かねがいるアシ La femme est un roseau dépensant [ひまつぶし]
〔昨晩は、下書き保存のつもりが公開になっており、失礼いたしました〕
9月になってから、仕事場にあった『世界毒舌大辞典』という本を行き帰りの電車で読んでいた。
ジェローム・デュアメル著、吉田 城訳 『世界毒舌大辞典』. 大修館書店、1988年. 528pp.〔Jérôme Duhamel, Le Grand méchant dictionnaire. Paris: Seghers, 1985〕
10月になってから、忙しくてブログを書く暇もなかった。ひとつきひとつも書かなかったのははじめてかしら。あとから「未来投稿」の反対の「過去投稿」でもやろうかしら。
さて、反復をしますと、訳者あとがきには「・・・・・・「女」の項に集められた数々の引用を眺めると、どれほど男性支配の原理がかつて世界をしばり、不当に女性を虐げてきたか、慄然たる思いがする。本書はこのような偏見の記録としても読むことが可能であろう。」とPC的言説が述べられておるが、約60ページを占める「女」の項を、まずは読んだわけです。
で、ピンとこないのが多かった、です。
◆おしゃべり Bavardage
神様が女より前に男を作られたのは、彼が二言三言言うのを可能にするためだ。 (ジャン・リゴー)
◆植物学 Botanique
はじめて女性をバラに喩えた男は詩人であったが、二番目にそれをした男は馬鹿である。 (ジェラール・ド・ネルヴァル)
◆捕獲 Capture
女たちの尻を追いかけるのは、害になったためしがない。危険なのは彼女らを捕えることだ。 (J・デイヴィス)
・・・・・・いずれもモーリちゃんの父には測りがたい含意をもっているのかしら、もしかして、パート2。
よくわかりません。
◆お金 Argent
女は金を使う葦である。 (ジュール・ルナール『日記-一九〇四』)
えーと、これも訳者の注釈があって、「La femme est un roseau dépensant→L'homme est un roseau pensant. (人間は考える葦である)のもじり。」
補足しておきますと、「人間は考える葦である」というのはフランスのパスカルの『パンセ』にある言葉ということになっています。英語だと "Man is a thinking reed."
ジュール・ルナール Jules Renard, 1864-1910 といえば、『にんじん』(1894年)Poil de Carotte で有名なフランスの作家です。
image via Biographie Jules Renard <http://sya.geneal.free.fr/biogr_renard.htm>
にんじんだもの・・・・・・
『にんじん』……個人的には小学4年生のときになぜかアンドレ・ジードの『狭き門』といっしょに読んだ記憶があります。が、読み直している余裕もなく、暇もないのに、とりあえず、暇つぶし的改変――
女(ひと)は金がいる葦である。 (La femme est un roseau dépensant.)
dépenser というフランス語動詞は「金を使う」「浪費する」という意味ですけど、それとの関係だと、「勉強しない」(=安く売らない)という日本語も(=負けてくれない、という地口とともに)浮かびましたが、うまく使えませんでした。「女は勉強してくれない葦である」。わけわかめ。
翌日のひまな追記――「アシ」は金の意味もあるから、「女はアシが出るアシである」というのは・・・・・・だめですね。あしからず。
という名の――中島みゆき Named: Nakajima Miyuki [歌・詩 ]
とりあえず、「希望という名の列車にのって On a Train Named Hope」につづくメモ的記事。
1) ああ小魚たちの群れ
きらきらと海の中の国境を越えてゆく
諦めという名の鎖を身をよじってほどいてゆく
(中島みゆき「ファイト」)
2) 時代という名の諦めが
心という名の橋を呑み込んでゆくよ
(中島みゆき「友情」)
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND53692/index.html
うーん。メモ以上に書いている余裕はないのですけど、さらにメモっておくと、2つ目のほうは、
時代――諦め と
心――橋 と
の対応関係があいまいなところが眼を、耳・・・・・・耳目を(?)引きます。
「呑み込む」という言葉と直接つながるのは心よりは橋なのだろうけれど、呑み込む主体であるのは「時代」「諦め」で、どっちも水ではない。
しかし、一般に時なり時代は「流れる」ものとしてイメジされているから、時代の流れが橋を呑み込み、それは諦めが心を呑み込むことの「メタファー」ということでしょうか。
テクストと文法問題 Textual and Grammatical Problems [文法問題]
Even Josie Pye came to see me. I received her as politely as I could, because I think she was sorry she dared me to walk a ridgepole. If I had been killed she would had to carry a dark burden of remorse all her life. Diana has been a faithful friend. She's been over every day to cheer my lonely pillow. 〔太字強調付加〕
"would had" はねーべさ、とコメントで指摘してやろうと思ったが(←イヤなおやじw)、念のため調べてみることにした。
まず、文法問題を扱ったQ&Aのページ(DailyWritingTips)から――
Rita Levin asks: Can you please explain the difference between could had/could have and would had/would have.
To begin with, the combinations “could had” and “would had” are impossibilities in standard English. It was with great dismay that I found the following utterances (and many more like them) on the web:
If I had been killed she would had to carry a dark burden of remorse
If Greece and Greeks would had been converted to islam… would Greece had the problems of debt currently?
Encore could had been a masterpiece
If you could had $100 GC at Amazon, which cans for Rock music would you get?
The combination could have is always followed by a past participle.
NOTE: This discussion is limited to the use of have and had with could and would. 〔"Could Have and Would Have," DailyWritingTips〕<http://www.dailywritingtips.com/could-have-and-would-have/>
リタさんの質問がありえなく間違っているという悲惨な始まりなのだけれど、回答者はていねいに説明を行ないます。実際にWEBに同様の "could had" とか "would had" を見つけて愕然としたという例の最初のが、典拠が示されていないけれども、『赤毛のアン』なのでした――"If I had been killed she would had to carry a dark burden of remorse"。
そして、回答者は解説(内容として、「過去の推測」的記述の問題を含んでいて興味深いのだけれど、今回の話とは別筋なので省略)を経て、"incorrect examples rewritten" と直しを入れます。――
If I had been killed, she would have had to carry a dark burden of remorse
If Greece and the Greeks had been converted to Islam…would Greece have the current problems of debt?
Encore could have been a masterpiece
If you could have $100 GC at Amazon…
まあ、まことに至極もっともなことであり、文句のつけようもありません。
そして、テクスト問題として見つかったのが、まずグーグル・ブックスなのでした。
つまり、一般市民個人の写し間違いというのではなく、プロがつくった本の段階で誤りがあったようなのです。このリプリント版を作って売っているのはForgotten Books です。この本屋はもっぱらE-text を使った本を作っており、しかし紙にしないE-text の状態で無料でWEBに出してもおり、カリフォルニアにいたときにアマゾン経由で英国民謡5巻本を買って、その無意味さに怒って返本した、本屋でした。 つづく
さるの惑星でなく Crying for the Planet of Apes [家族の肖像 Conversation Piece]
むかしカリフォルニアでは、ときどき家族の会話を記録してブログに書いていた。カテゴリーを探したけれど、それらしきものが見当たらなった今日この頃。ということでむかしを思い出しながら(遠い目)。夏の終わりくらいの会話。
(テレビ):「まさか『猿の惑星』でこんなに泣けるとは思いませんでした」
(モ):「泣けるに決まってるじゃん」(とモーりちゃんが突っ込んでいた。)
(チ):「誰かの影響じゃないの」
(ハ):「あなたのせいでしょ」
日本的霊性につきて (3) 霊性と文化の発展 (鈴木大拙) "On Japanese Spirituality" by Suzuki Daisetsu [魂と霊 Soul and Spirit]
承前―〔日本的霊性につきて (2) 霊性の意義 (鈴木大拙) "On Japanese Spirituality" by Suzuki Daisetsu〕
えーと、前置きなしですw。
3 霊性と文化の発展霊性は民族が或る程度の文化階段に進まぬと覚醒せられぬ。原始民族の意識にも、或る意味の霊性はないとは言われぬが、それは極めて原始性のものに過ぎないのである。これを純粋に精錬せられた霊性そのものだと思い誤ってはならぬ。しかし文化が或る階段に向上したあとでも、その民族の悉くが覚醒した霊性をもっているとは言われぬ。即ち日本民族について言っても、今日の日本民族の一人びとりがみな霊性に目ざめていて、その正しき了解者だというわけにはいかない。今日といえどもわが国民のあいだには、原始性の宗教意識以上に出〔い〕で能わぬものはいくらでもある。それらの人々は、かえって純粋の霊性をその原始性の中に求めんとさえするのである。霊性の覚醒は個人的経験で、最も具体性に富んだものである。それは民族文化の昇進につれて、その中の個人の上に現われるものであるが、そうしてその特定の個人は、その経験を他に伝え、その他はまたその人に追随し得るのであるが、民族すべてがそのように経験するというものではない。或る人々にありては、霊性の覚醒を経験する機会に遭遇せぬのである、また遭遇しても内的準備の十分に具わっていないこともある。それで彼らは、原始性の宗教意識に対してのあこがれ〔あこがれに傍点〕と親しみはもち得ても、それ以上に霊性自体に触れ得ないのである。詩は詩人に向って吟ずるが好く、酒は知己と共に飲むが旨いので、その中の趣を解せぬものに、いくら説明しても解るものでない。原始性の心理はなかなか根強く我らの心意識を支配するのである。
『日本的霊性』 緒言 一 日本的霊性につきて・・・・・・1 「精神」の字義・・・・・ 2 霊性の意義・・・・・・ 3 霊性と文化の発展・・・・・・ 4 霊性と宗教意識・・・・・・ 5 日本的霊性・・・・・・ 6 禅・・・・・・ 7 浄土系思想・・・・・・ 8 禅と浄土系――直接性
自分のメモ的に、エマソンと高橋巌(あるいはシュタイナー)からの引用を以下に書きつけようと思います、そのうちに。 φ(..)メモメモ