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明治16 (1883)年に洋犬ポチが川に身を投げた話――ポチ (4) Pochi [ひまつぶし]

湯本武比古が明治19年の『読書入門(よみかきにゅうもん)』に「ポチハ、スナホナイヌナリ。」云々の文章を入れる3年前の明治16年、東京品川で洋犬ポチが投身自殺?の記事が新聞に載っているのを見つけました。『讀賣新聞』明治16 (1883) 年6月2日(土)(第2008号)のp. 2の第一段から第二段にかけて――

YomiuriShimbun1883.6.2,p.2b.JPG

YomiuriShimbun1883.6.2,p.2a.JPG

    適当に書き写してみます。―― 

〇次は犬の身投話し 北品川宿の高士清蔵方に三年ほど以前より飼て有た洋犬《かめ》は大きサ一尺二三寸の白斑《しろぶち》にて名をポチと呼び頻りに寵愛して居りしが飼主清蔵は去年の暮に他へ引き越すにつき隣家の雑業難波健蔵が日ごろ懇望なるに任かせポチを同人に与へて引越しき後に健蔵方に飼われて居るうち四五日跡より此ポチが病気付き頻りに苦しむと健蔵は不便〔憫?〕がり食物や薬など与へても更に食ずおひおひ重る容体にて所詮本復は覚束なき様子なりしが一昨日の午後三時ご

ろポチは斯く病に苦しめられ甲斐なき命を生き存へんより淵川へ身を投て此苦痛を逃れんものと覚悟を極めたものと見え病苦を押して臥処を這ひ出で日ごろ可愛ッて呉る主人の居間の方を名残り惜し気に見返り見返り同番地の堀何某方の門前まで這ひ行き兼て此家にはポチと同じ様な飼犬が有て至ッて仲がよく毎日の様に遊びに行きたれど今は門内へ入る気力も無く同所で暫く休んだ上目黒川の川下なる品川洲崎の川の方へ這ひ行くを万一川へ落ちては気の毒だと近所の者が二度まで引戻してやッたがなかなか思ひ止まらず終に洲崎の川へ飛び込んで果敢なくなりしは全く死んだ後にて主人の厄介になるまいとの気扱ひで有たらうとて飼主はいとど不便に思ひ早速死骸を引上げて菩提所へ埋葬したといふ

  いろいろと面白い内容の記事ではないかと思われます。 

  第一に、洋犬を Come から転じて「カメ」と呼んでいたというのは、前の記事に引いた、たとえば「「ことば会議室:ぽち」」でも言及されていることですけれど、犬の名前というより、犬のことを(全体に)カメと呼んだのであるらしいことがうかがわれます。

  「三年ほど以前より飼て有き洋犬《かめ》は大きサ一尺二三寸の白斑《しろぶち》にて名をポチと呼び」とあることから、第二に、ポチの名は「白斑」の斑にかかわるらしい(もっとも、体長40センチ足らずという小柄さも理由かもしれませんが、さらにいえば「洋犬」であることも理由かもしれませんが、文章としては「白斑にて」のほうに「名をポチと呼」ぶ理由の焦点があるようにみえます。第三に、そもそもこの記事は湯本武比古が(長野図書館メールマガジンによれば)「苦心の末「ポチ」という無意義の呼び名をつくり、犬の呼び名として次の文章〔ポチハ、スナホナイヌナリ。ポチヨ、コイゝダンゴヲヤルゾ。パンモヤルゾ。(『読書入門』文部省 明治19年9月刊)〕と犬の絵を『読書入門』に載せ」る3年前の事件で、さらにその3年前からポチは飼われていたという事実です。もちろん名前が何年に付けられたのかはわかりませんけれど、少なくとも「無意義」ではない理由から「ポチ」の名が犬に与えられていたことがわかるわけです。(ついでながら、句読点なしの文章はほとんど江戸時代のままで、トピックセンテンスもパラグラフ感覚もなかったのだ、と思われます。)

  逆に言えば、『読書入門』によってあるていど無限定に犬のことをポチと呼ぶ習慣が広まったということは考えられるのでしょうけれど。


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