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人をもてなす――『あしながおじさん』のなかのサミュエル・ピープス(6)  Entertaining: Samuel Pepys in Daddy-Long-Legs (6) [Daddy-Long-Legs]

まっこと遅々とした歩みです。

  実のところ、『あしながおじさん』の続く一文 ("Seems a little early to commence entertaining, doesn't it?") も意味が定かではなく、わざと以前の引用に含めておらなんだのでした。

  しかし、さきほど(昨日)の記事「ジェマイマとサミュエル姉弟 Jemima Montagu and Samuel Crewe」で書いたように自分のすごい勘違いがわかったので、わかったような気になっています。実は下の翻訳の抜き書きはわかるまえに書きとめていたので、わかったあとからだとなかば徒労だとわかりましたし、取ろうかとも思ったのですけれど、なにかの参考にとそのままにしておきます。

     [. . .]  "Dined with my lady who is in handsome mourning
for her brother who died yesterday of spotted fever."
     Seems a little early to commence entertaining, doesn't it?  [Penguin Classics 117]

   いちばんきっぱりとした訳は松本恵子(新潮文庫)かもしれません――

  「余は奥方様のご招待にあずかり、晩餐を共にいたしたが、奥方様は弟君が昨日脳脊髄炎にて逝去されたので、いとも美々しき喪服を召しておいであった」
  弟が昨日死んだ今日お客をするなんて、少し早すぎるんじゃございませんかしら? (183)

  遠藤寿子(岩波文庫)の訳――

  「奥方のお召しにてごちそうになりぬ。奥方は、きのう脳脊髄膜炎にてみまかられし弟君のために、美しき喪服を召したまえり。」
  喪中なのにお客様を招ぶなんて、少し早過ぎますわね。 (244-5)

  谷口由美子(岩波少年文庫)の訳――

  「奥方のお召しで、晩餐を共にせり。弟君が昨日、髄膜炎で亡くなられたため、美しい喪服を召したまえり。」
  人を呼んで食事だなんて、少し早すぎませんか? (249-50)

  厨川圭子(角川文庫)の訳――

  「拙者が晩餐の相伴にあずかりたる姫君は、昨日、脳脊髄膜炎にてみまかりし兄君のために、いとも美わしき喪服を召しておられた」
  それじゃ、まだ楽しむには早すぎるじゃありませんか、ねえ? (185)

  坪井郁美(福音館古典童話シリーズ)訳――

  「美しき喪服に身をつつみしわが奥方とともに晩餐を囲みたり。喪は昨日はっしんチフスで死亡せし奥方の弟君のためなり。」
  宴をはるにはちょっとばかり早すぎるんじゃないかしら? (217)

  曾野綾子(講談社青い鳥文庫)訳・白木茂(正進社名作文庫)訳――割愛部分。

  早川麻百合(金の星社世界の名作ライブラリー)訳――

  「奥方さまよりご招待にあずかり、晩さんをともにす。奥方、いと美しき喪服をめしたまいぬ。聞けば、弟君が昨日、脳脊髄膜炎にてみまかられた由。」
  弟さんが亡くなった翌日に晩さんをもよおすなんて、ちょっと早すぎると思いません? (278) 

  岡上鈴江(春陽堂くれよん文庫)訳――

  「余は、貴婦人のご招待にあずかり、晩餐を共にせしが、婦人は弟君を昨日、脳脊髄炎にて失いしため、美しき喪服姿でいられた」
  それじゃ人をもてなすにはまだ早すぎるじゃありませんか。ねえ? (243)

  野上彰(ポプラ社世界の名著)訳――

  「奥方と食事をともにせり。きのう、弟ぎみの点状熱(脳せきずいまく炎)にてみまかりたまいしとて、うるわしき喪服を召されたり。」
  昨日弟が死んだのなら、お客を呼んで楽しむのは、少し早すぎるんじゃないでしょうか? (176)

  osawaさん――

  「喪中にて見目麗しく装ひたる奥方と夕餉を共にす。奥《あれ》の兄が昨日、斑点熱で死におほせたればなり。」

余興を始むるには、いさゝか早うござらうか?

  あとは本が見当たらないのですけれど、まあ、だいたいの感じはわかると思います。もう一度原文を見ていただきたいのですが、"Dined with my lady who is in handsome mourning
for her brother who died yesterday of spotted fever." ¶Seems a little early to commence entertaining, doesn't it? です。

  要するに、原文はとりあえずは謎めいている、といってもよい。のではなかろうか。だって、ただ (1) [I] Dined with my lady ――(私は)奥様と夕食をとったということ、 (2) who is in handsome mourning――奥様は(立派な)喪服を着ていた〔あるいはどっぷり喪に服していた〕こと〔この部分、ピープスの日記原文は "some" であったことについては「Handsome Mourning と Some Mourning――『あしながおじさん』のなかのサミュエル・ピープス(5)  (Hand)Some Mourning: Samuel Pepys in Daddy-Long-Legs (5)」を参照〕、(3) for her brother who died yesterday of spotted fever――それは昨日死んだ兄弟のためだということ、が書かれているだけで、それに対して、(4) Seems a little early to commence entertaining, doesn't it? ――"entertain"しはじめるには早すぎるように思えませんか、というコメントが付されているのです。

  正直を申さば、自分は坪井さんやosawa さんの線で考えておったのでござりました。

  (一般に)翻訳はそれなりに意味がとおるように仕立てられねばならないものですから(いちおう)、(この場合)それぞれの訳者は想像をたくましくして(あるいはやはりついピープスの原典にあたって)、それぞれのパフォーマンスを展開することになります。小説のジャンル上、読者をentertain せねばならぬ、ということもあります。

  英語に「ご招待」とか「お召し」みたいな、奥様のほうで招いたことをにおわせる言葉はありません。それは "entertain" を「人を招いてもてなす」というような意味にとって、対応を考えての説明的で補足的な訳語でしょう。

  さらに、(しつこいですが)ジュディー=ジーンは "my Lady who is in some mourning for her brother, Mr. Saml. Crew, who died yesterday of spotted fever" を "my lady who is in handsome mourning for her brother who died yesterday of spotted fever" と変えてます。(しつこいですが)これって、「喪服を着ていた」という叙述だったら、やっぱり過去時制になるんじゃないでしょうか――who was (dressed) in handsome mourning みたいに。"who is in some mourning" というのは、「喪に服している」「服喪中」という意味でしょうし、それはもしかすると "handsome" なっても変わらないかもしれず。いや、それはジュディー=ジーンもわかっていたかもしれず。論理的には、近親者が亡くなったばかりで服喪中→人と一緒に晩餐をするのは早い、というのがまんなかにあって、そのときの服装の様子はおまけみたいなものでしょうから(もちろん服喪者の態度を表現することにはなりますけれど・・・・・・対比による強調みたいな)。handsome とすることで(日本語の翻訳者たちでいうと)「見目麗しく」とか「美しき喪服」とか取られることを予測しての改変だったらアイロニーですかね、作家がねらった効果は。

  結局、この場合に問題なのは、ジーン・ウェブスターが引いているピープスの日記の一節が、『あしながおじさん』において獲得するコンテクストと、一節がピープスの日記の中でもっているコンテクストと、の齟齬みたいなものです。

  クリスマスでなんとなくミュージカルの "Stranger in Paradise" の記事を書いたので、その類推でいえば、ミュージカルの中に置かれた "Stranger in Paradise" の歌詞の意味と、そこから切り離されて、礼服を着た日本人に歌われたり、さらにrefrain部だけ切り離されて女性ひとりによって歌われたりすることで歌詞がもってしまうイメジと、『あしながおじさん』におけるこのような引用の効果は似たところがあるのでしょうか。

  似たところはあるかもしれないけれど、引用という一点において異なるような気もします。

***********

                            DIARY OF SAMUEL PEPYS.                               
                                 
JULY 1661

3rd.  To Westminster to Mr. Edward Montagu about business of my Lord's, and so to the Wardrobe, and there dined with my Lady, who is in some mourning for her brother, Mr. Saml.  Crew, who died yesterday of the spotted fever.  So home through Duck Lane' to inquire for some Spanish books, but found none that pleased me.  So to the office, and that being done to Sir W. Batten's with the Comptroller, where we sat late talking and disputing with Mr. Mills the parson of our parish.  This day my Lady Batten and my wife were at the burial of a daughter of Sir John Lawson's, and had rings for themselves and their husbands.  Home and to bed. <http://www.gutenberg.org/files/4131/4131-h/4131-h.htm>

    前の記事で書いた、引用の背景のコンテクストを入れておきます。1861年7月3日にピープスが一緒に御飯をいただくmy Lady は、もともとピープスの雇い主であり、縁戚でもあるエドワード・モンタギューの奥さんのジェマイマで、ピープスの8つほど年上の女性ですが(1861年に夫人は36歳くらい、ピープスは28歳)、幼なじみであり、家族同然の交際をしている間柄です。よくモンタギュー邸でご飯を食べる記述がしょっちゅう日記にでてきます(印象的なのは、だんなのモンタギューがいなかったけれど夫人とごはんを食べることにして、食べ終わったらだんなが帰ってきて、でもそのときには召使いたちも食事を全部たいらげていて食べるものが何も残っておらず、だんなが怒った、みたいな記述ですw)。そして、この日も、ご招待があって出向いていったわけではない。なんか外で、しかもモンタギュー邸で食いすぎじゃねーの、という心配はありますが。

   あと、あれこれ読んでいてわかったのですが、dinner はもっぱら昼食のようですし、dined も日記の記述からして(ぜんぶがぜんぶとは言えないですけれど)お昼のようです。この一節でも、そのあとDuck Lane にスペイン語の本を探しに行ったり、さらに職場に戻ったりしていますし。(いっぽう、自身の奥さんはジョン・ローソン氏の娘さんの葬儀に参列していたようで)。

  それを、ジュディー=ジーン・ウェブスターは、"Mr. Saml.  Crew" という固有名を抜かし、言葉を詰めたり足したりして、そして、もちろん日記のコンテクストを提示せずに、引用して、「entertain しだすには早すぎる」とのコメントを付与するわけです。

  やっぱり周到な改変ですね、handsome は。おちゃめだけど。

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大掃除をしていたら、東健而の訳(世界大衆文学全集『世界滑稽名作集』)が見つかりました。健ちゃんは "handsome mourning" をモーリちゃんの父と同じようにとっていました♪――

  「わしはハリソン少佐殿が首を縊(くく)られ、臓腑(はらわた)を引き出され、手足を八つ裂きにされるのを見に参りましたが、そのやうな目に遭うても、あの人はまあケロリンかん[ケロリンかんに傍点]として居りましたわいなあ」
  それから斯んなことを言ふのよ。
  「奥様よりのお招きにて、御馳走様になりましたが昨日弟子様が脳脊髄膜炎で御亡くなりなされたとやら、奥様には御いたはしくも喪に服して居られました」
  昨日弟さんが死んだのにもう宴会をするなんてまあ随分早いわねえ? (197)

  遠藤寿子から「喪服」になったのですね。(まちがっているとは言っていません)。

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1660年の日記 <http://infomotions.com/etexts/gutenberg/dirs/4/1/2/4125/4125.htm>

1661年の日記 <http://www.gutenberg.org/files/4131/4131-h/4131-h.htm>

"Elizabeth Pepys (wife, b. St Michel)" in The Diary of Samuel Pepys: Dairy entries from the 17th century London diary <http://www.pepysdiary.com/p/150.php>

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morichanの父

つなしさま
はじめまして。ご訪問ありがとうございます。
by morichanの父 (2009-12-29 20:12) 

morichanの父

kaoru さま
おはようございます。ありがとうございます。
by morichanの父 (2009-12-30 10:07) 

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