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マリ・バシュキルツェフの三月の風が吹かない春の絵  Marie Bashkiertseff's Spring Without a March Wind [Marginalia 余白に]

『あしながおじさん』の2年生の3月5日の手紙の冒頭の「三月の風が吹いていて、空いっぱいに、重たく、黒い雲が動いています。松の並木のカラスたちが騒いでいます。それはうっとり酔わせるような、うきうき快活にさせるような、呼んでいるようなざわめき。本を閉じ、丘を駆けって風と競争をしたくなります」 と響きあっているかもしれないと、先日の記事「三月の風が吹いている There Is a March Wind Blowing [Daddy-Long-Legs]」で書いた、画家マリ・バシュキルツェフ (1858-1884) の日記は、その直前には自分の病気のことが書かれ、あとには絵の話が書かれています。

     For a long time now I have been saying to myself that I was going to be ill, without really believing it.  But enough of this, I should not have had the opportunity to give you all these insignificant details, if it were not that I have been waiting for my model, and I might as well spend the time grumbling as doing nothing.
     There is a March wind blowing, and the sky is gray and lowering.
     I began my picture a rather large one in the old orchard at Sevres yesterday.  It is a young girl seated under an apple-tree in blossom, that stands, with other fruit-trees in blossom also, in a grassy field sown with
violets and little yellow flowers, like stars.  The girl sits with half-closed eyes, in a revery.  She leans her head in the palm of her left hand, while her elbow rests upon her knee.
     The treatment is to be simple, and the spectator must be made to share in the intoxication produced in the girl by the breath of Spring.  The sunlight plays among the branches of the trees.
     The picture is to be about five feet in width, and a little more in height.
     So, then, my picture has only received a number 3; and it will not be even hung upon the line not even that !
     This has caused me a feeling of discouragement, hopeless and profound.  No one is to blame, however, if I am not gifted with genius.  And this feeling of discouragement shows me that if I ceased to have faith in my genius I could no longer live.  Yes, if the hope of success should again fail me, as it did this evening, then, indeed, there would be nothing left me but to die.
[Marie Bashkiertseff, Journal, March 24, 1884.  Mary J. Serrano, trans., Bashkiertseff: The Journal of a Young Artist, 1860-1884 (New York: Cassell, 1889), pp. 375-376]

    野上豊一郎の訳を漢字・仮名遣いを変えて書き写しておきます。――

  長い前から、私はそうとは信じてもいない病気で脅かされていた。・・・・・・実際! ・・・・・・私はそうしたみじめさを残らずあなた方に物語っているような時間はなかったはずかもしれない。しかし私は自分のモデルを待っているのだ。そうして何もしないでいると、しきりに嘆息ばかりしなければならぬ。
  そうして灰色がかった重苦しい空をして、三月の風が吹いている。
  私は昨日かなり大きなひとつの絵に着手した。それはセーヴルの物古[ものふ]りた果樹園で、一人の少女が、満開の一本のリンゴの樹の下に座っている絵である。ひとすじの小道は遠くのほうへ消え、そうしていたるところに花をつけた果樹の枝枝が茂り、草は青青として、スミレや名も知らぬ黄色い小さな草花が咲いている。座り込んで夢みている女は、眼をつぶり、頭を左手で支えて、ひじをひざにたてている。
  これは非常に素朴なものになるに違いない。そうして女を夢みさせているところの春の発露を感じさせるようにしなければならぬ。
  日射しを枝枝の間に見せるべきである。これは幅が二メートルで、縦はもう少し高い。
  ときに、私は三号の番号で入選したというにすぎない。そうして私は自分の絵を長押[シメエズ 〔=なげし〕]の上に掲げられないようなことに、なりはしないか?
  そうなっては勇気も尽き果て、望みも何もありはしない。それも誰の咎というではなく、私に才能〔天才〕のないからのことなのだ。・・・・・・そうだ、もし私が自分の芸術に希望を失なったら、私は即座に死んでしまうだろうということを、これは真実私に示してくれた。そうしてもしもこの希望が、今夜のようになくなってしまったとしたら・・・・・・そうだ、決して誇張していうわけではないが、そうなれば死よりほかに道はないであろう。〔『バシュキルツェフの日記』下巻707-709頁〕

  日記は、一日のいろいろな時間に書き付けられる場合があるようで、『あしながおじさん』のジュディーの手紙は何時とか就寝前とか時間を書いたりしてくれるので思考のまとまりがわかるのですが、バシュキルツェフの日記は切れ目やつながりがよくわからんです(同じ日付の日記が並んでいる場合もありますが)。 

    さて、三等に入選したのは3月16日に送った『Le Meetieg つどひ』という絵です。19日にセーヴルで果樹園を見つけ、新しい絵を描こうとしていることが書かれていました。ウィキペディアの「マリ・バシュキルツェフ」によれば、「パリの貧民外街の子供たちの姿を描いた『集合』や、女性画家仲間の群像である『アトリエにて』はとりわけ名高い」と書かれ、画像も載っています。

  で、果樹園の絵ですけれど、これだと思われます。この絵は「一人の女が樹に寄って、眼を閉じ、美しい夢の中にいるように微笑んでいる」春の絵を描こう、という夢想(1883年5月18日)が元になっていると思います。――

  私は装飾用の鏡板に、春を描こう。一人の女が樹に寄って、眼を閉じ、美しい夢の中にいるように微笑んでいる。そのまわりの景色はいかにもデリケートで、青草は柔らかく、バラは青みを帯び、リンゴも桃も花盛りで、木の芽も吹こうとしている。そうして魅惑にみちた色彩で春をしのばせるのである。
  春を誠実に描きあげた者はかつてなかった。なるほど春景色を描いた作品は最近にも数々ある。しかしそれは老人や、洗濯女や、らい患者などを混ぜ込んだものだ。私は、断然、「魅惑ある色調」をもってしたい。
  幾千という数知れぬ春は描かれた。でも手先の器用さを見せた下絵のような景色ばかりであった。私のように考えるかもしれないと思われる者は、バスチアン〔ジュール・バスチアン=ルパージュ Jules Batien-Lepage, 1848-1884〕をおいて他にはない。その彼もまだそうした春は描いていない。――その女は、調子と、芳香と、小鳥の歌とのあらゆる諧調がわかる様子をしていなければならぬ。そこには太陽が輝いていなければならぬ。――バスチアンは蔭になっている灰色がかった戸外を描いたばかりだ。
  私はそこに日光を欲する。そうして私はそれをニースへ行って、どこかの果樹園で描こう。もし非常に詩趣のある果樹園が見つかったら、女を裸体にするとしよう。
  ちょうどグルナアド辺で見るように、ここにかしこに太陽の光斑を置き、スミレのくさむらの間をわけて彼女の足もとを流れ行く小川のささやきを耳に聞かせるようにしなければならぬ。
  私は春には歌って魂に沁み入るような調子を要求する。私は肌触りが柔らかくて人目を奪うような青草と、青味がかった蠱惑にみちたバラと、灰白でない黄色味とを必要とする。
  妙なる調べの饗宴。それは人目を奪うような色彩をもって描かれ、加うるにここにかしこに投ぜられる太陽の光斑は画面に生命を与え、陰影にはそこから一種の神秘が始まるかと思わせるようにしなければならぬ。〔下巻591-592〕
  

Spring_MarieBashkirtseff_fruehling (1884).jpg
Marie Bashkiertseff, Spring [Printemps] (1884)

  このセーヴルの絵は夏までかかってもなかなか仕上がらず、「景色はもうどうすることもできないまでに変わってしまった」と嘆いたり(5月25日)、「あの花の咲いたリンゴの樹やスミレの花、それがもう私の興味をひかない! そうしてあの仮寝している百姓女! こんなものは1メートルくらいの画布で十分だ。それを私は等身大に描いている! まちがった! そうして三月[みつき]も水に流してしまった!」と書いたり(6月17日)、「セーヴルの絵がここに、アトリエに来ている。――これは『四月』と題してもよい――それはどうでもよいが、この四月は私には実によくないように思われる!!! 背景が強く同時に汚い緑になっている。女はまるきり私の思っていたようなものになっていない」(7月4日)と記したりしています。肺を侵されたマリは、病み衰えて十月末に世を去ります。25歳の若さでした。

   


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