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ジェインとジーン Lady Jane and Jean Webster [思いつき whimsical fancy]

作家ジーン・ウェブスターはAlice Jane Chandler Webster として1876年7月24日に生まれました。母親はマーク・トウェインの姪で、ミドルネームのひとつのジェインはマーク・トウェイン(本名サミュエル・クレメンズ)の母親のJane Lampton Clemens のファースト・ネームのジェインから取られたということになっています。

  ウェブスターがこの前の記事「レイディー・ジェイン・グレイ・スクール Lady Jane Grey School」で書いたレイディー・ジェイン・グレイ・スクールというフィニッシング・スクールに、ヴァッサー女子大の前に入学したときに、同室にアリスという女子学生がいて、ウェブスターは大学当局(だか寮長だかわかりませんが)からミドル・ネームを用いるように求められます。しかし(ウェブスターには)Jane は "old-fashioned" に思われたために、それをJean に変えて、その後もそれで(つまり Jean Websterで)通すようになったといわれています。

  去年、ブログ・カリフォルニア時間の「June 30 Pg4のミステリー――本の電子化について――The Four-Pools Mystery by Jean Webster (2) [本・読み物 reading books]」でも書いたように、ウェブスターの父親は、1888年に仕事に行き詰って精神的におかしくなり1891年に薬の多量の服用によりほとんど自殺的な死を遂げてしまいます。そのおかしくなるしばらく前までマーク・トウェインの本を出版したCharles L. Webster Publishing の所有者で、自らプロモートしたユリシーズ・グラントの自伝――<http://www.gutenberg.org/files/5860/5860-h/5860-h.htm>――や、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』の出版で後世に名をとどめた人です。マーク・トウェインは、病後の父親の営業能力の不足を責めて、関係を断ち、出版社はつぶれ、その後に父親は亡くなるので、ジーン・ウェブスターは、マーク・トウェインに対して複雑な感情を持っていたとも考えられています。

  で、ジェインを古臭いといって、ジーンに敢えてしたのは、マーク・トウェインがらみかとも考えていたのですが、ジェイン・グレイ・スクールのジェイン・グレイ・ハイド校長さんに、言われたので、「ジェイン」じゃ学校ならびに学校長の名前と一緒になっちゃうからイヤダナ、と思ったのかなあ、と夢想しているところです。


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