デビルダウンヘッド (1) Devil Down-Head [Daddy-Long-Legs]
『あしながおじさん』の2年生の8月10日に農場のロックウィローからジュディーが書いた手紙の冒頭、柳の木に登った様子を書いたなかに、幹を猛スピードで上下する "devil down-heads" というのが出てきます。――
I address you from the second crotch in the willow tree by the pool in the pasture. There's a frog croaking underneath, a locust singing overhead and two little "devil down-heads" darting up and down the trunk.
アラウタダヒカルマダガスカルサンに手元にある訳を並べてみちゃったりしてみます。ついでながら、前後、少し長めに、二段落ほど引用してみます。訳者の文体の特徴がわかるように、というのがひとつ、あとはニューヨークがらみがふたつめ、もうひとつは天国への言及のため。――
■日本語訳 Translations in Japanese
(1) 遠藤 1961
八月十日
あしながおじ様[さま]
牧場[ぼくじょう]の水たまりのそばに立っている、ヤナギの木の二番[ばん]目のまたから申[もう]しあげます。下にはカエルがなき、頭[あたま]の上にはセミがうたっています。小さなリスが二匹[ひき]、幹[みき]をかけあがったり、かけおりたりしています。あたしはもう一時間も前からここにきていますの。たいそうすわりぐあいのいい木のまたで、長いす[「いす」に傍点]のクッションを二枚[まい]しいてから、なおさら、ぐあいがようございます。あたしは、ペンと便箋[びんせん]をもって不朽の名作[めいさく]を書こうと思って、ここへきたのですけど、さっきからあたしの女主人公[ヒロイン]には、ほとほと困[こま]って――あたしはその女主人公[ヒロイン]を、あたしの思うとおりにふるまわせることが、どうしてもできないのです。それでちょっと彼女[かのじょ]を、うっちゃらかしておいて、あなたに手紙を書きかけました。(でも、これだって、たいした気ばらしにははなりませんわ。やっぱりあたしは、あなたをじぶんの意[い]のままにふるまわせることができませんもの。)
もしあなたが、あのいやなニューヨークにいらっしゃるのなら、この美[うつく]しい、そよ風のふく、日に照[て]り輝[かがや]いてる景色[けしき]を少しばかりお送[おく]りできたらと思いますわ。いなか[「いなか」に傍点]は雨が一週間ふったあとは、まるで天国[てんごく]です。
遠藤寿子(えんどう・ひさこ)=訳
a. 『あしながおぢさん』岩波書店、岩波文庫 1933-08-05(昭和8)
b. 『あしながおじさん』 岩波書店、岩波少年文庫; 岩波文庫改版 1950(昭和25)
c. 『あしながおじさん』岩波書店、岩波少年少女文学全集12 1961-10-10(昭和36)
引用はc. に拠りました(p.86)。
(2) 松本 1954(本が出てきたらアップします →8月4日夜追加しました)
八月十日
牧場の池のそばの柳の木の二番目のまたからお便り申上げます。足もとでかえるがなき、頭の上ではせみが歌い、幹にはいたずら者の小りすが二ひき勢いよくかけ上ったり、かけ下りたりしております。
私はもう一時間もここにいるのです。大そう坐り心地のいい木のまたで、長椅子のクッションを二枚もってきて敷いたので、なおさら具合がよくなりました。私は不朽の名作を書くつもりで、ペンと紙を持ってここへ来たのですが、私はその中の女主人公には手を焼いています。どうも私の思うように振舞ってくれないんですもの。それでそのほうは一時放っておいて、おじ様にお手紙を書くことにいたしました(これも大して私の気持を安らかにしてはくれません。おじ様にだってやっぱり私の思うように振舞わせることができないんですもの。)
もしおじ様が今あのおそろしいニューヨークにいらっしゃるのでしたら、風薫[かお]り日光輝くこの美しい眺めの一部分でも送ってさしあげたいとぞんじます。一週間の雨に洗われた田園はまさに天国でございます。 (pp. 117-18)
松本恵子(まつもと・けいこ: 青山女学院英文専科卒, 1891-1976)=訳
『あしながおじさん』 新潮社、新潮文庫 1954(昭和29-12-25)
(3) 厨川 1955
八月十日
あしながおじ上様
拝啓 牧場の池の傍[そば]にある柳の木の二つ目の叉[また]でこの手紙を書いております。下では蛙が鳴き、上では蝉[せみ]が鳴き、幹では小りすが二匹、かけ上がったりかけおりたりしています。私は一時間も前からここに上っています。とても居心地のいい叉よ。特に長椅子のクッションを二つ備えつけてからってものは、なおさら。ペンと用箋を持って上りました。不朽の短篇を書こうと思ってね。ところが女主人公がどうもうまくゆかないので閉口[へいこう]しました――どうしても私の思い通りに彼女を動かすうことができないの。そこでちょっとの間、彼女のほうはあきらめて、おじさんに手紙を書いているというわけです。(でも、これもあんまり慰めにならないわ、おじさんも、やはり私の思う通りに動かすことのできない人なんですものね)
もしおじさんが今、あのごみごみしたニューヨークに住んでいらっしゃるのなら、この美しい、そよ風の吹く、日当りのいい眺めを送って差し上げたいくらい。一週間も雨の降った後の田舎[いなか]といったら、本当に天国のようよ。 (pp. 129-130)
厨川圭子(くりやがわ・けいこ: 津田英学塾卒、慶應義塾大学文学部英文科卒, 1924年生まれ)=訳
『あしながおじさん』 角川書店、角川文庫 1955-10-05(昭和31)
(4) 中村 1966
八月十日
あしながおじさま
農場の池のそばにある柳の木の、二番目のふたまたの上からお便り申し上げます。下では蛙[かえる]が鳴き、上では蝉[せみ]が鳴き、また小さいきつつきが二匹、幹[みき]を上ったり下ったりしておりますの。もう一時間くらいここにおります。とてもこの木のまたは居心地がいいんですの。ことにソファ・クッションを二つ備えつけたものですから。わたしは不朽[ふきゅう]の短篇を書く意気込[いきご]みで、ペンと紙を持って上がってきたのですけれど、そのヒロインに閉口[へいこう]させられました。――私の望むようには、どうしても彼女を行動[こうどう]させられないんです。それでしばらく彼女を放ったらかして、あなたに手紙を書くことにいたします(もっともこれも、あまりなぐさめではありませんけれどね。あなただってやはり、わたしの望むようには動かせられないんですから)。
あなたがあのおそろしいニューヨークにいらっしゃるとすれば、この美しい、風そよぐ晴れた日の眺[なが]めをお送りできたらと思います。一週間の雨のあとの田園[でんえん]は天国ですわ。 (p. 121)
中村佐喜子(なかむら・さきこ: 日本女子大学本科英文学部卒, 1909年生まれ)=訳
a. 『あしながおじさん』 旺文社文庫 1966(昭和39)
b. 『あしながおぢさん』旺文社文庫特装版 1970-07-01(昭和45)
引用はb. に拠りました。
(5) 恩地 1975, 改訂1985
八月十日
あしながおじさま
牧場[ぼくじょう]の池のほとりのヤナギの、下から二段[だん]めの木のまた[「また」に傍点]よりおたよりもうしあげます。下にはカエル、上にはセミがなき、小さなリス二ひきが幹[みき]をのぼったりおりたりしています。
もう一時間[じかん]ちかくもこうしているのです。この木のまたはすごくすわりごこちがよく、ソファーのクッションをふたつあてがったので、とびきりいいぐあいです。
ここへくるときには、文学史[ぶんがくし]にのこるような短編小説[たんぺんしょうせつ]を書くつもりで、ペンと原稿用紙[げんこうようし]をもってきたのですが、その女主人公[おんなしゅじんこう]ですっかりてこずってしまったところです。彼女[かのじょ]は、わたしののぞむようにうごいてくれないのです。それで、一時[いちじ]彼女をほっといて、おじさまに手紙を書きだしてしまいました(でも、これもたいした気やすめにはなりません。だって、おじさまもやはり、わたしの思うようにはうごいてくださいませんもの)。
おじさまが、いまあのおそるべきニューヨークにおいででしたら、このすばらしい、そよ風のわたる、さんさんと日のてっている光景[こうけい]をおおくりできたらな、と思います。一週間[しゅうかん]雨がつづいたあとの田園[でんえん]は、まるで天国[てんごく]です。 (p. 170)
恩地三保子(おんち・みおこ: 東京女子大学英文科卒, 1917-84)=訳
a. 『あしながおじさん』 偕成社文庫 1975-12(昭和45)
b. 『あしながおぢさん』偕成社文庫改訂版4005 1985-10(昭和55)
引用はb. に拠りました。
(6) 谷川 1988
あしながおじうえ殿[どの] 八月十日
拝啓[はいけい] 牧場[ぼくじょう]の池のほとりに立つ、ヤナギの木の二番目のまたより一筆啓上[いっぴつけいじょう]。下ではカエルが鳴[な]き、上ではセミがうたい、二ひきの小さなリスが、幹[みき]をすばしっこく上下しています。
一時間もまえからここにいます。たいへんすわりごこちのいい木のまた、とくにソファのクッションを二枚しいてからは。ペンとメモ帳[ちょう]をもって、不朽[ふきゅう]の短編小説[たんぺんしょうせつ]をものそうとあがってきたのですが、わたしのヒロインにはほとほと手をやいてます――わたしの思いどおりに行動[こうどう]してくれないの。そこでしばらくかの女をうっちゃらかしにして、この手紙を書いているところ。
(これも五十歩百歩、あなたにしたってわたしの思うようにふるまわせることはできませんから)
あなたがあのものすごいニューヨークにいらっしゃるのでしたら、この美しい、風かおる、お日さまでいっぱいのけしきをすこしおくってあげたい。一週間雨がふって、いまや田園はまさに天国。 (pp. 142-44)
谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう: 1931年生まれ)=訳
『あしながおじさん』 理論社、フォア文庫 1988-03(昭和63)
(7) 早川 1989
八月十日
あしながおじさま
前略[ぜんりゃく] 牧場[ぼくじょう]の池のほとりにある、ヤナギの木の二番目のまた[「また」に傍点]に腰かけて、書いています。下ではカエルが鳴き、頭の上ではセミの大合唱[だいがっしょう]、二匹[ひき]のわんぱく子リスたちが、ちょろちょろと幹[みき]をかけのぼったりおりたりしています。
もう一時間も、ここにこうしています。この木のまたは、とてもぐあいがよくて、とくにクッションを二つあたがってからはすわり心地満点[ごこちまんてん]です。
珠玉[しゅぎょく]の掌編[しょうへん]とやらをしたためるつもりで、ペンと紙をもってよじのぼったのですが、どうしてもヒロインが思いどおりに動[うご]いてくれず、悪戦苦闘[あくせんくとう]のあげく、結局[けっきょく]、彼女[かのじょ]のことはしばらくほうっておいて、おじさまに手紙を書くことにしました(だからといって、すっかりわたしの気が晴れたわけではありません。おじさまだって、なかなかどうして、わたしの思いどおりに動いてはくださいませんもの)。
今、おじさまが、あのごみごみしたニューヨークにいらっしゃるのでしたら、すがすがしい風と日の光があふれる、このすばらしい景色[けしき]を届[とど]けてさしあげたい。一週間ふり続[つづ]いた雨があがり、こちらはまさに、天国そのものです。(pp. 177-79)
早川麻百合(はやかわ・まゆり: 立教大学文学部英米文学科卒, 1955年生まれ)=訳
『あしながおじさん』 金の星社、世界の名作ライブラリー2 1989-05(平成元)
(8) 岡上 1989
八月十日
牧場にある池のそばの、ヤナギの木の二番目の二またの上から、お便[たよ]りします。足下ではカエルが鳴き、頭の上ではセミが鳴き、幹[みき]にはリスがかけ上がったり下りたりしています。わたしはもう一時間もここにおります。ソファ・クッションを二枚[まい]備[そな]えつけたので、なおさらここは居心地[いごこち]がよくなりました。
わたしは不朽[ふきゅう]の名作を書こうとペンと紙を持って来たんですけど、そのヒロインに手を焼[や]きました。どうもこちらの思うようには、ふるまってくれません。そこでかの女のことはあきらめて、おじさまに手紙を書いているんです(といって、おじさまもわたしの希望[きぼう]どおり動かせられませんから、わたしの気持ちは安らぎませんけど)。
おそろしいニューヨークにいらっしゃるおじさまに、この心地[ここち]よい美しい明るいながめの一部を送ってあげることができたらと思います。一週間の雨がやんだあと、ここはまったく天国になりました。(p. 157)
岡上鈴江(おかのうえ・すずえ: 日本女子大学英文学部卒, 1913年生まれ)=訳
『あしながおじさん』 春陽堂、くれよん文庫 1989-05-25(平成元)
(8) 曾野 1989
八月十日
あしながおじさま
牧場[ぼくじょう]の池[いけ]のほとりにはえている柳[やなぎ]の木[き]の二番[ばん]めのまた[「また」に傍点]から申[もう]しあげます。足下[あしもと]ではかえるが、頭[あたま]の上[うえ]ではせみがないていますし、小[ちい]さなりすが二ひき、幹[みき]をかけあがったり、かけおりたりしています。
わたしはもう一時間[じかん]もここにいます。とてもすわりごこちのいい木[き]のまたで、長[なが]いすのクッションを二枚[まい]持[も]ってきてしいたので、なおさらいいぐあいです。わたくしはとてもすばらしい物語[ものがたり]を書[か]くつもりで、ペンと紙[かみ]を持[も]ってここにきたのですが、さっきからヒロインをわたくしの思[おも]うようにすることができません。それで、そちらをすこしほうっておいて、おじさまにお手紙[てがみ]を書[か]くことにしました。(これもたいして気晴[きば]らしにはなりません。やっぱりおじさまも、わたくしの思[おも]うようにすることはできませんもの。)
もしおじさまがあのおそろしいニューヨークにおいでになるのでしたら、この美[うつく]しい、そよ風[かぜ]の吹[ふ]く、明[あか]るいながめをすこしばかりお送[おく]りしたいと思[おも]います。一週間[しゅうかん]、雨[あめ]がふりつづいたあとの田舎[いなか]は、まるで天国[てんごく]のようです。 (pp. 149-50)
曾野綾子(その・あやこ: 聖心女子大学英文科卒, 1931年生まれ)=訳
『あしながおじさん』 講談社、青い鳥文庫 1989-12-10(平成元)
(10) 谷口 2004(本が出てきたらアップします)
谷口由美子(たにぐち・ゆみこ: 上智大学外国語学部英語学科1972卒)=訳
『あしながおじさん』 岩波書店、岩波少年文庫 2004(平成14)
旺文社文庫の中村佐喜子だけが「きつつき」と訳し、他は(新潮文庫も新しい岩波少年文庫も)「リス」ないし「りす」と訳しています。講談社英語文庫の注釈も並べておきます。――
(11) 瀬戸武雄注釈、ジーン・ウェブスター『DADDY-LONG-LEGS』 1991
the second crotch in the willow tree 柳の木の2番目のまた
"devil downheads" 「小リス」
trunk (木の)幹
tablet 用箋
abandon~for the moment ~を一時放っておく
しかし、どうやら、リスではなくて鳥であり、そしてキツツキでもないらしいのです。つづく~
■英語原文 The original English text
August 10th.
Mr. Daddy-Long-Legs,
SIR: I address you from the second crotch in the willow tree by the pool in the pasture. There's a frog croaking underneath, a locust singing overhead and two little "devil down-heads" darting up and down the trunk. I've been here for an hour; it's a very comfortable crotch, especially after being upholstered with two sofa cushions. I came up with a pen and tablet hoping to write an immortal short story, but I've been having a dreadful time with my heroine―I can't make her behave as I want her to behave; so I've abandoned her for the moment, and am writing to you. (Not much relief though, for I can't make you behave as I want you to, either.)
If you are in that dreadful New York, I wish I could send you some of this lovely, breezy, sunshiny outlook. The country is Heaven after a week of rain.
Speaking of Heaven――do you remember Mr. Kellogg that I told you about last summer?―the minister of the little white church at the Corners. [. . .] (Penguin Classics版, pp. 76-77)
Daddy-Long-Legs (1912)
by Jean Webster (Alice Jane Chandler Webster, 1876-1916)
E-text at:
* Project Gutenberg
* University of California Libraries
* Wikisource
参考url―
岩波書店児童書全目録 1913-1996 刊行順 <http://fetish-jp.org/ascat/jidou/iwazen.html>
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