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八角形の家 (1) Octagon Houses [Daddy-Long-Legs]

  『あしながおじさん』の2年生の10月17日の手紙で、ジュディーが級友たちと議論している学問的問題がいくつか出てくるのだけれど、そのなかに八角形の家の部屋割りの話があります。

Two other problems are engaging the attention of our table.
IST.  What shape are the rooms in an octagon house?  Some of the girls insist that they're square; but I think they'd have to be shaped like a piece of pie.  Don't you?

   八角形の家のなかの部屋はどういう形か? 女の子たちのなかには四角形だと主張する者もいるけれど、自分はカットしたパイの一切れのような形にならねばならないと思う、とジュディーは書き、「そう思いません? Don't you [think so]?」と同意を求めています。
  アメリカで骨相学を広めたファウラー兄弟のことをカリフォルニア時間の「January 7-8 でこちんと骨相学 (前篇)――擬似科学をめぐって(9)  On Pseudosciences (9) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]」という記事で書きましたが、兄のOrson Squire Fowler (1809-87) は八角形の家を推奨したことでも知られています。1835年にファウラー商会を立ち上げ、1838年には『アメリカ骨相学雑誌 American Phrenological Journal』を創刊し、骨相学本の出版やグッズの販売を行なうオーソン・ファウラーは、1848年に The Octagon House: A Home for All, or A New, Cheap, Convenient, and Superior Mode of Building [『八角形の家――万人の家、または新しく廉価で便利で優れた建築の様式』] を出版しました。
  なんかピタゴラス的なオカルト思想が背後にあるのかしら、と思っていたのですけれど、(1) 建築費が安く、(2) 住空間を追加しやすく、(3) 自然光を多く入れられ、(4) 暖房しやすく、夏は涼しい、というような利点を挙げているようです。理屈としては表面積を小さくすることで以上の利点が幾何学的に得られると。円環が最小ということになるのだが、そうすると建てにくいし内装もむつかしくなるので、円に近似した多角形ということで八角形が妥当ということのようです。(いちおう骨相学的な説明としては、器官のINHABITIVENESS (Love of Home) と CONSTRUCTIVENESS (the ability to build) の発達した人なら、誰でも自分で自分の家を建てられる、"[e]very man could be his own architect" ということであるようです(図版を増やした1853年版のリプリントが現在Dover 社から出ています。)
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    オーソン・ファウラー自身が上記のコブが発達した人であったようで、この本の刊行に先立って、のちに "Fowler's Folly" (ファウラー阿房[阿呆]宮)と呼ばれることになる、Cupola (クーポラ・小ドーム)付き3階+ベースメントの、部屋が57だか60近くある八角形の邸宅を設計していました(1853年に完成)。
Fowler'sFolly-fishkill_ny.jpg
image via "Inventory of Older Octagon, Hexagon, and Round Houses" <http://www.octagon.bobanna.com/main_page.html>
  どうやら当時 (19世紀後半) は東部に多く建築され、とくにWisconsin が多かったみたいです。でもサンフランシスコにもあります。Gough Street の McElroy Octagon House。1861年建設――
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image via "McElroy Octagon House," Wikipedia <http://en.wikipedia.org/wiki/McElroy_Octagon_House>
  もひとつサンフランシスコに残っているのは、ちょっと輪郭がいびつなような――the Feusier Octagon House (1858年完成らしい) at 1067 Green Street――
738px-Feusier_Octagon_House_%28San_Francisco%29.jpg
image via "Feusier Octagon House," Wikipedia <http://en.wikipedia.org/wiki/Feusier_Octagon_House>
  日本でも八角形住宅を推進する集団があるみたい――

八角形住宅グループ

貴方の理想の住空間を実現します

耐震性に優れ、太陽の光をいっぱいに取り込む設計。また、自由な間取りで夢を形にすることができるという魅力を持った個性豊かな特許八角形住宅。 <http://iezukuri.homes.co.jp/partner_detail/gid=964>

  漠然とつづく

 


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いいじゃないの幸せならば (1) Wot's the hodds so long as you're 'appy? [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』の2年生の3月5日の手紙で、Judy は、もう二度と落第点を取ることはないけれど1年生のラテン語と幾何の成績が悪かったので優等で卒業はできないかもしれない、でも気にしません、と言ってヘンな英語を書いているところがあります。

I never told you about examinations.  I passed everything with the utmost ease―I know the secret now, and am never going to flunk again, I shan't be able to graduate with honors though, because of that beastly Latin prose and geometry Freshman year.  But I don't care.  Wot's the hodds so long as you're 'appy?  (That's a quotation.  I've been reading the English classics.) 〔・・・・・・いいじゃないの幸せならば? (これは引用です。英文学の古典をこのところ読んでいるのです。)〕

  古典にナマった英語が使われないわけではない。ですが、とりあえずのオカシサは、いかにもクズレタ英語を「引用」して、日本風にいえば「国文の古典です」と説明するところにあるでしょう。ちなみに新潮文庫の松本恵子訳は「「身の幸(さち)ありせば、何をか申しはべらん」です(これは目下勉強中の古典からちょっと引用してみたのです)。」と、引用符に入れたうえで古文風に訳しています。しかし・・・・・・一般にどの言語においても方言が古語を保存するとはいえ、ちょっと違うトーンの英語です、原文は。
  
「いいじゃないの幸せならば」は1969年発表の佐良直美の歌の題ですけれど(作詞は岩谷時子)、なまり度からすれば、ええじゃなかっぺ、ひやあせならば、ぐらいでしょうか(ちがうわw)。
  「標準」的な英語にすれば、 What's the odds so long as you are happy? となります。 odds=difference (差異)で、What's the odds? は、「どうでもいいじゃない」「それがどうした」「大差ないよ」ぐらいの口語的表現。hodds といらぬところに "h" が付加され、'appy といるところから "h" が脱落しているのは、イギリスの、コックニーみたいなロンドンなまりの特徴でありましょう。
  この出典は、むかし調べたことがあって、Rudyard Kipling の短篇小説 "Black Jack" ではないかと考えていました。Mulvaney Stories [アメリカ版はPhiladelphia: H. Altemus, 1897 <http://www.archive.org/details/mulvaneystories00kipl> ] 所収)――

    “I’m an ould fool,” said Mulvaney, reflectively, “dhraggin’ you two out here bekaze I was undher the Black Dog—sulkin’ like a child.  Me that was soldierin’ when Mullins, an’ be damned to him, was shquealin’ on a counterpin for five shillin’ a week—an’ that not paid!  Bhoys, I’ve took you five miles out av natural pervarsity.  Phew!”
   
Wot's the odds so long as you’re ’appy?” said Ortheris, applying himself afresh to the bamboo.  “As well ’ere as anywhere else.”
   
Learoyd held up a rupee and an eight-anna bit, and shook his head sorrowfully.  “Five mile from t’Canteen, all along o’ Mulvaney’s blasted pride.”                                                        

      キプリングの名は『あしながおじさん』の1年生のときの手紙(12月19日付)に出てくるので、自然と思われ。それでも、hodds じゃなくて odds となっているのは気にはなっていました。
  ところが、新しい岩波少年文庫の訳には割注があって、ジョージ・ルイス・パルメラからの引用だ、と書かれています。上に書いたように「古典」というのは冗談半分であるとしても、誰よ、パルメラって?  そんな英米作家は知りません。英語のつづりに適当に直して検索をかけてみて、George Lewis Parmella Busson du Maurier (1834-96) のことだとわかりました。なんだ
George Du Maurier か。『レベッカ』で有名な Daphne Du Maurier のじいさんの、フランス生まれの画家・小説家です。
  それならば、別筋で調べていた "Black Jack" の注釈に挙がっていました――

[Page 94, line 11] ‘Wot’s the odds so long as you’re ‘appy ? a catch-phrase that appears in “Trilby” (1894) by George du Maurier (1834-1896) artist and novelist. It must, however, have originated earlier as Kipling is writing in 1888. It is also quoted in “In Ambush” (Stalky & Co page 18, line 1) where - in this Guide - our Editor, Isabel Quigly, notes the apparent anachronism of a quotation from a play of 1894 appearing in a story set in the period 1878-1882. <http://www.kipling.org.uk/rg_blackjack_notes_p.htm>

  この注釈の記述が「キャッチフレーズ」とか「引用」と呼ぶ、その呼称がはたして正しいか疑問があるのですけれども、小説『トリルビー』(これの1915年のサイレント映画化――邦題『モデルの生涯』――については佐々木亜希子の活弁シネマライブに解説があります <http://www.slowcinema.com/pc/060801.html>)に出てくるのは次の箇所です。――

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    [W]hat's the odds, so long as you're happy?  ぜんぜんナマッておらんじゃないの。

   謎をはらんでつづく~


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いいじゃないの幸せならば (2) What's the odds so long as you are happy? [Daddy-Long-Legs]

   承前

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Rudyard Kipling, Mulvaney Stories.  1st American edition, Philadelphia: Henry Altemus, 1897, p. 115.

    "Wot's the odds as long as you're 'appy."   

  Kipling の当該短篇の注解 "'Black Jack': Notes on the Text" <http://www.kipling.org.uk/rg_blackjack_notes_p.htm> をネット上に出しているのは John McGivering という人なのですけれど(copyright John McGivering and Gillian Sheehan 2005 All rights reserved )、それはイギリスのキプリング協会 The Kipling Society のホームページ <http://www.kipling.org.uk> 内にある、ちゃんとしたもののようです。でもモーリちゃんの父には、その英語と論理はなんだかユルイものに思えます(人のことは言えんがなw)。

[Page 94, line 11] ‘Wot’s the odds so long as you’re ‘appy ? a catch-phrase that appears in “Trilby” (1894) by George du Maurier (1834-1896) artist and novelist. It must, however, have originated earlier as Kipling is writing in 1888. It is also quoted in “In Ambush” (Stalky & Co page 18, line 1) where - in this Guide - our Editor, Isabel Quigly, notes the apparent anachronism of a quotation from a play of 1894 appearing in a story set in the period 1878-1882.

ジョージ・デュ=モーリアの1894年の『トリルビー』に現われるキャッチフレーズだけれど、元はもっと前のものに違いない、だってキプリングは1888年に書いているから、と書かれています。それからキプリングの Stalky & Co の18ページにも出てくるけれど、ここの編者のイザベルさんが注釈しているように1878年から1882年が時代設定の話に1894年の芝居からの引用が現われるというアナクロニズムが起こっていると(よくわかりませんがHP内を探すと出てくるコメントなのでしょう)。このStalky & Co というのはキプリングが1899 年にロンドンのマクミランから刊行した短篇集ですが、その18ページの1-2行につぎのようなことばが会話中にあります。―― "But what's the odds, as long as you're 'appy?"  

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    それから、キプリングが1888年に書いている――"as Kipling is writing in 1888" という英語はオッケーなんすかね、まあ、この作品をもっぱら扱っている文脈では現在時制で可なのでしょうか――というのは、E. W. Martindell という人の編集した A Bibliography of the Works of Rudyard Kipling, 1881-1923 (どうやら私家版 pbk. Martindell, 2007) という文献学的な資料を調べてみると、1888年にインドの「パイオニア・プレス」という出版社(印刷屋?)から Terence Mulvaney ら3人の兵卒を主人公とした Soliders Three: A Collection of Stories という短篇集をキプリングは出しており、7篇中6篇はその年の1月から7月に The Week's News という週刊誌に発表されたもの、そして "Black Jack" のみが未発表の短篇であったようです(p. 344)。なるほど。
  しかし、もともとモーリちゃんの関心は、ジーン・ウェブスターの "Wot's the hodds so long as you're 'appy?  (That's a quotation.  I've been reading the English classics.) 〔・・・・・・いいじゃないの幸せならば? (これは引用です。英文学の古典をこのところ読んでいるのです。)" という記述に見合うものはどれか、という一点にあります(むろんウェブスターが引用を「改変」するという可能性を認めつつ)。
  で、結論的には、デュ=モーリアでもキプリングでもなくて、次の作品をジュディーは読んでいたのだと思います。――

“In earnest! Of course I am. Pretty engineers you are. Sawed its own bed in two, or burst itself. Don’t know which, and what’s more I don’t care. Come, Martha, my bantam chicken, let’s have a cup of tea. Bother that stick, it can’t keep its legs much better than myself. How are you, mother? Glorious weather, isn’t it?”
    Mr. Merryboy ignored deafness. He continued to speak to his mother just as though she heard him.
    And she continued to nod and smile, and make-believe to hear with more demonstration of face and cap than ever. After all, her total loss of hearing made little difference, her sentiments being what Bobby Frog in his early days would have described in the words, “Wot’s the hodds so long as you’re ’appy?”
    But Bobby had now ceased to drop or misapply his aitches—though he still had some trouble with his ars.   〔R.M. Ballantyne, Dusty Diamonds Cut and Polished, Chapter XXV, “Canada again—and Surprising News”〕

      バッチグーだぜ♪ 

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   そして、このバランタイン Robert Michael Ballantyne, 1825-94 (児童文学史の本では必ず出てくる名前だと思います、代表作はたぶん The Dog Crusoe and His Master (1861)――シートン動物記を訳した白木茂などの訳により『名犬クルーソー』として日本では読まれてきました、むかし)の本は、初版が1884年に出ているのでした(R. M. Ballantyne, Dusty Diamonds Cut and Polished: A Tale of City-Arab Life and Adventure [London: James Nisbet, 1884])。

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Jean Webster, Daddy-Long-Legs (New York: Century, 1912), p. 134


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いいじゃないの幸せならば (3) Wot's the hodds so long as you're 'appy? [Daddy-Long-Legs]

  『あしながおじさん』の2年生の3月5日の手紙で、Judy が「古典」の引用として書いているヘンな英語の話のつづき。

Wot's the hodds so long as you're 'appy?  (That's a quotation.  I've been reading the English classics.) 〔・・・・・・いいじゃないの幸せならば? (これは引用です。英文学の古典をこのところ読んでいるのです。)〕

  これの典拠がR. M. Ballantyne のDusty Diamonds Cut and Polished (1884) だという自分の推測が正しいとして、原典をちょっと読んでみると、そもそも続けて言葉遣い(発音)についての注釈が語り手によって書かれておるのでした。前後を貼り付けます。――

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   この25章のこの一節で Bobby Frog の過去と現在が言葉遣いの点で対比されてもいるわけです。「彼女」(Mr. Merryboy の母親)がまったく耳が聞こえなくなってしまったけれど、昔のBobby Frog だったら "Wot's the hodds so long as you're 'appy?" と言ったであろうような気持ちで彼女は平気を通します。で、この昔のBobby Frog の言葉遣いについて、今は工場のチーフ・エンジニアになっている Bobby Frog は、「H」音を落としたりあるいは間違って加えたり、というようなことはしなくなっていた――ただ、「R」音についてはいまでも問題があったけれど、と記述されています。
  Bobby Frog というのは人なのかどうかわからなかったのですが、カエルではなくてヒトでしたw。どうやら寓意的ないしおとぎ話的な名前が登場人物につけられているけれど、この小説はロンドンの下層階級の人々とキリスト教的慈善団体の実際の記録・資料に基づいて書かれたたぶんにマジメなプロパガンダ的な側面があるようです(よくはわかりませんけれど)。で、やっぱりロンドンのコックニーという予想はあたっていたようなのでした。今は親元を離れてカナダに(これはエディンバラ出身の作家のバランタインが一時生活の舞台にしていた土地です)来ている、Bobby Frog が、昔親に宛てて書いた手紙が数十ページ前に引用されており、それはコックニーを書き言葉に写した見本となっていると思います(し引いてみます)。――

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(308-309)

    Bobby の母親の Mrs Frog は娘の Hetty に、カナダのBobby から来た手紙をまた読んでおくれ、と頼み、読みあげられた手紙を "verbatim et literatim" 「一字一句」「逐語的に文字通り」書き記そうと、 "We" (語り手)は、慣用句とは言えラテン語のむつかしい言葉を使って引用するわけです。Hetty も示唆したように改善 (improvement) の余地はあるし、読者に忍耐を強いるべく書かれたものでもないし、母親にとっては大きな喜びだったのだし。
  ide park = Hyde Park,  Kensintn gardings = Kensington Gardens  ともに、ロンドンの公園です。eaven = heaven, arth = earth, pritty = pretty, nuffin = nothing, an = and, wy = why, kompair = compare, thems = them is, redeklis = rediculous, theres = there's, sitch = such, litle = little, shes = she's, wun = one, wot = what . . . .

  「コックニー」 Wikipedia

    「コックニー講座」 THE BRADY BLOG, 2005.3.15

    R 音の問題というのは、 R がちゃんと発音されないで /w/ になったり、逆に(やっぱり/h/ と同様)いらないところに/r/ が入ることです。

   ウィキペディアが言及するように、バーナード・ショーの『ピグマリオン Pygmalion』 (1913) (そしてそれを元にしたミュージカル&映画『マイ・フェア・レディ』で、(どうやら矯正されるべきものとして)コックニーがとりあげられたのは有名ですけれど、とりあえず『あしながおじさん』がらみで考えると、孤児院問題とか社会改良問題(後半にsocialism とかphilanthropyとか出てくる)との関係が――これは作者のJean Webster 自身の関心であるわけですが――あるかどうかというあたりがちょっと興味深いでしょうか。
  「いいじゃないの幸せならば」という人生観があちこちに響いているような気もしなくもないのですが。

RexHarrison&AudreyHepburn,MyFairLady.jpg
image via "My Fair Lady (film by Cukor [1964])", Britannica.com http://www.britannica.com/EBchecked/topic/716583/My-Fair-Lady

  
   ううむ。May Fair が My Fair になるみたいな可能性はあるのでしょうか。あ、でもそれだったら Lady も Lie Day か。いや、Lie Die か(わけわかめ)。 


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いいじゃないの幸せならば (4) What's the Odds So [As] Long As You Are Happy [Daddy-Long-Legs]

   キプリングの短篇小説の注釈が「いいじゃないの幸せならば」(という訳が妥当かどうかわからないが、短篇 "Black Jack" で Wot’s the odds as long as you’re ’appy?――どうやらインドの初版では Wot’s the odds so long as you’re ’appy?――、『あしながおじさん』とR. M. Ballantyne の長篇小説で Wot’s the hodds so long as you’re ’appy?)を catchphrase としていることが頭に残っていて、調べてみた。キャッチフレーズと呼ぶ一方、「引用」されるコトバとして記述されていたので。
  もともと、キャッチフレーズというと日本語では、「標語」とか「うたい文句」という感じだけれど、英語のキャッチフレーズ辞典というのは前からあって、その場合は「きまり文句」という感じのような気がしていた。個人的には、はじめて意識したのは、辞書の鬼エリック・パートリッジEric Partridge, 1894-1979 の俗語辞典 Dictionary of Slang and Unconventional English (初版はたぶんロンドン、1937年) の副題が "Colloquialisms, and Catch-Phrases, Solecisms and Catachresis, Nicknames, and Vulgarisms, and Such Americanisms as Have Been Naturalized" で、いまだにその半分の意味もわかっておらないけれど、25年くらい前からはキャッチフレーズなるものがモヤモヤと気にはなっていたのでした。でも俗語辞典としてはこれはイギリスのものであり、アメリカ文学がらみで辞書を引くことが多いので、あんまり使わないままでしたし、自分でキャッチフレーズ辞典を買うこともなく、ときどき図書館とかで、たぶんパートリッジ晩年の1977年に出版されたA dictionary of catch phrases, British and American, from the sixteenth century to the present day を手に取ることはあったのですけれど、なんか役に立たず(どうも自分が求めているものとズレている感じ)。
  以上、個人的な回想で、以下、調べた結果です。

  パートリッジのキャッチフレーズ辞典を増補した複数の辞典のひとつに、Paul Beale 編のものがあります。表紙を見ると誰の本なのやらよーわかりません。

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   この1980年代に増補された本(上の中の画像はWEB版というかGoogle Books 版――ナカミを全部見ることはできませんが <http://books.google.co.jp/books?id=Nm3jbg0JalMC&printsec=frontcover&source=gbs_v2_summary_r&cad=0> ――の表紙版です)の520ページに、Paul Beale (P. B.) の記述として以下のように項目があがっています。

what's the odds, so (or as) long as you're happy? seems to have orig. as a c. p.〔c. p. = catch phrase です〕 (even if, as E. P. 〔E. P. = Eric Partridge です〕thought, it later became a cliche) in the early 1850s.  It occurs in Punch, 25 Sep. 1852, p. 143, and in the Punch Almanack for 1852, where the answer is given as 'Ten to one in your favour'.  As R. C. notes, 1978, Kipling uses it in his Stalky & Co., 1899, indicating its currency among Public Schoolboys in the late 1870s; George du Maurier has it in Trilby, pt 1, 1894.  It was still remembered in the 1940s, among the older generation, and perhaps survives even yet. (P. B.)  〔what's the odds so [as] long as you are happy? はキャッチフレーズ(エリック・パートリッジは後にクリシェになったと考えたとはいえ)として1850年代初頭に始まったものらしい。雑誌『パンチ』の1852年9月25日号143ページ、そして1852年の『パンチ年鑑』に現われていて、この問いに対する答えは「十中八九あなたの有利に」となっている。R・Cが1978年に注記しているように、キプリングは1899年の著作Stalky & Co. でこの表現を用いて、1870年代後半の英国パブリックスクールにおける使用を示唆しており、また、ジョージ・デュ・モーリアは、1894年出版の『トリルビー』第一部で用いている。1940年代においてもなお年長の世代には記憶にとどめられていた表現であり、もしかするといまもなお生きているかもしれない。〕

  ということで、『パンチ』――この有名な英国の雑誌にジョージ・デュ・モーリアーは挿絵画家として関わっていたわけですけれど―― の1852年の記事には既に現われており(そのときのツヅリがどうであったか調べていませんけれど、どうやら特にコックニー的な方言的意味合いがあったようにも思われず)20世紀にも使われていたという記述です。少なくとも "What's the odds?" という前半部分は、現在の英和辞典に載っている成句です。

   エリック・パートリッジは、1970年代まで生きたとはいえ、コンピューター以前の辞書編集作業を偏執的に行なった人でした。それを補ったP. B. さんの、少なくともこの本での仕事は、今日のようなWEB の波をサーフィンして情報を漁るというところはどうやら、少なくともこの項目については見られないようです。
  今の世であれば、Rudyard Kipling が、Stalky & Co.  の前の短篇で使用していたこと、そして(アメリカのJean Webster の1912 年の Daddy-Long-Leggs で「英文古典」として引かれている表現はKipling と Du Maurier とも異なり)、1884年の R. M. Ballantyne の Dusty Diamonds Cut and Polished (1884) においてキプリングやデュ・モーリア以前に文学作品では用いられていた、ということが、インターネットを使って(容易にとは言いませんが、もしかすると不用意に)知られるのでした。
  で、キャッチフレーズですけれど、「はやりことば」という訳語を研究社の『リーダーズ英和辞典』が冒頭に与えていたことを初めて知ったのですが、そうなんすかねー。


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この本が迷子になっていたら (1) If This Book Should Ever Roam [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』1年目の7月にロック・ウィローからジュディーーが書いた手紙の中に、屋根裏に見つかった On the Trail  という本の扉に書き込まれていた少年の殴り書きが引用されています。――

Jervis Pendleton
If this book should ever roam,
Box its ears and send it home.

   「ジャーヴィス・ペンドルトン  もしもこの本が迷子になるようなことがあったら、びんたをくれてやってウチに連れ返してね。」 これは、今から25年前の夏に、ジュディーと同級・同室のジュリア・ペンドルトンのおじさん――つまりDaddy-Long-Legsその人――が病気療養でロック・ウィローに滞在していたときに読んでいた冒険小説に書かれたもの。当時彼は11歳ぐらいでした。署名の下の2行の文は "roam" と "home" が韻を踏んで、四歩格の韻文になっています。

  さすがジュディーに文章修行や文章指南を行なうあしながおじさん、と思いたいところですが、カリフォルニア時間の「June 29  縦読み acrostics」でも書いたように、コトバの表音文字的意味だけでなく音の詩的な面に意識を向ける教育が小学校から今でも行なわれています。

  そして、eBay に出品された20世紀初頭の読本に、同様の注意書きが書かれたものがありました。――

WS000026.JPG

   "Still has original owner[']s quaint penmanship on the inner first page: 'If this book should ever roam, Box its ears and send it home.'"

     この本は(も)ジャーヴィス・ペンドルトンの蔵書だったのでしょーか?w

     しかし調べてみると、(a) 蔵書票 (ex libris) に書かれる文句としてもあるけれど、(b) 子供の教科書類に書かれるコトバとして、つまり大人より子供のセリフとして伝統的にあったようです。

(a)-1  "The Graphic Art of the Bookplate" [2009.4.15] <http://www.facebook.com/note.php?note_id=109827580872> American Society of Bookplate Collectors & Designers さん facebook――

A bookplate performs that function and much, much more.  It not only provides evidence of ownership but also clues as to the owner’s personality and aesthetic sensibilities as well as an appeal to the conscience of borrowers and others, frequently expressed in verse.

     If this book should dare to roam,
     Box its ears and send it home.

     If you borrow, freely use it,
     Take great care and don’t abuse it:
     Read, but neither lose nor lend it,
     Then unto the owner send it.

     It would be a good thing to buy books,
     If we could also buy the time to read them.

     Steal this book for fear of shame,
     For here you see the owner’s name.

(a)-2  "Book inscriptions" <http://www.funtrivia.com/ubbthreads/showflat.php?Cat=0&Number=216012&an=0&page=5> FunTrivia Community Forums: Book inscriptions 〔古い本に "If this book should ever roam, box its ears and send it home."  という書き込み inscription を見つけて、その後自分の蔵書に書き込んでいる人の書き込み〕

(b)-1 

Written admonitions to discourage the theft of textbooks are common, usually scribbled on the flyleaf or endpapers.  This one is from northeastern Missouri:

     If by chance this book should roam,
     Box its ears and send it home. 

    これは The Journal of Americal Folklore, Vol. 63, no. 250 (Oct.-Dec., 1950), pp. 425-37 に載った Ruth Ann Musick and Vance Randolph の "Children's Rhymes from Missouri" というローカルな伝承の研究論文。でも、ヴァリエーションはいろいろあるとはいえ、ミズーリだけのものではないです。  

(b)-2   ねこばんいいそう <http://www.hh.iij4u.or.jp/~m-asada/ISaw.html> ・・・・・・110 番をごらんください。

  それから、Casey Dwyer さんの "Folklorist: A Collection of Folk Songs" というページは、いちおうこの文句を採用し、次のように記述しています。――

If This Book Should Chance to Roam

Author: unknown
Earliest date: 1934 (Henry)
Found in: US(Ap)
Keywords: nonballad

Description

"If this book should chance to roam, Box its ears and send it home."

Notes

This sounds more like a bookplate than a song, but I index it in the absence of better data. - RBW

References

  1. MHenry-Appalachians, p. 238, (no title) (1 short text)
  2. Ballad Index, MHAp238C, "If This Book Should Chance to Roam"

    しかし、どうやらアメリカ合衆国植民地時代にまでさかのぼる古い韻文であるらしいのでした。

    つづく。

  

------------------------------------------------
urls

Folklorist <http://trad.appspot.com/search>

 

 


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この本が迷子になっていたら (2) If This Book Should Chance to Roam [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』1年目の7月にロック・ウィローからジュディーーが書いた手紙の中に、屋根裏に見つかった On the Trail  という本の扉に書き込まれていた少年の殴り書きが引用されています。――

Jervis Pendleton
If this
book should ever roam,
Box its ears and
send it home.

   「ジャーヴィス・ペンドルトン  もしもこの本が迷子になるようなことがあったら、びんたをくれてやってウチに連れ返してね。」 これは、今から25年前の夏に、ジュディーと同級・同室のジュリア・ペンドルトンのおじさん――つまりDaddy-Long-Legsその人――が病気療養でロック・ウィローに滞在していたときに読んでいた冒険小説に書かれたもの。当時彼は11歳ぐらいでした。署名の下の2行の文は "roam" と "home" が韻を踏んで、四歩格の韻文になっています。〔「この本が迷子になっていたら (1) If This Book Should Ever Roam」 [Daddy-Long-Legs]

Don'tWhistleinSchool.jpg
Ruth Tenzer Feldman, Don't Whistle in School (1991)

   ルース・テンザー・フェルドマンという女性の『学校で口笛を吹くな――アメリカの公立学校公学校と訳してみようと思ったら、日本(語)では歴史的な意味があるのかしら〕の歴史』 という100ページ足らずの本の第1章「新世界のABC (New World ABCs)」に、18世紀後半に初版が出て長らくアメリカの小学校の教科書として用いられた『ニューイングランド初等読本 New England Primer』 についての一節があります。

Used in both church and school, primers were originally prayer books with an alphabet added.  The most popular primer throughout the colonies was The New England Primer, which first appeared in about 1690.  It included rhymed alphabets, religious essays and poems, and instructive questions and answers.  Most homes had a copy of this primer; adults read it, too.  Students had to buy their own primers, and they often wrote warnings like this one on the inside front page:

    Isaac Greenwood is my name,
    Steal not this book for fear of shame.
    And if this book should chance to roam,
    Just box its ears and send it home.
  [Ruth Tenzer Feldman, Don't           Whistle in School: The History of America's Public Schools (Minneapolis: Lerner Publications, 2001), p. 12]

  1690年ごろと書いてあるけれど、1683年が初版みたい(年表)。韻を踏んだ宗教的な詩行でアルファベットを教えたり、教義問答ふうというか、聖書に関するQ&A みたいなものを含んでピューリタニズムの教えを伝えるのにも力のあった教科書ですけれど、各家庭に一冊あって、大人もそれを読んだし、/〔ここのところのつながりがよくわかりませんが、たぶん意訳すると〕生徒たちはひとりひとりが教科書をもたねばならず、それで、しばしば扉に次のような注意書きをしたためた。――

        アイザック・グリーンウッドが我が名前
        この本を盗まんとする者は恥を知り給え
        この本がたまたま迷子になっていた際
        びんたをくれるだけで家まで送って下さい

  New England Primer は改訂を加えながらも19世紀まで用いられる大ベストセラーですけれども、19世紀も後半になるとよかれあしかれ世俗的な読本が一般化するようになります(これについては機会があれば具体的に紹介するかもしれません)。

  このフェルドマンの本は、どうやら小学校上級からの読み物として、児童向けないし青少年向けに書かれているようで、情報的に不確かなところがあるのですけれど――つまり、この書き込みはいつごろからあるのか、という点です――クリフトン・ジョンソン(1865-1940)という好事家が1904年に出版した『昔の学校と教科書』(ニューヨーク&ロンドン、マクミラン)には、18世紀末から19世紀前半の書き込みの実例が出てきます。途中をはしょりつつも、例が面白いので長めに引用します。――

The first thing the youthful proprietor of a book was likely to do was to mark it with his name.  Usually he put his signature on the front fly-leaf, but he might write it on the final fly-leaf, or almost anywhere else in the book.  Sometimes he lettered

WS000035.JPG
A Signature.  From a Dilworth's Schoolmaster's Assistant.

it outside on the cover, or even on the edges of the leaves.  Various common forms of name inscriptions are given below.  They exhibit considerable originality in spelling and in punctuation or the lack of it, and are transcribed just as they were written.

William Ornes 1779 〔たぶん Ornes = Orne's〕

Elisa Lee,s property 〔Lee, s = Lee's〕
cost of it 3/ Hartford ioth Dec 1798

Allen m Shepherds 〔m = M.〕
Book and pen the year
1831 augest 17 〔augest = August〕

Jonathan Colton owner 1807

Ella Morrill is my name 1828

Mifs Jane Elizabeth Smith her book 〔f じゃなくて long s でMiss です〕
Price 37 1/2 Cnts January 1st 1833 〔Cnts = Cents〕

Mifs Nottinghams Seminary for Young ladies

[. . .]  Frequently the names were accompanied by verses such as :―

WS000036.JPG
A Warning.  From a Dwight's Geography, 1802.

〔Steal not the [this] Book
For fear of Shame
For hear [here] you read
The owners [owner's] name
Asa Stabbin's Book〕

If this book should chance to roam
Box its ears and send it home.


Steal not this book, for if you do,
Tom Harris will be after you.

Steal not this book for fear of strife
For the owner carries a big jackknife.

Steal not this book my honest friend
for fear the gallos will be your end
The gallos is high, the rope is strong,
To steal this book you know is wrong. [Clifton Johnson (1865-1940), Old-Time Schools and School-Books (New York: Macmillan, 1904), pp. 152-154]

    状況証拠でしかないのですけれど、 "Steal not this book/ For fear of shame" という、先の本で組み合わさっていた詩行が1802年のものとして出てくることなど考えると、遅くとも18世紀末には――前の記事に並べた例に見られるようにヴァリエーションをやがてふくらませつつも――一般化していた文句ではなかったのか、と思われ。『あしながおじさん』の設定では、1880年代だと想像されるのですが、そのとき既に少なくとも100年は書き続けられてきた文句ではなかったかと。

まだつづくかも

----------------------------------------------------
Learner Publications Group <http://www.lernerbooks.com/cgi-bin/books.sh/lernerpublishing.p>

Clifton Johnson, Old-Time Schools and School-Books (New York: Macmillan, 1904) : E-texts at Internet Archives <http://www.archive.org/search.php?query=Old-Time+Schools+and+School-Books+>

 


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マーサ・ワシントン・ホテル the Martha Washington Hotel (Hotel Martha Washington) [Daddy-Long-Legs]

marthawashingtonhotelwomen.jpg 
The Martha Washington Hotel, 29 E. 29th St. between Madison and Park Ave. South (1987) image via "14 to 42 - 29th Street" <http://www.14to42.net/29street2.html>

 

『あしながおじさん』の2年生の3月の末の手紙("March 24th/ maybe the 25th" と頭書きされているけれど、28日)で、4月にニューヨーク市にジュリアとサリーと一緒に買物と観劇に行くことを報告する文章で、ジュリアは市内の実家に泊まるけれど、サリーと自分は Martha Washington Hotel に宿泊するとジュディーは書いています。――

And lastly: Julia and Sallie and I are going to New York next Friday to do some spring shopping and stay all night and go to the theater the next day with "Master Jervie."  He invited us.  Julia is going to stay at home with her family, but Sallie and I are going to stop at the Martha Washington Hotel.  Did you ever hear of anything so exciting?  I've never been in a hotel in my life [. . .].  (Jean Webster, Daddy-Long-Legs [Elaine Schowalter, ed. with an Introduction and Notes, Penguin Books, 2004], p. 63)

   マーサ・ワシントン・ホテルは、1902年につくられた実在のホテルで、初の女性専用ホテルとして1903年3月2日に開業したようです。アメリカ合衆国初代大統領夫人 Martha Washington の名を冠した事情はよくわかりませんが、この名の旅館はヴァージニアとかにもあるみたい。初代大統領のファーストレディーということは、アメリカ最初のファーストレディー the first First Lady of the United States ということです。か。

File:Martha washington stamp.JPG
Martha Dandridge Custis Washington (June 2, 1731 – May 22, 1802)  1938 年発行の切手 image via Wikipedia

  WEB で画像を探すと、1911年の消印のある絵葉書が、ebay に現在出品されています。――

marthawashington(1911).jpg 
"Hotel Martha Washington E 29th St New York City NY 1911" by Moody Mommy's Marvelous Postcards Ebay Store <http://cgi.ebay.com/HOTEL-MARTHA-WASHINGTON-E-29TH-ST-NEW-YORK-CITY-NY-1911_W0QQitemZ390070700092QQcmdZViewItemQQimsxZ20090718?IMSfp=TL090718134006r29543>

   赤字で書かれた text を書き写してみます。――


HOTEL MARTHA WASHINGTON
29 EAST 29TH ST.
ONE BLOCK EAST OF FIFTH AVE.
NEW YORK

For women guests only.   Restaurant and Tea Room a la carte for men and women.  House Fire-Proof.  450 Rooms―$1.50 to $5.00 perday with or without baths.  Free baths on each floor for the use of guests.  European plan only.
SOUVENIR POST CARD CO., N. Y.   Phone, 6500 Madison      A. W. EAGER

   ホテル・マーサ・ワシントン
29丁目東29 
5番街より1ブロック東
女性客専用。アラカルトのレストランとティールームは男女共利用可。耐火建築。450室――一泊1.50ドルから5ドル。バス付き・バスなし。各階に宿泊客用のバスルームあり。ヨーロピアン・プランのみ。〔ヨーロッパ式というのは、室料のみで、食事代やサーヴィス料は別途ということです〕

  同じ 写真の絵葉書で、1907年の消印のものがニューヨーク・パブリック・ライブラリーにあります。――

marthawashington(1907).jpg
"Image ID: 836677 Hotel Martha Washington. (ca. 190-)" NYPL Digital Gallery <http://digitalgallery.nypl.org/nypldigital/dgkeysearchdetail.cfm?trg=1&strucID=1017061&imageID=836677&total=1&e=r>

   値段とか情報は同じで、ただ絵葉書屋が "Tha Platinachrome Co., NY" という違いみたい(結果、色が違います)。

  冒頭に掲げた写真を借りてきた Walter さんの "New York City Signs: 14th to 42nd Street" というページは、街の看板類を網羅しようというサイトなのですが、上の写真(レストランは男女ということが壁面に書かれています)は東側の四番街から撮られたものだそうです。絵葉書は西のマディソン・アヴェニュー側から撮られています。もう1枚同じ方向からの絵葉書(いつごろのものか不明)――

marthawash-post.jpg

  いつごろのものか不明ですが、料金的にはあがっており、さらにマジックやスタンプ(?)で訂正が加えられています。

Modern                             Fireproof
          MARTHA WASHINGTON HOTEL
                (For Women)
29 East 29th St.  NEW YORK CITY  30 East 30th St.

      Ideal for women and girls traveling alone.  Hostess and chaperon in attendance.  Rooms with running water  $1.50 per day up; with private bath $ 2. 00 per day up.  Attractive weekly rates.  Splendid restaurant for men and women.

         Rates now $2.50  per day up.

   個室にバスルームがある部屋は1日2ドル増し→現在は2.5ドル増し、という訂正です。

  こちらのハガキの情報には、ひとり旅の女性に理想的で、面倒をみてくれる女性たち(女主人――前の絵葉書の最後にあった A. W. Eager というのは 男でArthur W. Eager という所有者の名前のようですが――のほかに付添いの女性chaperon)がいることが書かれています。だからジュディーにも安心ホテルだったのでしょうね。あしながおじさんのハカライかもしれませんが。

  あー、1910年代の写真を見ると、なんとなく雰囲気がわかります。――

2163914098_9f905c09a9_o.jpg
(クリックで拡大)George Grantham Bain Collection, "Oregon girls in N.Y." Bain News Service, publisher [between 1910 and 1915] image via flickr, Uploaded on January 3, 2008
by The Library of Congress <http://www.flickr.com/photos/library_of_congress/2163914098/>

 

   それから、先の絵葉書の情報には週単位だとどうやら割引になるらしいことも挙げられていますが、ウィークリー値段というのは、1988年の広告に出ています・・・・・・料金は数百倍に跳ね上がってますけれど。――

 

marthawashington1988-NewYorkTimes_ad.jpg
image via "14 to 42 - 29th Street"

  このマーサ・ワシントン・ホテルはやがて、いわゆるレジデント・ホテルとして利用する滞在者が多くなり、2003年、すなわち創立100年後にホテルが Hotel Thirty Thirty に名前を変え、たぶん経営が変わったときに、長期滞在者(含おばあさんがた)とのあいだで一悶着あったようです――New York Times の記事 “New Landlord, Old Tenants, Hard Questions” (Feb. 27, 2000)――http://www.nytimes.com/2000/02/27/realestate/new-landlord-old-tenants-hard-questions.html?pagewanted=1 )。


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デビルダウンヘッド (1)  Devil Down-Head [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』の2年生の8月10日に農場のロックウィローからジュディーが書いた手紙の冒頭、柳の木に登った様子を書いたなかに、幹を猛スピードで上下する "devil down-heads" というのが出てきます。――

I address you from the second crotch in the willow tree by the pool in the pasture.  There's a frog croaking underneath, a locust singing overhead and two little "devil down-heads" darting up and down the trunk. 

アラウタダヒカルマダガスカルサンに手元にある訳を並べてみちゃったりしてみます。ついでながら、前後、少し長めに、二段落ほど引用してみます。訳者の文体の特徴がわかるように、というのがひとつ、あとはニューヨークがらみがふたつめ、もうひとつは天国への言及のため。――

■日本語訳 Translations in Japanese

(1) 遠藤 1961
   八月十日
  あしながおじ様[さま]
牧場[ぼくじょう]の水たまりのそばに立っている、ヤナギの木の二番[ばん]目のまたから申[もう]しあげます。下にはカエルがなき、頭[あたま]の上にはセミがうたっています。小さなリスが二匹[ひき]、幹[みき]をかけあがったり、かけおりたりしています。あたしはもう一時間も前からここにきていますの。たいそうすわりぐあいのいい木のまたで、長いす[「いす」に傍点]のクッションを二枚[まい]しいてから、なおさら、ぐあいがようございます。あたしは、ペンと便箋[びんせん]をもって不朽の名作[めいさく]を書こうと思って、ここへきたのですけど、さっきからあたしの女主人公[ヒロイン]には、ほとほと困[こま]って――あたしはその女主人公[ヒロイン]を、あたしの思うとおりにふるまわせることが、どうしてもできないのです。それでちょっと彼女[かのじょ]を、うっちゃらかしておいて、あなたに手紙を書きかけました。(でも、これだって、たいした気ばらしにははなりませんわ。やっぱりあたしは、あなたをじぶんの意[い]のままにふるまわせることができませんもの。)
  もしあなたが、あのいやなニューヨークにいらっしゃるのなら、この美[うつく]しい、そよ風のふく、日に照[て]り輝[かがや]いてる景色[けしき]を少しばかりお送[おく]りできたらと思いますわ。いなか
[「いなか」に傍点]は雨が一週間ふったあとは、まるで天国[てんごく]です。

   遠藤寿子(えんどう・ひさこ)=訳
   a.あしながおぢさん』岩波書店、岩波文庫 1933-08-05(昭和8)
   b.あしながおじさん』 岩波書店、岩波少年文庫; 岩波文庫改版 1950(昭和25)
   c.あしながおじさん』岩波書店、岩波少年少女文学全集12 1961-10-10(昭和36)
   引用はc. に拠りました(p.86)。


 

(2) 松本 1954(本が出てきたらアップします 8月4日夜追加しました

   八月十日
  牧場の池のそばの柳の木の二番目のまたからお便り申上げます。足もとでかえるがなき、頭の上ではせみが歌い、幹にはいたずら者の小りすが二ひき勢いよくかけ上ったり、かけ下りたりしております。
  私はもう一時間もここにいるのです。大そう坐り心地のいい木のまたで、長椅子のクッションを二枚もってきて敷いたので、なおさら具合がよくなりました。私は不朽の名作を書くつもりで、ペンと紙を持ってここへ来たのですが、私はその中の女主人公には手を焼いています。どうも私の思うように振舞ってくれないんですもの。それでそのほうは一時放っておいて、おじ様にお手紙を書くことにいたしました(これも大して私の気持を安らかにしてはくれません。おじ様にだってやっぱり私の思うように振舞わせることができないんですもの。)
  もしおじ様が今あのおそろしいニューヨークにいらっしゃるのでしたら、風薫[かお]り日光輝くこの美しい眺めの一部分でも送ってさしあげたいとぞんじます。一週間の雨に洗われた田園はまさに天国でございます。 (pp. 117-18)

   松本恵子(まつもと・けいこ: 青山女学院英文専科卒, 1891-1976)=訳
   『あしながおじさん』 新潮社、新潮文庫 1954(昭和29-12-25)


    

(3) 厨川 1955
   八月十日
  あしながおじ上様
拝啓  牧場の池の傍[そば]にある柳の木の二つ目の叉[また]でこの手紙を書いております。下では蛙が鳴き、上では蝉[せみ]が鳴き、幹では小りすが二匹、かけ上がったりかけおりたりしています。私は一時間も前からここに上っています。とても居心地のいい叉よ。特に長椅子のクッションを二つ備えつけてからってものは、なおさら。ペンと用箋を持って上りました。不朽の短篇を書こうと思ってね。ところが女主人公がどうもうまくゆかないので閉口[へいこう]しました――どうしても私の思い通りに彼女を動かすうことができないの。そこでちょっとの間、彼女のほうはあきらめて、おじさんに手紙を書いているというわけです。(でも、これもあんまり慰めにならないわ、おじさんも、やはり私の思う通りに動かすことのできない人なんですものね)
  もしおじさんが今、あのごみごみしたニューヨークに住んでいらっしゃるのなら、この美しい、そよ風の吹く、日当りのいい眺めを送って差し上げたいくらい。一週間も雨の降った後の田舎[いなか]といったら、本当に天国のようよ。 (pp. 129-130)

   厨川圭子(くりやがわ・けいこ: 津田英学塾卒、慶應義塾大学文学部英文科卒, 1924年生まれ)=訳
   『あしながおじさん』 角川書店、角川文庫 1955-10-05(昭和31)


 

(4) 中村 1966
   八月十日
  あしながおじさま
  農場の池のそばにある柳の木の、二番目のふたまたの上からお便り申し上げます。下では蛙[かえる]が鳴き、上では蝉[せみ]が鳴き、また小さいきつつきが二匹、幹[みき]を上ったり下ったりしておりますの。もう一時間くらいここにおります。とてもこの木のまたは居心地がいいんですの。ことにソファ・クッションを二つ備えつけたものですから。わたしは不朽[ふきゅう]の短篇を書く意気込[いきご]みで、ペンと紙を持って上がってきたのですけれど、そのヒロインに閉口[へいこう]させられました。――私の望むようには、どうしても彼女を行動[こうどう]させられないんです。それでしばらく彼女を放ったらかして、あなたに手紙を書くことにいたします(もっともこれも、あまりなぐさめではありませんけれどね。あなただってやはり、わたしの望むようには動かせられないんですから)。
 あなたがあのおそろしいニューヨークにいらっしゃるとすれば、この美しい、風そよぐ晴れた日の眺[なが]めをお送りできたらと思います。一週間の雨のあとの田園[でんえん]は天国ですわ。
 (p. 121)

   中村佐喜子(なかむら・さきこ: 日本女子大学本科英文学部卒, 1909年生まれ)=訳
   a.あしながおじさん』 旺文社文庫 1966(昭和39)
   b.あしながおぢさん』旺文社文庫特装版 1970-07-01(昭和45)
   引用はb. に拠りました。

 

(5) 恩地 1975, 改訂1985
     八月十日
  あしながおじさま
  牧場[ぼくじょう]の池のほとりのヤナギの、下から二段[だん]めの木のまた[「また」に傍点]よりおたよりもうしあげます。下にはカエル、上にはセミがなき、小さなリス二ひきが幹[みき]をのぼったりおりたりしています。
  もう一時間[じかん]ちかくもこうしているのです。この木のまたはすごくすわりごこちがよく、ソファーのクッションをふたつあてがったので、とびきりいいぐあいです。
  ここへくるときには、文学史[ぶんがくし]にのこるような短編小説[たんぺんしょうせつ]を書くつもりで、ペンと原稿用紙[げんこうようし]をもってきたのですが、その女主人公[おんなしゅじんこう]ですっかりてこずってしまったところです。彼女[かのじょ]は、わたしののぞむようにうごいてくれないのです。それで、一時[いちじ]彼女をほっといて、おじさまに手紙を書きだしてしまいました(でも、これもたいした気やすめにはなりません。だって、おじさまもやはり、わたしの思うようにはうごいてくださいませんもの)。
  おじさまが、いまあのおそるべきニューヨークにおいででしたら、このすばらしい、そよ風のわたる、さんさんと日のてっている光景[こうけい]をおおくりできたらな、と思います。一週間[しゅうかん]雨がつづいたあとの田園[でんえん]は、まるで天国[てんごく]です。
 (p. 170)

   恩地三保子(おんち・みおこ: 東京女子大学英文科卒, 1917-84)=訳
   a.あしながおじさん』 偕成社文庫 1975-12(昭和45)
   b.あしながおぢさん』偕成社文庫改訂版4005 1985-10(昭和55)
   引用はb. に拠りました。


 

(6)  谷川 1988
あしながおじうえ殿[どの]                              八月十日
拝啓[はいけい]  牧場[ぼくじょう]の池のほとりに立つ、ヤナギの木の二番目のまたより一筆啓上[いっぴつけいじょう]。下ではカエルが鳴[な]き、上ではセミがうたい、二ひきの小さなリスが、幹[みき]をすばしっこく上下しています。
  一時間もまえからここにいます。たいへんすわりごこちのいい木のまた、とくにソファのクッションを二枚しいてからは。ペンとメモ帳[ちょう]をもって、不朽[ふきゅう]の短編小説[たんぺんしょうせつ]をものそうとあがってきたのですが、わたしのヒロインにはほとほと手をやいてます――わたしの思いどおりに行動[こうどう]してくれないの。そこでしばらくかの女をうっちゃらかしにして、この手紙を書いているところ。
  (これも五十歩百歩、あなたにしたってわたしの思うようにふるまわせることはできませんから)
  あなたがあのものすごいニューヨークにいらっしゃるのでしたら、この美しい、風かおる、お日さまでいっぱいのけしきをすこしおくってあげたい。一週間雨がふって、いまや田園はまさに天国。
 (pp. 142-44)

   谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう: 1931年生まれ)=訳
   『あしながおじさん』 理論社、フォア文庫 1988-03(昭和63)

 

(7) 早川 1989
   八月十日


  あしながおじさま
  前略[ぜんりゃく]  牧場[ぼくじょう]の池のほとりにある、ヤナギの木の二番目のまた[「また」に傍点]に腰かけて、書いています。下ではカエルが鳴き、頭の上ではセミの大合唱[だいがっしょう]二匹[ひき]のわんぱく子リスたちが、ちょろちょろと幹[みき]をかけのぼったりおりたりしています。
  もう一時間も、ここにこうしています。この木のまたは、とてもぐあいがよくて、とくにクッションを二つあたがってからはすわり心地満点[ごこちまんてん]です。
  珠玉[しゅぎょく]の掌編[しょうへん]とやらをしたためるつもりで、ペンと紙をもってよじのぼったのですが、どうしてもヒロインが思いどおりに動[うご]いてくれず、悪戦苦闘[あくせんくとう]のあげく、結局[けっきょく]、彼女[かのじょ]のことはしばらくほうっておいて、おじさまに手紙を書くことにしました(だからといって、すっかりわたしの気が晴れたわけではありません。おじさまだって、なかなかどうして、わたしの思いどおりに動いてはくださいませんもの)。
  今、おじさまが、あのごみごみしたニューヨークにいらっしゃるのでしたら、すがすがしい風と日の光があふれる、このすばらしい景色[けしき]を届[とど]けてさしあげたい。一週間ふり続[つづ]いた雨があがり、こちらはまさに、天国そのものです。
(pp. 177-79)

   早川麻百合(はやかわ・まゆり: 立教大学文学部英米文学科卒, 1955年生まれ)=訳
   『あしながおじさん』 金の星社、世界の名作ライブラリー2 1989-05(平成元)

 

(8) 岡上 1989
   八月十日
  牧場にある池のそばの、ヤナギの木の二番目の二またの上から、お便[たよ]りします。足下ではカエルが鳴き、頭の上ではセミが鳴き、[みき]にはリスがかけ上がったり下りたりしています。わたしはもう一時間もここにおります。ソファ・クッションを二枚[まい][そな]えつけたので、なおさらここは居心地[いごこち]がよくなりました。
  わたしは不朽[ふきゅう]の名作を書こうとペンと紙を持って来たんですけど、そのヒロインに手を焼[や]きました。どうもこちらの思うようには、ふるまってくれません。そこでかの女のことはあきらめて、おじさまに手紙を書いているんです(といって、おじさまもわたしの希望[きぼう]どおり動かせられませんから、わたしの気持ちは安らぎませんけど)。 
  おそろしいニューヨークにいらっしゃるおじさまに、この心地[ここち]よい美しい明るいながめの一部を送ってあげることができたらと思います。一週間の雨がやんだあと、ここはまったく天国になりました。(p. 157)

   岡上鈴江(おかのうえ・すずえ: 日本女子大学英文学部卒, 1913年生まれ)=訳
   『あしながおじさん』 春陽堂、くれよん文庫 1989-05-25(平成元)

 

(8) 曾野 1989
    八月十日
    あしながおじさま
  牧場[ぼくじょう]の池[いけ]のほとりにはえている柳[やなぎ]の木[き]の二番[ばん]めのまた[「また」に傍点]から申[もう]しあげます。足下[あしもと]ではかえるが、頭[あたま]の上[うえ]ではせみがないていますし、[ちい]さなりすが二ひき、幹[みき]をかけあがったり、かけおりたりしています。
  わたしはもう一時間[じかん]もここにいます。とてもすわりごこちのいい木[き]のまたで、長[なが]いすのクッションを二枚[まい][も]ってきてしいたので、なおさらいいぐあいです。わたくしはとてもすばらしい物語[ものがたり]を書[か]くつもりで、ペンと紙[かみ]を持[も]ってここにきたのですが、さっきから
ヒロインをわたくしの思[おも]うようにすることができません。それで、そちらをすこしほうっておいて、おじさまにお手紙[てがみ]を書[か]くことにしました。(これもたいして気晴[きば]らしにはなりません。やっぱりおじさまも、わたくしの思[おも]うようにすることはできませんもの。)
  もしおじさまがあのおそろしいニューヨークにおいでになるのでしたら、この美[うつく]しい、そよ風[かぜ]の吹[ふ]く、明[あか]るいながめをすこしばかりお送[おく]りしたいと思[おも]います。一週間[しゅうかん]、雨[あめ]がふりつづいたあとの田舎[いなか]は、まるで天国[てんごく]のようです。 (pp. 149-50)

   曾野綾子(その・あやこ: 聖心女子大学英文科卒, 1931年生まれ)=訳
   『あしながおじさん』 講談社、青い鳥文庫 1989-12-10(平成元)

 

 

(10) 谷口 2004(本が出てきたらアップします)
   谷口由美子(たにぐち・ゆみこ: 上智大学外国語学部英語学科1972卒)=訳
   『あしながおじさん』 岩波書店、岩波少年文庫 2004(平成14)



   旺文社文庫の中村佐喜子だけが「きつつき」と訳し、他は(新潮文庫も新しい岩波少年文庫も)「リス」ないし「りす」と訳しています。講談社英語文庫の注釈も並べておきます。――

(11) 瀬戸武雄注釈、ジーン・ウェブスター『DADDY-LONG-LEGS』 1991

the second crotch in the willow tree 柳の木の2番目のまた
"devil downheads" 「小リス
trunk (木の)幹
tablet 用箋
abandon~for the moment ~を一時放っておく

  しかし、どうやら、リスではなくて鳥であり、そしてキツツキでもないらしいのです。つづく~

 

■英語原文 The original English text

August 10th.   

Mr. Daddy-Long-Legs,

     SIR: I address you from the second crotch in the willow tree by the pool in the pasture.  There's a frog croaking underneath, a locust singing overhead and two little "devil down-heads" darting up and down the trunk.  I've been here for an hour; it's a very comfortable crotch, especially after being upholstered with two sofa cushions.  I came up with a pen and tablet hoping to write an immortal short story, but I've been having a dreadful time with my heroine―I can't make her behave as I want her to behave; so I've abandoned her for the moment, and am writing to you.  (Not much relief though, for I can't make you behave as I want you to, either.)
     If you are in that dreadful New York, I wish I could send you some of this lovely, breezy, sunshiny outlook.  The country is Heaven after a week of rain.
     Speaking of Heaven――do you remember Mr. Kellogg that I told you about last summer?―the minister of the little white church at the Corners. [. . .]  (Penguin Classics版, pp. 76-77)

   Daddy-Long-Legs (1912)
   by Jean Webster (Alice Jane Chandler Webster, 1876-1916)
   E-text at:
   * Project Gutenberg
   * University of California Libraries 
   * Wikisource


参考url―

岩波書店児童書全目録 1913-1996 刊行順 <http://fetish-jp.org/ascat/jidou/iwazen.html>


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デビルダウンヘッド (2) Devil Down-Head [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』の2年生の8月10日に農場のロックウィローからジュディーが書いた手紙の冒頭、柳の木に登った様子を書いたなかに、幹を猛スピードで上下する "devil down-heads" というのが出てきます。――

I address you from the second crotch in the willow tree by the pool in the pasture.  There's a frog croaking underneath, a locust singing overhead and two little "devil down-heads" darting up and down the trunk

   前の記事で書いたように、この生き物は、既訳のほとんどでリスと取られています(例外は旺文社文庫で、キツツキでした)。それで、著者のジーン・ウェブスターの挿絵を(全面的に)採用していない版は、わざわざリスが2匹駆けるさまを絵にして挿入しています。

  フォア文庫の長新太の絵では、地面に近い部分が描かれておらず、よってカエルも一番目の木のマタも見えませんが、セミが一匹と飛ぶようなリスが二匹、ちゃんと描かれています。

FourBunko.jpg

   金の星社の世界の名作ライブラリー2 の『あしながおじさん』は表紙にはアニメっぽい漫画風の絵が使われていて、裏表紙のほうは、木登りをして文章を練っているらしいジュディーの画像が採用されていて、あるいはNHKだかのアニメなのかしら、と思われますが、本文中の、石原美和子による挿絵は、柳の木の根から描かれていて、二番目の木のマタに腰をおろしたジュディーの左右上方に、見守るようすでリスが書き込まれています。

KinnoHoshi-IshiharaMiwako.jpg

  devil down-head は、英和辞典に見つからないコトバです。そして、オクスフォード英語大辞典(OED) にもウェブスター国際版 (W1, W2, W3) にもない、ようです。冊子媒体で見つかるのは、少なくともモーリちゃんの父が目にするような英語辞典の中では、Frederick Cassidy 編集のアメリカの新しい方言辞典、Dictionary of American Regional English [DARE](4vols. to date: A-C: 1985; D-H: 1991; I-O: 1996; P-Sk: 2002)のみです。この、Harold Wentworth のAmerican Dialect Dictionary [ADE] (1944) 1巻本以来となるアメリカ最初の方言大辞典は、たぶん全5巻で完結するのではないかしらとしか思われませんが、第1巻刊行以来25年が過ぎようとしています(Wikipedia の記事)。ともあれ1991年に出た第2巻に "devil down-head" は載っています。写しが見つからず(汗)、あとから補いますけれど、頭を下にして木を駆け下りる様子からこの名前がついたという説明があり、white-breated nuthatch または red-breasted nuthatch のこと、という記述だったと思います。この語については分布を示す地図とか、あるいは地域的な指示とか、なにもないのでしたが、ともかく、nuthatch のことを言うアメリカの方言である、ということは確かです。

  で、nuthatch というのは、英和辞典的、日本語置き換え的には、《鳥》ゴジュウカラ〈=nutpecker, tree runner〉 です。

  ○devil down-head のことだよ、という記述を含むページふたつ――
"Red-breasted Nuthatch: Sitta canadensis" <http://www.birdnature.com/rednut.html> 〔The Nutty Birdwatcher - Eastern US Birds 内〕
"White-breasted Nuthatch: Sitta carolinensis" <http://www.birdnature.com/whitenut.html> 〔同上〕

  ○写真の豊富なようなページ――
"White-breasted Nuthatch - South Dakota Birds and Birding" <http://sdakotabirds.com/species/white_breasted_nuthatch_info.htm> 〔Terry Sohl さんのページ〕

  昨年Internet Archives で公開されてからたいへん評判を呼んだらしく、22000超ダウンロードされている、Chester A(lbert) Reed (1876-1912) の The Bird Book (1914) には手描きの絵がたくさん載っておるのですが、"devil down-head" のことだよという情報はないけれども、くわしい記述があります。――

WS000044.JPG
<http://www.archive.org/stream/birdbookillustra00reedrich>

  鳥のことには詳しくありませんが、キバシリというおもむきの鳥なのかと思われ。このReed 氏の記述によれば、アメリカ合衆国での分布はロッキー山脈の東側。巣穴の高さはいろいろ。キツツキが去ったあとの木穴を巣として利用するのが通例だということです。もっともときに自ら穴を掘るとも言われているが、クチバシは小さくて、その用には向かないので大変だということです。もっともwoodpecker にも downy woodpecker みたいな小さい(クチバシも小さい)種類もあり、よくわかりませんが、ともかくいわゆるキツツキではないようです。それから日本のゴジュウカラ (五十雀)は Sitta europaea に分類されるもの3種ほどで、これはアメリカ大陸にいるものとは異なるようです。

white-breasted_nuthatch(BirdsofOurYard,atPresidentavenue).jpg
White-breasted Nuthatch image via presidentavenue.com "President Avenue, Lawrenceville, NJ"

   さて、それで、英語問題としては訳者(と注釈者)たちが何を根拠にリスとしたのか興味深いところなわけです。

  想像と推測でしょうか? 直前の手紙の終わりのところ(上の画像の一枚目のほうに載っている)でカエデの木のうろ(穴)にリスが住んでいるという記述があり、連想が働くのは自然かなあ、とも思われます。あとは既訳に右へナラエという感じだったのでしょうか。それでも旺文社文庫の中村佐喜子さんの訳が、意外と早い時期にキツツキとしていたわけで、それを見てあらためて気にかかるというようなことはなかったのでしょうか。いえ、誰がというのでなく。中村さんについては、アメリカ人に訊いたのだろうか、とか、実はご自身で見たことがあって、キツツキだと思ったのだろうか、とかいろんな想像が働き、別種の興味がわくのですが。


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天使と悪魔、天(国)と地(獄) Angels and Devils, Heaven (, Earth,) and Hell [Daddy-Long-Legs]

デビルダウンヘッド (1)  Devil Down-Head
デビルダウンヘッド (2) Devil Down-Head」のつづきです。

『あしながおじさん』の2年生の8月10日に農場のロックウィローからジュディーが書いた手紙の冒頭、柳の木に登った様子を書いたなかに、幹を猛スピードで上下する "devil down-heads" というのが出てきます。――

I address you from the second crotch in the willow tree by the pool in the pasture.  There's a frog croaking underneath, a locust singing overhead and two little "devil down-heads" darting up and down the trunk

  "devil down-heads" は、nuthatch の仲間のなかの、胸が白い white-breasted nuthatch と胸の赤い red-breasted nuthatch をいう、アメリカ方言で、どうやらロッキー山脈界隈の呼称であるらしいことがわかりました。今回は、思いつきを書いてみます。

  構図的には、地上ではカエルが鳴き、 頭上ではセミが鳴いている、そして上下運動をしている "devil down-heads" がいる、という絵です。英和辞典にもふつうの英語辞典にもいまだに載っていない方言を採用したのはなぜか、と考えてみると、名前がおもしろかったから、と想像されます。すなわち、悪魔がまっさかさまに下へ落ちていくという。

  次の段落で、 "The country is Heaven after a week of rain." (一週間雨の降った田舎は天国です) と言うジュディーは、さらにそのあと続けて、"Speaking of Heaven――do you remember Mr. Kellogg that I told you about last summer?―the minister of the little white church at the Corners." (天国と言えば――去年の夏に話したケロッグ氏のことを覚えていますか?――コーナーズの小さな白い教会の牧師さんです」と書き、ケロッグさんが亡くなったこと、でもケロッグさんが生前信じていたように、ハープと金の冠(harp and golden crown)を享受していることでしょう、と語ります。

  ここからは、天使論とか天国論とかいうよくわからない問題に入り込むので、いまのところ論証ははなはだ脆弱で、推論にとどめるしかないのですけれど――

  第一に旧約聖書の「詩篇」を起点としてダヴィデとハープと金の冠の結びつきの、たとえば絵画における図像学的な伝統があり、その「詩篇」は、人間と天使の近さを語るところがあります("4What is man, that thou art mindful of him? and the son of man, that thou visitest him?  5For thou hast made him [man] a little lower than the angels, and hast crowned him with glory and honour." (Psalms 8.4-5))。
KingDavidPlaystheHarp.jpg
The King David Plays the Harp

  第二に、天使論の流れのなかで、いわゆる(天上の)奏楽の天使群のなかにハープを奏でる天使というのが出てきます。
AngelwithHarp1.jpg
Angel with Harp

AngelwithHarp2.jpg

    第三に、(このへんがよくわからないところですが)、天使論の流れの中で、天使が変身して地上に人間として現われるとか(これのはっきりしている例はモルモン教のジョーゼフ・スミスの教理です)、逆に、人間が死後に天国で天使的な存在として形象化されるということが起こったように見えます。天使は無性(sexless) のはずだったのですが、人間的なジェンダーが付与されることになったりして。
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Angel with Harp (child)

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Angel with Harp (man)

AngelwithHarp(woman).jpg
Angel with Harp (woman)

  第四に、上の三つの画像でもそうなのですけれど、金の冠というのは、不死性ないし霊性の象徴であり、いわゆる halo (仏教的にいうと「後光」「後背」ですが、「頭光」、いまふうにいうと「オーラ」の一種、ですか)、と等価的なものとして図像化されるのだと考えられます。
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Crown of Immortality

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仏像ガールで人気沸騰中 <http://store.shopping.yahoo.co.jp/reform/001-o-31127.html>
 

     で、第五に、よくわからんのですけれど、たとえば、ジーン・ウェブスターのオオオジサンの Mark Twain の何度も何度も書き直されたらしい、トウェイン版死後の生の物語、"Extract from Captain Stormfield's Visit to Heaven" に次のような一節があったりするわけです。――

"A harp and a hymn-book, pair of wings and a halo, size 13, for Cap'n Eli Stormfield, of San Francisco! [. . .]" (ハープと讃美歌集、一対の羽とサイズ13号のハーローをサンフランシスコから来たキャプテン・イーライ・ストームフィールドに)

これは語り手のストームフィールドが、かつて地上でその葬儀に出席したTulare 郡のインディアンの Pi Ute が発した声でした。二人は再会を喜び、ストームフィールドは ハーローほかの"kit" を身に付けます。 

  というようなあいまいな論拠の上に、言いたいのは、この手紙の中で、冒頭の柳の木の記述を起点にして、死後の世界や天国やらについての思索が展開されていること。そして、その際に、devil down heads の上下運動が、イメジの振幅を前もって、いわばピューリタン的に言えば、予兆論・予表論的にあらわしていること、そして、ジュディー自身のふるまいとして、地上を少し離れた木のまたに座って、この世の上(天国)や下(地獄)に思いをいたしているだろうということです。

  実のところ、ケロッグ牧師の前年の説教は、ピューリタン的に、地獄をことさら強調するものでした。

  が、これについてはマタずれ、いやマタいずれ。

   と、あらぬ方向へ分裂してつづくかも。

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カリフォルニア時間の天使――<http://occultamerica.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E5%A4%A9%E4%BD%BF>

 

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つづきは「天(国)地(獄)人(間) (1) Heaven, Hell, and Man [Daddy-Long-Legs]」です。

そして、4年半後の2014年2月28日、「天使とヘルメス Angels and Hermes[魂と霊 Soul and Spirit]を書きました(といっても引用の織物の一部ですけど)。

 


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天(国)地(獄)人(間) (1) Heaven, Hell, and Man [Daddy-Long-Legs]

天使と悪魔、天(国)と地(獄) Angels and Devils, Heaven (, Earth,) and Hell」のつづきです。「実のところ、ケロッグ牧師の前年の説教は、ピューリタン的に、地獄をことさら強調するものでした。」と最後に書いた、そのケロッグ牧師の説教後の讃美歌について。

『あしながおじさん』1年目の7月にロック・ウィローからジュディーが書いた手紙の中で、屋根裏に見つかった On the Trail  という本の扉に少年ジャーヴィスによって書き込まれた警告文が引用されているのは日曜日の午後に書かれた部分ですが、そのすぐ前のところに、日曜日の説教を聴きに教会に出かけたことから神について考えた一節があります。

     We hitched up the spring wagon this morning and drove to the Center to church.  It's a sweet little white frame church with a spire and three Doric columns in front (or maybe Ionic--I always get them mixed).
     A nice sleepy sermon with everybody drowsily waving palm-leaf fans, and the only sound, aside from the minister, the buzzing of locusts in the trees outside.  I didn't wake up till I found myself on my feet singing the hymn, and then I was awfully sorry I hadn't listened to the sermon; I should like to know more of the psychology of a man who would pick out such a hymn.  This was it:

           Come, leave your sports and earthly toys
           And join me in celestial joys.
           Or else, dear friend, a long farewell.
           I leave you now to sink to hell.


     I find that it isn't safe to discuss religion with the Semples.  Their God (whom they have inherited intact from their remote Puritan ancestors) is a narrow, irrational, unjust, mean, revengeful, bigoted Person.  Thank heaven I don't inherit God from anybody!  I am free to make mine up as I wish Him.  He's kind and sympathetic and imaginative and forgiving and understanding--and He has a sense of humour.
     I like the Semples immensely; their practice is so superior to their theory.  They are better than their own God.  I told them so--and they are horribly troubled.  They think I am blasphemous--and I think they are!  We've dropped theology from our conversation.

   わたしたちは今朝スプリングつきの荷馬車に馬をつないでセンター〔the Center〕の教会へ行きました。かわいらしい白い木造の小さな教会で尖塔がひとつと正面にはドーリア式の円柱が3本あります(もしかしたらイオニア式かも――いつもわたしはふたつをごっちゃにします)。
  こころよい、眠くなるお説教で、みんなが棕櫚のうちわを眠そうにあおぎ、牧師さんの声のほかに聞こえてくるのは外の木で鳴くセミだけです。目が覚めたときには讃美歌をうたうために立ち上がっていました。そのときわたしはお説教を聞いていなかったことをひどく残念に思いました。わたしはこんな讃美歌を選び出す人の心理をとても知りたいです。これがそれです――

     さあ、地上の遊びも戯れも捨てて
     我とともに天上の喜びに加われ
     さなくば、友よ、永の別れ
     汝が地獄に沈むままに残して

  わたしはセンプルさん夫妻と宗教について語るのは安全でないと知りました。ふたりの神さま(遠いピューリタンの先祖からそのまま受け継いできた神)は、狭量で、不合理で、不正で、卑しくて、復讐にもえた、頑固なペルソナです。わたしが誰からもどんな神さまも受け継いでいないことを天に感謝! わたしはわたしの神さまを自分の望むように自由にこしらえられます。親切で思いやりがあって想像力があって寛大で理解もある神さま――それにユーモアのセンスもあります。
  私はセンプルさんご夫婦が非常に好きです。ふたりの実践はふたりの理論よりずっとまさっています。おふたりの神さまよりもご自身たちのほうがすぐれています。私はそのように言いました――するとふたりはおそろしく当惑しきってしまいました。わたしを瀆神的と考えるのです――わたしはふたりのほうが瀆神的だと考えているのです! わたしたちは神学を話題にするのはよすことにしました。

  この4行の讃美歌からだけでは、そのつぎの段落のピューリタンの神に対する批判はいささか唐突、強引、暴発的にも思えます。神についての言及はほとんどここが最初で、これ以前と言えば、教室で扱われた詩の中のキャラクターが神ではないかと考え、でも次の連で「ボタンをいじる」みたいに書かれているので、これは瀆神的な想定だった、と考えを翻すエピソードがあるくらいではないでしょうか(1年生の4月の手紙)―― "When I read the first verse I thought I had an idea―The Mighty Merchant was a divinity who distributes blessings in return for virtuous deeds―but when I got to the second verse and found him twirling a button, it seemed a blasphemous supposition, and I hastily changed my mind."

  不合理な神を糾弾する姿勢は、ほとんどおおおじさんのマーク・トウェインと重なるところがあるような気もしますけれど、とりあえず北部南部のキリスト教の違いという問題を棚上げにして、構図的には以下のような教義に対して、ある程度普遍的な怨嗟・糾弾があったのではないかと考えられます。

  アメリカのピューリタニズムの17世紀以来の歴史的な基盤はカルヴィニズムです。カルヴィニズムの中心的な教義のひとつは total depravity(全的堕落)、もうひとつは predestination (予定説)です。「全的堕落」とは全人類的かつ全人格的堕落のこと、別言すれば、人間は「原罪」を負った不完全な存在であるという考え。「予定説」というのは、救済されるか(天国に入れるか)、地獄に堕ちるかは予め神によって定められているという考え。ぶっちゃけていうと、がんばって徳を積んだからといって予定がそれで変わるわけでないし、がんばらない人も救われうるし、みんな罪人といいながらそのなかに聖人として選ばれるエリートがいるし、全能な神が地獄堕ちをあらかじめ選別しておいて生かすのはなぜかとか、悔い改めよと説き続けるのはなぜかとか、いろんな、バチアタリな疑問が出てくるように思われます。

  ジュディーがこれまでの人生でためこんできた神学的疑問が出てきたのか、あるいは作家自身の問いかけが筆としてすべって出てきたのでしょうか。ピューリタン的な地獄堕ちの暗い宿命論に対する反感が、自然と出てきたのでしょうか。それとも親に捨てられた孤児のジュディーが神の摂理なるものに疑問をもつのが自然ということなのでしょうか。よくわかりません。考え中w。  とりあえず、「『あしながおじさん』における神」というタッグを組んで継続審議することにしますぅ。

 


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ケロッグさんの選んだ讃美歌 Hymn Sung by Mr. Kellogg――天(国)地(獄)人(間) (2) Heaven, Hell, and Man [Daddy-Long-Legs]

天(国)地(獄)人(間) (1) Heaven, Hell, and Man」のつづきです。

  ジュディーが、こんな讃美歌を選ぶ人の心理を知りたいと書いた、ケロッグ牧師の説教後の讃美歌として引用されているのは、次の4行でした。――

Come, leave your sports and earthly toys
And join me in celestial joys.
Or else, dear friend, a long farewell.
I leave you now to sink to hell.
(さあ、地上の遊びも戯れも捨てて
我とともに天上の喜びに加われ
さなくば、友よ、永の別れ
(なれ)が地獄に沈むまま残して[適当な訳・・・・・・少し前回のと変えましたw]

  このまま検索かけてもダメ(あしながおじさんに戻るだけ)なのですけれど、適当なカンで、適当にコトバを選んで検索した結果、つぎのようなものが見つかったのでした。

    William Walker (1809-75) の編纂した讃美歌集  The Southern HarmonyE-text <http://www.ccel.org/ccel/walker/harmony2.txt>〕(正式なタイトルはSOUTHERN HARMONY, AND MUSICAL COMPANION: CONTAINING A CHOICE COLLECTION OF TUNES, HYMNS, PSALMS, ODES, AND ANTHEMS; SELECTED FROM THE MOST EMINENT AUTHORS IN THE UNITED STATES: TOGETHER WITH NEARLY ONE HUNDRED NEW TUNES, WHICH HAVE NEVER BEFORE BEEN PUBLISHED; SUITED TO MOST OF THE METRES CONTAINED IN WATTS'S HYMNS AND PSALMS, MERCER'S CLUSTER, DOSSEY & CHOICE, DOVER SELECTION, METHODIST HYMN BOOK, AND BAPTIST HARMONY; AND WELL ADAPTED TO CHRISTIAN CHURCHES OF EVERY DENOMINATION, SINGING SCHOOLS, AND PRIVATE SOCIETIES: ALSO, AN EASY INTRODUCTION TO THE GROUNDS OF MUSIC, THE RUDIMENTS OF MUSIC, AND PLAIN RULES FOR BEGINNERSに次の歌があります(参考に、全曲載せますが、直接関係するのは5 番と(6番と)7 番です)――  

“Oh Turn, Sinner” [263: "Today if you will hear his voice"]
   1.
Today, if you will hear his voice,
Now is the time to make your choice;
Say, will you to Mount Zion go?
Say, will you have this Christ, or no?
   2.
Say, will you be for ever blest,
And with this glorious Jesus rest?
Will you be saved from guilt and pain?
Will you with Christ for ever reign?
   3.
Make now your choice, and halt no more;
He now is waiting for the poor:
Say now, poor souls, what will you do?
Say, will you have this Christ, or no?
   4.
Ye dear young men, for ruin bound,
Amidst the Gospel's joyful sound,
Come, go with us, and seek to prove
The joys of Christ's redeeming love.
   5.
Your sports, and all your glittering toys,
Compared with our celestial joys,
Like momentary dreams appear:--
Come, go with us--your souls are dear.
   6.
Young women, now we look to you,
Are you resolved to perish too?
To rush in carnal pleasures on,
And sink in flaming ruin down?
   7.
Then, dear young friends, a long farewell,
We're bound to heaven, but you to hell.
Still God may hear us, while we pray,
And change you ere that burning day.
   8.
Once more I ask you, in his name;
(I knew his love remains the same)
Say, will you to Mount Zion go?
Say, will you have this Christ, or no?
   9.
Come, you that love the incarnate God,
And feel redemption in his blood,
Let's watch and pray, and onward move,
Till we shall meet in realms above.
Oh! turn, sinner, turn, may the Lord help you turn--
Oh! turn, sinner, turn, why will you die?
Hymnary.org の情報ページ http://www.hymnary.org/tune/oh_turn_sinner

    この歌は「罪人」に「回心」(改心)を訴えるもので、青年たち(男女)に選択を迫ります。永遠の祝福を得られるとか、罪と苦痛から免れるとか言われれば、回心するのがよいようにしか思われませんが、そのためには地上的な娯楽物を捨てねばなりません。

  (もしもこの讃美歌がモトになっているとして――基本的に5番の前2行と7番の前2行を合わせているように見えるわけですが――、)ジーン・ウェブスターの、改新とはいえずとも改変ないし改編したヴァージョンでは、地上の楽しみを捨てて天上の喜びに私と一緒に参入しないのなら、さようなら、私はあなたが地獄に沈むままに残していきます、という、なかなか直截な歌詞になっています(主旨は9番まである讃美歌と同じなのですけれど)。

  調子に乗って、5~7番を注解&訳してみます。

  5.Your sports, and all your glittering toys,/ Compared with our celestial joys,/ Like momentary dreams appear:--/Come, go with us--your souls are dear.
上の2行は、普通の語順にすると、Your sports(,) and all your glittering toys appear like momentary dreams, compared with our celestial joys. (おまえの楽しみやまばゆい玩具は、天上の喜びに比べると、つかの間の夢と見える。さあ、私たちと来なさい――魂は大切なものだ。)

  6.Young women, now we look to you,/ Are you resolved to perish too?/ To rush in carnal pleasures on,/ And sink in flaming ruin down?
(若い女たちよ、こんどはおまえたちだ。やはり堕落するつもりなのか? 肉の快楽にひたり続け、燃えさかる破滅に沈んでいくつもりなのか?)

  7.Then, dear young friends, a long farewell,/ We're bound to heaven, but you to hell./ Still God may hear us, while we pray,/ And change you ere that burning day.
(ならば、親愛なる若者たちよ、永の別れだ。私たちは天国へ向かう。しかしおまえたちは地獄行きだ。それでもなお、神が私たちの祈るあいだ私たちの願いを聞き、業火の日の前におまえたちを変えたまわんことを。)

  『あしながおじさん』のヴァージョンは、違う連だけれども元の(かどうか断定はできませんけれど)と同じ単語 "toys" と "joys"(5連) 、そして "farewell" と "hell" (7連)で同じ韻を踏んで、aabb という同じ押韻のかたちに整えています。

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つづきは――「サザン・ハーモニー The Southern Harmony――天(国)地(獄)人(間) (3) Heaven, Hell, and Man」


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サザン・ハーモニー The Southern Harmony――天(国)地(獄)人(間) (3) Heaven, Hell, and Man [Daddy-Long-Legs]

ケロッグさんの選んだ讃美歌 Hymn Sung by Mr. Kellogg――天(国)地(獄)人(間) (2) Heaven, Hell, and Man」のつづきです。

  『あしながおじさん』の1年生の7月に、ロックウィローの教会でジュディーが、こんな讃美歌を選ぶ人の心理を知りたいと書いた、ケロッグ牧師の説教後の讃美歌として引用されている4行が、“Oh Turn, Sinner” [The Southern Harmony 263: "Today if you will hear his voice"] という讃美歌のパロディーであると仮定したうえでのさらに仮想的な問いを書いてみます。

  The Southern Harmony, and Musical Companion は、南部のサウスキャロライナ出身の音楽家・作曲家 William Walker (William "Singin' Billy" Walker, 1809-75) が1835年にフィラデルフィアで出版した讃美歌集です。ウォーカーはキリスト教のセクト的にはバプティストの人だったようです。初版では335曲がおさめられていたのが、版を重ねて1840年に改訂2版、1847年には40ページを増補、現在リプリント版が出ているのは1854年版のようです。この前の記事にあげたように、長い副題がついています――"Containing a Choice Collection of Tunes, Hymns, Psalms, Odes, and Anthems; Selected from the Most Eminent Authors in the United States: Together with Nearly One Hundred New Tunes, Which Have Never Before Been Published; Suited to Most of the Metres Contained in Watts's Hymns and Psalms, Mercer's Cluster, Dossey & Choice, Dover Selection, Methodist Hymn Book, and Baptist Harmony; and Well Adapted to Christian Churches of Every Denomination, Singing Schools, and Private Societies: Also, an Easy Introduction to the Grounds of Music, the Rudiments of Music, and Plain Rules for Beginners"   「合衆国の最も著名な作者から選んだ」こと、「あらゆる宗派 denomination のキリスト教教会・・・・・・にふさわしい」ことが書かれています。

SouthernHarmony(UPofKentucky).jpg
image via University Press of Kentucky <http://www.ccel.org/ccel/walker/harmony2.txt>

  歴史的なことをちょっと書いておくと、南部は北部の植民地が禁欲的なピューリタンの宗教心が強く反映されるかたちで始まったのに対して、英国教会の信徒が中心で、大規模農業、そして農業をもととする商業が盛んになっていったわけですが、18世紀にバプティストとメソディストが進出してから、キリスト教ファンダメンタリズムの中心となっていきました。1年生のクリスマス・イヴの手紙で、ジュディーは、ジュリア・ペンドルトンから自分の母方の姓を尋ねられて、でまかせで Montgomery と言ってしまいます。するとジュリアは、マサチューセッツのモントゴメリー家かヴァージニアのモントゴメリー家か知りたがる("Then she wanted to know whether I belonged to the Massachusetts Montgomerys or the Virginia Montgomerys." [Penguin Classics 版 29頁])。北部のマサチューセッツと南部のヴァージニアは17世紀初期植民地の北と南それぞれの中心です。

  ついでながら、作者のジーン・ウェブスターの母親は南部人であり、父親はイギリスとドイツの血統の混じった、北部ニューイングランド人でした〔とりあえず、ウィキペディア等に情報はないので、『あしながおじさん』のGrosset & Dunlap 社による1940年ごろのリプリント版 <http://www.archive.org/details/daddylonglegs00webs> に付された序文(これは複数の筆者の文章をつぎはぎにしたパッチワークのようで、この情報の部分は最初の "[D. Z. D. in The Century Magazine, November 1916]" )を参照〕。

  ですが、William Walker は晩年の1866年には The Christian Harmony というタイトルの讃美歌集を編みますし、とりたてて南部的というのではないのかもしれません。もっとも、The Southern Harmony に対抗するようにして The Northern Harmony という賛美歌集が作られたのも事実です。よくわかりません。

Oh,TurnSinner.jpg
image via Hymnary.org <http://www.hymnary.org/hymn/SH/263>

  これまでリンクした The Southern Harmony のページでは作詞者・作曲者の情報を与えてくれていないので、別筋で調べると――たとえば、 Sacred Harp Singing 内の"Indexes for The Sacred Harp, 1991 Edition" <http://fasola.org/indexes/1991/?p=160b> や The B. F. White Sacred Harp (Cooper Book) Online Index 内の "Turn, Sinner, Turn 105b" <http://resources.texasfasola.org/index/poetry/105b.html>―― 曲(ないしアレンジ(?*))はElisha J. Kingで1844年、詞は William Miller で1809年と記載されています。

  (*よくわかりませんけれど、もしかすると有名なチャールズ・ウェズレーの "Sinners, Turn: Why Will You Die?" <http://www.cyberhymnal.org/htm/s/n/snrsturn.htm> ――ページを開けると曲が流れます――の曲(Louis J. Hér­old, 1830; ar­ranged by George Kings­ley, 1838 )と関係があるのやもしれません。わかりません。)

  さて、作詞が William Miller と記されているので、モーリちゃんの父的にはビビッたのでした。え゛ー、これってキリスト再臨を唱え、世の終末を計算してみんなで山に登って昇天しようとしたあのウィリアム・ミラーさん???? ウィリアム・ミラー (1782-1849) は1809年というと27歳ぐらいだから、讃美歌を作っていても不思議ではないですけどー。ミラーはフリーメーソンだったとも言われてますけれど、マサチューセッツ生まれのバプティストの牧師でした。しかし、傍流的流れとしては "Advent Christian Church" に位置します。そのなかで現在有名なのは Adventist と略称される "Seventh-Day Adventist Church" かもしれません――これについては日本語ウィキペディアに記事があります――「セブンスデー・アドベンチスト教会」。

  さて、(と、ぜんぜん傍証なしに連想は続くのですけど)カリフォルニア時間の記事「January 3-4 ホメオパシーとスウェデンボルグ主義 (上)――擬似科学をめぐって(7)  On Pseudosciences (7)」で書いたように、サミュエル・トムソン Samuel Thomson, 1769-1843 やシルヴェスター・グレアム Sylvester Graham, 1794-1851 の代替医療的・大衆治療的・自然療法的・菜食主義的な思想を継いだひとりが、コーンフレークをはじめとするシリアル食品で有名なケロッグですが、共同創始者のケロッグ兄弟のにいさんのほうのジョン・ハーヴェー・ケロッグ John Harvey Kellogg, 1852-1943 はセブンスデー・アドベンチスト教会の信者だったのでした。

  で、牧師の名前がケロッグさんと。うーむ。説得力ないなあ。ちなみにケロッグ社の設立は1906年です。だからあてこすりがあってもいいような気もします。

  それにしても、こう書いておいてなんですが、もちろんわけがわからないのは、北部南部のキリスト教の問題で(これはたぶんに不勉強がありますけれど)、バプティストやメソディストは、特に南部は保守性を特徴とするとはいえ、ピューリタンの教義とどれだけ重なるのでしょう。通常の理解では、カルヴィニズムの予定説に抗して、いわゆるアルミニウス主義的なセクトとしてメソディストやバプティストが位置づけられるわけですから。

  ということで謎は謎を呼ぶけれどもたぶん答えは見つからず。つーか、勝手な妄想が働いていただけかもと申そう。

  もうちょっと考えてみます。

////////////////////////////////////////

参考url――

"The Southern Harmony," Wikipedia <http://en.wikipedia.org/wiki/Southern_Harmony>

"William Walker (composer)," Wikipedia <http://en.wikipedia.org/wiki/William_Walker_(composer)>

eHymnBook.org <http://ehymnbook.org/index.html>

http://www.ccel.org/ccel/walker/harmony2.txt 〔The Southern Harmony の1966年版リプリントをもとにしたE-text〕

 

   


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『蚊とんぼスミス』――東健而の『あしながおじさん』 (1) Azuma Kenji's Translation of Daddy-Long-Legs [Daddy-Long-Legs]

ユーモア作家であった東健而(アズマ・ケンジ Azuma Kenji, 1889-1933)による『あしながおじさん』の邦訳が『蚊とんぼスミス』としてあったということは以前から知っていて、気になっていました。

  情報的に初めて知ったのは、たぶん旺文社文庫(旺文社文庫というのは、現在の若い人たちにはわからないかもしれないけれど、翻訳のみならず日本文学も含めて、ページごとに注釈が付いて、詳しい解説のある、いい意味で「学習」的な文庫でした)の巻末の書誌情報だったと思います。すなわち、訳者の中村佐喜子さんは、参考になる既訳として、以下のリストをあげています(『続あしながおじさん』については割愛)。――
『蚊とんぼスミス』 東健而(昭8玄文社)
『あしながおじさん』 遠藤寿子(昭8・昭25岩波文庫 昭25岩波少年文庫)
『若き世界』 村上文樹(昭17教文館)
『あしながおじさん』 川端康成・野上彰(昭30創元社)
『あしながおじさん』 厨川圭子(昭30角川文庫)
『あしながおじさん』 松本恵子(昭29新潮文庫)
『足ながおじさん』 中村能三(昭30若草文庫)
    個人的には、同じ昭和8年(1933年)に出たふたつの訳は、どっちが先だったのだろうとかボケーっと思っていたのですけれど、新しい岩波少年文庫の解説は、「『あしながおじさん』が初めて訳されたのは一九一九年で、『蚊とんぼスミス』という題でした。『あしながおじさん』という名前が定着したのは一九三三年の岩波文庫の遠藤寿子訳からです。原題のDaddy-Long-Legs は、あしながグモのことですから、イメージぴったりのすばらしい訳題ではありませんか。」(291-2) と、岩波少年文庫の先人に対する敬意を表しつつ書いています。
  1919年というと大正8年ということになります。1933年は昭和8年ですから、中村佐喜子の情報と同じです。玄文社は大正7年(1918年)に東の『潜航艇物語』を出版した出版社ですが、国会図書館の検索をかけても、東健而の著作のなかに『蚊とんぼスミス』(がらみ)らしきものは大正の出版として挙がってきません。――
  昭和4年(というと1929年ですけれど)に改造社の有名な世界大衆文学全集の第34巻として出た東健而編訳の『世界滑稽名作集』には『蚊とんぼスミス』が収録されています。1919年は1929年のまちがいではないか、と思ってもみたのですけれど、WEB情報的にはなにを根拠としたかは不明とはいえ1919年(この年は『あしながおじさん』のサイレント映画が公開された年でした)に最初の翻訳が出た、ということがあちこちに書かれています。
  あるいは、日本ペンクラブ:電子文藝館のなかに出久根達郎の小説『佃島ふたり書房』(1992)の抄出として載っているなかに、古本屋の市場の描写として、つぎの一節があったりします。――
「五百」と突然ポンさんが声をはりあげたので、澄子はびくついた。

 二冊の本が、ポンさんの手もとに飛んできた。『アンデルセン童話』と『蚊とんぼスミス』と読めた。

「こちらをさしあげましょう」とアンデルセンのをすべらせてよこした。澄子は礼を述べ取りあげたが、大正時代の本である。佃の子供たちが買いそうにない。

「二冊で五百円。こんなにも高い相場なんですか。一冊二百五十円ですか?」

「いや、そいつは百円にしか踏んでいません。私はこちらがほしかったんでね」

「それも童話でしょうか」

「ご存じありませんか?」

「はい」

「足ながおじさん、という物語はご存じでしょう?」

「はい」

「これはね、あの物語の本邦初訳本でね、訳者が東健而、大正八年の刊行です」

「足ながおじさんの?」

 澄子は、これはだめだと観念した。足ながおじさんは読んでいるが、蚊とんぼだの、訳者のことだの、書誌の知識が皆無である。古本の相場どころか、古本そのものの素性がわからない。仕入れるどころではない。

「いや、だれも、はなから知っちゃいない。勉強ですよ。こうして人がどんな本を仕入れているかを、横目で観察しながら勉強するんです。人が目の色かえて買うからには、その商品には何かがある。数字なぞ覚えなくていい。相場にとらわれると本質を見誤まる恐れがある。第一、古本屋の仕事が楽しくなくなる。もうけた損したは、ひとまず措(お)いて、本に親しむこと、本を楽しむこと、本をいつくしむことです」

「はい」

「あなたは、人間は嫌いですか」

「え」  〔下線は引用者〕

<http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/novel/dekunetatsuro.html>

 

  ふーん。大正8年というと1919年ですね。やっぱりあったのか。そうすると旺文社文庫に昭和8年とあるのは大正8年のまちがいということで、出版社は前年の『潜航艇物語』と同じ玄文社だったということなのでしょうか。
  それにしても、国会図書館や、あるいは WorldCat の図書館情報に、つーかWEBの書誌的情報に載っていないのはなぜなのでしょう。英語の本だと図書館や古本屋情報も合わせて調べるとだいたい書誌情報が判明するのですけれど・・・・・・。いまだに日本語の書籍はWEBに不十分にしか載っていないのでしょうか。それに国会図書館はなんでないの。
  
  と、プンプン謎をはらませながら、こないだ1929年(昭和4年)6月3日刊行の『世界滑稽名作集』を注文して、先週末に届きました。
SekaiKokkeiMeisakushu,transAzumaKeji(Kaizosha,1929)dustjacket.jpg
    冒頭に『蚊とんぼスミス』がおさめられており、このアンソロジーの半分近くを占めるのですけれど、ダストジャケットの絵は別作品のものです。しかし、フラップの最初には、『蚊とんぼスミス』の主要人物紹介がおよそ半分ほどのスペースをとって書かれています。
SekaiKokkeiMeisakushu,transAzumaKeji(Kaizosha,1929)1.jpg
  著者ポートレトにジーン・ウェブスターはなく、かわりに(というわけではないでしょうが)東健而氏の肖像が載っています。
 
  冒頭の「訳者より読者へ」(以下、新字、ルビ抜きで写します)――
「蚊とんぼ」――"Daddy Long-Legs"[ママ]の著者ジャン[ママ]・ウヱブスター Alice Jean Webster は、マーク・トウヱインの姪[ママ]だ。お母さんがマーク・トウヱインの妹なのである[ママ]。この「蚊とんぼ」を見ても解るだらう。彼女の豊かなることおどろくべき想像力と、鋭い滑稽観念と、さうして明るい人生観とは、まつたくあの偉大なる伯父さん[ママ]譲りの天分だ。
  だがその文章の旨さと、簡潔さと、そして鋭さとに於いては、私は思ふに伯父さんよりも遥かに旨い。そして伯父さんより小さな姪の方が若いのだから当り前なことだが、彼女の文章は遥かにハイカラだ。ヴァッサー女子大学出身の秀才、永く伊太利に遊んで伊太利文学の造詣が深かつた彼女。ウンなある程――竟(つま)り彼女が持つてゐたアングロサキソン人種独特の滑稽観念は、情熱的なそして典雅な南欧文学に依つて磨きがかゝつだのだ。彼女は千九百十六年に死んだ。肺病だったらしい[ママ]。真(まこと)に惜しい。だが、読者よ、「蚊とんぼ」に見られよ。彼女の人生観が如何に戦闘的に、そして明るかつたかを。
  伝記的な情報の正しさをどうこういうつもりはないのですけれど、この序文で、東は作品を「蚊とんぼ」と3度呼んでいるのが目を引きます。冒頭にあらわなように、「蚊とんぼ」="Daddy-Long-Legs" という感じが見られます。なんで「スミス」がないのでしょう。
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  目次には「長篇蚊とんぼスミス」「(米)ジヤン・ウヱブスター」と書かれています。冒頭の「長篇」は以下の「中篇」とかと区分すべく付け添えられたもので、本体は、「蚊とんぼスミス」が表題です。
  が、画像が限界まで重たくなってしまったのでつづきはつづきということで。
///////////////////////////////
世界大衆文学全集について――
 
改造社世界大衆文学全集目次細目 <http://okugim.hp.infoseek.co.jp/k-s-t-b-zenshuu-2.htm>
第34巻の東健而訳ウッドハウスが話題となる、浅倉久志さんと小山太一さんの対談  『文藝春秋|本の話より|自著を語る』<http://www.bunshun.jp/jicho/humor/humor01.htm>
2009年8月30日追記――
詳しい書誌情報は得られておりませんが、1929年の改造社版の10年ほど前に確かに東健而訳『滑稽小説 蚊とんぼスミス』というタイトルが出ていることを確認しました。どうも。・・・・・・いちおう 記事「1919――『蚊とんぼスミス』――東健而の『あしながおじさん』 (4) Azuma Kenji's Translation of Daddy-Long-Legs

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『蚊とんぼスミス』――東健而の『あしながおじさん』 (2) Azuma Kenji's Translation of Daddy-Long-Legs [Daddy-Long-Legs]

『蚊とんぼスミス』――東健而の『あしながおじさん』 (1) Azuma Kenji's Translation of Daddy-Long-Legs」のつづきです。

AzumaKenji,SekaiKokkeiMeisakushu,transAzumaKeji(Kaizosha,1929)1.jpg
東健而 (1889-1933)

  冒頭の解説(「訳者より読者へ」)では「蚊とんぼ」というふうに作品を呼んでいた東健而ですが、目次は「長篇蚊とんぼスミス」「(米)ジヤン・ウヱブスター」、そして本文も「蚊とんぼスミス」と記されています。――

SekaiKokkeiMeisakushu,transAzumaKeji(Kaizosha,1929)8‐9.jpg

  ふつう誰でも「ゆううつな水曜日」と訳すであろう "Blue Wednesday" を「なさけない水曜日」と、たぶん、暗いおもむきにならずにお笑いふうな方向へシフトすべく(かどうかはわかりませんが)訳しています。この冒頭10ページ足らずの散文は、手紙本体に対する「枠 frame」となっていて、三人称の語り手による主人公ジェルーシャの提示が行なわれ、リペット院長による間接話法的な――つまり、篤志の人の考えが伝えられるけれどもリペットによる脚色を含んでいる可能性がある――スミス氏 (あしながおじさん)の提示とともに、大学へ行って作家となるべく文章修行をさせてもらえる条件として、毎月学校生活について手紙を送ること、という設定が説明される部分です。

  原文と見比べてみると、段落の改行を適宜変更はしているものの、ほぼ全訳であることがわかります。意識的な改変はありますけれど。「「さうぢやねえやい」なんて言つちやいけないのよ」というのは東が追加した文章です。それから9ページの最後の3行(「あゝ、これで今日は済んだ」以下)は、原文は地の文になっていますが、それを東は、ジェルーシャの内面を表わした描出話法的なものととったうえで、カッコに入った直接話法に訳して「ジェルーシャは斯う思ひながら」という、発話(頭の中でですが)を示す言葉(もちろん原文にはない)を付け加えています。わかりやすさを選んだのだと思います。

The day was ended―quite successfully, so far as she knew.  The Trustees and the visiting committee had made their rounds, and read their reports, and drunk their tea, and now were hurrying home to their own cheerful firewides, to forget their bothersome little charges for another month.  Jerusha leaned forward watching with curiosity [. . .].

   しかし、描出話法ととるのはこの場合は無理があって、その無理を "to forget their bothersome little charges for another month" を省略して6点リーダーに変えることでつくろっているようにも思えます。

  それはそれとして、英語ができる人なのだろうなあ、ということはわかります。

  ついでながら、この、「またひと月は厄介な小さな孤児たちのことは忘れられると」我が家の陽気な炉辺へと家路を急いでいた、という記述は、いかにもこの場でのジェルーシャの言葉(心中の思い)としてはふさわしくないのですけれど(つまり、理事たちは孤児を預かることを厄介で面倒なことと考えているという大人びた理解が直截であらわすぎる)、それでも、可能性としてはジェルーシャ自身が、ある種のユーモアを含めてこのように記述するということは考えられます。時間をおいてなら。とりわけジェルーシャが "Blue Wednesday" というタイトルの文章を書き、それが朗読されるのを聴いたあしなが「スミス」氏が、そのユーモアのセンスゆえに共鳴して大学へ行かせる申し出をする、という事実があるので(リペットさんは「これまで恩義をかけてくれた施設をあんなふうに茶化すとは感謝がない」と言いますし、「おもしろい書き方になっていたからまだしも、そうでなければ許されるものではない」とも言っています)。

  訳者によるジェルーシャの性格描写といいますか、描きかたがわかる手紙の部分を引いておきます。以前に他の訳者の翻訳を並べてみたのと同じ箇所です。――

SekaiKokkeiMeisakushu,transAzumaKeji(Kaizosha,1929),126-7.jpg

    読みにくいので、新字新かなに改めて写すことにします。

  八月十日
  蚊とんぼ様
拝啓、牧場の水溜りの側の柳の樹の二段目の股から申し上げるのよ。下には蛙が鳴き、頭の上では蝉が歌っています。そうして小さな栗鼠が二匹樹の幹を矢のように駈け上ったり駈け下りたりしています。あたしもう一時間も前から此処へ来ているのよ。大変工合の良い樹の股なのよ。長椅子の蒲団を二枚持って来て被せてからは尚更良い工合です。あたし不朽の名作を書く積りでペンと原稿用紙を持って此処へ登ったのよ、所があたしの女主人公には実に困って了いました――何だが[か]お行儀が悪くって如何してもあたしの言うことを聞かないのよ。だからあたし女主人公の描写の方はしばらくおっ放り出して置いて、其代りあなたに手紙を書くことにしました。(けれどもあなたにだって言うことを聞かせることは出来ないから矢張同じね)
  もしあなたがあの厭な紐育にいらっしゃるのなら、あたし此の美しい涼しい明るい景色を少し送ってあげたいと思うわ。一週間雨が降った後の田舎はほんとに天国のようよ。

  「のよ」「ね」「よ」という打ちとけてくだけた語尾が「です」「ます」に混在するかたちの口調です。実は1年生の最初の手紙から、卒業後の手紙まで、おんなじスタイルです。ときどき「だわ」とか「ないわ」とか「わねえ」というような語尾も混じります。

  1929年刊行の、改造社版『世界大衆文学全集』第34巻の『世界滑稽名作集』を見ているわけですけれど、その10年前に『蚊とんぼスミス』の幻の初版が出ていたとしても、訳者の東健而の姿勢は、やっぱりこの全集版によって知られると思うのです。それはジュディーをヒロイン、ジョン・スミスをヒーローとして、明るい人生観を「ハイカラ」な文章で「戦闘的」に表明した滑稽文学(いまふうにいうとユーモア文学)だという見方でしょう。

  いずれにせよ遠藤寿子による『あしながおじさん』訳以前に翻訳が行なわれていたのは事実です。そしてこの東健而による既訳を遠藤寿子は意識していなかったらしく思われます。それはジャンルの意識の違いによる受容の差異が原因だったのでしょうか。

つづく


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『蚊とんぼスミス』――東健而の『あしながおじさん』 (3) Azuma Kenji's Translation of Daddy-Long-Legs」 [Daddy-Long-Legs]

昨日の「『蚊とんぼスミス』――東健而の『あしながおじさん』 (2) Azuma Kenji's Translation of Daddy-Long-Legs」の最後に「つづく」と書いたものの、国会図書館へ行ってもどうやら見つからないだろう本を、どうやって突き止めるのか、という失神しそうなほどの問題を抱えてるというのが第一、そして、東健而の翻訳をとりたててどうこう分析しようというつもりはなかったのが第二、で、続きませんがな。

   〔追記 この記事、 蚊とんぼスミス  にタイトルをあらため、蚊とんぼについての分類学的話と、スミスについての命名学的話に分裂していこうかと思ったのですが、結局東健而がらみでとどまってしまったので、やっぱりその3となりました。〕

  それでもいちおう流れのままに書きとめておきます。ひとつは遠藤寿子が1961年8月に記して、岩波少年少女文学全集12『あしながおじさん/続あしながおじさん』の巻末に載っている「訳者あとがき」(pp. 393-397) です。

  このあとがきで遠藤は、戦前の翻訳の経緯を、私的なことも含めてざっくばらんに回想しています。――

『あしながおじさん』が岩波文庫本となって世におくられたのは、二十八年前のことでした。 "Daddy-Long-Legs" という奇抜な題に心をひかれて、書店でこの本を開いて見たわたくしは書簡体であるのと愉快な絵があるのとで興味をひかれ、それが、この本を知るきっかけになりました。当時わたくしは、ウェブスターという作者の存在も知っていませんでした。その本には発行所の名前があるだけで、前がきもなければ紹介らしいものも書いてないのです。わたくしは、英文の手紙を書く助けになるだろうぐらいに思って読みはじめました。読んでゆくうちに、つい、つりこまれてしまいました。ジルーシャの天真らんまんな、それでいて、きかぬ気のあるところが、とても気にいったのでした。ちょうどその頃、わたくしは、イギリスの長い小説を訳したあとで〔『ジェーン・エア』のことだと思われます――引用者〕、軽いものを訳してみたいと思っていた矢先にこの作品を知りましたので、これを翻訳してみようと思いたちました。訳しはじめて、昭和七年の一月か二月ころと思いますが、高田とし子さんとおっしゃる方が、NHKの午前の放送で、 "Daddy-Long-Legs" を紹介なさって、二回か三回原文の朗読と解釈をなさいました。偶然のことながら、わたくしは自分の翻訳に、はげみを感じてうれしかったことを今だに忘れません。しかし、この作品の軽妙な手紙の文章を日本語にするということは、けっしてやさしい仕事ではありません。しかも、お嬢さん育ちの娘の書く手紙と孤児院育ちの娘の書く手紙とでは、日本語までしておのずから、そこにちがった調子があるわけで、わたくしは、それに、ずいぶん苦心をいたしました。翻訳ができあがって、岩波書店から出版していただくことになったとき、原題をどういう日本語の題にしたらよいかということになりました。(原題 "Daddy-Long-Legs" というのは、アメリカではたいへん足の長いクモのこと。)結局、当時編集部の布川角左衛門さんが、いろいろお考えくださった末に『あしながおじさん』という題にきまったのでした。もとの東京女子高等師範学校教授岡田美津子先生〔岡田美津のことだと思います――引用者〕がこの原書の複製本に注解をおつけになったのがあって、それがどんなに参考になったかしれません。また、映画がトーキーになってまもないそのころ、かれんな娘役で売りだしたジャネット・ゲイナー主演のこの作品の映画が日本語題「陽炎の春」で日本でも封切りされましたが、これは近年上映されたもの〔フレッド・アステアとレズリー・キャロン主演のミュージカル映画――引用者〕とはちがって、原作を忠実に画面に生かした場面が多く、たいそう、これも参考になりました。 (394-5)

    遠藤寿子(壽子)による『あしながおぢさん』の岩波文庫訳初版は1933(昭和8)年8月5日発行となっています。昭和7年はじめの高田とし子のNHK放送や、その頃あったらしい岡田美津(子)の注解書については、WEBで調べても不明ですが、とりあえず、日本においてまったく知られていない本ではなかったのは明らかです(個人的な本との邂逅が書かれているので、印象的な一節となっているのですが)。そして、もちろん1929(昭和8)年に出た改造社版の東健而の『世界滑稽名作集』は品切れではなかったはずです(1919(大正8)年の玄文社(?) 刊の単行本『蚊とんぼスミス』が絶版になっていたとしても、です)。改造社の世界大衆文学全集というのは、たとえば「『蚊とんぼスミス』――東健而の『あしながおじさん』 (1) Azuma Kenji's Translation of Daddy-Long-Legs」で注記した「改造社世界大衆文学全集目次細目」<http://okugim.hp.infoseek.co.jp/k-s-t-b-zenshuu-2.htm> が詳しく述べているように、当初36巻の予定だったのが全80巻となり、1928(昭和3)年2月15日発行の『家なき児』(第2巻)初回配本から、その後の2冊同時配本・第三次までの増刊を経て、1931(昭和6)年9月12日発行の『赤狼城秘譚 失踪婦人』(第79巻)・『獅子狩りの人』(第71巻)が最終回配本だったのではないかと思われます。もっとも、この手の全集は予約配本で、バラで書店には並んでいなかった・・・・・・のでしょうか(不明)。

  それでも、改造社との関係でいうと、遠藤寿子は、のちに岩波文庫に入ることになる Jane Eyre の訳を、実は1930(昭和5)年に改造社から出しているわけです。『ヂェイン・エア』上巻480ページ、『ヂェイン・エア』下巻450ページ。

  それも、世界大衆文学全集の中でです。第61巻『ヂエイン・エア(上巻)』、第62巻『ヂエイン・エア(下巻)』。ともに第33回配本で、1930(昭和5)年9月20日発行です。第二次増刊(55-68巻)の2冊でした。

  『蚊とんぼスミス』の訳が入った東健而編著『世界滑稽名作集』は、当初の36巻中の第34巻で、第16回配本でした(1929年=昭和4年6月3日刊行)。

  ま、気がつかない、ということはいろいろなところで起こることですが。

  まだつづくかもw  

 

   ところで・・・・・・よく見ると、「スミス」があとから付け足したように小さな活字に見えるのですが、気のせいでしょうか――

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東健而編訳『世界滑稽名作集』 (1929)

 

  


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スミスシマルハゲ Mr. Smith Is Quite Bald [Daddy-Long-Legs]

第一に、今朝ハゲになった夢を見た(これは帰国後、月に一度は見る怖い夢)のと、第二に、このごろ記事がまじめで重くなりすぎているきらいがあるのとで、ふとスミス氏の頭についてのジュディーの妄想につい書いてみることにします。

1年目の12月19日に始まる数日の手紙の日曜日の追伸で、ジュディーは、「質問にちゃんと答えてください。手紙を書くのがめんどうなら、秘書に電報を打たせてください。」と書いて、三つの電文を提示します。――

Mr. Smith is quite bald,
or
Mr. Smith is not bald,
or
Mr. Smith has white hair.

   つづけて「私のお小遣いから25セント差し引いてください And you can deduct the twenty-five cents out of my allowance」と書きます。

  かねて、19世紀のモールスの電信以来のtelegraph 、telegram と英文の省略的記述法など、興味はあったのですが――たとえばマーク・トウェインもその流れから出発した missspellers (意図的に単語を縮めたりして綴り間違いをする書き手)と電信の関係の有無とか――、電報料金の体系については詳しいことがわからず、というか、時代によって変遷があるようで、明確な記述はできません。

  が、どの国でも、電信が一般化すればするほど、字数と料金の体系を、電信がパンクしないように制限していったのは事実のようです。

  とりあえず、日本語のウィキペディアの「電報」の記事の、「かつて行われていた特別取扱」の項には、「付加料金は1音信に相当する料金(和文で15字分、欧文で5語分)」という記述があります(しかしいつの時代やら不明)。「一音信」というのは、最初の基本料金みたいなもので、それを超えると「付加料金」が何字いくら、というかたちで付け加わるわけです。

  WEB上の情報としては、日本の電報については、たとえば『読売新聞』1920(大正9)年の「今度は電報の値上 普通一音信が三十銭――市内の普通電報料は多分二十銭で実施期は総選挙後の六月一日か」という記事が<新聞記事文庫 逓信事業(3-171)> として載っていたりします。記事によると一音信は15字ですが、それの基本料金を挙げた上で、追加料金と字数をどうするか、というのが問題になったらしい。米田通信局長は以下のように語ります。――

『電報料金値上げはもう時期の問題だけが残って居るだけで、一音信を三十銭にするという基本の料金を決めて後は僕の方でも研究して居る処だ即ち一音信以上は従来は五字毎に五銭宛徴収して居るが、これは例えば次の一音信を増すごとに十銭を取るとすれば今までの振合上少し発信人の負担が重くなるし、あとの一音信の字数を十字までに延長すれば発信人は字数の許す限り多くの用向きや文字を使うから、そうなれば実際の取扱上では今でさえ飽和し切って居るのに技術者に非常に負担が加わるので迚も遣切れない、そうなるとこれ以上に電報は渋滞する道理で公衆は現在より以上不備となるのでよほど慎重に考えねばならない、それから現在市内の電報料金は一音信十銭だが、これも普通電報に準じて計算に都合の好い様にする筈だ』と其処で結局改正料金=は普通電報が一音信三十銭市内同二十銭となる理であるが、通信局長の言う通り後の一音信料金は何等決定して居ないので怎うなるかは未定だが、或は従来の通りに留めて置くか五字を十字に増して十銭を徴収するかの二つにあるらしい、実施時期に就ては米田局長は『どうもうちの老爺(野田逓相)は何の予告もしないでさアやれと来る方だから僕等は命維従うの方で全く知らない、が恐らく総選挙が済んだ後ではなかろうかな』と語ったまた聞く処によれば前代議士連で今度立候補を宣言した財嚢の豊かで無い面々には搦手から当局者に向って『電報料の値上げはどの道免れないものならば、せめて選挙が済んでからにして呉れないか』と随分泣を入れた筋もあるというからそれやこれやの経緯から実施は六月一日からという観測が確らしい。 〔神戸大学電子図書館システム <http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00469279&TYPE=HTML_FILE&POS=1>〕

   で、ともかく料金としては、日本語の場合は字数で、英語は語数でした。ただ、英語の場合、1134とかだと 4 words の計算だったようですし、1b は 2 words。

  料金体系は、上述のようにくわしいことはまだ調べられておらんのですが、作品の記述としては、25セントで、かつ、それぞれの文案は 5 words だということはわかります。だから、たぶん(ですが)、5語25セントという基本料金内ではないかと。検索をすると "5-word telegram" みたいなフレーズもあるようなのですが、10 words が基本だったこともあるようで、よくわからないのです。

  日本語への翻訳は、どうやら字数まで合わせるほどヒマな人はいなかったようです。

  たとえば遠藤寿子の訳――

  スミスサンハヤカンアタマデス
   あるいは
  スミスサンハハゲテイマセン
   または、
  スミスサンハシラガデス

  中村佐喜子の訳――

    スミス氏はかんぜんなはげ。
  または
    スミス氏ははげていない。
  または
    スミス氏はしらが。

  東健而の訳――

  ミスター・スミスは薬缶なり
とか、
  ミスター・スミスは禿に非ず
とか、
  ミスター・スミスは白髪なり

  で、ひまなので、考えてみたのですが、

スミスシマルハゲ
スミスシハゲナシ
スミスシハクハツ

  で8文字でそろえてみましたw

  しかし、8字というのは料金的にもったいないので、10字まで(という時代があったかどうかわからんのですが)延ばして、――

スミスシツルマルハゲ
スミスシハゲナシサン
スミスシハクハツモチ

  ・・・・・・不毛とは言わずとも無駄があるような。

 


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ダディーロングレッグズ (1) Daddy-Long-Legs [Daddy-Long-Legs]

作品のタイトルにもなっている「ダディーロングレッグズ」とは、ジュディーが最初の手紙、つまり1年生の9月24日に書いた手紙のなかで説明するように、相手のことで知っていることは 1)背が高い、2) 金持ち、3) 女の子が嫌い、の3点であり、うち2) と3) は不適切なので1点目の不変の特性を採用して "Dear Daddy-Long-Legs" と呼ぶことにしたもので、リペット院長には秘密の愛称だということになっています。

     [. . .]  There are just three things that I know:

      I.  You are tall.
     II. You are rich.
    III. You hate girls.

      I suppose I might call you Dear Mr. Girl-Hater.  Only that's sort of insulting to me.  Or Dear Mr. Rich-Man, but that's insulting to you, as though money were the only important thing about you.  Besides, being rich is such a very external quality.  Maybe you won't stay rich all your life; lots of very clever men get smashed up in Wall Street.  But at least you will stay tall all your life!  So I've decided to call you Dear Daddy-Long-Legs.  I hope you won't mind.  It's just a private pet name―we won't tell Mrs. Lippett.  (Penguin Classics, pp. 13-14)

  ジュディーが相手(あしながおじさん)に秘密にしているのは、冒頭の「ブルーな水曜日」で語られるエピソードで、そのとき、院長に呼び出されたジュディーは、待っていた車に手を振る帰りがけの背の高い評議員の影が長く伸びて壁に映り、その手足がグロテスクに伸びたさまが "daddy-long-legs" のようだと思って、思わず笑ってしまう。そして、その人こそが自分を大学へやらしてくれる人だとリペットさんとの会談で知るわけです。

Jerusha caught only a fleeting impression of the man―and the impression consisited entirely of tallness.  He was waving his arm toward an automobile waiting in the curved drive.  As it sprang into motion and approached, head on for an instant, the glaring headlights threw his shadow sharply against the wall inside.  The shadow pictured grotesquely elongated legs and arms that ran along the floor and up the wall of the corridor.  It looked, for all the world, like a huge, wavering daddy-long-legs.  (p. 7)

    3点のうち金持ちというのと女の子嫌いというのは、リペット院長がジュディーに、いわば植えつけた印象なわけですが、ジュディーはあくまで自分の印象から秘密の呼び名をこしらえた、と言うこともできます。

    以上はあらすじ的な説明ですが、さて、この、最初にジュディーが手足の長い様子をたとえた "daddy-long-legs" とはどんな生き物なのでしょう。

  "daddy-long-legs" は、1年生の7月のロック・ウィロー農場から書いた手紙のなかで、挿絵入りで言及されています。"Dear Daddy-Long-Legs" と頭書きだけ書いたところで、夕食に添えるブラックベリーを摘み忘れていたのに気づき、便箋を置いたままにして、次の日に戻ってみると、紙の上にほんもののダディーロングレッグズがいたのでした ("A real true Daddy-Long-Legs!" [p. 48])。

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Century, 1912 初版, pp. 101-102

  東健而はこれを、双方の箇所で「蚊とんぼ」と訳し、タイトルも『蚊とんぼスミス』としました。

  遠藤寿子 ([1933,] 1961) は、「メクラグモ」と「あしながぐも」。〔「訳者あとがき」では、前に引用したように「原題 "Daddy-Long-Legs" というのは、アメリカではたいへん足の長いクモのこと」との説明〕

  松本恵子 (1954) は「足長とんぼ」と「あしながおじさん[ルビ: ダディ・ロング・レグズ]割注: *かがんぼ [sic])」。

  厨川圭子 (1955) は「大蚊[ルビ: ががんぼ]」と「本物の「あしながおじさん」(大蚊[ルビ: ががんぼ)」。

  中村佐喜子 ([1966,] 1970) は「あしながぐも [ルビ: ダディ・ロング・レグス]」と「正真正銘のダディ・ロング・レグス」。

  野上彰 (ポプラ社、世界の名著21, 1968) は「あしながぐも」と「あしながぐも」。〔「解説」で、「ダディ=ロング=レッグズは別名、あしながぐものことです。夏、軽井沢あたりでよく見かける、黒い丸い頭のまわりに、ふしのある細い長い足が八本はえていて、どちらへでもすたすたかけだしていく、ユーモラスな虫がそれです」との説明〕

  坪井郁美 (福音館, 1970) は「足長グモ」と「正真正銘のアシナガグモ」。

  恩地三保子 (1975) は「ガガンボ」〔尾注が付されていて、「足がながく、蚊を大きくしたような形の昆虫で、血はすわない。カトンボともいう。」(p. 303)〕と「正真正銘のあしながおじさん、ガガンボ」。

  谷川俊太郎 (1988) は「アシナガグモ」と「アシナガグモ」。

  早川麻百合 (1989) は「アシナガグモ」と「アシナガグモ――正真正銘のあしながおじさん[ルビ: ダディ・ロング・レッグズ]」。

  岡上鈴江 (1989) は「足長のめくらぐも」と「ほんとうのあしながおじさんなんです(ガガンボ)」。

  木村由利子 (集英社、少年少女世界名作の森8, 1990) は「ふつう「足ながおじさん」とよばれているががんぼ」〔次ページに注があり、「ガガンボ科とヒメガガンボ科、それに近い何種類かのこん虫全体をよぶ名前です。どれもカ[「カ」に傍点]ににていますが、それよりもかなり大型です。足が長くとれやすいのがとくちょうで、広く世界じゅうに見られます。カトンボともいいます。」と説明があり、図版を付す〕と「本物の足ながおじさん」。

  瀬戸武雄 (1991) の注は「足長トンボ,ガガンボ」。

   疲れたので明日の (2) へつづきますぅ~。

   あ、いや、それでは引っ張りすぎの感がまぬかれないので、薀蓄はあとまわしにして、図だけウィキペディアから引いておきます。ガガンボ(カトンボ、アシナガトンボ)とザトウムシ(メクラグモ)。

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ガガンボ image via Wikipedia 「ガガンボ」

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ユミヒゲザトウムシ image via Wikipedia 「ザトウムシ」

 

  

 


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ダディロングレッグズ (1の増改版) Daddy-Long-Legs [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』の作品のタイトルにもなっている「ダディーロングレッグズ」とは、ジュディーが1年生の9月24日に書いた手紙、つまり最初の手紙のなかで説明するように、仮称スミス氏の呼び名から来ていると考えるのが妥当だと思われます。ジュディーは、そこで、スミス氏の "impersonal" なことに不満を述べたうえで、相手のことで知っていることは 1)背が高い、2) 金持ち、3) 女の子が嫌い、の3点であり、うち2) と3) は不適切なので1点目の不変の特性を採用して "Dear Daddy-Long-Legs" と呼ぶことにしたもので、リペット院長には秘密の愛称だということになっています。

     [. . .]  There are just three things that I know:

      I.  You are tall.
     II. You are rich.
    III. You hate girls.

      I suppose I might call you Dear Mr. Girl-Hater.  Only that's sort of insulting to me.  Or Dear Mr. Rich-Man, but that's insulting to you, as though money were the only important thing about you.  Besides, being rich is such a very external quality.  Maybe you won't stay rich all your life; lots of very clever men get smashed up in Wall Street.  But at least you will stay tall all your life!  So I've decided to call you Dear Daddy-Long-Legs.  I hope you won't mind.  It's just a private pet name―we won't tell Mrs. Lippett.  (Penguin Classics, pp. 13-14)

  ジュディーが相手(あしながおじさん)に秘密にしているのは、冒頭の「ブルーな水曜日」で語られるエピソードで、そのとき、院長に呼び出されたジュディーは、待っていた車に手を振る帰りがけの背の高い評議員の影が強いヘッドライトで長く伸びて壁に映り、その手足がグロテスクに伸びたさまが "daddy-long-legs" のようだと思って、思わず笑ってしまう。そして、その人こそが自分を大学へやらしてくれる人だとリペットさんとの面談で知るわけです。

Jerusha caught only a fleeting impression of the man―and the impression consisited entirely of tallness.  He was waving his arm toward an automobile waiting in the curved drive.  As it sprang into motion and approached, head on for an instant, the glaring headlights threw his shadow sharply against the wall inside.  The shadow pictured grotesquely elongated legs and arms that ran along the floor and up the wall of the corridor.  It looked, for all the world, like a huge, wavering daddy-long-legs.  (p. 7)

    3点のうち金持ちというのと女の子嫌いというのは、リペット院長がジュディーに、いわば植えつけた印象なわけですが、ジュディーはあくまで自分の印象から秘密の呼び名をこしらえた、と言うこともできます。

    以上はあらすじ的な説明ですが、さて、この、最初にジュディーが手足の長い様子をたとえた "daddy-long-legs" とはどんな生き物か。

  "daddy-long-legs" は、1年生の7月のロック・ウィロー農場から書いた手紙のなかで、挿絵入りで言及されています。"Dear Daddy-Long-Legs" と頭書きだけ書いたところで、夕食に添えるブラックベリーを摘み忘れていたのに気づき、便箋を置いたままにして、次の日に戻ってみると、紙の上にほんもののダディーロングレッグズがいたのでした ("A real true Daddy-Long-Legs!" [p. 48])。

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Century, 1912 初版, pp. 101-102

   (これっておもしろくないですか? 昨日の午後、あなたさまに手紙を書き始めたのですが、「親愛なるダディーロングレッグズ」と頭書きを記したところで、晩ごはん用のブラックベリーを摘んでくる約束を思い出したので、出かけて、便箋をテーブルの上に残したままにしたのですけど、今日戻ってみたら、紙のまんなかに何がちょこんと座っていたと思います? ほんとにほんとのダディーロングレッグズなんですよ!
  私はそーっとやさしく彼の足の一本をつまんで窓から外にはなしました。どうしても彼らを傷つけたくないんです。いつも見るたびにあなたのことが思い出されますから。
  わたしたちは今朝スプリングつきの荷馬車に馬をつないでセンター〔the Center〕の教会へ行きました。かわいらしい白い木造の小さな教会で尖塔がひとつと正面にはドーリア式の円柱が3本あります(もしかしたらイオニア式かも――いつもわたしはふたつをごっちゃにします。)

   はい。これは、日曜日の手紙で、教会で讃美歌を聞いて神学について書く〔「天(国)地(獄)人(間) (1) Heaven, Hell, and Man」と「ケロッグさんの選んだ讃美歌 Hymn Sung by Mr. Kellogg――天(国)地(獄)人(間) (2) Heaven, Hell, and Man」参照〕、その前の部分です。

  東健而 (1929) はこれを、双方の箇所で「蚊とんぼ」と訳し、タイトルも『蚊とんぼスミス』としました。

  遠藤寿子 ([1933,] 1961) は、「メクラグモ」と「あしながぐも」。〔「訳者あとがき」では、前に引用したように「原題 "Daddy-Long-Legs" というのは、アメリカではたいへん足の長いクモのこと」との説明〕

  松本恵子 (1954) は「足長とんぼ」と「あしながおじさん[ルビ: ダディ・ロング・レグズ]割注: *かがんぼ [sic])」。

  厨川圭子 (1955) は「大蚊[ルビ: ががんぼ]」と「本物の「あしながおじさん」(大蚊[ルビ: ががんぼ)」。

  磯川治一+中村吉太郎+黒田昌司 (南雲堂英和対訳学生文庫, 1958) の最初の箇所の訳は「足の長いめくらぐも」、脚注は「 daddy-long-legs 「(米)めくらぐも」「ががんぼ」「足の長い人」」 (p. 11)、あとの箇所の訳は「あしながぐも」 (p. 107)。

  西田実 (旺文社英文学習ライブラリー18, 1959) の最初の箇所の訳は「アシナガグモ」、脚注は「「メクラグモ」 足が長いクモ」 (p. 11)。

  中村佐喜子 ([1966,] 1970) は「あしながぐも [ルビ: ダディ・ロング・レグス]」と「正真正銘のダディ・ロング・レグス」。

  野上彰 (ポプラ社、世界の名著21, 1968) は「あしながぐも」と「あしながぐも」。〔「解説」で、「ダディ=ロング=レッグズは別名、あしながぐものことです。夏、軽井沢あたりでよく見かける、黒い丸い頭のまわりに、ふしのある細い長い足が八本はえていて、どちらへでもすたすたかけだしていく、ユーモラスな虫がそれです」との説明〕

  坪井郁美 (福音館, 1970) は「足長グモ」と「正真正銘のアシナガグモ」。

  恩地三保子 (1975) は「ガガンボ」〔尾注が付されていて、「足がながく、蚊を大きくしたような形の昆虫で、血はすわない。カトンボともいう。」(p. 303)〕と「正真正銘のあしながおじさん、ガガンボ」。

  谷川俊太郎 (1988) は「アシナガグモ」と「アシナガグモ」。

  早川麻百合 (1989) は「アシナガグモ」と「アシナガグモ――正真正銘のあしながおじさん[ルビ: ダディ・ロング・レッグズ]」。

  岡上鈴江 (1989) は「足長のめくらぐも」と「ほんとうのあしながおじさんなんです(ガガンボ)」。

  曾野綾子 (1989) は「もぞもぞした大きなあしながぐも」と「ほんとうのあしながぐも」。

  木村由利子 (集英社、少年少女世界名作の森8, 1990) は「ふつう「足ながおじさん」とよばれているががんぼ」〔次ページに注があり、「ガガンボ科とヒメガガンボ科、それに近い何種類かのこん虫全体をよぶ名前です。どれもカ[「カ」に傍点]ににていますが、それよりもかなり大型です。足が長くとれやすいのがとくちょうで、広く世界じゅうに見られます。カトンボともいいます。」と説明があり、図版を付す〕と「本物の足ながおじさん」。

  瀬戸武雄 (1991) の注は「足長トンボガガンボ」。

  谷口由美子 (2002) は「あしながグモ」と「あしながグモ」。〔「訳者あとがき」に次のように書かれています――「『あしながおじさん』が初めて訳されたのは一九一九年で、『蚊とんぼスミス』という題でした。『あしながおじさん』という名前が定着したのは、一九三三年の岩波文庫の遠藤寿子訳からです。原題の Daddy-Long-Legs は、あしながグモのことですから、イメージぴったりのすばらしい訳題ではありませんか。」 (pp. 291-292)〕

   疲れたので明日の (2) へつづきますぅ~。

   あ、いや、それでは引っ張りすぎの感がまぬかれないので、薀蓄はあとまわしにして、図だけウィキペディアから引いておきます。ガガンボ(カトンボ、アシナガトンボ)とザトウムシ(メクラグモ)。

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ガガンボ image via Wikipedia 「ガガンボ」 (crane fly)

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ユミヒゲザトウムシ image via Wikipedia 「ザトウムシ」 (harvestman)

 

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Phalangium opilio image via Wikipedia "Opiliones" (harvestman)


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アシナガトウサン――ダディーロングレッグズ (2) Daddy-Long-Legs [Daddy-Long-Legs]

アシナガトウサンと呼ばれる生物はいない。でもアシナガグモと呼ばれるクモはいるようですけれど、それはアシナガオジサンとして翻訳書で言及されているものとは別種の生き物です。

ダディロングレッグズ (1の増改版) Daddy-Long-Legs」の続きです。

  日本語のほうから攻めていくと、ガガンボ=カトンボで昆虫です。蚊でもないし蜻蛉でもないです。でも羽が生えています。昆虫だから6本足です。そして、ザトウムシ=メクラグモで、クモに似た、でもクモではないムシです。でも8本足で昆虫ではありません。羽も生えていません。どちらも足は長くて、つまもうとすると、足を切り離して逃げていく、という性質は共通しています。

  英語のほうから整理してみます。 "daddy-long-legs" を英和辞典で引くと、『リーダーズ英和辞典』では "daddy longlegs" として「*[《米》の意]メクラグモ (harvestman) 《俗称》;ガガンボ (crane fly) 《俗称》;[joc] 足の長い人,足長おじさん」と記載されています。『ジーニアス英和大辞典 (Unabridged Genius)』だと、"daddy-longlegs, daddy longlegs" を見出しとして、《略式》つまりインフォーマルな呼称として、「1 《米》〔動〕ザトウムシ (harvestman).  2 《英》〔昆虫〕ガガンボ (crane fly)」と書かれています。

  そして、さらに、何語であれ、細かい動植物名はふつうの辞典には網羅されないのがふつうなわけで、英語の百科事典的なものも調べてみると、つぎのように、"daddy longlegs" (さらにそのヴァリアントとして、daddy-long-legs, daddy long legs, daddy longleggers さらに granddaddy longlegs 〔足長爺さん〕など)は、3種類の動物(ムシ)を指しうる言葉だということがわかります。

1.  昆虫で crane fly (日本で言うガガンボ、俗称カトンボ、アシナガトンボ)――Tipulidae

2.  クモで cellar spider (日本のアシナガグモと近い種類)――Pholcidae のとくにPholcus phalangioides を呼ぶ俗称。

3.  クモのようだけどクモではない harvestman [=harvester, harvest spider] (日本でいうメクラグモ、ザトウムシ)――Opiliones

  2番目のクモの仲間は、前の記事に画像もアゲていなかったので、あげておきます――

800px-Pholcus_phalangioides_6908.jpg 
Pholcus phalangioides image via Wikipedia, "Pholcus phalangioides" (cellar spider; skull spider)

    これは胴長はメスは9ミリほどでオスはそれより小さく、足は胴体の5倍ほどあり、メスの場合全長7センチくらいにもなるようです。英語の一名 "skull spider" (「ドクログモ」)ですが、日本では幽霊ぐもともいうみたい――tangorin.com

  いまのは英語のウィキペディアですが、日本語のウィキペディアの「アシナガグモ」に載っている画像は、近縁種のシロカネグモ (Leucauge) だけで、こういうクモです(まあ、ようするにいずれも種類が多いのですけれど)。――

Leucauge_venusta.jpg
Leucauge vanusta image via Wikipedia 「アシナガグモ」 (シロカネグモ)

  それで、アシナガグモの仲間は、直接捕獲することもあるようですが、ともかく糸を吐くクモです。

  3番目のクモのようだけどクモではないというのが、ジュディーが描いている daddy-long-legs ですけれど、"arachnid" の一種です。 "arachnid" というのは、ギリシア語の arakhne (=spider) に由来するのだから、クモ科(-id は、その科に属する動物を指す接尾辞です)なのだけれど、「蛛形(しゅけい)」類、クモ形類の節足動物を指すコトバです。ダニとかサソリもこの仲間です。そのarachnid のなかの opiliones が俗名 harvestman やdaddy-long-legs に該当するグループですが、でも種類は多くて、確かにダニみたいで、足の短いのもいれば、ジュディーが描いたように豆に長い足が8本生えたのもいます。harvestman というのは収穫時期に雇われる人のことですが、伸びる影の様子から来てるんですかねえ。

  で、ダニやサソリを出しておいてなんなんですが、daddy-long-legs と呼ばれるarachnid は、毒をもたず、糸も吐きません。さらに、クモとの違いは、頭、胴、尻がクモのようにも昆虫のようにも分節していないことです。イメジとしては、まったり・なごみ系(そんな系があるんけ)。ともあれ毒グモとは対極的です。"wavering" を曾野綾子は「もぞもぞした」と訳しているけれど、長い脚でふんばってふわふわ体が揺れる感じでしょう。

    非常におおざっぱに地理的にわけると、アメリカで "daddy-long-legs" というと 3)、イギリスだと1) 、オーストラリア、ニュージーランドだと2) みたいな感じですけれど、2) はアメリカでも太平洋岸、大西洋岸では "daddy-long-legs" と呼ばれるクモとしているみたい。

    日本語ウィキペディアの作品『あしながおじさん』を扱う記事「あしながおじさん」は、「概要」で「原題の"Daddy-Long-Legs"とはクモに縁の近い小動物であるザトウムシ」とちゃんと記していますが、続けてガガンボをカッコに入れているので、ちょっと confusing です――「原題の"Daddy-Long-Legs"とはクモに縁の近い小動物であるザトウムシ(ガガンボ)のことで、作品中にもこの蜘蛛に似た虫が登場している。」

  ま、ということで、なかなか混乱がおさまらないようです。コトバとモノについてなんか書こうと夢見ていたのですけれど、大人気ない理屈を垂れそうなので、それはいずれ。

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メモ的url

「『あしながおじさん』 ジーン・ウェブスター 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇」 <http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1308.html>

「あしながおじさん」 Wikipedia <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%81%8A%E3%81%98%E3%81%95%E3%82%93>

日本の長野あたりの daddy-long-legs について――
「ザトウムシ」 <http://riverwalkers.jugem.jp/?eid=277> 〔Riverwalkers さんのブログ『SST'S フィールドスケッチ――Flyfishing field note』 2006.12.9〕

あらためて英語Wikipedia の "Opiliones" ["Harvestman"] <http://en.wikipedia.org/wiki/Harvestman>
 

 


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マリ・バシュキルツェフの日記 Marie Bashkirtseff's Journal [Daddy-Long-Legs]

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Daddy-Long-Legs (Century, 1912) 

『あしながおじさん』の2年生 (sophomore) の、たぶん1月なかばころの手紙(前半は、二度目に大学を訪問した「ジャーちゃん」(東健而の訳だとw)と会ってみんなでお茶をしたことが書かれている)で、マリ・バシュキルツェフの日記から引用して、「天才」というものの苦しみについておどけて書いています。――

     We're reading Marie Bashkirtseff's journal.  Isn't it amazing?  Listen to this: "Last night I was seized by a fit of despair that found utterance in moans, and that finally drove me to throw the dining-room clock into the sea."
     It makes me almost hope I'm not a genius; they must be very wearing to have about――and awfully destructive to the furniture.
     Mercy! how it keeps pouring.  We shall have to swim to chapel to-night.  (Penguin Classics 版 p. 58)
    (私たち〔というのが教室でなのか、同室のジュリアやサリーあたりと一緒になのか曖昧です〕、マリ・バシュキルツェフの日記を読んでいるところです。これって驚きじゃないですか? 聞いてください――「昨晩、私は絶望の発作に捉われた。発作は呻き声となって現われていたが、しまいに発作に駆り立てられた私は食堂の時計を海に投げ込んだ」
  自分が天才でないようにと願いたい気持ちになりそうです。天才があるとたいへん消耗しそう――家具がものすごく壊れそうですし。
  なんて降り続く雨でしょう。今夜私たちはチャペルへ泳いでいくことになりそうです。

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  マリ・バシュキルツェフ (1858-84) はロシア(ウクライナ)生まれの女性画家で、貴族の娘としてヨーロッパをまわりながら教育(当時金持ちに一般的であったように、家庭教師の個人教授)を受け、パリで美術学校に入って画家として、またフェミニストとして、若くして天才を発揮した人です。25歳の若さで結核により逝去。バシュキルツェフの十代前半から亡くなる11日前の1884年10月20日までの日記が、死の翌年に作家アンドレ・チュリエによって編集され Journal de Marie Bashkirtseff (Paris: Bibliotheque Charpentier, 1885) として出版され、赤裸な日記作者としても有名になります(日記内では1860年生まれということになっているようです)。

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Marie Bashkirtseff (1878), image via English Wikipedia

 

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Marie Bashkirtseff, In the Studio (1881), image via Wikipedia クリックで拡大

  フランス語原書16冊本からの抄訳の英訳は現在に至るまで複数(20世紀だと1908年のA. D. Hall, trans., Chicago: Rand McNally、1985年のLondon: Virago、1997年のPhyllis Howard Kernberger and Katherine Kernberger, trans., Chronicle Books)ありますが、フランス語原書の5年後に、イギリスのロンドンではマチルド・ブラインドによる英訳が、そしてアメリカのニューヨークではMary J. Serrano 訳、Bashkiertseff: The Journal of a Young Artist, 1860-1884 (New York: Cassell, 1889; 434pp.) が出版されて、英語圏でもよく読まれだしたのでした。

  メアリー・セラノ訳のアメリカ版は、E-text を各種見ることができます――<http://www.archive.org/details/mariebashkirtsef00bashiala>。

  日本では野上豊一郎が国民文庫から上下巻として大正15年、昭和3年に邦訳をしました。この翻訳の新字新仮名遣い版がWEB で笹森さんによりブログとして刊行中です――『Journal de Marie Bashkirtseff-マリ・バシュキルツェフの日記』<http://marie1860.exblog.jp/i2/>。

  個人的には、30年前に、まだ大学生高校生だった頃に池袋の古本市に出ていた立教通りのほうの夏目書房の出品と別の日にどこかでさらに2冊セットを、前後して2部買ったのでした。なんでダブって買ったのか覚えていませんがw。 西武の古本市のレシートを見ると、1977年2月6日で2800円でした。毎度ありがとうございます。

  と、ともあれ、ジュディーが引用している箇所は、1877年1月23日の日記冒頭です。ちょっと続きも含めて書き写してみます、野上の訳も添えて。――

Tuesday, January 23.  Last night I was seized by a fit of despair that found utterance in moans, and that finally drove me to throw the dining-room clock into the sea.  Dina ran after me, suspecting some sinister design on my part, but I threw nothing into the sea except the clock.  It was a bronze one a Paul, without the Virginia in a very becoming hat, and with a fishing-rod in his hand. Dina came back with me into my room, and seemed to be very much amused about the clock.  I laughed, too.  Poor clock ! (pp. 121-122:  Cf. <http://www.archive.org/stream/mariebashkirtsef00bashiala#page/120/mode/2up>

 

昨夜私は絶望の發作に捉へられて聲を立てて泣いてゐたが、遂に食堂の時計を海に投げ込んでしまつた。ヂナが何か變事が私に起つたのではないかと心配して後から追つかけて來た。けれども投げ込んだのは時計だけであつた。それは靑銅の時計で、ヴィルジニイはゐないでポオルだけが、ふさはしい帽子をかぶつて釣竿を持つてゐるところであつた。ヂナが私と一緒に私の部屋へ歸つて來て、時計のことを非常に面白がつてゐるやうであつた。私も笑ひ出した。
  可哀さうな時計! (ルビ省略 上巻561-562頁: Cf. <http://marie1860.exblog.jp/5184361/>)

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   『あしながおじさん』に引かれた英語は、パンクチュエーションも含めて、アメリカ版の英訳のとおりの精確な引用であることがわかります。

  ところで、ペンギン・クラシックス版だと、挿絵がちょうどバシュキルツェフの引用のところにかかっているのですが、オリジナルのセンチュリー版だと、雨降りの夜の短いふたつのセンテンスの記述(と手紙の結語)だけにイラストと一緒に一ページ使われているのですね。てっきり海=雨のイメジつながりかと思っておったのですが(まあ、それはあるかもしらんが)。

  ついでながら、松岡正剛は、中学校3年くらいの少年時の読書というかたちでテライを隠しつつ、『あしながおじさん』についてあれこれ語っていますが、この挿し絵も引用されていて、そこには「遠ざかる少女の後ろ姿」という題がついています(本文では言及なし)。4人の少女ではなくて、1人の少女についての、パラパラ漫画的なもの、あるいは分解写真的なもの、あるいは忍者の分身の術みたいなものと見ていたのかしら。〔「『あしながおじさん』 ジーン・ウェブスター 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇」 <http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1308.html>〕 

    もいっちょついでながら、アメリカ版英訳者のMary J. Serranoは、1912年に New York のDodd, Mead and Company から、Marie Bashkirtseff (From Childhood to Girlhood) のタイトルで出版された補完的な抄訳を行なった Mary J. Safford と同じ人ではないかと思われます――これもGutenberg はE-textにしています―― <http://www.gutenberg.org/files/13916/13916-h/13916-h.htm >。

///////////////////////////////////////////////

旧字辞書 <http://www21.big.or.jp/~tamomo/Aozora/kyuuji002.txt>    

 


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『あしながおじさん』とエミリー・ディキンソンの詩 Emily Dickinson's Poem in Daddy-Long-Legs [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』1年生の4月から5月にかけて書かれたらしい一連の手紙のひとつ、「金曜夜9時半」の日付の手紙は、その日いろいろなトラブルやモメゴトやワケワカランコトがあった報告ですけれど、そのなかで、午後の英語(国語)〔英文学〕の授業で、黒板に教師が誰のものともわからない8行の詩を書いていて、それについて思うところを書けという課題があったことを報告しています。

[. . .]  In English class this afternoon we had an unexpected writing lesson.  This was it:

               I asked no other thing,
               No other was denied.
               I offered Being for it;
               The mighty merchant smiled.

               Brazil?  He twirled a button
               Without a glance my way:
               But, madam, is there nothing else
               That we can show to-day?

     That is a poem.  I don't know who wrote it or what it means.  It was simply printed out on the blackboard when we arrived and we were ordered to comment upon it.  When I read the first verse I thought I had an idea―The Mighty Merchant was a divinity who distributes blessings in return for virtuous deeds―but when I got to the second verse and found him twirling a button, it seemed a blasphemous supposition, and I hasitily changed my mind.  The rest of the class was in the same predicament; and there we sat for three quarters of an hour with blank paper and equally blank minds.  Getting an education is an awfully wearing process!  (Penguin Classics版, p. 37)

 

   (午後の英文の授業では思いがけない作文の課題がありました。これがそれです。――

        わたしは他には求めなかった
        ほかのものは拒まれなかった
        わたしはそれには存在を支払うと申し出た
        強大な商人はほほえんだ

        ブラジル? 彼はボタンをまわして
        こちらを見なかった
        しかし、マダム、ほかにお目にかけるものは
        今日はございませんか

  これは詩です。誰が書いたのかもどういう意味なのかも知りません。教室に着くと黒板にブロック体でただ書かれていただけで、コメントを書くように指示されたのです。最初の節[verse=stanza]を読んだとき、わたしはわかったと思いました。――<強大な商人>というのは、善行の見返りに恵みをほどこす神だと。――ところが、第二連になると、彼はボタンをいじくっています。それで、神さまと考えるのは涜神的になりそうなので、わたしはあわてて考えを変えました。クラスのほかのひとたちも同様の苦境におちいっていました。そうして、私たちは45分間みんな白紙のまま、頭も白紙のまま途方にくれました。教育を受ける過程というのはものすごく消耗するものです。)

    ペンギン・クラシックス版の編者のエレイン・ショーウォルターは、尾注29番 (p. 351) を付して、これがエミリー・ディキンソンの詩で、作者のジーン・ウェブスターはヴァッサー大学(ここに経済学と英文学のダブル・メイジャーでウェブスターは在籍しました――1897年から1901年まで――)でディキンソンのこの詩を読んだと書いています。――

From Emily Dickinson's poem "Part One: Life."  Webster and her classmates studied this poem at Vassar, well in advance of Dickinson's critical acclaim as a major American poet.

    仮にマリ・バシュキルツェフも教室で読んでいたのなら、メジャーもへったくれもないと思うのですが、それはさておき、メジャーなアメリカ詩人として認められるのに力があったのは、もちろんディキンソンの死後に友人たちによって19世紀末に詩集が何冊も刊行されたことが出発点ですけれども、学者としてディキンソン評価に力があったのはトマス・H・ジョンソンで、今日、ジョンソン編の3巻本の全集がディキンソン詩集の定本となっています。ディキンソンは詩のタイトルを付けないことも多かったのですけれど、ジョンソンは原稿を調査し、通しで番号を振って、全体像をあらわにしたのでした。

  で、そのジョンソン編の全集だと621番の詩です(478ページ)。

          I asked no other thing ―
          No other ― was denied―
          I offered Being ― for it ―
          The Mighty Merchant sneered ―

          Brazil?  He twirled a Button ―
          Without a glance my way ―
          "But ― Madam ― is there nothing else ―
          That We can show ― Today?"

textual note 的な情報として書き添えられているのは、"4.  sneered] smiled ― " という異同と、"MANUSCRIPT: About 1862, in packet 40 (H 215d)." つまり原稿は1862年ごろのもので、40番の資料包みに入っていること、それから "PUBLICATION: Poems (1890), 25.  The suggested change is adopted." つまり刊行の歴史としては1890年版の『詩集』25ページ、そして誰がsuggest したか知りませんが、smiled となっていたのはsneered が正しかろうということで直したよ、という記載です。1890年初版の Poems 第一集は Internet Archives に見つかります(1891年、1892年、1893年の再版と一緒に並んでいるので探すのに苦労しましたが)。

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Emily Dickinson, The Poems, ed. Mabel Loomis Todd and Thomas Wentworth Higginson (Boston: Robert Brothers, 1890)

    冒頭の2語(I と asked)が大文字とスモールキャピタルとなっているのは昔の(いまでもイギリスにはけっこう残っているらしい)出版の美的な約束事です。ですので、第二連の最後の2行の "He" のことばが引用符に入っている・いない、という一点を除けば、ジュディー(あるいはジーン・ウェブスター)が引いているテクストは、1890年版詩集に、トマス・ジョンソン版全集よりもずっと、近いです。つーか、その一点以外は、第二連1行目の button のあとにコンマがあるかないかだけの差です。

  いっぽう、ジョンソンが復元したテクストは、大文字が多い。ダッシュが多い。ジュディーが地の文で "The Mighty Merchant" としているフレーズは実際大文字になっていて、あたかもジュディーの読み――この商人はdivinity ではないかという blasphemous な読み――を後押しするかのようです。まー、ディキンソンは大文字を多用し、それは必ずしも神ではないのですが(18世紀から19世紀のロマン派詩人に似ているかもしれない。よく知らんが)。

    この詩は、たぶんディキンソンの難解詩のひとつで、わけがわからん、というのがまっとうな応答であるような気もします(いいかげん)。他のものは拒まれずに提供されるなかで、「私」はひとつのものだけ求め、それに自分の存在を差し出してもいいと言う。それがブラジル。商人はボタンをいじくり、他のものではどうか、と笑いながら言う。ブラジルが当時の雑誌を経由してダイアモンドの換喩であるとか、なんたらいうような解釈をする人もいるようですが(Rebecca Patterson)、とりあえず歴史的コンテクストから離れてみたとき、意外なのは、この、ヴァッサー大学での実際のジーン・ウェブスターの体験をもとにしたらしい授業が、まさしく作者の私的・歴史的背景を離れて自律・自立する作品という、いわゆるニュークリティシズム的な実験を先取りしているところではないでしょうか。つまりいつの誰の作品と言わず、テクストのみで考えてみるみたいな。まあ、だめなんですけど(笑)。

  ついでながら、ショーウォルターが注で Emily Dickinson's Poem "Part One: Life" と書いている、その "Part One: Life" は詩のタイトルではなくて、この詩が入っている詩集の「第一部――生」です。初版の詩集だと "Part" じゃなくて "Book" ですが(Book 1 が「生」、2が「愛 Love」、3が「自然 Nature」です)。――

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  12番が "I asked no other thing" で、引用符に入っているのは、もともとタイトルは付いておらず、仮に第一行を題とした、という含みです。

  えーと、この詩のナカミについては、秋になってヒマになったら書くかもしれません。

  が、しかし既にジーン・ウェブスターがほのめかしているかもしれないのは、研究やらを通して作家の個人的・歴史的背景がわかってしか意味がぜんぜん了解されないようなテクストは、ダメなんじゃないか、ということかもしれません。いちおー、もうちょっと素直に考えれば、エミリー・ディキンソンへのユーモアを含んだプライヴェトなオマージュなのかもしれませんが。さらにまじめに考えると、『あしながおじさん』における神の問題とからんでくるのかもしれませんが――ほんとにそうかもしれない。

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「おしえて!HOME'Sくん あしながおじさん (ジーンウェブスター著) の中にある詩(エミリ・ディッキンソン) の解釈について」 <http://oshiete.homes.jp/qa4947324.html> 〔2009.5.10〕

 


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三月の風が吹いている There Is a March Wind Blowing [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』の2年生の3月5日の手紙の冒頭。「3月の風が吹いていて、空いっぱいに、重たく、黒い雲が動いています。松の並木のカラスたちが騒いでいます。それはうっとり酔わせるような、うきうき快活にさせるような、呼んでいるようなざわめき。本を閉じ、丘を駆けって風と競争をしたくなります。」 というふうにジュディーは書いています。

There is a March wind blowing, and the sky is filled with heavy, black moving clouds.  The crows in the pine trees are making such a clamor!  It's an intoxicating, exhilarating, calling noise.  You want to close your books and be off over the hills to race with the wind.  (Penguin Classics, 61; Century, )

  3月の風が吹く・・・・・・、という文章自体、とりたてて特殊なものとは思えないかもしれません。しかし――

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(p. 375)

    これは、『あしながおじさん』のテクストの数ページ前(ペンギン版だと58ページですから、3ページ前)に引用されていた、女性画家マリ・バシュキルツェフの日記〔先の記事「マリ・バシュキルツェフの日記 Marie Bashkirtseff's Journal」参照〕の1884年3月24日の一節です。前の引用は、1877年1月23日の日記からのもので、マリはまだ10代でした。1884年というのはバシュキルツェフが亡くなる年です。

  "There is a March wind blowing, and the sky is" まで同じです。おちゃめな引用と言えるものなのでしょうか。それともひそかなテクストの響きあいがあるのでしょうか。

  


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『あしながおじさん』 Asa の謎 Asa Mystery [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』 (1912) を書いたJean Webster は、『続あしながおじさん』たる Dear Enemy を1915年に出版した翌年、満40になる前に亡くなってしまいますが、大学時代に創作を始め、24歳でヴァッサー大学(当時女子大)を卒業して作家としての独立を志し、1903年には在学中に書いた短篇をまとめた最初の単行本『パティーは大学へ行った』を出版しており、15年ほどの作家活動で、10冊足らずの本を書きました。いずれE-text とリンクしたリストをまとめようと思っておるのですが、日本語の訳書のなかには次のような著作年譜が見られます〔えーと、いちおう "The Four-Poors mystery"、"Four-Pools mystery (四つのプールの秘密)" と記されている作品のミステリーについては、カリフォルニア時間「June 30 Pg4のミステリー――本の電子化について――The Four-Pools Mystery by Jean Webster (1)」、「June 30 Pg4のミステリー――本の電子化について――The Four-Pools Mystery by Jean Webster (2)」、「June 30 Pg4のミステリー――本の電子化について――The Four-Pools Mystery by Jean Webster (補足)」、「July 19 ウェブスターの『フォー=プールズ・ミステリー』または本の電子化とテキストの正確性について――The Four-Pools Mystery by Jean Webster (続き)」を参照です〕。――

Asa.jpg

  1912年の Daddy-Long-Legs (『あしながおじさん』)と1915年の Dear Enemy (『続あしながおじさん』)のあいだにはさまっている著作。左の日焼けした文庫(昭和29年初版で、自分が持っているのは昭和52年2月の41刷)だと、

     Asa (a play)  1914年

です。右の昭和56年の本だと、

     一九一四年 Asa Caplay (エーザ=キャプレイ)

と書かれています。後者を見たのは最近で、思わず本をブン投げそうに、いやトリ落としそうになったのですが、上の "Asa" というのはまじめにしばらく考えていた時期がありました。

  アサ? アーサ? アサー♪ ・・・・・・それは谷岡ヤスジ〔リンク先の絵を参照〕。だじゃれじゃないか。だじゃれじゃない

  そして、調べてみると、1914年というのは、ウェブスター自らが小説『あしながおじさん』の脚本を書いて舞台に乗せた年だったのでした。さらに最近調べたところではヴァッサー大学の "Jean Webster McKinney Papers" (McKinney というのはWebster が結婚してあらたまった姓です)という資料の Box 12, Folder 5 には、この芝居に関する作者の文書が保存されているようです。ただし、まとまった脚本として残っているのか不明です。少なくとも公に刊行された形跡は見当たりません。

  だから、もちろん (a play) は「戯曲」の意味ですが、問題は Asa です。

  アサ? アーサ? 露光? だじゃれじゃないか。だじゃれじゃない

  ふつうに考えると "as a play" でひとつのまとまりのように思えるのですが、カッコのつきかたがいやはやなんとも。そして、どの資料や原稿やメモをもとにどこがどうしてそういう発想になったかは推断できませんが、右の本はカッコをCと取って、Caplay という新たなコトバをこしらえたのだと思われます。えー! えーかっこしー、みたいな感じでしょうか。だじゃれじゃないか。だじゃれじゃない

  Asa は、なるほど人名としてなら辞書に載っています。が、それ以外は噛み合わない意味しか載っていません。

  そして、この文庫は今もこの箇所を直していないのかどうかはわかりませんが、WEB 上には、この作品リストを掲げているページがあります。「ジーン・ウェブスター作品のページ」とか(他作品の翻訳情報があって参考になります)。

  そしてさらに調べてみると、実は日本の訳者以前にこのように記載している原書があったのでした。訳者はとりあえず、それをそのまま写したのでしょう。

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p. 19

     Daddy-Long-Legs, 1912.
        Asa (a play), 1914.
        Dear Enemy, 1915. 
    

    もっとも、おまけに未刊行の Pipes of Palestrina (an unpublished comedy) というのが付いています。しかし明確に "unpublished" と書かれているので落としたのではないか。

  この本は、1940年に初版が出たらしい Grosset & Dunlap 社のリプリント版で、冒頭に10ページほど無署名の "Introduction" が付されており、その中身は過去の雑誌記事の切り貼りだったりするところがあるようなのですが、綴り間違いが多いウェブスターに対して先生が、君は何を典拠 (authority = 権威)にしているのだ、と尋ねたところ「ウェブスター」と答えたというエピソードとかあれこれ訳者や研究者のネタになりそうなことが書かれている序文です。Webster というのは作家の名前であると同時にアメリカのたいへん標準的な歴史的に権威ある辞書(ならびにその編纂者)の名前であります。だじゃれじゃないか。だじゃれじゃない

  そうすると、 Asa は As above なのかなー、とか想像するのですが、自信はありません。ともかく Asa という芝居をウェブスターが書いていないのは事実です(わからんがたぶん)。しかし奇妙です。

WS000167.JPG
Jean Webster, Daddy-Long-Legs (New York: Grosset and Dunlap, Thrushwood Book, 1940[?]) <http://www.archive.org/details/daddylonglegs00webs>

  なんか既に19世紀末的な雰囲気はみじんもない表紙カバー絵なのでした。

WS000168.JPG

    copyright ページを見ると、1912年初版の出版社 The Century Company と並んで、1940年に "Jean McKinney Connor" の名が出ています。この人は、Jean Webster が亡くなる2日前に生まれた娘で、Ralph Connor というひと(ヴァッサー大の理事だったらしいです)と結婚してコナーが姓になりました。戦後、1977年に、ジーン・ウェブスターならびにマーク・トウェイン関係の資料をヴァッサー大学に寄贈したのはコナー夫妻です。

  イントロは娘さんが書いたのでしょうか。謎です。この本の初版が1940年かどうかも断定はできないのですけれど。Internet Archive の情報は1912年ともともとの年を書いちゃってますけれど、さすがにそれはない。しゃれにならないくらいない。

 


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ジーン・ウェブスターの未刊行作品とやら  Pipes of Palestrina (an unpublished comedy)  [Daddy-Long-Legs]

新潮文庫その他の "Asa" という幻のジーン・ウェブスター作品の元になったと考えられるアメリカのリプリント版 Grosset & Dunlap 社の "Introduction" の最後の書誌には、おまけに未刊行の Pipes of Palestrina (an unpublished comedy) というのが付いていました〔「『あしながおじさん』 Asa の謎 Asa Mystery」参照〕。

  これも気になって、調べました。Asa 同様難航しましたが、結論的には、これも誤記でした。正しくは、The Pigs of Palestrina というのでした(ヴァッサー大学のWebster Papers 案内 <http://specialcollections.vassar.edu/findingaids/mckinney_webster.html>参照: Folder 9 と Folder 10)。1912年ごろに集中的に執筆していたようです。誰がイントロ書いたかわからんわけですけれど、Pigs → Pipes という変化は、なにゆえなのでしょう。Asa (a play) については As above (a play) かな、と推測しましたけれど、可能性としては As a play → Asa a play → Asa (a play) というのも考えられます。実際、"asa a play" で検索をかけると、誤ってa をas につけてしまったテクスト(ぜんぜん無関係)がありうることがわかります。

  asa a という a のダブりは、きわめてワープロ的・タイプ的な間違いだと思われ。

  それに対して Pigs が Pipes というのは、手書きの原稿を誤読した結果だと思われ。

  ちょっと興味がわいたのは、ひとつは編集者の責任的関与問題、もうひとつは原稿の形式の問題です。

  このGrosset 版は、ハードバックとはいえ、そして10ページの序文が付いているとはいえ、一般向け廉価版だと考えられます。そういうとき無署名の序文に編集はどのように関与したのか(もちろん可能性としては編集部自体がイントロをまとめたということも考えられますが)。個人的に若干の名物編集者を知っているのですけれど、いろいろなタイプがいるとはいえ、優秀な編集者は、著者が不確かなところもちゃんと調べて、誤りがあれば著者(存命ならば)に打診し、直します。誤字誤植の訂正はもちろんです。・・・・・・というのは自分の個人的、ということはたかだかここ二三十年の印象です。けれど、でもなんか、少なくともむかしはアメリカ、日本とも、このAsa 問題についてはユルかったのね。

  ふたつめは、原稿って、とりあえず英米では、19世紀までは手書きだったけれど、19世紀末から20世紀になると、ヘミングウェイとかの写真が思い浮かぶように、原稿を作家がタイプで打つ、というのが一般化していくのかな、という印象があります。タイプ(ワープロ)で Pigs と打たれていたら、それはPipes と読み誤ることはないだろうし、Pigs をPipes とタイプで打ち誤るということもありそうになりのですが。そうなると、少なくともこの著作リストの部分は手書き原稿だったのかなあと。

  ちなみに『あしながおじさん』の物語の中では、ジュディーは手書きの原稿をいくつかの出版社に送ります。送り返された原稿を読んで、たまたまロックウィロウ農場に滞在中のあしながおじさん(かとんぼスミス氏、というかジャーちゃん、というかジャーヴィス・ペンドルトン)はひとつを自らタイプ原稿として打ち直し、別の出版社に送る。そして、それが採用されることになります。――2年生の8月のエピソードです。その夏「短篇小説6つと詩を7編」書いたジュディーは、雑誌社に送る。どれも速やかに送り返される。ジャーヴィスは、郵便を受け取る係だったので(というのが理由ですが)、全部を読みます。そして、どれも自分が何を描いているかわかっていなくてだめだけれど、大学生活を描いたスケッチ風の短篇だけは悪くない、と言って、タイプに打つわけです。それが採用されて50ドルをジュディーは受け取ります。キオスクで発売中、といってタイトルをジュディーは9月の手紙で示します――「二年生が試合に勝ったとき」。タイトルから推して、前年の11月12日のバスケット・ボールの試合のことを書いた短篇小説なのでしょうか。あるいは5月4日の運動会のことを書いたものなのでしょうか。断定できず。手紙の内容の充実度からすると後者かもしれませんが、なんとも。

  なんでタイプで打ったのかとか、実はなんかテクストに改変がひそかに加えられたのではないか、とか想像をたくましくする人もいるのかもしれないけれど、もっとあっさりと、(1) 送り返された原稿には出版社の編集者による書き込みがあって再利用再送付不能だった、 (2) タイプ原稿は印象がよい、という事情かもしれません。テクストにジャーヴィスによる手が加えられていたなら、ジュディーは腹立ててるでしょうしね、性格的に。

  あと、未発表、未刊行の原稿はかなりあるようですね。小説の戯曲化というのも『あしながおじさん』以前にいくつか試みているようですし。

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Guide to the Jean Webser Papers, 1876-1982 (bulk 1900-1916) <http://specialcollections.vassar.edu/findingaids/mckinney_webster.html>


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洗濯釜 Washboiler [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』1年生のクリスマス休暇に、たいていの寮生たちは実家に戻っていったのですけれど、キャンパスに残っていたLeonora Fenton と2年生ふたりと一緒にジュディーは、天気がよければ毎日のように近隣を杖をもって散策するのですけれど(杖はモノをバシッと打つためw)、金曜日に、ファーガスン寮の寮監さんが、他の棟(ファーガスン・ホール以外にも寮棟がいくつかある)に残っていた学生たちも呼んで、キャンディープルを開きます。 candy pull [pulling] というのは、タフィーをつくるパーティーです。

Freshmen and Sophomores and Juniors and Seniors all united in amicable accord.  The kitchen, with copper pots and kettles hanging in rows on the stone wall―the littlest casserole among them about the size of a wash boiler.  Four hundred girls live in Fergussen.  The chef, in a white cap and apron, fetched out twenty-two other white caps and aprons―I can't imagine where he got so many―and we all turned ourselves into cooks.  (Penguin 版, p. 28)
(1年生も2年生も3年生も4年生も皆ひとつの友愛に溶け合いました。炊事場は、石の壁に銅のポットやケトルずらりと並んでいています――いちばん小さいキャセロールが洗濯用の湯沸し鍋くらいの大きさなんです。ファーガスン寮には400人が住んでいるんです。白いキャップとエプロンのコック長さんが、ほかに22のキャップとエプロンを持ち出してきてくれて――そんなにたくさんをどこから持ってきたのでしょう――私たちは皆コックに変身しました。)

  そのあとジュディーたちは隊列を組んで、つくったタフィーを先生たちに差し入れしたりしてまわります。(この前(たぶん11月15日)から戦争・行軍で学習の進行はイメジ化されているところがありましたが、この一節では "procession" と "professors" と "progresses" が韻を踏んじゃったして進んでいきます。)

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Daddy-Long-Legs (Century, 1912, p. 57)

    で、作家より画家になるべきじゃないかしら、とジュディーが書く、この絵に描かれたレードルやフォークみたいな武器類の大きさもなかなかだと思うのですが、一番小さいキャセロールの大きさとされた wash boiler というのはどれぐらいの大きさのどんなものなのか、気になっていました。

  「洗たくがま」(谷川)、「湯わかし」(中村、岡上)、「洗濯用の大がま」(坪井)、「洗濯用の湯わかし」(早川、野上)、「洗濯用大型ボイラー」(谷口)、「おせんたく釜」(遠藤)、「洗濯の湯わかし」(松本)、「大きな洗濯盥[だらい]」(東)。英和辞典だと「洗濯用大型ボイラー」とか「煮釜」とか書いてあるのですが。

   どうやら、丸いもの(Virtual Victorians の画像参照)もあるけれど、楕円形のが一般的なようです。1916年のサイレント映画 Seventeen 〔同年に刊行されたBooth Tarkington の同名小説が原作(雑誌 Metropolitan Magazine 連載は1914年ですが)〕から――

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"If Lola sees me now, I'll leave this town."

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"Who is that boy with the wash-boiler hat?"

   衣類を煮るわけではなくて、洗濯用の湯を沸かす鍋というか釜のことのようです。 

////////////////////////////////////

参考urls――

Virtual Victorians Themes Gallery: Personal Health <http://victorians.swgfl.org.uk/themes/personal_health/boilerobj.htm#here>

Primitives, McCulloh's Antiques & Collectibles <http://www.mccullohantiques.com/primitives.htm>
pict0615.jpg
"Description : Copper wash boiler with wooden handles in very nice condition.  27 inches long, 12 inches wide and 13 inches high" <http://www.mccullohantiques.com/pict0615.jpg>

Early Days: Equipment for Doing Laundry <http://www.saskschools.ca/~gregory/wash1.html>


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柳にカエル Willows and Frogs [Daddy-Long-Legs]

柳に風~、その先は言わないで~♪ あ、何気なくかわすけどだw

    このあいだ書いた記事「デビルダウンヘッド (2) Devil Down-Head」で、カエルがいない、と書いたけれど、その後、モーリちゃん(現在日本の小5)から、(1)長新太のほうにはカエルが描かれていることを指摘されるとともに、(2) ふたつのイラストのうちどちらが先であるか、(3) 後者は前者を参考にして描かれていること、 (4) こっちのほうが前に描かれている、なぜなら、別のほうを元にしたらこういうふうにはならないから、など、いくつか大人びた、と思われる指摘をされてしまいました。

FourBunko.jpg

  えーと、私的なことを続けて書くならば、4月に帰国後、近所に若い女流漫画家さんが引っ越してきていて、モーリちゃんはどういう経路でか親しくなり、漫画の描き方を教わりに行ったりしているのでした。〔自分が小学生の頃を考えると、あまりの語彙と知識の(ありようの)違いにちょっと感心したのでした。ま、単にオタク的になっているだけかもしらんがw・・・・・・でも分析する知みたいなのは自分の子供のころよりはるかにすぐれているように思え、おや・・・ばかかw〕

  あーと、私的なことを適当に書けるのが「カリフォルニア時間」というブログが自分にとって持っていた意味のひとつかなあ、とか思ったりするけれども、時間はもはや過ぎ去ってしまったのだし、もうブログは同じノリでは書けないような気もします。でも実はそれは、日本に戻ってアクセクと日々の雑用やらに追われているからかもしれず、あんがい、だらりん状態になったら、同じように適当なことを書けるのかもしれない。わからない。

  と、私的に話がそれたのを戻して。

  柳にカエル。

    といえば、花札の11月、「柳〔雨〕」の絵札、小野道風と柳である。おとといレコードを久しぶりに整理していたらテイチクBEST20DELUXE『ベスト20デラックス 義理と人情』 (BL-2023~4) が出てきて、ジャケット裏に花札があるので、これも何かの義理と人情かと思い写真に撮りました。――

hanafuda.JPG
クリックで拡大

  実は表側には、石原裕次郎、渡哲也、若山富三郎、菅原文太、藤純子ねえさん、高倉健、梅宮辰夫、梶芽衣子、泉ちどり、木立じゅんが花札の枠にポートレトとして写っており、そちらのほうがおもしろいのですが、それはいつかまた(またがあるか不安ですが)。

  で、下段の右から二枚目が Rainman こと Ono Tofu with an Umbrella and a Frog です(いや、そういうタイトルか知りませんが)。

  この絵は、日本語ウィキペディアの「小野道風」の「逸話」の項によれば、いかの話に由来します。――

道風は、自分の才能のなさに自己嫌悪に陥り、書道をやめようかと真剣に悩んでいる程のスランプに陥っていた時のこと、ある雨の日散歩に出かけていて、柳に蛙が飛びつこうと、何度も挑戦している様を見て「蛙はバカだ。いくら飛んでも柳に飛びつけるわけないのに」とバカにしていた時、偶然にも強い風が吹き発心し、柳がしなり、見事に飛び移れた。これを見た道風は「バカは自分である。蛙は一生懸命努力をして偶然を自分のものとしたのに、自分はそれほどの努力をしていないと」目が覚めるような思いをして、血を滲むほどの努力をするきっかけになったという。ただし、この逸話は史実かどうか不明で、広まったのは江戸時代中期の浄瑠璃『小野道風青柳硯』(おののどうふうあおやぎすずり、初演1754年(宝暦4年))からと見られる。その後、第二次世界大戦以前の日本の国定教科書にもこの逸話が載せられ、多くの人に広まった。

  「強い風が吹き発心」というのがよくわかりませんが、発心はともかく、努力してこそ運が開けるという、まー、そういう話のようです。

  それはそれ。  

   で、なんで柳とカエルの結びつきがあるのかしら。

   たぶん柳が水辺に生えているからではないかしら。ウィキペディアの「ヤナギ」を読むと、代表的なシダレヤナギは中国原産だけれど、現在世界のあちこちにあるのは混種だそうです。そして、シダレヤナギは人為的に川辺に植えつけられてきた歴史があります。でも、たくさんの種類のあるヤナギ(日本産のものですけれど)を、「川辺に出るもの」「山野に出るもの」「高山のもの」「栽培されるもの」(一番最後のにシダレヤナギは入っています)と分けていて、「やや自然の残った河原であれば、必ず何等かのヤナギが生育」とも書いているし、「文化」の項では「植栽木として、川や池の周りに植えられた実績があり、先人が考えた水害防止対策といえる。これは柳が湿潤を好み、強靭なしかもよく張った根を持つこと、また倒れて埋没しても再び発芽してくる逞しい生命力に注目したことによる。」と書かれています。そうすると、シダレヤナギなど川辺や井戸端に植えたから水とくっついているのでなく、もともと水と親しい木なのではないでしょうか。

  カリフォルニア時間の「May 12 ブランチ・フィッシャー・ライト Blanche Fisher Wright [本・読み物 reading books]」で "Under the Willow" という童謡と"Bury Me under the Weeping Willow" という民謡を引きながら、ヤナギと死のイメジを適当に書きましたけれど、いまなんとなく思っているのは、ヤナギもまた世界軸的な樹木のひとつなのかなあと〔いちおう「October 31 エリアーデのいう中心のシンボリズム The Symbolism of the Center as Described by Mircea Eliade [メモ personal notes]」、「November 19-20 メリーマウントのメイポール(五月柱) II――ルネサンス・フェアをめぐって (下のはじまり)  Renaissance Fair (6) [America]」など参照〕。

つづくかもしれません

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  愛知県春日井市東野町西にある三ツ又ふれあい公園には「ヤナギに飛びつく蛙」をイメージした巨大なフォリー(遊具)があるのだそうである〔愛知県建設部講演緑地課 企画・景観グループ制作の『美しい愛知づくり景観資源』「蛙と遊ぶ 春日井市」 <http://www.pref.aichi.jp/koen/keikanshigen/kasugai/018.html>〕。

「ファッション Footwear Fashion] <http://www.karankoron.com/geta_fashion.html> 〔『よくおでんした。盛岡へ Gata-Shop, AKAI-HANAO-NO-JOJO』内、「蛇の目」は霊力をもつそうです〕

 


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おじさんの齢 Daddy's Age [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』のジュディーとおじさんの年齢の開きに、たとえば画家マリ・バシュキルツェフとジュール・バスチアン=ルパージュ Jules Batien-Lepage, 1848-1884 の、あるいはオフィーリアとハムレットの歳の差がダブっているものかどうか怪しんでいる今日この頃です。

  が、とりあえず、あしながおじさんの年齢について――

(1)  2年生1月はじめの土曜日の手紙(マリ・バシュキルツェフに触れている手紙です)で、大学にまたジャーヴィス・ペンドルトンがやってきて、ロックウィローの話をし、ウッドチャックの巣穴に触れるところで、年代が推定できる記述がひとつ出てきます。――

He wanted to know if there was still a woodchuck's hole under the pile of rocks in the night pasture―and there is!  Amasai caught it a big, fat, gray one there this summer, the twenty-fifth great-grandson of the one Master Jervie caught when he was a little boy.  [Penguin Classics, p. 57]

   ジャーちゃんがロック・ウィローで養生したのは、11歳ぐらいだったと前に書かれていました(1年生7月12日付にはじまる長い手紙(ジャーヴィスが読んでいた本に書かれたコトバ「この本が迷子になっていたら・・・・・・」が言及されている手紙―― "He spent the summer here once after he had been ill, when he was about eleven years old; and he left 'On the Trail' behind" [Penguin Classics, p. 49])

  woodchuck (=groundhog) が年に1回しか産まないのかどうか、ちゃんと調べないといけないのですが、とりあえず小学生算術的には、1年に1代増えて、25年が経っている、という計算を想定しているのではないかと思われます。そうすると、35~36歳ですか(謎)。

(2)  4年生の10月3日の手紙で、ジャーヴィス・ペンドルトンについておじさん(=ジャーヴィスなわけですけど)に語り、年齢差についても触れています。――

I wish I could make you understand what he is like and how entirely companionable we are.  We think the same about everything―I am afraid I have a tendency to make over my ideas to match his!  But he is almost always right; he ought to be, you know, for he has fourteen years' start of me.  (p. 126: emphasis added)

  「私より14年も先に生まれたんですもの」

 

    以上の二つを方程式として(?) 解かねばならんのですが、解けないので数日旅に出て考えてきます。ばらさ。

PS. 

(3)  わたしがおじさんになったらあなたもおばさんよ~♪

  関数問題もあるのでした。


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ジュディーの年齢 Judy's Age [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』のジュディーとおじさんの年齢の開きに、たとえば画家マリ・バシュキルツェフとジュール・バスチアン=ルパージュ Jules Batien-Lepage, 1848-1884 の、あるいはオフィーリアとハムレットの歳の差がダブっているものかどうか怪しんでいる今日この頃です。のつづき。

  この前の「おじさんの齢」で、(1) ジャーヴィス・ペンドルトンは11歳頃にロック・ウィローで夏を静養したが("He spent the summer here once after he had been ill, when he was about eleven years old" [Penguin Classics, p. 49])、それからおよそ25年くらい経っているらしいこと、(2) ジャーヴィス・ペンドルトンはジュディーより14年前に生まれているらしいこと("he has fourteen years' start of me" [p. 126])を確認しました。

  ジュディーの年齢について確認を試みます。

  第一に、冒頭の「ブルーな水曜日 "Blue Wednesday"」のなかに、地の文で一箇所、リペット院長の発話で一箇所、ジュディーの年齢についての記述があります。

①最初のページの第二段落で「かわいそうなジェルーシャ・アボットは、一番年長の孤児なので poor Jerusha Abbott, being the oldest orphan」 (p. 5) と紹介されるジュディーは、次のページで、ふつうの家の中を知らないので、帰っていく理事たちの住む建物の中までは想像力が及ばない、と書かれていますが、そこで自然に歳が示されます。――

Poor, eager, adventurous little Jerusha, in all her seventeen years, had never stepped inside an ordinary house; she could not picture the daily routine of those other human beings who carried on their lives undiscommoded by orphans. (p. 6: 強調付加)
(かわいそうな、ひたむきな、冒険心に富んだ小さなジェルーシャは、17年間の人生で、一度もふつうの家に足を踏み入れたことがなかった。孤児たちに悩まされない生活を送っている外の人々の日常生活を思い描くことなどできなかった。

②ジュディーを呼び出して恩着せがましい説明をするリペットの言葉――

"Usually, as you know, the children are not kept after they are sixteen, but an exception was made in your case.  You had finished our school at fourteen, and having done so well in your studies―not always, I must say, in your conduct―it was determined to let you go on in the village high school.  Now you are finishing that, and of course the asylum cannot be responsible any longer for your support.  As it is, you have had two more years more than most." 
     Mrs. Lippett overlooked the fact that Jerusha had worked hard for her board during those two years [. . .].  (p. 8: 強調付加)

③第二に、というか第三に、3年生の11月9日の手紙で、前の週に21になったと書かれています。――"I was twenty-one last week" (p. 93) .

  とりあえず、現時点では以上3箇所の情報があります。③はジュディーの誕生日が10月の終わりか11月の頭であるということを示しています。もっと細かく推測すれば、10月27日から11月5日か6日くらいのあいだと考えられるのではないでしょうか。いや・・・・・・適当な計算はいけませんね。

  ちょっと出かけて道中で考えてみます。

  つづく

 


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