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『蚊とんぼスミス』――東健而の『あしながおじさん』 (1) Azuma Kenji's Translation of Daddy-Long-Legs [Daddy-Long-Legs]

ユーモア作家であった東健而(アズマ・ケンジ Azuma Kenji, 1889-1933)による『あしながおじさん』の邦訳が『蚊とんぼスミス』としてあったということは以前から知っていて、気になっていました。

  情報的に初めて知ったのは、たぶん旺文社文庫(旺文社文庫というのは、現在の若い人たちにはわからないかもしれないけれど、翻訳のみならず日本文学も含めて、ページごとに注釈が付いて、詳しい解説のある、いい意味で「学習」的な文庫でした)の巻末の書誌情報だったと思います。すなわち、訳者の中村佐喜子さんは、参考になる既訳として、以下のリストをあげています(『続あしながおじさん』については割愛)。――
『蚊とんぼスミス』 東健而(昭8玄文社)
『あしながおじさん』 遠藤寿子(昭8・昭25岩波文庫 昭25岩波少年文庫)
『若き世界』 村上文樹(昭17教文館)
『あしながおじさん』 川端康成・野上彰(昭30創元社)
『あしながおじさん』 厨川圭子(昭30角川文庫)
『あしながおじさん』 松本恵子(昭29新潮文庫)
『足ながおじさん』 中村能三(昭30若草文庫)
    個人的には、同じ昭和8年(1933年)に出たふたつの訳は、どっちが先だったのだろうとかボケーっと思っていたのですけれど、新しい岩波少年文庫の解説は、「『あしながおじさん』が初めて訳されたのは一九一九年で、『蚊とんぼスミス』という題でした。『あしながおじさん』という名前が定着したのは一九三三年の岩波文庫の遠藤寿子訳からです。原題のDaddy-Long-Legs は、あしながグモのことですから、イメージぴったりのすばらしい訳題ではありませんか。」(291-2) と、岩波少年文庫の先人に対する敬意を表しつつ書いています。
  1919年というと大正8年ということになります。1933年は昭和8年ですから、中村佐喜子の情報と同じです。玄文社は大正7年(1918年)に東の『潜航艇物語』を出版した出版社ですが、国会図書館の検索をかけても、東健而の著作のなかに『蚊とんぼスミス』(がらみ)らしきものは大正の出版として挙がってきません。――
  昭和4年(というと1929年ですけれど)に改造社の有名な世界大衆文学全集の第34巻として出た東健而編訳の『世界滑稽名作集』には『蚊とんぼスミス』が収録されています。1919年は1929年のまちがいではないか、と思ってもみたのですけれど、WEB情報的にはなにを根拠としたかは不明とはいえ1919年(この年は『あしながおじさん』のサイレント映画が公開された年でした)に最初の翻訳が出た、ということがあちこちに書かれています。
  あるいは、日本ペンクラブ:電子文藝館のなかに出久根達郎の小説『佃島ふたり書房』(1992)の抄出として載っているなかに、古本屋の市場の描写として、つぎの一節があったりします。――
「五百」と突然ポンさんが声をはりあげたので、澄子はびくついた。

 二冊の本が、ポンさんの手もとに飛んできた。『アンデルセン童話』と『蚊とんぼスミス』と読めた。

「こちらをさしあげましょう」とアンデルセンのをすべらせてよこした。澄子は礼を述べ取りあげたが、大正時代の本である。佃の子供たちが買いそうにない。

「二冊で五百円。こんなにも高い相場なんですか。一冊二百五十円ですか?」

「いや、そいつは百円にしか踏んでいません。私はこちらがほしかったんでね」

「それも童話でしょうか」

「ご存じありませんか?」

「はい」

「足ながおじさん、という物語はご存じでしょう?」

「はい」

「これはね、あの物語の本邦初訳本でね、訳者が東健而、大正八年の刊行です」

「足ながおじさんの?」

 澄子は、これはだめだと観念した。足ながおじさんは読んでいるが、蚊とんぼだの、訳者のことだの、書誌の知識が皆無である。古本の相場どころか、古本そのものの素性がわからない。仕入れるどころではない。

「いや、だれも、はなから知っちゃいない。勉強ですよ。こうして人がどんな本を仕入れているかを、横目で観察しながら勉強するんです。人が目の色かえて買うからには、その商品には何かがある。数字なぞ覚えなくていい。相場にとらわれると本質を見誤まる恐れがある。第一、古本屋の仕事が楽しくなくなる。もうけた損したは、ひとまず措(お)いて、本に親しむこと、本を楽しむこと、本をいつくしむことです」

「はい」

「あなたは、人間は嫌いですか」

「え」  〔下線は引用者〕

<http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/novel/dekunetatsuro.html>

 

  ふーん。大正8年というと1919年ですね。やっぱりあったのか。そうすると旺文社文庫に昭和8年とあるのは大正8年のまちがいということで、出版社は前年の『潜航艇物語』と同じ玄文社だったということなのでしょうか。
  それにしても、国会図書館や、あるいは WorldCat の図書館情報に、つーかWEBの書誌的情報に載っていないのはなぜなのでしょう。英語の本だと図書館や古本屋情報も合わせて調べるとだいたい書誌情報が判明するのですけれど・・・・・・。いまだに日本語の書籍はWEBに不十分にしか載っていないのでしょうか。それに国会図書館はなんでないの。
  
  と、プンプン謎をはらませながら、こないだ1929年(昭和4年)6月3日刊行の『世界滑稽名作集』を注文して、先週末に届きました。
SekaiKokkeiMeisakushu,transAzumaKeji(Kaizosha,1929)dustjacket.jpg
    冒頭に『蚊とんぼスミス』がおさめられており、このアンソロジーの半分近くを占めるのですけれど、ダストジャケットの絵は別作品のものです。しかし、フラップの最初には、『蚊とんぼスミス』の主要人物紹介がおよそ半分ほどのスペースをとって書かれています。
SekaiKokkeiMeisakushu,transAzumaKeji(Kaizosha,1929)1.jpg
  著者ポートレトにジーン・ウェブスターはなく、かわりに(というわけではないでしょうが)東健而氏の肖像が載っています。
 
  冒頭の「訳者より読者へ」(以下、新字、ルビ抜きで写します)――
「蚊とんぼ」――"Daddy Long-Legs"[ママ]の著者ジャン[ママ]・ウヱブスター Alice Jean Webster は、マーク・トウヱインの姪[ママ]だ。お母さんがマーク・トウヱインの妹なのである[ママ]。この「蚊とんぼ」を見ても解るだらう。彼女の豊かなることおどろくべき想像力と、鋭い滑稽観念と、さうして明るい人生観とは、まつたくあの偉大なる伯父さん[ママ]譲りの天分だ。
  だがその文章の旨さと、簡潔さと、そして鋭さとに於いては、私は思ふに伯父さんよりも遥かに旨い。そして伯父さんより小さな姪の方が若いのだから当り前なことだが、彼女の文章は遥かにハイカラだ。ヴァッサー女子大学出身の秀才、永く伊太利に遊んで伊太利文学の造詣が深かつた彼女。ウンなある程――竟(つま)り彼女が持つてゐたアングロサキソン人種独特の滑稽観念は、情熱的なそして典雅な南欧文学に依つて磨きがかゝつだのだ。彼女は千九百十六年に死んだ。肺病だったらしい[ママ]。真(まこと)に惜しい。だが、読者よ、「蚊とんぼ」に見られよ。彼女の人生観が如何に戦闘的に、そして明るかつたかを。
  伝記的な情報の正しさをどうこういうつもりはないのですけれど、この序文で、東は作品を「蚊とんぼ」と3度呼んでいるのが目を引きます。冒頭にあらわなように、「蚊とんぼ」="Daddy-Long-Legs" という感じが見られます。なんで「スミス」がないのでしょう。
SekaiKokkeiMeisakushu,transAzumaKeji(Kaizosha,1929)2‐3.jpg
SekaiKokkeiMeisakushu,transAzumaKeji(Kaizosha,1929)4‐5.jpg
  目次には「長篇蚊とんぼスミス」「(米)ジヤン・ウヱブスター」と書かれています。冒頭の「長篇」は以下の「中篇」とかと区分すべく付け添えられたもので、本体は、「蚊とんぼスミス」が表題です。
  が、画像が限界まで重たくなってしまったのでつづきはつづきということで。
///////////////////////////////
世界大衆文学全集について――
 
改造社世界大衆文学全集目次細目 <http://okugim.hp.infoseek.co.jp/k-s-t-b-zenshuu-2.htm>
第34巻の東健而訳ウッドハウスが話題となる、浅倉久志さんと小山太一さんの対談  『文藝春秋|本の話より|自著を語る』<http://www.bunshun.jp/jicho/humor/humor01.htm>
2009年8月30日追記――
詳しい書誌情報は得られておりませんが、1929年の改造社版の10年ほど前に確かに東健而訳『滑稽小説 蚊とんぼスミス』というタイトルが出ていることを確認しました。どうも。・・・・・・いちおう 記事「1919――『蚊とんぼスミス』――東健而の『あしながおじさん』 (4) Azuma Kenji's Translation of Daddy-Long-Legs

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ワフー

 実に懐かしい題名ですね。小生は先の戦争中は小学生でしたが、疎開先にたまたまこの、赤いクロースの小型本があり、他に読む物もないので熟読しました。少し蓮っ葉だけれど賢い娘の性格と、大学生活が生き生きと描かれていましたね。終戦で、この本とは別れてしまい、以後60年ほど経ちますが、小生には、アメリカ一の作家といえばジーン・ウェブスターだ、という気持ちが、今でも少し残っています。

 この見事な訳業をした東健而氏は、英語の達人だと思います。だけどこの人の資料が目に入りませんね。ウィキペディアでも、生年と没年が書かれている程度で、出身地や経歴が分かりません。残念です。訳者のジーンをジャンと表記する辺りに時代を感じますね。

 ジュディの手紙には小説の題名が引用される箇所があって、確か、「女大学」、「ジェーン・アイル」、「ワサリングの丘」などというのがありましたが、これらは現在では「若草物語」、「ジェーン・エア」、「嵐が丘」などとされるのが普通でしょう。東氏は多分これらの作品を未読だったのでしょうね。そもそも、これらはまだ本邦に未紹介だったのでしょうか。

 「幻の大正9年版」は決して幻ではなく、お値段が張りますが、古書が入手可能なようですね。売り主のURLを書いておきます。「昭和4年版」は「大正9年版」と同じなのか、それとも訳者はこの間に推敲を加えたのか、その点がちょっと気になります。

by ワフー (2010-07-18 19:20) 

ワフー

菊池寛は「蚊とんぼスミス」を読んだか?

 小生は理系なので、文学のことは分かりませんが、昭和期に菊池寛という高名の作家がいたことは承知しています。「恩讐の彼方に」などの入った文庫本を一冊読むぐらいのことはしましたが、長編作品は読んだことがありません。

 もう、随分昔、電車に乗ってつり革に掴まった時、隣りに立った女子高校生が、菊池寛著の、少女小説らしい本を取り出して読み始めました。小生が横目で、見るともなくその本のページを見ると、

「『蚊トンボ・スミス』の主人公の気持ちが、彼女にはよく分かった」

というような文章が目に入りました。小生は、「へえ、菊池寛は『蚊とんぼスミス』を読んだんだ!」と思って、菊池氏に親近感を覚えましたが、覗き見したのはその部分だけで、何という小説だったかは分からないまま、年月が過ぎました。

 今日、所用で市の図書館へ行ったところ、書棚に「菊池寛全集」が30冊ほど並んでいました。全頁、白紙などでなく、ぎっしり文章で埋まっています。パソコンもワープロソフトもない時代に、一人の人間が原稿用紙の升目を埋めながら、これだけの作品を残したとは、と思うと畏敬の念を抑えられません。

 ふと思い立って、その30冊ほどの中から「児童文学」編を取り出してページをパラパラめくると、好運にも割と簡単にその箇所を見つけました。「心の王冠」という作品で、昭和13年から翌年にかけて、「少女倶楽部」に連載されたもののようです。小生にとって半世紀ほどの謎が解け、感慨無量です。

 とはいえ、依然として小生は「心の王冠」がどんな作品なのか知りません。どなたかご存じの方、教えて下さい。

by ワフー (2010-08-20 22:39) 

morichanの父

ワフーさま、
2度もコメントをいただきながら、無音にうちすぎることとなってしまい、申し訳ございませんでした。恐縮しております。

「蚊とんぼ」は往時はそれなりに人口に膾炙していたらしいことはなんとなくは感じていました。

きっと、「心の王冠」を調べてご報告させていただきます。

心からの感謝とともに。
by morichanの父 (2010-08-26 22:48) 

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