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ジェルーシャと近づく (3) To Get Acquainted with Jerusha Abbott (3) [Daddy-Long-Legs]

ジェルーシャ・アボットと向かい合い、知り合う初めての機会だと書いてから2週間もたたずに、ジュディーは、名前を自ら変えます。

  これは、ジュディーという別人格を pretend することによって、逆に客観的にジェルーシャ・アボットを見つめることができるのだ、とリクツをこねることも可能かもしれません。が、とりあえず、表向きには、大学の新しい人間関係の中で、孤児院出自についての嫌悪と戸惑いが急激に高まって、過去の自分を消し去りたい(逆に言えば新しい自分をつくりたい)というずっと切羽詰った願望がもたげたゆえだと理解されます。

  実際、リペット院長の名づけに対する批判の手紙(水曜日)のすぐつぎの手紙(金曜日)――いずれも10月10日付のミケランジェロの話に始まる一連の手紙(通算3通目)――は、記事「よく遊びよく学べ All Work and No Play」で書いたように「学び」よりも「遊び」の時間のほうが自分の過去が他の女の子たちと共有しなかったものがあらわになって辛いということを書くだけでなく、孤児の図を描いて、孤児院批判をするわけです。

Friday.

     What do you think, Daddy?  The English instructor said that my last paper shows an unusual amount of originality.  She did, truly.  Those were her words.  It doesn't seem possible, does it, considering the eighteen years of training that I've had?  The aim of the John Grier Home (as you doubtless know and heartily approve of) is to turn the ninety-seven orphans into ninety-seven twins.
     The unusual artistic ability which I exhibit was developed at an early age through

Daddy-Long-Legs(Century,1912)35.jpg
Daddy-Long-Legs (New York: Century, 1912), p. 35

drawing chalk pictures of Mrs. Lippett on the woodshed door.
     I hope that I don't hurt your feelings when I criticize the home of my youth? But you have the upper hand, you know, for if I become too impertinent, you can always stop payment of your cheques. That isn't a very polite thing to say―but you can't expect me to have any manners; a foundling asylum isn't a young ladies' finishing school.
     You know, Daddy, it isn't the work that is going to be hard in college. It's the play.  Half the time I don't know what the girls are talking about; their jokes seem to relate to a past that every one but me has shared.  I'm a foreigner in the world and I don't understand the language.  It's a miserable feeling. I've had it all my life.  At the high school the girls would stand in groups and just look at me. I was queer and different and everybody knew it.  I could feel "John Grier Home" written on my face.  And then a few charitable ones would make a point of coming up and saying something polite.  I hated every one of them―the charitable ones most of all.
     Nobody here knows that I was brought up in an asylum.  I told Sallie McBride that my mother and father were dead, and that a kind old gentleman was sending me to college which is entirely true so far as it goes.  I don't want you to think I am a coward, but I do want to be like the other girls, and that Dreadful Home looming over my childhood is the one great big difference.  If I can turn my back on that and shut out the remembrance, I think, I might be just as desirable as any other girl.  I don't believe there's any real, underneath difference, do you?
     Anyway, Sallie McBride likes me!
                                     Yours ever,
                                          JUDY ABBOTT        
                                         (NÉE JERUSHA.)
(どう思われますか。――国語の先生が、わたしのこのあいだの提出物を、非凡な独創性があふれていると言ってくれました。そう言ったのです、ほんとうに。その女の先生のことばなんです。18年間わたしが受けた訓練を思うと、ほとんどありえないことばではないでしょうか。ジョン・グリアー・ホームの目的は――あなたはもちろんご存知で、そのとおりと思われるでしょうが――97人の孤児を、そっくりの97つ子みたいにすることなのですから。
  わたしが開示する非凡な芸術的才能は、幼少期に物置の扉にチョークでミセス・リペットの肖像を描いたことから発達したものです。
  わたしが若いころの自分の家を批判することであなたが感情を傷つけませんように願っています。でも、あなたは支配権をおもちで、なぜって、もしもわたしがあんまり生意気になったら、いつでも小切手の支払いを止められるのです。こんなことをいうのはあんまり上品ではありませんね――でもわたしが行儀なるものをもっているなどと期待することはできないのです。捨て子をひろって育てる孤児院はヤング・レディーのフィニッシイング・スクールとは違いますから。
  ねえ、ダディー。大学でしんどいのは学びではないです。遊びがしんどいです。女の子たちのおしゃべりのうち半分しかわたしにはわかりません。ジョークが、わたしを除くみんなが共有する過去に関係するみたいです。わたしはこの世界の異邦人で、みんなのことばが理解できません。みじめな気持ちです。これまでの生涯、ずっとそのみじめな気持ちを味わってきました。高校では、女の子たちがいくつものグループになって立ったまま、ただわたしを見るのです。わたしはミョウチクリンで違っていてみんなそのことを知っていた。わたしは「ジョン・グリアー・ホーム」と顔に書かれているのが感じられました。それから、少数の慈善的な子たちがきまってやってきて何か上品なことを言うのです。わたし誰も彼も嫌でしかたがなかった――なかでも慈善家の連中が。
  ここではわたしが孤児院で育てられたことは誰も知りません。わたしはサリー・マクブライドに、母も父も死んで、そしてある親切な老紳士のおかげで大学へ来ているって、話しました。それはそれで真実ですから。あなたに卑怯者と思われたくありませんが、わたしは他の女の子たちのようになりたいと願っており、わたしの子供時代をおおっているあのオソロシイホームがみんなとの最大の違いなんです。それに背を向けて思い出さえ締め出すことができたなら、わたしは、他の女の子と同様に少しも申し分がないのです。なにか、本当の、内的な違いなどないのだと思います。ちがいますか。
  ともあれ、サリー・マクブライドはわたしを好いてくれています!
  あなたの ジュディー・アボット 
        (元ジェルーシャ) )

  
  このジュディーの心情は胸を打つものがあります。孤児ゆえの頑なさ(とジュディー自身がひとに思われることを承知の上で出している頑なさだからカッコつきの「孤児ゆえの頑なさ」ないし自意識的頑なさ)も含めて、読者の感情移入を誘うところがあります。

  だから、ちょっとドライに考えると、物語の構成上、ジェルーシャ・アボットという孤児はジェルーシャ自身にあっさりと好きになられては困るので、自己否定・過去否定的にジュディーという架空の人格がつくられる必要があったと言えるかもしれません。ジェルーシャがジェルーシャから遠ざかるためにです。「ジュディーの幸福論――3月5日の手紙(2) Judy on Happiness: The Letter of March Fifth (2)」で書いたように、ジュディーの孤児意識はこの物語のエンジンみたいなものですから、結末までジュディーのキャラクターを支配します。

  とりあえずは4年生の卒業間際には、敢えて「理事さま」宛にして、ジョン・グリアー・ホームへの愛を語ります。――

     To-morrow is the first Wednesday in the month―a weary day for the John Grier Home.  How relieved they'll be when five o'clock comes and you pat them on the head and take yourselves off!  Did you (individually) ever pat me on the head Daddy?  I don't believe so―my memory seems to be concerned only with fat Trustees.
     Give the Home my love, please―my truly love.  I have quite a feeling of tenderness for it as I look back through a haze of four years.  When I first came to college I felt quite resentful because I'd been robbed of the normal kind of childhood that the other girls had had; but now, I don't feel that way in the least.  I regard it as a very unusual adventure.  It gives me a sort of vantage point from which to stand aside and look at life.  Emerging full grown, I get a perspective on the world, that other people who have been brought up in the thick of things, entirely lack.  (Penguin Classics, pp. 118-119: emphasis added)
(3月5日/理事さま
  明日は月の第一水曜日――ジョン・グリアー・ホームでは憂鬱な日です。5時になって理事さんたちがみんなの頭をなでて立ち去ったときに皆はどれほどほっとすることでしょう! 理事さん(ご自身)は、私の頭をなでてくださったことがありましたか、おじさま? わたしにはそうは思えませんけれど――記憶にあるのはみな太った理事さんたちばかりのようなのです。
  〈ホーム〉へ私の愛をお伝えいただければと存じます――本気の愛です。4年間の霞をとおしてふりかえると、ホームに対するほんとうに優しい気持ちを感じます。大学へきたてのころわたしはほんとに腹をたてていました。なぜってほかの女の子たちにあった正常な子供時代が自分には奪われていたのですから。でもいまは、少しもそんなふうには考えていません。とても非凡な冒険とみなしています。脇に立って人生を眺めるという利点をわたしに与えてくれています。十分に成長してから世に出てきたおかげで、豊かなモノに囲まれて育てられた他のひとたちにはまったく欠けている、世界を見とおす視座があります。) 〔「よろしくと伝えて――ジュディーの幸福論 (2) Give Kindest Regards to: Judy on Happiness (2)」参照〕

  ジョン・グリアー・ホームを愛するということは、ジョン・グリアー・ホーム出のジェルーシャ・アボットを愛するということと重なっています。こうして、ジュディーがジェルーシャ・アボットという人間を見つめなおして、オノレのアイデンティティーを模索する過程が、大学の4年間であった、ということもできそうです。そして、言うまでもなく、ジュディーの幸福論だけでなく、ジュディーの文学論もその過程に密接に織り合わされています。ジュディーが最終的に選んだ題材はジョン・グリアー・ホームでした(4年生4月4日の手紙)し、「日々起こるささやかなこまごまとしたこと the tiny little things that happened every day」 について書くことを尊ぶ立場を選択するわけです(「ジューディーとジャーヴィー――ジュディーと冒険(3) Judy and Jervie: The Adventurous Judy (3)」)。

  それでも、卒業後に、ジャーヴィス・ペンドルトンの求婚を断り、彼を苦しめる結果となる原因は、孤児の出自をジャーヴィスに打ち明けることができなかったからです(ジャーヴィス/ダディー・ロングレッグズはジュディーのアイデンティティーを知っているのに)。結末までジュディーを支配する意識と言ったのはそういう意味です。

  ところで、だから、月並みな言い方をすれば、「自分探し」の物語だと言ってもいいのですけれど、アイデンティティーがジュディー/ジェルーシャ・アボット以上に分裂し、謎めいており、読者の「探求」の対象になっているのがジョン・スミス/ダディー・ロング・レッグズ/ジャーヴィス・ペンドルトンという男です。

  ジャーヴィスは自らジョン・スミスという仮面をかぶって、ジュディーという孤児の生涯を方向づけようとします。しかし、ジュディーから与えられた「ダディー・ロング・レッグズ」の意味を実は知らないままです(読者は知っています)。ジュリアのおじという仮面でジュディーに接近し、そのことでダディー・ロングレッグズ・スミスとしてジュディーに相談を受けるというコッケイな役回りを演じざるを得なくなります。しかも、「ダディー」のほうは、ジュディーから、家族願望や父親願望が投影されるだけでなく、つるぴかはげ丸くんではないかと疑われたり、じいさんだとずっと思われたりしています(このアイデンティティーは、読者は少なくとも途中までは知りません)。

  だから、物語は、ジュディーのアイデンティティー探求と、(おおむねは読者による)ダディー・ロングレッグズのアイデンティティー探求をめぐって織りあわされています。そして、面白いのは、前者の「自分探し」の表の物語の裏側で、作者が、後者のミステリー仕立てのプロットを仕掛けていることではないでしょうか。  
  


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morichanの父

ゆとりOL さま、couple さま、(た)さま、kaoru さま、nice ありがとうございます。
by morichanの父 (2010-04-01 16:25) 

NO NAME

"I generally do not put up in Weblogs but your web site forced me to, astounding work.!!! lovely …"

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St. Petersburg

by NO NAME (2010-11-09 18:56) 

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