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去年の今頃 [雑感]

今朝、といっても昼近くに、ソネットのポイントポン!1日1回、ポイントをゲットしよう!という1日1回のスロットをホイホイしたら、これまでの最高得点が出た。――

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  去年・・・・・もうおととし・・・・・・アメリカでブログをはじめたときは、ブログについてもソネットについてもわけのわからぬ状態だったのだが、単純に自分の家のプロバイダーだったのと、モーリちゃん(当時小学4年生)がそのころはポストペットのお世話に一時的に燃えていたので、お世話用の品々を購入するポイント獲得ができるというのが理由だった。

  それから今はなかなか復活しないままだけれど、夏と冬にギャルそねくじの(ギャルはないか)発行マシンを設置して、他のブログとの交流がそれによってはかられるところがあり、楽しかった(唯一の「読者」と「お友達」登録はそのときに知り合ったひと)。

  「共通テーマ」というのが記事ごとに変えられることも知らなかったし、冬まではずっと共通テーマは「日記・雑感」だった。

  1年前のいまごろ・・・・・・モーリちゃんとモーリちゃんの母をディズニーランドに送り出して、カリフォルニアの空の写真を撮りながら、アルバニーを歩いて思い出を訪ねたり、ナンカ製麺のうどんで力うどんをつくったり、安い豚肉を解凍してカレーをつくったりしていたあのころ

  ブログも、日常の記録、というか日記こそがブログだという信念のもとに、どうでもいいことを書いていたあのころ。でも、今日は何ポイント、みたいなことをもっぱら書くブログも嫌いではなかったし、自分でもよくわからんことを誰にでもわかるようなふりをして書くことこそ意味があるようにも思っていた。ま、いまも変わりませんけど。

  ということで、どういうことか自分でも整理がついていませんが、ちょっと今後の方向性を模索中の春です。(ほんとは501点とったぞ!、ということが書きたかっただけかもw)。


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卒業生におくったことば [雑感]

(注:昨日は卒業式でした。) 

卒業おめでとうございます。morichan の父です。

歌でも歌ってすまそうかとも思ったのですが、原稿書いてきました。―― 

教えることは教わることである、というのは
学生楽ありゃ苦もあるさ、と並ぶわたしの座右の銘なのですが、1昨年諸君が23年生だったころにアメリカに逃亡しておったせいかわかりませんが、あんまり教えることがなかったような気もしなくもないです。それでも、2年生のときに演習に参加してくれたりした少数のかたがた、いろいろ教えてもらってありがとうございます。

一瞬(一寸)の光陰軽んずべからず、というのは、なかなか時間のなかに生きている身としては、反省的にしか思うことのできない格言で、よって誰もが真理と思いながらなかなか実践できません。しかし、三本の矢の教訓もあるように、ひととひとが協力することによって時間の壁をくずすこともできるかもしれない。友人関係を大切にしてください。

それから、若いころが花だと思いがちですが、人間のキャラクターというのは成長の遅い植物みたいなもので、種をはやいうちにまかねばなりません。まだ種をまくに遅いということはないです。

人はすぐ年をとります。あっというまです。じき30になり、40になり、そして50になります。(あ、これは引用です。小説からの・・・・・・。キャラクターというのは硬くいえば人格ですけど、やらかくいえば性格です)。

でも若さというのはやっぱり植物みたいなものですから、大事なのは種をまいたら水をあげることです。

お元気で。


タグ:youth
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右側通行 Keep (to the) Right [雑感]

モーリちゃんの父が小学生・中学生のころは、「廊下は右側を」とか校舎内の通行ルールとして定められていたし、公道でも、「車は左、人は右」という標語が、実際に掲げられるまでもなく、掲げられていたと思う。

  去年の4月に1年ぶりに日本に帰ってきてから思ったのは、通行に関するマナーのなさでした。まー、自転車の夜間無灯走行みたいなのはたぶん15年ぐらい前に、多くなったよねー、みたいな会話を友人と交わした記憶はあります。

  でも、このごろ目に付くのは、自転車の傍若無人な道路右側走行であり、歩行者でいうと、狭い道での左側歩行、それから、廊下や階段の左側通行です。一番最後のでいうと、心ある日本の建物の階段は、時計回りに昇っていくようにつくられています(と思います)。それは廊下の右側通行の延長ですけれど、昇っていくひとと降るひとの負担を考えれば、降るほうが楽なわけですから、下るひとが円の外側を歩くべきで、上るひとは内側の楽な道を歩むべきだと思うわけです。

  でも、楽をしたがるのが人間のいやしい根性なのかもしれません。やれやれ。

  でも、公道とか廊下の左・右歩行は、同じマナーの問題だけれども、苦楽とは別の問題のはずです。

  で、唐突に引用ですが、ヴァルター・ベンヤミンが引用したフリードリヒ・エンゲルスの描く19世紀中葉のロンドンの群衆のようすです――

かれらは、互いに何ひとつ共通性を、共同の仕事をもたないかのように、忙しくすれちがってゆくばかりであって、かれらのあいだの合意といえば、互いにすれちがう二つの雑踏の流れが淀まぬように、おのおのが歩道の右側を歩く、という暗黙の合意があるにすぎない。他人に一瞥でもくれることなど、誰の念頭にも浮ばない。あらゆるひとが個人として切り離され、無感覚になり、私的利害だけに閉じこもって残忍なまでに冷淡になっていることは、かれら諸個人が小さな空間にますます数多く詰めこまれてきているだけに、いっそういやったらしく、たまらないことに思われる。(エンゲルス 〔『イギリスにおける労働階級の状態』(「マルクス・エンゲルス選集 2」) 武田隆夫訳・新潮社、1960年〕四八) (笠井潔「ポーが発見した群衆」、八木敏雄・巽孝之編『エドガー・アラン・ポーの世紀』163-4)

  えーと、ややこしい孫引きをするなと言われれば、まあーそれまでなのですけれどー、うーん。ま、引用のコンテキストをとりあえずは記憶にとどめておきたい、のか、も。

  それで、とりあえず。日本の現状って、19世紀半ばのロンドン以下だな、と。モラルもマナーもないだけでなく、暗黙の合意もない。右でも左でもどっちでもいいんじゃないみたいな(別に政治的ライト・レフトの寓意ではないです)。悲しい。


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菠薐草と若布 Spinach and Wakame Seaweed [雑感]

昨日、帰りに小腹がすいて、午後遅くに富士そばに立ち寄った。販売機で「かけそば・うどん」の食券を買って、「そば、お願いします」。「お呼びしますので席に掛けてお待ち下さい」というので、カウンターの一番奥に座って本を読んでいたところ、「もりそば~」「もりそばご注文のかた~」「もりそばのかた~」「もりそばご注文のかた~」と繰り返しアナウンスがあって、誰も取りに行く様子がないので、出向いたところ、「お客さん、もりそばですよね」「かけそばのつもりだったんですが」。で、並んだ食券を見たら、「かけそば・うどん」と「もりそば・うどん」はやっぱり別の券で、結局、反応の鈍いおっさん(まあ自分もそうだけど)が、もりそばを取りに来た。席に戻って、ぼーっと本を読んでいると、麺をゆでているらしいおじさんが、「あと1分ほどお待ち下さい」という声がして、ぼーっと(あれ、自分に言ったのかしら?)とも思ったのだけれど、自分の席の前は厨房に開けておらず、壁であったこともあり、返事をしなかった。それから「かけそばのかた~」という女声に応じて配膳口に行って、「たいへんお待たせしました。すいませんでした。」と言われつつそばのお膳を受け取り、席に戻った。わかめが入っていことに気づいたのはぼーっとしていたので一口食べてからだったと思う。食べながら、サーヴィスで入れてくれたのかなー、それとも間違ったのかしら、と思いつつ、ふだん注文することのないわかめそばを食べたのでした。ふと壁に目をやると、わかめそばはかけそばより80円も高い。帰りしなに「ごちそうさまでした。わかめ、どうも」と、相手がふたたび「たいへん失礼しました」と謝る声とかぶせるようにモゴモゴ言って店をあとにした。

  富士そばの店のそばのスーパーで数日前にほうれん草を2把買っていて、一部はキムチ鍋にモーリちゃんの母が入れたのだけれど、1.5束残っているのをさっき茹でながら、昔のことを考えた。最初思い出したのは、関東一円に、学校給食まで巻き込むかたちで展開している(いた?)山田うどんが、確か1970年代半ばくらいに、それまでのほうれん草をやめてわかめに切り替えたことだった。そのとき(夏休みで、受験勉強中の野郎どもと一緒に、ひとり2杯とか食っていたような気がする)、図書館のそばの山田うどん屋のおやじが、「わかめのほうが栄養があるし、いいでしょ」みたいなことを言って、カチンと来たような来なかったような記憶がある。それは (1) あんた〔おやじ〕が仕切っているわけじゃなくて、与えられたものを調理しているだけではないか、(1.5) ほうれん草は手間がかかって、わかめだと楽だからじゃないのか、 (2) ほうれん草のほうが自分は好きだ、というのとふたつかみっつあったような気がするが記憶は定かではない。ともあれ、その後、山田うどんはわかめちゃん添付になり、ほうれん草は消えた。
  それから思い出したのは、ラーメンも昔はほうれん草が入っていたなーということだった。幼児の記憶をたどると、国分寺駅前の古本屋の横の中華料理店も、千代田区や新宿のあまたの「支那そば」屋も、ラーメンにはほうれん草が入っていたように思う。
  子供のころはよくほうれん草のおひたしも食べた。「おひたし」という言葉の意味がわからないなりに食べた。ポパイがスピナッチの缶詰を食べるのを、どんなもんだべ、と不思議に思いながら、食べた。で、今、この瞬間食べています。カリフォルニア時間ふうに写真を撮ろうかと思ったけれどやめておきます。

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  I Yam What I Yam <http://www.veoh.com/browse/videos/category/animation/watch/v18931661ZdDDMYMf>

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春を告げるもの A Herald of Spring (Walter Crane) [雑感]

昨日は立春で、なんか春ものを貼るのもいいかな、と思っていたのに、節分の鬼がかたづかなかったので、旧正月3日になりました。

  つーか、もう今日もあと30分あまり(2011年2月5日夜)。

  時間は過ぎていく。節分は四つあって、その区分とメイデー/ハロウィーンを重ね合わせるとどうなるのかな、とか考えながら頭がくるくる回っています。

  ということで、以前、メイデーとメイポール(五月柱)ならびにアナキズム・社会主義関係でいくどか言及したイギリスのラファエロ前派の画家のウォルター・クレイン Walter Crane, 1845-1915 の絵をば。――

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Walter Crane, A Herald of Spring (1872) [water color on paper, 614×347]

  
  この絵はウォルター・クレインが初めてイタリア旅行をした折に、妻のメアリーをモデルにして描いたもの。場所はローマ。

  クレインの回顧録 An Aritist's Reminiscenes にはつぎのように記されています。――

The beauty of the Italian spring was upon us, heralded by a cloud of almond blossom upon hills and in the vineyards, and the white-blossomed trees seemed to re-echo the touch of distant snow on the Sabine mountains.  I found a subject on the Pincio, a view of Rome, with almond trees in front and two figures gathering flowers on the sloping gardens, which I sent to the Dudley.  Also "A Herald of Spring"――a figure in a pale green robe and pin scarf coming down a Roma street in the early morning with a basket of daffodils on her arm.
     This picture also went to the Dudley and was sold to a lady whom, about twenty years afterwards, we met in London, and bought back the picture, for which my wife had a peculiar affection, she too having been the model of the figure.  (Walter Crane, An Artist's Reminiscences PDF[London: Methuen, 1907]pp. 138-139)

    この本は妻に捧げられています。序文の最後のほうに "Life is a strange masquerade" (人生は不思議な仮装舞踏会だ) と書かれていたりして、やっぱ文学的な人なんだなと思うわけですが、モデルが妻であるとしてもハダシでローマの舗道を歩く人は不自然でしょうから、やっぱりこれは女神のイメジなのでしょうか。

  クレインの文章にあるように、籠のなかの黄色い花は daffodil です。ポウが好きなasphodel という、パラダイスに咲く枯れない花をいうギリシア神話から、オランダ語の de affodil (つったって deは定冠詞だから英語訳 the asphodel)を経て英語に入ったもの。どこまでギリシアの冥土のイメジを引きずっているのかわかりませんけれど、イギリスの春を代表する花のひとつです。右の扉の上の鳥はツバメでしょうか。飛んでる鳥はハトかしら。

  右手に持った、手折られた枝はなんなのかしら。梅は咲いたか、桜はまだかいな。


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決定機 Decisive Chance [雑感]

オーストラリア戦を終えた沢穂希キャプテンが、「決定機が前半に何度かあったけれど、決められなくて厳しい流れになりました。でも最後に川澄がしっかり決めてくれてよかったです」とコメントしているのをテレビで観ていて、ちょっとショックを受けた。「ケッテイキ」と耳に聞こえたときに決定機?・期?と目をテレビに向けると、「決定機」と字幕が出ていた。

  こんなコトバを聞いたのは初めてだったのだけれど、調べてみると、2008年くらいからはけっこうみんなWEB空間では使っているみたいだし、少なくともWEBジャーナリズムも使っているみたい。そして、「決定機」は「決定的機会」をつづめたものかなー、と両方を重ねて検索したら、両方を同一の文章内で使っているものがある程度見つかり、なるほどなーと思った。

  広辞苑など国語辞典を引いても「決定機」などという言葉はなく、いっぽうインターネットでは、ウィキペディアにはドラえもんの道具として「コース決定機」というのしかなく、あとは雑多な記事しかみつからなかった。

  こういうときにアメリカだったら(英語だったら)、Urban Dictionary みたいな(「November 13 都会的辞典 Urban Dictionary ――イーハー、イーホー、イーハウ Yeeha, Yeehaw のつづき [ことば Words]」参照)、いいかげんだけどナウい現代語辞典があってよいのだが。

  しかし、検索を絞っていくなかで、2006年という早い時期に twilightmoon99 さんが「キテレツな日本語」という題で、「ケッテーキ」という言葉への嫌悪を示しているブログを見つけた―― <http://d.hatena.ne.jp/twilightmoon99/20060506> 〔『朧月を愛でながら』 2006.5.6〕

  えっとー、全文引いちゃってよかですか――

 今日サッカーテレビ番組を見ててイヤ~な言葉を聞いた。その言葉とは…

「ケッテーキ」

 今はまったく使ってないブログで書いたことがあるんだけど…… はてなでも改めて書いておこう。

 この「ケッテーキ」、漢字を宛てれば「決定機」なんだろうが、これは、新聞用語じゃないのか? 限られたスペースにできるだけ多くの情報を入れるために、新聞が苦肉の策で使っている言葉ではないか?!

 それを、喜んで放送に使う、NHKTBSのバカアナ。

 耳で「ケッテーキ」という音を聞いて、「決定的チャンス」「決定的機会」を思い浮かべるやつが、一体どれだけいるっていうんだ? そんなことも考えず、知ってて当然と言わんばかりに、視聴者に向け「ケッテーキ」を強いる。

 しかもそれを、シャベリで情報を分かりやすく伝えることが使命であるはずの放送アナウンサーが、ハズカシイことだとは思っていないのだ。

 この〝下〟ない低レベル…かくいわざるべけんや!

  大いに賛同です。

  実はかねて、サッカーの実況でやたら耳にする「決定的」というコトバ(こっちのほうはかなり前から耳についていた)に首をかしげることが多かった。言葉はちがうけれど、類推的に考えるなら、「致命的」というのは英語だと fatal だけど、 She was fatally hit by the train.  (直訳=「彼女は致命的に列車にはねられた」) と言えば、死んでいる(つまり She was hit by the train and she died. と同じ情報なのだが、死んだという結果を副詞で示して文を引き締めるスタイル)のであって、「致命的な」ものは命を落とすものなのである。決定的だったら、決定しているのだ。なんで決定していないのに決定的と呼ぶのかしら。それもゴールできないときに限って(すなわち決定しないときに限って)「決定的でした」と実況者は呼ぶのである。

  まあ、もっとも、ファム・ファタールは「致命の女」ではなくて「運命の女」とか「宿命の女」と訳されるし、それはまちがいではないかもしれず、相手(男)が死ぬわけではないけれど。それとも比喩的には死んじゃうのかしら。「決定的」もヒユと考えれば許せるのだろうか――「ケッテイ~(キンチャンふうに)なーんちゃって」、みたいな。「的」でごまかすみたいな。

  で、よくわからんけど、「決定的機会(でした)」が (A) 「決定機(でした)」になり、いっぽう (B) 「決定的(でした)」に変化した、あるいは文法分類的には、(A)(名詞)「決定機」、(B)(形容(動)詞)「決定的」に変容したのか、と夢想してみる。

  でも "decisive chance" という英語に置き換えて検索すると、けっこうな数がヒットするのでした。

  で、英語に戻ってよく考えてみれば、その場合の「決定的」というのは――グーグルの27000のヒットの多くは必ずしもスポーツ関係ではないのだが、競技でいえば――試合の勝敗を決する(あるいは、少なくとも決めかねない)、勝利の結果を明確にする、という意味での decisive なのであった。(たぶん。少なくとも本来は。)

  なんにしてもワケノワカラナイ・アイマイナ日本語であるのは確かであると思われ。


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過去の関係性 Past Relationship [雑感]

  2012年6月5日夜。テレビ朝日のニュースを見ていたら、間寛平が「過去の関係性」を脅されて云々と、もとプロレス実況者がしゃべっていた。

  B団のおっさんが何歳か知らんが、「過去の関係性(をばらすで~)」などというコトバを使うとは考えられず、このフレーズはテレビ局か報道かのこしらえた日本語なのでしょう。そして、その不自然さに無頓着なことは、つづく原発関係のニュースで、某議員が「新たな危険性を指摘した」と言い、キャプションにも「・・・・・・新たな危険性指摘」と出ることであらわになったのですけれど、無頓着というより意識的に、「ナンタラ性」という、「なんたら感」とか「なんたら的」と同じように、ぼかした、曖昧な、誤魔化した、ことばづかいを好んで選ぶ、愚かさが感じられ、腹立たしく思われたことでした。

  個人的な感じでは、「男女の関係」を、「男女の関係性」と呼ぶような不自然さをもっているのだけれど、そのうちに「男性女性の関係性」、さらに、「男性性女性性の関係性」というようなコトバも使われるようになるかもしれず。そして、4者の意味は違うのだから、とリクツをこねる馬鹿が出てくるかもしれないのだけれど、だったら曖昧さを回避し、明快なことばを使えよ、ということなのだけれど。

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image via テレ朝news <http://news.tv-asahi.co.jp/ann/geinou/geinou_news/contents/hot_20120605_110.html>


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「というもの」というひと the So-Called Ones [雑感]

July 21, 2013
週末に地方出張して、帰ってきてから(というか今日になってから)ウェークアップ!を見ていたら、ひさしぶりに鳩山民主党党員資格停止中元首相が、一席ぶっているレポートがあり、ひさしぶりに「というもの」を聞いた。

国民の生活が第一という原点というものを取り戻す・・・・・・

  (音が切られていたので、何と言っていたのか不明なのだけれど)テロップは、

国民の生活が第一という原点を取り戻す

  と、「というもの」は削られていた。 

    「A」と言わずに「Aというもの」と言うのは、単純にもったいぶった表現(ムダ・冗長・redundant)であるだけでなく、(1)対象(A)との距離を置き、あたかも自らが優位者(えらい)であるようなイメジ操作をし、(2)発話の聞き手(L)にも対象Aとは距離をもったらよい・ないし優位だよ、と誘うところがあるかもしれないところが怪しいというものだ。


タグ:という
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戦略 Strategy [雑感]

2014年2月25日22時23分


国会でエネルギー計画案が了承されたことについての「報道ステーション」のニュース報道の女声ナレーション

「原発事故後、国民の声を広く集め、当時の民主党が決めた、2030年代に原発ゼロという国の戦略を、今回転換し、まさに原発事故以前の原発推進政策に戻したとも言える。」

なんねんまえだったかしら、大学の「戦略」をいう文書に反発して、仮にこういう語彙が他から与えられた用語だとしても、そしていまは日本国が「国家戦略」としてアレコレ平気で議論しているのだし、「経営戦略」なるコトバは経営方面では定着して久しいのかもしれないけれども、教学の場において「戦略」を考えるのは違和感を抱くし、少なくとも大学の構成員(学生も含めて)が共有・理解できる言葉遣いで語られるべきだと考える、・・・・・・みたいなことを書いた。

戦争(への連想)に敏感なのは、オッサンの特徴だったのかしら、とかえりみつつも、論理的に考えれば、やはり「戦略」は相手を想定している言葉であるのは確かであって、そのてん、たとえば「計画」というニュートラルな言葉とはぜんぜんちがいます。

・・・・・・あるいは、もしかすると、19世紀の自然主義とそれと重なるダーウィニズムの発展形としての「社会的ダーウィニズム Social Darwinism」の影響が、時代を経て「企業戦士」(死語かとも思うw)とか「一平卒」みたいなオッサン用語に反映された結果として、社会と戦争が奇妙な融和を示しているのかしら。思えば「平和」状態にあっては、自由がないとは言えずとも、進化・進歩がなかなかもたらされないと言えるのかも知れず。


タグ:Strategy 戦略
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弱く、強く Piano and Forte [雑感]

J・カビラのサッカー実況(というか、むしろ実況外)での絶叫が、うるさいなあ、と思っていたら、それも終わって高校野球のNHKテレビ実況が、なんだか絶叫に感じられる今日この頃です(「解説」のひとたちは、こぞって、おとなしいのが対照的)。

 若いアナウンサーだけでなく、ロンドン五輪のときの女子バレーの「実況」で、「探していた、見失っていた光はロンドンの風の中にありました」(こう書くとおだやかだが、少なくとも最後の「ありました」は「ありましたあああ!!」というような感じだっただろう)と語って、なんでだか歴史に残る実況みたいなふうに言われているらしいアナウンサーが今日の第二試合の実況で、たとえば、「バントがフライになったああ!」と大声で言い、そのあと、「ファウルです」と半分以下の声で語る。(そんなことで叫ぶなよ、という感じ。) で、ふだんはNHK男性アナウンサーらしい鼻にかかった美声でしゃべるので、たとえば新年の大学駅伝の実況とかのようには「絶叫」アナの範疇に入れられないのかもしれない。

  アメリカでの野球実況放送は1920年代からのラジオ、1940年代からのテレビの長い歴史があって、なんだか「個性的」「人間的」なものを入れるのをよしとする立松和平的ニュージャーナリズム的価値観が前世紀の終わり近くから日本でもよしとされたことと連動しているのか知らないけれど、NHKのアナウンサーがなんだかむやみに叫ぶようになったと感じてきた(とくにこの数年、うるさい)。「さあ!」とか奇妙な親近的日本語はアメリカのスポーツ実況の影響だと思う。

  夜のNHKのニュースで、戦災の記憶を、本人ではなくて若い人たち(中学生・高校生)が語るという話題があって、そのとき画面に映った「原稿」には、「弱く」とか「強く」とか余白に書き込まれていた。

  あー、なるほど。絶叫というのではなくて、強く話したり、弱く話したり、ということなのね。それがないと人は「棒読み」と呼ぶのかしら。

  そうではないと思うのだが、声と音と文字、みたいなことをあらためて考えた一日だった。

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過去のブログ記事を極私的にメモっておけば、――

 「September 8 言葉の影、または引用について (3)  Word Shadows: On Quotation (3) [ことば Words]」 <http://occultamerica.blog.so-net.ne.jp/2008-09-09>

「September 7 言葉の影、または引用について (2)  Word Shadows: On Quotation (2) [ことば Words]」<http://occultamerica.blog.so-net.ne.jp/2008-09-08>

 (なんか、えらくむつかしいことをアメリカにいたときには考えていたなあと、思う夏。)


タグ:音声 Voice
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