインターテクスチュアルな感性があるような気がする(マー、誰でもそうかもしらんが・・・・・というか間テキスト性の定義にもよりますか・・・・・・結局(セルフ・)パロディー的遊び心がかな)。

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橋本淳作品集 (2009)
image via Amazon.co.jp

  いま橋本淳と「書く」とジュンじゃなくてアツシで、マジレッドの子なのですね。――

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忍術学園六年生で善法寺伊作役の橋本淳
image via ザテレビジョン


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キボウという名の橋 (1) A Bridge Named "Hope" [歌・詩 ]

(山下達郎の)希望という名の光について考えていたら希望という名のあなたのことを思い出していた今日この頃。(岸洋子の)「希望」の話者はなんで毎日のように汽車に乗っているのだろう、という疑問に頭を揺らしていたら、希望という名の夜汽車の歌(欧陽菲菲の)が浮かんで、つなぎに書き留めたつもりが、敬愛するshjさんからコメントをもらって、それに返答しながら、あれこれ考えた。さらに、shjさんのコメントを深夜に読む前の木曜の夜、神楽坂で飲んだ席で、「象徴はもういやです(辟易)」みたいな発言をする女学生がいて(エライ!)、思索は深まらざるを得なかった。

  エーと、最初に適当に書いておくと、アメリカ文学とシンボリズムの密な関係というのはとりあえず所与の想定みたいになっちゃっていて、それは植民地時代のキリスト教的タイポロジカルな世界観に根っこをもち、時代的には南北戦争後の遅くにやってきたリアリズムの時代にも、たとえば自然主義作家の象徴主義とかあっちゃったりするし、戦後にサリンジャーが評価されたのは(少なくとも当時の日本人研究者たちの文章を読むと、くそリアリズムに対して)象徴主義を復活させたからだったりする。象徴というのは、神秘主義的にいうと、神的・霊的な認識(のきっかけ)をもたらす契機となるようなものかもしらんけれど、一般化していうなら、モノがそのモノとしての意味や価値を超えて日常的認識を跳躍した意味や価値を示すときのモノのことだ。(単純なのはヘビ(蛇)=ドラゴン(竜)(=ムカデ(百足))=悪魔みたいな)。

  ややこしいのは、モノを指すコトバがモノにとってかわるのが言語動物人間の宿命なので、モノではなくてコトバが象徴になりおおせるという事態かもしれない。ドラゴンは架空の存在であるけれど言葉としては存在しちゃっているわけだし、ムカデ(centipede=百足)は足が百本なくても100の足をもつ。あるいは、可視的なモノはイデア的な物自体の仮象にすぎない(18-19世紀)とか、言葉は現実に対応しているのではなく現実を抽象化した観念にしか対応していないのだから、コトバ自体が結局のところ虚構である(20世紀)とか、イデア―現実―象徴―ことばをめぐる関係はぐるぐるとわけがわからないところがある。別言すれば、それぞれの間がぼや~っと溶け合って、モノをいうコトバなのか、象徴としてのモノをいうコトバなのか、象徴としてのコトバなのか、イデアを志向するコトバなのか、ただのコトバなのか、コトバを使っている当人ももしかしたらわからず、あるいはただコトバで遊んでいるみたいな超反現実的事態も容易に起こりうるかもしれない。

  以上前置き。

  青山テルマである。青山テルマはモーりちゃんの父たちが2008年から2009年にかけて離日していた前後にテレビで同じ歌を歌い続けていたのでちょっと驚いた記憶がありますが、2007年の曲。

「My dear friend」   青山テルマ   2007(平成19)年12月5日発売
作詞 Kenn Kato  作曲 Hitoshi Harukawa
だって、だって、時はいつだって 呆れるくらいわがままだよ、って なぜかあなたの隣にいるだけで心の声が響いてくる
My dear friend -  青山テルマ 歌詞情報 goo音楽     ○Live

   作詞のKenn Kato さんというのはカトチャン&ケンチャンではなくて、なんかアメリカ出身の日本人で、エグザイルの歌詞とかいろいろ1990年代から活躍しているひとのようです。歌詞全体を吟味するつもりもなく、中心的に考えたいのは最後から2連目です――

雨上がりの君の空に
キボウという名の橋が架かる
ためらえばすぐに消えてしまうから
負けない気持ちで渡りきるんだ

  このあとはリフレインで、「だって、だって、時はいつだって/呆れるくらいわがままだよ、って/なぜかあなたの隣にいるだけで/心の声が響いてくる」でおしまい。

  この一連が示しているのはまことに人間中心主義的 (anthropocentrist) 擬人主義的 (anthropomorphist) 世界観であります。

  が、また明日・・・・・・断片的ですいませんが、なんかカリフォルニア時間を思い起こしつつもありw


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キボウという名の橋 (2) A Bridge Named "Hope" [歌・詩 ]

希望という名の光について考えていたら希望という名のあなたのことを思い出して、岸洋子の「希望」の話者はなんで毎日のように汽車に乗っているのだろう、という疑問に頭を揺らしていたら、希望という名の夜汽車の歌が浮かんで、つなぎに書き留めたつもりが、敬愛するshjさんからコメントをもらって、それに返答しながら、あれこれ考えた「キボウという名の橋 (1)」のつづきです。

  「また明日」と書きながら1日あいたのは、本が何冊も見つからなかったのと、話が歌詞のはなしからはなれてクソ六かしいところへいきそうでブレーキが働いたからかもしれません。

  本は見つからないのだけれど、いっそWEBをサーフィンして、典拠不詳にテクストを編み上げてみるのもいいかな、と思いつつ、いやいや、自分の頭からなんかひねりだそう、いや、なんだかんだ言ったって、もとから自分の頭にあったものなどなく、知識の蓄積とは原初的な引用のふるまいなんだから、と折衷的に・・・・・・

  先の (1) 〔「キボウという名の橋 (1) A Bridge Named "Hope"」〕で、いささか乱暴にこう書きました――

・・・・・・歌詞全体を吟味するつもりもなく、中心的に考えたいのは最後から2連目です――

雨上がりの君の空に
キボウという名の橋が架かる
ためらえばすぐに消えてしまうから
負けない気持ちで渡りきるんだ

  このあとはリフレインで、「だって、だって、時はいつだって/呆れるくらいわがままだよ、って/なぜかあなたの隣にいるだけで/心の声が響いてくる」でおしまい。

  この一連が示しているのはまことに人間中心主義的 (anthropocentrist) 擬人主義的 (anthropomorphist) 世界観であります。

  人間とモノとコトバの関係を考えるときに、20世紀の示唆的な文章のひとつはフランスの小説家アラン・ロブ=グリエの1958年の評論「自然・ヒューマニズム・悲劇」でしょう(これは『ヌーヴォー・ロマンのために』におさめられているはずですが、その本が見つからない)。

 ロブ・グリエの理論のなかでも、特に忘れてはならないと思われるのは、その比喩批判、とりわけ隠喩批判です。一言でまとめてしまうと、世界のなかにある事物は人間と無縁に、人間よりも先に存在しているのに、隠喩はそれを人間化してしまい、人間の世界のなかに取り込んでしまう、ということです。だからロブ・グリエは、事物を事物としてことばのなかに存在させるために、隠喩を排除しました。これは「唯物論」を厳格な立場で理解することです。代表作「嫉妬」に出てくる黒人の記述は、そこにまったく意味が付与されていないがゆえに、初めて黒人が黒人として小説のなかで描かれた反人種差別的な記述であると考えられました。不思議な理屈だなあ、と思うひともいるかもしれませんが、こういうものの考え方もあるのです。たとえばストーリーと呼ばれるものも人間が勝手につくるもので、世界のなかには事物や事実が雑然と存在しているのだから、それをそのまま記述するとそこには物語がないことになるのです。ひとをたぶらかすためにわけのわからないことを書いているわけではないのです。*

*NEIMUROYA、「アラン・ロブ・グリエに学ぶこと」、ブログ『文字は殺し、精神は生かす』2008.2.27 <http://muroyanei.blogspot.com/2008/02/blog-post_27.html>

ロブ‐グリエは人間中心的な言葉の用い方、小説におけるヒューマニスティックな比喩の、アナロジーの使用を導く視線をこう規定している。「人間とものとの間にかけられた魂の橋として、ヒューマニズムの視線は、なによりもまず連帯性のしるしである。」1このような視線を批判してさらにこう続ける。「人間は世界を見つめるが、世界は彼に視線を返しはしない。」2この闘いにバルトは連帯を「ロブ‐グリエ派なるものはない」(1958)において表明するのである。「視線は、ロブ‐グリエにあっては本質的に浄化的な行為であり、たとえ苦痛をあたえるものであっても、人間と対象〔もの〕との連帯の切断である。」3人間とものとの古い視線の既成の連帯には異議を申し立てるのではあるが、彼は新しい視線の下(外)への連帯を控えめながら呼びかける。「あらゆる点で共同の闘争に対する欲求を先行させねばならないように思われる」4。**
1) アラン・ロブ‐グリエ/平岡篤頼訳「自然・ヒューマニズム・悲劇」『新しい小説のために』(新潮社、1967)、60項。
2) アラン・ロブ‐グリエ/平岡篤頼訳「自然・ヒューマニズム・悲劇」『新しい小説のために』(新潮社、1967)、67項。
3) ロラン・バルト/篠田浩一郎・高坂和彦・渡瀬嘉朗訳「ロブ‐グリエ派なるものはない」『エッセ・クリティック』(晶文社、1972)、137項。
4) ロラン・バルト/篠田浩一郎・高坂和彦・渡瀬嘉朗訳「ロブ‐グリエ派なるものはない」『エッセ・クリティック』(晶文社、1972)、141項

**Puis Sang-soo、「ロブ-グリエのイノベーションについて」、『Puis Sang-soo's Red Notebook』 <http://sites.google.com/site/puissangsoo/home/report/about_innovation_of_alain_robbe-grillet>

  さてと、どんどんむつかしくなりそうなので、引き戻しておくと、自然の事物を人間の感情や思考や行動のヒユとして使うのって、人間の思い上がりじゃないの、というのがとりあえずのロブ=グリエの批判する人間主義(ヒューマニズム、だけど細かく言えば、それは人間中心主義、擬人主義としてのヒューマニズムだと言える)的隠喩の問題です。

  隠喩(メタファー)とは、とウィキペディアを参照しようとしたがわけわからんことが書いてある(w)ので、とりあえず(都合の)よい例をあげておくと、・・・・・・う~ん、うーん、「人は城、人は石垣、人は堀」(伝 武田信玄)の「城」「石垣」「堀」、♪「愛は空、愛は海、愛は鳥、愛は花、愛は星、愛は風、愛は僕、愛は君」(井上陽水)の「空」「海」「鳥」「花」「星」「風」、そして「僕」と「君」。どうでっしゃろw

  厳密にはメタファーとは、「~のような」(英語だとlike とか as でつながるような)というふうにタトエであることが明示されないヒユの種類なのだけれど、ロブ=グリエ的問題意識からは、「暗い海のような僕の心」だって「暗い谷間のような君の心の奥」だって、「暗い谷間をさまよう心」だって、おんなじ問題を抱えているように思われます。そして、このようなヒユ問題と、文学における情意の反映としての自然、あるいは逆にいえば、自然描写が登場人物の心的状態の「象徴」であるような描写というのも同じ問題を持っていることがわかります。

  「雨がしとしと日曜日、僕はひとりで君の帰りを待っていた」(ザ・タイガース「モナリザの微笑」)、「しとしとぴっちゃんしとぴっちゃんしとっぴっちゃん/哀しく冷たい雨すだれ/おさない心を凍てつかせ」(橋幸夫「子連れ狼」)

  ジョン・バースが初期の長編小説『フローティング・オペラ』のなかで、作家がどうしようもなく天候の記述を登場人物の心情に重ねて行なってしまうみたいなことを書いている一節がありました(見つからない本の一冊)けど、積極的にはT・S・エリオットのいう「客観的相関物 objective correlative」の説って、人間的主体と客観的自然が相応して作品を構築するわけで、やっぱり人間中心主義的なものなのでしょう(か)。

  ロブ=グリエのエッセイのタイトルには「自然」が入っていて、そのへん、今日のエコロジー的な思想と共振するところもあり、志村正雄の『神秘主義とアメリカ文学』でロブ=グリエの当該論文に触れていたところを参照したく思っただけれど(やっぱり見つからなかった本でした)。

  別方向に話を広げると、ネイチャー・ライティングの系譜の中で、その人間中心主義的姿勢ゆえに批判されることの多いのが19世紀のエマソンですが、エマソンは代表的なエッセイ『自然』の冒頭で、哲学が「自我 Me」と区別するもの、すなわち「魂 Soul」以外の宇宙のすべてのものは「人工 Art」も含めて「自然 Nature」という名前のもとに入れられる(「哲学的に考察すると」 "philosophically considered" という限定が入っていて、「霊」的なものがまだ入ってこないのがミソなのだと個人的には思いますが)みたいなことを言っています。すなわち自我対自然というときの自然ていうのは花鳥風月・海山川森野湖的な自然だけでなくて個としての人間をとりまくものすべてという構図です。

  それで、エマソン批判というのは、ロマン主義批判とつながっていて、その中心は人間中心主義 anthropocentrism という意味でのヒューマニズムの批判(20世紀初めのT・E・ヒュームとか)であったのが、ネイチャー・ライティングやエコ・クリティシズムの見直し・流行とともに擬人主義 anthropomorphism 的な思想が問題にされてきた(それは、主観の投影としての自然とか、人間が自然に対して神にとってかわってふるまうとかいうだけでなく、「言語」――エマソンの『自然』の中心となるのは「言語」の章――を中心としたヒューマニズム思想の問題なのだけれど、ここでは詳述する余裕はないです)。

  さて、問題の所在をなにげに確認したところで、ようやく問題の歌詞に戻って、「雨上がりの君の空」というのは、詩の中では、直前の連の歌詞が「誰もがみんな繰り返していく/Fine after rain 涙と笑顔の Story Maybe/そう、だからこそ立ち止まらないで/歩いてゆこう」なのであるから、「誰もがみんな繰り返」すこととして「Fine after rain」――英語・英文法的にはよくわからんが、雨のち晴れ、ですか?――、そして、それぞれ rain=涙、Fine=笑顔という構図が示されておるのですから、当然のことながら「雨上がり」の「」=rain=涙ということになります。「キボウという名の橋が架かる」「君の空」は、それが現実の空を見上げて、君(の心)を投影しているにせよ、君(の心)を空にたとえているにせよ、実は違いはなく、同じ人間中心主義的思い上がりをはらんでいます。さらに一人が空を占有することによって、個人主義的ヒューマニズムをはらんでいます。

  「俺の空」と「君の空」は個人主義の表現としては変わらない(「マルチャン俺の塩やきそば」とは意味が違う)。

  ところで「キボウという名の橋」について、「ためらえばすぐに消えてしまう」と書かれていることから明らかなように、これは空との関係でいうと実は橋ではなくて虹です。「橋」にせよ「虹」にせよ君(の心)にあらわれた「希望」のヒユなのですから、(希望→)キボウ(→虹)→橋という、かなり屈折した、言語象徴的置き換えが、人間精神を空&天気にたとえる隠喩の伝統にかぶせられているのがわかります。

  だからなに? って、まー、どうでもいいんだけどw

  たぶん、イライラするのは、わけのわからない日本語で、でもそれはこの歌がとりたててということではないのかもしれない。あーあ。

  しかし、気を取り直して、わけのわからなさの焦点を絞ると、「だって、だって、時はいつだって/呆れるくらいわがままだよ、って/なぜかあなたの隣にいるだけで/心の声が響いてくる」という、冒頭と結びで反復されるコトバです。この「心の声」は話者の心の声でしょうか? しょうね。「時」を擬人化するのは普遍的なことかもしらんけれど、呆れるくらいわがままなのはあなたなんじゃないの、と思えて腹が立ってしまうのでした。時は呆れるくらいわがままだから、キボウという名の橋はためらえばすぐに消えてしまうから(「時」によって消されてしまうから)、(時に対して)負けない気持ちで渡りきるんだ、ということなのでしょうけれど。

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  23時過ぎに追記――

  1) あとは、「という名の」という日本語表現の多くに共通する問題だと思うのだけれど、「名」を付けるのは誰? 名指すのは誰? というのがイライラさせられる問題なのかもしれません。「希望の橋」といわれれば、はー、ヒユですね、ととりあえず了解しますけど、「キボウ(希望)という名の橋」と言われると、なんか橋ゲタに「希望」という名前が刻まれているような感じ。このモッテマワッタ感じにいらいらするのだと思われ。

  2) (人間が)名前をつけることによって初めてモノが存在するみたいな人間中心主義と類比的な自分勝手さを「という名の」という表現は臭わせていると感じられるのかも。


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名もない Nameless [文法問題]

昨年の8月から見ないままたまっていたNHKの大河ドラマ『龍馬伝』を今日ようやく見終わった。 

  「完」のあとの最後の「龍馬伝紀行」(女性アナウンサーがゆかりの墓所や史跡を語る数分のオマケ)の結びのコトバ――

幕末。新しい時代の扉を開いたのは、龍馬や弥太郎のような、志を抱いた、名もなき若者たちでした。それは、わずか150年前のことだったのです。

  (守本奈実アナウンサーの語りは、ゆっくりまったりしているので、句読点は間違っているかもしれません。WEBでググると「幕末、新しい時代の扉を開いたのは、龍馬や弥太郎のような志を抱いた名もなき若者たちでした。それはわずか150年前のことだったのです。」というのがもっぱらのようです。)

  「名もない」という現代文文体ではなくて「名もなき」としているのは、まー、演歌とか漫画とかで、型にはまった情緒的なフレーズを好む作家にしばしば見られるものでしょうか――「哀しきトランジット・エイジ」(「トランジット・エイジ」)とか「蒼白き頬のままで」「名も無き星たちよ」「夢を追い続けるなり」(「昴―すばる」)とか・・・・・・「悲しきカンガルー」とか「悲しきあしおと」という洋楽の訳題もありました。なんとかいうゴルフ漫画の語り的文章とか。あ、テレビ朝日見ていたら、『BALLAD 名もなき恋の歌』を放送するとか・・・・・・ううむ、これは「BALLAD」は題名ではないと表示しつつ「BALLAD 名もなき恋の歌」という名の歌(映画)だということを指示しているのでしょうか。・・・・・・ともあれ、いまここで古語的ないし漢語的いいまわしの情緒性・浪花節性を議論するつもりはなく、かねて英語でも気になっている「名のない」という表現の曖昧さについてメモっておきたいのです。

  ○名もない  人があまり関心を示さず、名前の知られていない。ごく普通の。無名の。「花」 (『広辞苑』)

  ○なもない【名も無・い】  有名でない。名前を知られていない。「花」 (『明鏡国語辞典』)

  「龍馬や弥太郎のような志を抱いた名もなき若者たち」と書くと、「龍馬や弥太郎の(抱いた)ような志を抱いた、(龍馬や弥太郎ではない)名もなき若者たち」と読めるかもしれません。「龍馬や弥太郎のような、志を抱いた、名もなき若者たち」というのは、龍馬や弥太郎={志を抱いた・名もなき}若者たちという関係です。これは文脈でも確認されるところで、自信あります。「名もなき若者は、そのとき龍になった」ということばがブログやツイッターで散見されますし。

  そもそも、調べてみると、NHKによる出演者発表を告げるNHK自身のブログ 2009.7.14で「名もなき若者は、その時「龍」になった―大河ドラマ「龍馬伝」出演者発表!」と書かれておったのでした <http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/23281.html>。「その時」がいつかはわからんし、その時「名もなき」から「名がある」に変わったのかどうかもわかりませんけれど、最後の守本奈実アナウンサーの(同じく)外枠的語りを信じれば、ずっと「名もなき若者」だったのでしょう。へんなの。

  そうすると、ドラマ冒頭から強調されているように「下士」(郷士)出身という、坂本龍馬や岩崎弥太郎の社会階層上の低さ、普通さをあらためて強調して「名もなき」と称しているのでしょうか。上に挙げたふたつの国語辞典で、なんとかあてはまる(でも違和感はやっぱりある)のは「ごく普通の」しかありません。

  なお、国語辞典で、「無名」というコトバはつぎのように記述されています。

む-めい【無名】 ①名を記さないこと。無記名。 ②名の分からないこと。「戦士の墓」 ③世間に名の知れていないこと。名高くないこと。「の歌手」⇔有名。 (『広辞苑』)

む-めい【無名】 〘名〙①名前がないこと。名前がわからないこと。また名前を記さないこと。「の草花」「投票」  ②名前が世間に知られていないこと。「の作家」 (『明鏡国語辞典』)

  さて、疑問を並べてみます。その一。なるほど、無名は有名の反対で、そのときの「名」というのは評判とか名誉とかいう意味なのでしょう(英語だとreputation とか。しかし「無名の草花」とは何か? 名前がわからない草花? ひるがえって「名もない花」(両方の辞典で用例に引かれている)とはやっぱり名前がわからない花? そのとき「名前がわからない」というのは、誰にとって? 「名もない花」と呼ぶ主体にとってでしょうか、それとも学問的に未知の花なのでしょうか。後者はほぼありえないでしょう・・・・・・新種発見。であるなら、自分が知らない・わからないからって「名もない花」などと呼ぶのはその人の思い上がりではないでしょうか(カルメン・マキ(寺山修司)のように「(野に咲く花の)名前は知らない」と言えばよい)。そこには、名もない人々との類推・投影によって、しばしば自分(人)と花とを同一化する気分があったりするのじゃないでしょうか。

  その二。ひるがえって、坂本龍馬や岩崎弥太郎みたいな歴史に残る有名人を「名もなき若者たち」と称するのはやっぱりヘンだ。そうでなければ文法的トリックかもしれない。「歴史は名もなき人々によって作られる」みたいなイデオロギーが透けて見えるんじゃないだろうか。

  (疑問じゃないけど)その三。英語の nameless は日本語の「名もない」「無名の」と複数の語義において通じるところがあるでしょう。でも「無名戦士(兵士)」というのは英語だと the Unknown Soldier (これは1920年代からのアメリカの言い方で、イギリスだと the Unknown Warrior)です(名前のわからない兵士の遺体を代表するのがこの大文字の表現。小文字で個々の無名兵士を指すこともあるけど)。日本語の「名もない」戦士的なイメジとは違います。あくまで身元不詳ということです。いっぽう nameless grave というと「無縁塚」みたいな感じかしら。これは墓に名前がないのであって、人に名前がないのではないです。ところで東京港区の青山墓地には〔解放運動〕無名戦士墓というのがあります。ここに入っているので有名なのは『女工哀史』を書いた細井和喜蔵でしょう。「無名」性についての思想がやっぱりあるんじゃないかと思われます。

  で、このごろ書いていること(もとは「希望という名の光」)に無理やりつなげると、日本人ならびに日本語は「名」を嫌いつつ好きだなあ、みたいな。

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【東日本大震災】 カンヌ映画祭開幕 名もなき無数の魂に捧ぐ 2011.5.13 <http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110513/ent11051307550008-n2.htm> 〔MSN三系ニュース〕

解放運動無名戦士の墓とは? <http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-04-15/12_01.html>


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希望という名のあなた (2)――「希望」の原詞 Your Name Is Hope: Original Lyrics of "Kibo [Hope]" [歌・詩 ]

いずみたくの著書『体験的音楽論』(大月書店〔国民文庫830〕、1976)を読んでいます。第Ⅱ部「歌と感情」の最終章「四 歌によって感情が統一されるすばらしさ」(pp. 65-78)に、本文での言及なしに藤田敏雄による「希望」の詩と楽譜が引かれていました(pp. 70-71)。

  えーと、ブログ的私的流れとしては、希望という名の光について考えていたら希望という名のあなたのことを思い出して、岸洋子の「希望」の話者はなんで毎日のように汽車に乗っているのだろう、という疑問に頭を揺らしていたら、希望という名の夜汽車の歌が浮かんで、つなぎに書き留めたつもりが、敬愛するshjさんからコメントをもらって、それに返答しながら、あれこれ考えて「キボウという名の橋 (1)」とそのつづきの「キボウという名の橋 (2)」を書き、でもかんじんの「希望」の歌詞の解釈(「希望という名のあなた (1) Your Name Is Hope [歌・詩 ]」につづく(2) となるべきもの)を書けずに、「名もない Nameless [文法問題]」を書いたのが昨日。(2) を(3) に延ばして、メモ的に書きます。

  さて、いずみたくの本に引かれた詩を見ると、セインツ・フォー (1969) とザ・シャデラックス (1970) の歌った3番は実は4番であり、岸洋子 (1970) の歌った3番は3番と4番を合体させて改めたものだということがわかります。1番と2番はとりあえず前に引いた「希望学」の記事と「あたし」「わたし」以外は全く同じですし、長いと気が引けるので割愛。岸洋子の3番についても同記事を参照です。

  希望という名の あなたをたずねて
  寒い夜ふけに また汽車にのる
  となりの席に あなたさえいれば
  悲しみだけが 待っていようとも
  この世の終りが もしこようとも
  地の果てまでもと 約束するのに
  だのにあなたは どこにもいない
  わたしの旅は 笑顔のない旅

  希望という名の あなたをたずねて
  涙ぐみつつ また汽車にのる
  なぜ今 わたしは 生きているのか
  その時歌が ひくく聞こえる
  なつかしい歌が あなたのあの歌
  希望という名の マーチがひびく
  そうさあなたに また逢うために
  わたしの旅は 今またはじまる 
(p. 70)

  このあと、「一番のくりかえし」と書かれていて、そこまで番号は振っていなかったのですけれど、全体で5番からなる歌だということが示されています。

  5番まで全部歌うと、テンポにもよるけれど、たぶん7分くらいかかったんじゃないかしら。


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~に対する危険性が高くなっています A [The] Danger [Risk] of [for, against] . . . Is Increasing [文法問題]

昨日の夜のNHKのニュースのなかの気象情報で気象予報士(ちなみに女の人だったけど、彼女の作文というのではないだろう)が何度も繰り返していて耳についたコトバ――

土砂災害に対する危険性が高くなっています。

  この不思議な、もってまわった、翻訳口調の、日本語はなんなのだろう。「土砂災害の危険が高くなっています」という言い方ではだめなのだろうか。

  「翻訳口調の」とわざとらしく書いたけれど、「に対する」は英語だと against なのかなー、for なのかなー。わからないけど、自分の日本語の感覚だと、「対する」という言葉は、対象を示すのだから(これは for も against も同じかもしれない)、危険でいうなら危険の及ぼされる対象(客体)となるものとくっついて「人体に対する危険(性)」とか、「環境に対する危険(性)」というのがまっとうな使い方であって、危険を及ぼす主体にくっつくものではない。

  でも、WEBで検索するとNHK同様の表現が目につくのでした。――

0.  閣僚宣言「児童ポルノ犯罪者によって脅かされる児童に対する危険性」 <http://www.moj.go.jp/hisho/kokusai/g8_2009_07.html> 〔法務省:閣僚宣言 (これは「仮訳」と書かれていて、イタリア語から日本語に戻したものみたいだけど、日本語全体がおかしい〕

1.  「故高木仁三郎さんが「福島原発」の津波に対する危険性を16年前に予言していた」 <http://matoshorseracing.blog.so-net.ne.jp/2011-05-08>

2.  「日本ではヘディングに対する危険性が全くと言っていい程認識されていません」 <http://qa.fresheye.com/qa/view.php?qid=1158034936&kw=%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E5%AD%A6> 〔「ヘディングの危険性に対する認識」ならわかる〕

3.  「施工による風荷重に対する足場の危険性評価環境シミュレータ」 (pdf.) <www.jniosh.go.jp/publication/SRR/pdf/SRR-No26-04.pdf> 〔「足場の倒壊に対する危険性が高い」とか〕

4.  「都市の災害に対する危険性を明らかにし、広く知らせることが防災都市づくりの第一歩です」 <http://www.mlit.go.jp/crd/city/sigaiti/tobou/kikendo.htm> 〔国土交通省の「都市災害危険度」 もっと日本語を練れよ、という文章・・・・・・「都市災害」の危険性なのか、災害における都市の危険性なのか、わけわかわからん――さすがに都市が災害に対して害を成すとは思われませんが、それは思われないだけで、構文上は、そう読めもする〕

5.  「減塩運動が始まった当時には,減塩に対する危険性はないと考えられていたが」 <http://www.geocities.jp/t_hashimotoodawara/salt7/salt7-seawater-health2.html> 〔「塩と健康(2)減塩に降圧効果はあるのか? また減塩は可能であり,危険性はないか? Salt and Health (2) Does Salt Restriction Have Any Antihypertensive Effects? And Can Everyone Restrict Salt Intake without Deleterious Risks?」 『日本海水学会誌』54-1 (2000)〕

  その他いろいろいろいろ。

  なんでも「の」で済むと思っているわけではないです、もちろん。「の」は曖昧だし、個別の文章内で「の」でよかったり悪かったりする。しかし、意味を明確化するかと思われる言葉遣いが、逆に意味を曖昧にしているという事態は、馬鹿としか思われません。

  そして、こういう言葉遣いが好まれること――もってまわった翻訳調の日本語(坂口安吾が「ペルシャ語」と評した日本語)を好む学術的な場においてだけでなく、ふつうの人からも好まれること――は問題だと思う。(「危険性」と「性」が付いているからじゃないの?という疑問が聞こえてきそうだが、確かに「性」はそれ自体、日本語において大きな問題をはらんでいます――おそらく科学的学問性みたいな嗜好・指向・思考と「ナントカ性」という表現を好む気分はつながっていて、とりわけここ数十年に多くなっている感じがする。でも「性」の問題を除いても残る問題はあるのだ)。

  それは、「希望の橋」でなくて「希望という名の橋」と呼ぶ感覚、あるいはそう呼ぶ感覚をよしとする感覚、逆に、なにも感じなかったりする無感覚、とどこかでつながっているような気がするのです。

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image via JAF | 地域情報 | お知らせ <http://jafevent.jp/event_info/area_info/index.php?From=detail&contribution_id=12766>  ――潜んでいるのは子どもなのか、危険性なのか?


タグ:対象 OBJEcT
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居酒屋という名の寿司屋 [φ(..)メモメモ]

昨日8月24日夜、小沢一郎は居酒屋という名の寿司屋で夕食をとったそうです。
タグ:という名の
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安全性に対する危険性 Safety Hazard [φ(..)メモメモ]

こないだ「~に対する危険性が高くなっています A [The] Danger [Risk] of [for, against] . . . Is Increasing」を書いているときにあれこれ検索したなかで、ウィキペディアの項目「セシウム」に「6 健康と安全性に対する危険性」という見出しがあった。英語を見たら基本的に同じ構成であり、英文Wikipedia の記事 "Caesium" を訳したものみたい。英語は―― "5 Health and safety hazards"。health hazard と safety hazard ということだろうけど、あー、なるほどハザードねー。日本人が「危険」って考えてすぐに出てくる単語じゃないかもしらん。大英和のdangerの見出しのなかの類語説明を見ると、"danger" は「危険」をあらわすもっとも一般的な語で、"risk" は通例個人の自由意志で冒す危険」と書かれていて、"hazard" は「通例偶発的な健康・安全・計画・名声などに対する危険」としている。「安全に対する危険」・・・・・・なるほど。

  safety hazard って、商品とかで「安全性に危険あり」と注意を促すフレーズでありますねー。あるいはモノでいうと「安全性に欠けるもの」みたいな。あるいはモノというより食品の安全性で "food safety hazard" とか。

foodsaafetyhazardguideboo-googlebooks.jpg
image: The food safety hazard guidebook - Google books <http://books.google.com/books/about/The_food_safety_hazard_guidebook.html?id=KiK9fcE4xvAC>

  ついでながら "health hazard" のほうは、Weblio 辞書内の『JST科学技術用語日英対訳辞書』の訳語を挙げるなら――「健康有害; 健康有害性; 健康被害; 健康危害; 健康障害; 健康災害 」  カタイ!w なかでは「健康被害」が既に耳に聞きなれたフレーズでしょうか、なんか捉えているところがズレテいるような気もするけれど。こちらも、くだいていうなら、「健康に害を及ぼす危険性」、あるいは、モノを指す場合は、「健康を損ねるおそれのあるもの」という感じかしら。

  文脈と訳語の問題なのでしょうけど、「安全性に対する危険性」は気持ち悪い。

    寒さ、冷たさの度合いを言うのにも「温度」というのだし、安全度と危険度はベクトルが違うだけで相対的なものだともいえるのかもしれないけれど――だから、少なくとも文脈によっては安全性というのは危険性と同じなのだろうけれど――「性」というコトバがくっついていることであらかじめ安全と危険の領域が不明瞭になっているのが気持ち悪い。

  ハザードはどうやらニュアンスがむつかしいので、「モラル・ハザード」同様に既に「食品安全ハザード」みたいなわけわかめの「日本語」が動き始めているようす。これはこれで気持ち悪い。「計画的避難区域」が気持ち悪い日本語だと思っていたら「計画的デフォルト」とか解説者が言っていて、なんじゃそりゃ、と思ったら、ようやく使い慣れてきたパソコン世界のデフォルトとは異なる、「債務不履行」の意味でのカタカナコトバなのでした。なんでもかんでもカタカナにするなよ。

safety-hazards.jpg
image: Safety World Preparation Kit | SpotDeals <http://deals.spotshoppingguide.com/2009/05/03/safety-world-food-preparation-kit/>

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「リスクについて」『Safety World Tour』 <http://www.yokogawa.co.jp/iss/member/newstopic/safetyworldtour1.htm> 〔横河電機株式会社の槙島さんによる連載記事の一〕

 


タグ:safety hazard
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ポーが書評した本 (1) メアリー・グリフィスの『キャンパーダウン』 (1836) Books Reviewed by Poe (1): "Camperdown; or, News from Our Neighbourhood" [ポーの書評 Poe's Book Reviews]

ウツウツとする記事ばかり書いているので、心機一転、新規蒔き直しをはかるべく、新たなカテゴリーをうちたてます。エドガー・アラン・ポー (1809-49) が書評を書いた本について。趣旨と意義などは (1) 批評家としてのポーの仕事の広がりを見、 (2) アメリカ19世紀前半の文壇・文学状況をポーを通して展望する、が、そのために、(3) ポーが書評を書いた本の E-text をリンクして容易に読めるようにする(おたがいに読める能力と時間があればの話だが)。 (4) 順序は思いつくまま、気の向くまま。 (5)文章はなるたけ短く(なんか書きたくなったらなるたけ別記事で)。・・・・・・下の記事、書きかけたのが消えてしまい(とほほ)、書き直したら、なんか長くなっていました(わはは)。

☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

Camperdown; or, News from Our Neighbourhood―Being a Series of Sketches, by the author of "Our Neighborhood," &c.  Philadelphia: Carey, Lea & Blanchard. 

〔メアリー・グリフィス著〕『キャンパーダウン――我らが近隣からの便り』

6篇からなる短篇小説集―― (1) "Three Hundred Years Hence"―(2) "The Surprise"―(3) "The Seven Shanties"―(4) "The Little Couple"―(5) "The Baker's Dozen"―(6) "The Thread and Needle Store"  

E-text at Internet Archive [University of California Libraries; MSN] <http://www.archive.org/stream/camperdownornews00grifrich#page/n9/mode/2up>

ポーの書評は、『サザン・リテラリー・メッセンジャー The Southern Literary Messenger』1836年7月号所収(短評)。

SLM(July1836)513.JPG

  19世紀は、男でも女でも匿名にして「XXXX〔前作や前前作名〕の著者による By the Author of XXXX」という表記だけで、著者名が本には記述されない場合がけっこうあったのだけれど、そういうのって、ほんとうに匿名だったのか、実は口コミ的に知られている作家も多くいたのか、よくわかりません。この短篇集も著者名は本本体には出てきません。タイトルページ――

Camperdown-title-mod.jpg

  本は女性(Mrs. William Minot という Lady)に献じられていて、献辞のなかには「ボストンでは女性が高い敬意と評価を受けている」とかなんとか、ボストン嫌いのポーの頭にきそうなことも書かれているのだけれど、そうなると作者も女性と想像されるのだろうか。

  ともあれ、ポーの書評の文章のなかにも著者名は出てこないです。しかし、作者はメアリー・グリフィス Mary Griffith, 1772-1846 という女性作家・農学者(園芸家)・科学者でした。このひとについて語ると長くなるので、ここでは文学関係でのみ補足的に書いておきます。

  今日(こんにち)、メアリー・グリフィスは、女性最初のユートピアSF小説を書いたひととして、一部で、知られています。その評価はもっぱら、この短篇集の冒頭の作品「此後三百年 Three Hundred Years Hence」に拠っている(らしい)。英語のWikipedia 参照―― "Mary Griffith" <http://en.wikipedia.org/wiki/Mary_Griffith>。

  ポーは、書評の大半をこの短篇小説についての解説に費やしています。ただし、冒頭で「Mercier の模倣」と書くように、常套的なものと見ていて、必ずしも作品自体を評価しているわけではない(かもしれない)。――Three Hundred Years Since is an imitation of Mercier's "Lan [sic] deux milles quatre cents quarante," the unaccredited parent of a great many similar things. 

  Mercier はフランスの劇作家、ジャーナリストのルイ・セバスチャン・メルシエ Louis Sébastien Mercier, 1740-1814 です。メルシエはディドロにならって戯曲を書き、演劇論 Essai sur l'art dramatique (1873) でディドロの演劇理論を発展させた、ロマン主義の先駆者ですが、1870年に発表した未来小説が L'An 2440 でした。長いタイトルとその英訳題は、ウィキペディアによれば、 L'An 2440, rêve s'il en fut jamais (literally, "The Year 2440: A Dream If Ever There Was One"; translated into English as Memoirs of the Year Two Thousand Five Hundred) 。

  眠って目が覚めたら過去だった、とか未来だったとか、眠り(オチ的には夢)と時間旅行(タイム・トラベル)とユートピアないし逆ユートピア(ディストピア)思想が三位一体となった枠組みは、半世紀後のマーク・トウェインの『アーサー王宮廷のコネティカット・ヤンキー』とかエドワード・ベラミーの『顧みれば』などで復活(?)するものですけど、19世紀前半に既に「常套」的な感覚があったところが興味深い(むろんポー自身、未来からの手紙(「メロンタ・タウタ」)とか過去からの眠り(「ミイラとの論争」)とか、関心が重なるところです)。

  ポーがあらすじを紹介しているように、フィラデルフィアからニューヨークへむかう旅の前夜、眠りに落ちた主人公が目覚めると未来にいる。東部の未来のありさまが描かれることになります。

  ウィキペディアの記事が、本文ではないけれど、参考url としてリンクしている、"Mary Griffith's Pioneering Vision: Three Hundred Years Since" <http://www.highbeam.com/doc/1G1-66454600.html> という論文(のさわり)は、文学作品としての質以上に、男であるとか女であるとかにやたらこだわっているのだけれど、女性性がユートピアのヴィジョンに有意義な刻印をしるしているのかどうかは、読んでから考えたいと思います。

  ☆ ☆ ☆ ☆

ところで、このシリーズは、ポー関係の事典類(具体的には、Frederick S. Frank and Anthony Magistrale, The Poe Encyclopedia (Westport, CT: Greenwood, 1997) とか、Dawn B. Sova, Edgar Allan Poe  A to Z: The Essential Reference to His Life and Work (New York: Facts on File, 2001) など)をタネ本として書いてやれ、と思っておったのですが、『ポー百科事典』のこの項目の記述は、つぎのようです。――

Review of Mary Griffith's collection of six tales appearing in The Southern Literary Messenger for July 1836.  Poe found the stories "The Little Couple" and "The Thread and Needle Store" full of "originality of thought and manner" and several others "sufficiently outré." (アメリカの女性作家メアリー・グリフィスの、6篇の物語からなる短篇集の書評。『サザン・リテラリー・メッセンジャー』誌1836年7月号掲載。ポーは短篇「小さなカップル The Little Couple」と「裁縫屋 The Thread and Needle Store」の2篇について「思想と手法の独創性」があると言い、他の数篇が「十分に奇抜outré」と評した。)

  最後に原文を全文載せておきますけれど、上の記述は、明らかな読み間違いで、ポーが「思想と手法の独創性」があると言うのは短篇集全体 ("It") ですし、ポーが奇抜と言っているのは、冒頭の短篇小説「此後三百年」の後半部における、フィラデルフィアからニューヨークにわたる300年の差異の記述についてのことです。

  ちょっと呆れました。

     In "Our Neighbo[u]rhood" published a few years ago, the author promised to give a second series of the work, including brief sketches of some of its chief characters.  The present volume is the result of the promise, and will be followed up by others―in continuation.  We have read all the tales in Camperdown with interest, and we think the book cannot well fail being popular.  It evinces originality of thought and manner―with much novelty of matter.  The tales are six in number; Three Hundred Years Hence―The Surpise―The Seven Shanties―The Little Couple―The Baker's Dozen―and The Thread and Needle Store[.Three Hundred Years Hence is an imitation of Mercier's "Lan deux milles quatre cents quarante," the unaccredited parent of a great many similar things.  In the present instance, a citizen of Pennsylvania, on the even starting for New York, falls asleep while awaiting the steam-boat.  He dreams that upon his awakening, Time and the world have made an advance of three hundred years―that he is informed of this fact by two persons who afterwards prove to be his immediate descendents in the eighth generation.  They tell him that, while taking his nap, he was buried, together with the house in which he sat, beneath an avalanche of snow and earth precipitated from a neighboring hill by the discharge of the signal-gun―that the tradition of the event had been preserved, although the spot of his disaster was at that time overgrown with immense forest trees―and that his discovery was brought about by the neccesity for opening road through the hill.  He is astonished, as well he may be, but, taking courage, travels through the country between Philadelphia and New York, and comments upon its alterations.  These latter are, for the most part, well conceived―some are sufficiently outré.  Returning from his journey he stops at the scene of his original disaster and is seated, once more, in the disentombed house, while awaiting a companion.  In the meantime he is awakened―finds he has been dreaming―that the boat has left him―but also (upon receipt of a letter) that there is no longer any necessity for his journey.  The [TheLittle Couple, and The Thread and Needle Store are skilfully told, and have much spirit and freshness.

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[Mary Griffith.]  Camperdown; or, News from Our Neighbourhood―Being a Series of Sketches, by the author of "Our Neighborhood," &c.  Philadelphia: Carey, Lea & Blanchard.  E-text at Internet Archive [University of California Libraries; MSN] <http://www.archive.org/stream/camperdownornews00grifrich#page/n9/mode/2up>

"Mary Griffith," Wikipedia <http://en.wikipedia.org/wiki/Mary_Griffith>


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エクソシストの首 The Spinning Head in _The Exorcist_ [ひまつぶし]

8月5日、WOWOW で怖い映画特集を見ていたときの親子3人の会話。
(ハ:母、チ:父、モ:モーリちゃん)

ハ「すっごい怖かったんだよー。おかあさんが小さいとき。首がまわったりして。」
チ「もう回ったの?」
ハ「うん、いま回った」
モ「何が?」
チ「首が」
モ「どういう会話してるんねん」

 

http://youtu.be/wEesIuHCjSo


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ポーが書評した本 (2) S・アンナ・ルイスの『海の子、その他の詩』 (1848) [ポーの書評 Poe's Book Reviews]

Edgar Allan Poe, Review of The Child of the Sea and other Poems, from Southern Literary Messenger, September 1848, pp. 569-571 [E-text @E. A. Poe Society of Baltimore <http://www.eapoe.org/works/criticsm/slm48l01.htm>

"MRS. LEWIS' POEMS.*"
* The Child of the Sea and other Poems.  By S. Anna Lewis, author of "Records of the Heart," etc., etc.

ルイス夫人の詩〔S・アンナ・ルイス著『海の子、その他の詩』〕

というのが『サザン・リテラリー・メッセンジャー』誌の1848年7月号に掲載されたポーの書評のタイトル。だけど、ほんとうは "The"はない。

Child of the Sea and Other Poems.  By Mrs. S. Anna Lewis, author of "Records of the Heart," etc., etc.  New York: George P. Putnam, 1848. 

  16篇からなる詩集――(1) "Child of the Sea"―(2) "Isabelle; or The Broken Heart: A Tale of Hispaniola"―[Miscellaneous Poems:] (3) "Una"―(4) "The Unmasked"―(5) "Death of Osceola"―(6) "The Beleaguerred Heart"―(7) "My Study"―(8) "Heart Joys"―(9) "The Poet"―(10) "Poesy"―(11) "To Corinne"―(12) "Lament of la Vega"―(13) "The Dead"―(14) "The Angels: An Impromptu"―(15) "The Bard"―(16) "Wreck of the Cutter"

  180ページほどの本の、最初の2作が長詩(物語詩)で、それぞれ90ページ、45ページくらい占めています。

E-text at Internet Archive [Library of Congress; Sloan Foundation] <http://www.archive.org/details/childofsea00lewi>

  アメリカの女性詩人セーラ・アンナ・ルイス Sarah Anna Lewis, 1824-80 (このひとはファーストネームに自由な発想をもっていて、Estelle Anna と名乗ったり、Stella と名乗ったり、 夫と離別後に渡欧してヨーロッパで客死したときには Estelle Delmonte Lewis だった)は、ポーと同時期にフォーダムに在住していたアマチュア詩人で、1847年1月末にポーの妻のヴァージニアが亡くなったあと、(とくにポー不在中に)義母のクレム夫人の世話をし、経済的な援助もしてくれたのでした。

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image via Internet Archive (E-text from Library of Congress; Sloan Foundation <http://www.archive.org/details/childofsea00lewi> エス S をけしてエステルEstelle とえんぴつがきされている)

  ニューヨーク州Troy の学生時代に処女詩集 Records of the Heart を刊行し、ヴァージルをギリシア語から英語に韻文訳するみたいなこともやっている、才女でした。1841年弁護士のSydney Lewis と結婚してブルックリンに転居、文学サロンみたいなものを開いて、ニューヨーク市の文学シーンでちょっと脚光を浴びたみたいです(金持ちだったんでしょうね)。

  新しい詩集が出たときに、ポーに好意的な書評を書いてくれるように、100ドルが渡った(彼女からというよりたぶん旦那のシドニー)とされていて、お手盛り的・ヨイショ的な批評となっていると言われています(「この詩集を20回読んだ」とか書かれていて、ヤレヤレと思います)。ポーは旦那の申し出を断った(死んでも書けないとかなんとか言って)ともされていて、よくわからんですが、当該のことだけでなくて、かねて経済的な援助を受け、彼女の詩の添削みたいなことも行なっていたとも言われています。

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Evert and George Duyckinck, ed., Cyclopaedia; image via "Estelle Anna Lewis (1824-1880)," Portraits of American Women Writers <http://www.librarycompany.org/women/portraits/lewis.htm>

 ポーがルイスの詩を褒めたのは、妻ヴァージニアの死後にルイスから与えられた経済的・心情的援助に報いるポーなりのやりかただったと考えられているわけです。「評論家の意見は一致して、彼女をこの国の女性詩人の最高のランクではないにしても高いランクに位置づけることに合意するだろう」というのがポーの評言です。

lewisaes.jpg
image via Baltimore Poe Society <http://www.eapoe.org/people/lewissa.htm>

  ルイスは凡庸な詩人と考えられていますけれど、ヨーロッパで発表した詩劇 Sappho of Lesbos (1868年ロンドン初演)はたいへんなヒットとなるわけで、そんなに凡庸な人ではないのかもしれない。読んで考えてみたいと思います。パラパラ見るところ、錬金術とか超自然とか、ポーとつながるところがあるような気もしなくもないです。

  とくにヴァージニアの死後のポー宅にルイス夫人がよく顔を出していて、ポーは顔を合わせたくないみたいなときもあったことがクレム夫人(義母)の回想に記録されています。ポー最晩年の詩「アナベル・リー」のモデルはわたしよ♪、と複数の女性が手を挙げたわけですが、アンナ・ルイスもそのひとりでした。

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Lewis, Mrs. S. Anna Lewis.  Child of the Sea and Other Poems.  New York: George P. Putnam, 1848.  E-text at Internet Archive [Library of Congress; Sloan Foundation] <http://www.archive.org/details/childofsea00lewi>

"Estelle Anna Lewis (1824-1880)," Portraits of American Women Writers <http://www.librarycompany.org/women/portraits/lewis.htm>

"Mrs. Sarah Anna Lewis," Edgar Allan Poe Society of Baltimore <http://www.eapoe.org/people/lewissa.htm>

Edgar Allan Poe, Review of The Child of the Sea and other Poems, from Southern Literary Messenger, September 1848, pp. 569-571 [E-text @E. A. Poe Society of Baltimore <http://www.eapoe.org/works/criticsm/slm48l01.htm>

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"Stella," Sappho, 2nd ed. (London, 1876)  <http://www.archive.org/details/sapphoatragedyi00lewigoog>

 



 


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