マリ・バシュキルツェフの日記 Marie Bashkirtseff's Journal [Daddy-Long-Legs]
『あしながおじさん』の2年生 (sophomore) の、たぶん1月なかばころの手紙(前半は、二度目に大学を訪問した「ジャーちゃん」(東健而の訳だとw)と会ってみんなでお茶をしたことが書かれている)で、マリ・バシュキルツェフの日記から引用して、「天才」というものの苦しみについておどけて書いています。――
We're reading Marie Bashkirtseff's journal. Isn't it amazing? Listen to this: "Last night I was seized by a fit of despair that found utterance in moans, and that finally drove me to throw the dining-room clock into the sea."
It makes me almost hope I'm not a genius; they must be very wearing to have about――and awfully destructive to the furniture.
Mercy! how it keeps pouring. We shall have to swim to chapel to-night. (Penguin Classics 版 p. 58)
(私たち〔というのが教室でなのか、同室のジュリアやサリーあたりと一緒になのか曖昧です〕、マリ・バシュキルツェフの日記を読んでいるところです。これって驚きじゃないですか? 聞いてください――「昨晩、私は絶望の発作に捉われた。発作は呻き声となって現われていたが、しまいに発作に駆り立てられた私は食堂の時計を海に投げ込んだ」
自分が天才でないようにと願いたい気持ちになりそうです。天才があるとたいへん消耗しそう――家具がものすごく壊れそうですし。
なんて降り続く雨でしょう。今夜私たちはチャペルへ泳いでいくことになりそうです。
マリ・バシュキルツェフ (1858-84) はロシア(ウクライナ)生まれの女性画家で、貴族の娘としてヨーロッパをまわりながら教育(当時金持ちに一般的であったように、家庭教師の個人教授)を受け、パリで美術学校に入って画家として、またフェミニストとして、若くして天才を発揮した人です。25歳の若さで結核により逝去。バシュキルツェフの十代前半から亡くなる11日前の1884年10月20日までの日記が、死の翌年に作家アンドレ・チュリエによって編集され Journal de Marie Bashkirtseff (Paris: Bibliotheque Charpentier, 1885) として出版され、赤裸な日記作者としても有名になります(日記内では1860年生まれということになっているようです)。
Marie Bashkirtseff (1878), image via English Wikipedia
Marie Bashkirtseff, In the Studio (1881), image via Wikipedia クリックで拡大
フランス語原書16冊本からの抄訳の英訳は現在に至るまで複数(20世紀だと1908年のA. D. Hall, trans., Chicago: Rand McNally、1985年のLondon: Virago、1997年のPhyllis Howard Kernberger and Katherine Kernberger, trans., Chronicle Books)ありますが、フランス語原書の5年後に、イギリスのロンドンではマチルド・ブラインドによる英訳が、そしてアメリカのニューヨークではMary J. Serrano 訳、Bashkiertseff: The Journal of a Young Artist, 1860-1884 (New York: Cassell, 1889; 434pp.) が出版されて、英語圏でもよく読まれだしたのでした。
メアリー・セラノ訳のアメリカ版は、E-text を各種見ることができます――<http://www.archive.org/details/mariebashkirtsef00bashiala>。
日本では野上豊一郎が国民文庫から上下巻として大正15年、昭和3年に邦訳をしました。この翻訳の新字新仮名遣い版がWEB で笹森さんによりブログとして刊行中です――『Journal de Marie Bashkirtseff-マリ・バシュキルツェフの日記』<http://marie1860.exblog.jp/i2/>。
個人的には、30年前に、まだ大学生高校生だった頃に池袋の古本市に出ていた立教通りのほうの夏目書房の出品と別の日にどこかでさらに2冊セットを、前後して2部買ったのでした。なんでダブって買ったのか覚えていませんがw。 西武の古本市のレシートを見ると、1977年2月6日で2800円でした。毎度ありがとうございます。
と、ともあれ、ジュディーが引用している箇所は、1877年1月23日の日記冒頭です。ちょっと続きも含めて書き写してみます、野上の訳も添えて。――
Tuesday, January 23. Last night I was seized by a fit of despair that found utterance in moans, and that finally drove me to throw the dining-room clock into the sea. Dina ran after me, suspecting some sinister design on my part, but I threw nothing into the sea except the clock. It was a bronze one a Paul, without the Virginia in a very becoming hat, and with a fishing-rod in his hand. Dina came back with me into my room, and seemed to be very much amused about the clock. I laughed, too. Poor clock ! (pp. 121-122: Cf. <http://www.archive.org/stream/mariebashkirtsef00bashiala#page/120/mode/2up>
昨夜私は絶望の發作に捉へられて聲を立てて泣いてゐたが、遂に食堂の時計を海に投げ込んでしまつた。ヂナが何か變事が私に起つたのではないかと心配して後から追つかけて來た。けれども投げ込んだのは時計だけであつた。それは靑銅の時計で、ヴィルジニイはゐないでポオルだけが、ふさはしい帽子をかぶつて釣竿を持つてゐるところであつた。ヂナが私と一緒に私の部屋へ歸つて來て、時計のことを非常に面白がつてゐるやうであつた。私も笑ひ出した。
可哀さうな時計! (ルビ省略 上巻561-562頁: Cf. <http://marie1860.exblog.jp/5184361/>)
『あしながおじさん』に引かれた英語は、パンクチュエーションも含めて、アメリカ版の英訳のとおりの精確な引用であることがわかります。
ところで、ペンギン・クラシックス版だと、挿絵がちょうどバシュキルツェフの引用のところにかかっているのですが、オリジナルのセンチュリー版だと、雨降りの夜の短いふたつのセンテンスの記述(と手紙の結語)だけにイラストと一緒に一ページ使われているのですね。てっきり海=雨のイメジつながりかと思っておったのですが(まあ、それはあるかもしらんが)。
ついでながら、松岡正剛は、中学校3年くらいの少年時の読書というかたちでテライを隠しつつ、『あしながおじさん』についてあれこれ語っていますが、この挿し絵も引用されていて、そこには「遠ざかる少女の後ろ姿」という題がついています(本文では言及なし)。4人の少女ではなくて、1人の少女についての、パラパラ漫画的なもの、あるいは分解写真的なもの、あるいは忍者の分身の術みたいなものと見ていたのかしら。〔「『あしながおじさん』 ジーン・ウェブスター 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇」 <http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1308.html>〕
もいっちょついでながら、アメリカ版英訳者のMary J. Serranoは、1912年に New York のDodd, Mead and Company から、Marie Bashkirtseff (From Childhood to Girlhood) のタイトルで出版された補完的な抄訳を行なった Mary J. Safford と同じ人ではないかと思われます――これもGutenberg はE-textにしています―― <http://www.gutenberg.org/files/13916/13916-h/13916-h.htm >。
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by 山田 (2014-11-25 17:49)