SSブログ

スティーヴンソンからテニソンへ From Stevenson to Tennyson [Daddy-Long-Legs]

『あしながおじさん』に出てくる、ジュディーの読書対象となった主として英語の文学作品は(英語じゃないのはチェリーニとかメーテルリンクとかバシュキルツェフとか、ごく少数のよう――つーか、それらは英訳かもしれません)、ものすごくすなおに考えると「みんな、アメリカの少年少女ならかならずよむ機会のある本ばかりなのでしょう」(恩地 1975, p. 317)とも思われるのですけれど、このブログでいうと、最初のころの「いいじゃないの幸せならば」シリーズで書いたように、「英語の古典」といいながら実は同時代の大衆小説からの引用であった(らしい)という、いや、大衆小説でなくとも「古典」ではないのは明らかで、そういう「遊び」はあるわけです、少なくとも。そのなかで『若草物語』『嵐が丘』『ジェイン・エア』はいわゆる「少女小説」の王道に位置するのみならず、『あしながおじさん』自体と共振するところ(作家小説+ビルドゥングスロマン(教養小説)とか、孤児小説+施設小説とか・・・・・・あー適当)あるわけでしょうが、思うに、19世紀末に特異であり、かつ特殊なものがあるんじゃないか、という気がします(ようするに、英文科的教科書的ブックリストではなくて、作家の趣味・嗜好もあるだろうという)。「いいじゃないの幸せならば」もそうなんですけれど。

  ちょっと類比的に思い出すのは、フィッツジェラルドの処女長篇『楽園のこちら側』に列挙される19世紀末から20世紀初頭の文学作品群です。えーと、いま適当な記憶で比較して書くことはひかえます。が、少なくとも『あしながおじさん』という、少女が作家として成長していくお話のなかで、例外的にくりかえし言及されるのは、ブロンテ姉妹(何度かあります)でもシェークスピア(何度もあります)でもなくて、スティーヴンソンではないかと思われ。

  それで、スティーヴンソンに関わる箇所をシリーズで書こうと思って、あれこれ調べておったのですけれど、しょっぱな(というか、最初名前が出るのは1年生の12月19日の手紙で、「R・L・Sがロバート・ルイス・スティーヴンソンを言うのだ R. L. S. stood for Robert Louis Stevenson」(Penguin Classics, p. 24) と知らなかったという一節ですけれど)の引用と思われたものからギャフンとなったのでした。

  それは、また、2年生の8月10日の手紙です(どうもこの手紙のまわりをウロウロしているような)。柳の木に登って、devil down-heads や天国や宗教の話をしたあとの一節――

During our week of rain I sat up in the attic and had an orgie of reading―Stevenson, mostly.  He himself is more entertaining than any of the characters in his books; I dare say he made himself into the kind of hero that would look well in print.  Don't you think it was perfect of him to spend all the ten thousand dollars his father left, for a yacht, and go sailing off to the South Seas?  He lived up to his adventurous creed.  If my father had left me ten thousand dollars, I'd do it, too.  The thought of Vailima makes me wild.  I want to see the tropics.  I want to see the whole world.  I am going to some day―I am, realy, Daddy, when I get to be a great author, or artist, or actress, or playwright―or whatever sort of a great person I turn out to be.  I have a terrible wanderthurst; the very sight of a map makes me want to put on my hat and take an umbrella and start.  "I shall see before I die the palms and temples of the South."  (p. 77)
(雨の一週間、私は屋根裏部屋に端座して読書に耽溺しました――スティーヴンソンが主ですが。彼の作品のどの登場人物よりも彼自身のほうがずっと面白いですね。きっと彼は、本で印刷されたらよくみえるような主人公に自身を仕立てあげたんです。父親の残した一万ドルをぜんぶ一艘のヨットにつぎこみ、南洋に船出したなんてパーフェクトだと思いませんか。自分の冒険をやるのだという信条に忠実だったのですもの。もしも私の父親が一万ドル残してくれたとしたら、自分もそうするでしょう。ヴェイリマのことを考えると狂おしい気持ちになります。私、熱帯地方が見たいです。私、世界全部が見たいです。いつか、きっといきます――本気なんですよ、ダディー、いつの日か、わたしが大作家になるか、それとも画家か、それとも女優か、それとも劇作家か――とにかくなんでも偉大な人物になれたならば。わたしはスゴイ放浪欲があるのです。地図を見るだけで、すぐにも帽子をかぶって傘を持って出立したくなります。「南洋の棕櫚と寺院を見ずして我死なじ。」)

  いろいろとあるので、最後のところだけ言及して今日は終わります(と書いてから訳すのにえらく時間がかかったりしてw)。引用符に入っているコトバは、てっきりスティーヴンソンの引用だと思っていました。この箇所、ペンギン・クラシックスのエレイン・ショーウォルターは注をつけてくれていません。いいじゃないの幸せならばに注を付けている新しい岩波少年文庫の谷口由美子も、「死ぬ前に必ず、南国のヤシの木と寺院を見ます」と訳しているのみです。で、調べたら遅れてきたロマン派の桂冠詩人アルフレッド・テニソン Alfred Tennyson, 1809-92の "You Ask Me Why, Tho' Ill at Ease" という詩(1833年ごろ執筆で、1842年の)の一節(第7連の3行&4行)なのでした。へへーん。さらに1850年代にEdward Lear が"I shall see before I die the palms and temples of the South" の題で絵を描いているらしく。頭が混乱。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。