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学生数の増加とスウィフト診療所・補足 Swift Infirmary, Swift Recovery, Swift Hall [Marginalia 余白に]

補足。足が遅いといいますか、だらだら書いている感じがあるかもしれませんが、自分にとってブログのいいところは、呑み込んですぐ排出するみたいな、消化不良のままに勢いで書けること、あるいは(ときどきは)即興の思いつきを節足に、いや拙速に書きとめられること、なの、かもしれず、ご勘弁を願います。

  思えば1890年代から1900年代はじめというのは、学生数の増加によりヴァッサー大学に「寮」がつぎつぎと建てられた時期でした。すなわち、『あしながおじさん』の大学のモデルになっているヴァッサー女子大学にジーン・ウェブスターが1897年秋に入学したときには、ストロング・ハウス Strong House (1893)  とレイモンド・ハウス Raymond House (1897) という二つの寮がありましたが、さらに Lathrop House (1901) と Davison House (1902) が同じ意匠で建設され、4つの寮が二の字二の字の下駄のあと、という感じで、二つずつ向かい合って並ぶ。そして「塔」のモデルと想定される9階建てのTower をもった ジュウェット・ハウス Jewett House (1907) が、"North" として4つの寮に向かい合って北側に建てられます。

  当初から全寮制だったわけで、Main Building は教室と寮が一緒になっていたわけです。そして、そこに古い診療所もありました。1900年に卒業生が新しい独立した診療所の建物を寄贈することにしたのは、確かに要望が高かったからだと思われます。ヴァッサーの学生数の増加については、なぜかコーネル大学の同窓会報 Cornell Alvmni News, Vol. 3, No. 12 (1900年12月12日(水))に、記事として載っています <http://www.ecommons.cornell.edu/bitstream/1813/3165/12/003_12.pdf>。――

CornellAlu[v]mniNews,Vol.3,No.12(December19,1900).jpg
(クリックで拡大)

   左から2つ目のコラムの最後の段落の記事です。この記事は、この2年であらわになった"over-crowded condition" を解消すべく100人収容の新しい dormitory が建設される、という主旨ですが、名前は出てないけれど Lathrop House (1901) の建設のことをいってると思われます。で、最後の一文――"Strong Hall, which was built in 1892, and Raymond House, which was erected four years later, have always been taxed to their full capacity, as well as the accomodations in the main building, and at the present time there are 135 students living in lodging houses outside the college grounds." (1892年に建てられたストロング・ホールと、その4年後に建造されたレイモンド・ハウスは、メイン・ビルディング内の施設同様につねに満杯の使用状況で、現在、135人の学生がキャンパスの外の宿泊所に暮らしている。)

  135引く100は35で足りません。そして案の定、というか、つづく1902年にDavison House が建てられることになります。

  135人が住んでいた "lodging houses" というのがどんなものだったのか興味深いのですが、わからんです(ヴァッサー大学にとってはあまり誇れる歴史ではないかもしれず)。

  (ついでながら、左のコラム下の5行の短い記事は、カリフォルニア大学学長の Benjamin Ide Wheeler が『アトランティック・マンスリー』誌に "Art in Language" という論文を書いた、というものですが、ベンジャミン・ホイーラー (1854-1927) はマサチューセッツ出身でブラウン大学を卒業した文献学者で、1899年から1919年までバークレーのカリフォルニア大学の学長だった人です。おそらくコーネル大学の教授もしていたので載っているのかもしれません。彼を記念した Wheeler Hall にUCバークレーの英文科も入っています。なつかしい。)

  ☆ ☆ ☆

  スウィフト診療所について、ヴァッサーの同窓会報 Vassar, the Alumnae/i Quarterly, Vol. 105, Issue 3 (Summer 2009) の "Hidden Histories" 特集の記事に書かれていました <http://vq.vassar.edu/issue/summer_2009/article/fs_hidden_histories_summer09>。

  それによると、"Swift Hall" というのは現在の呼称で、1941年に史学科が移ってきたのだそうです(これは、補足すると、新しいBaldwin Infirmary が前の年に建てられたからです)。もとは Swift Infirmary でしたが、昔の学生の呼び名としては "Swift Recovery" だったそう。「早い回復(=スグナオル)」ということばのシャレです。 

Infirmary, Vassar College, Poughkeepsie, NY.jpg
推定20世紀初頭のSwift Infirmary, image via epodunk.com <http://www.epodunk.com/cgi-bin/genInfo.php?locIndex=1476>

SwiftHall.jpg
推定21世紀初頭の Swift Hall, image via Vassar, the Alumnae/i Quarterly <http://vq.vassar.edu/issue/summer_2009/article/fs_hidden_histories_summer09>

  こうして100年の時間をはさんだ2枚の絵を眺めていると、そのあいだに数知れぬひとびとがさまよっているさまが、1枚の絵を見る以上に、浮かぶようです。


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