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『あしながおじさん』の探偵さん (中) Good Detective in _Daddy-Long-Legs_ (2) [Daddy-Long-Legs]

つづきです。

たとえば、1980年代からのフェミニズム批評の隆盛と、それと時を合わせて「埋もれていた」スリラー(だいたいは匿名か変名で発表された、しばしばファム・ファタール的な魔性の女が自己を主張するゴシック小説)が復刻されたルイーザ・メイ・オルコットのような作家の関係を考えてみると、つぎのような解説文章が、なんだかとても古めかしいものに見えるのは、事実でしょう。旺文社文庫版『若草物語』(1966) の訳者 恩地三保子の「あとがき」――

これを訳しながら、いろいろなことを考えさせられました。中でも現在何かと問題になっている家庭の躾、ことに少女期から若い女性へと育っていく過程での大事なポイントなどを。そして、百年前のアメリカの家庭での人生教訓が、まことに健康であり正しいものであったことも。この物語での長女メグの結婚問題について、母親が言っている言葉など、そのまま日本の今の母親の信条となるものではないかと思えます。この「若草物語」は、誰にでもやさしく読める家庭小説ではありますけれど、ただ物語としての面白さ以外にも、ここに流れている、当時のアメリカの自由独立の気風、清教徒的なきびしい精神を通して、百年前のアメリカの心に触れ、独立戦争、南北戦争の歴史をもう一度頭の中ででも復習していただけたらと思います。

  つまり、20世紀フェミニズム批評は、むしろジョーの視点・体験を通して、保守的な道徳・女性観を批判した小説として『若草物語』を読み直そうとつとめました。だけど、なるほど、ジョーは、ジュディーが卒業後作家としてどうなったか不明なのに対して、もっと継続的に女の生き方を訴えるけれど、『若草物語』の連作が、ほんとにフェミニズム的な視座におさまるかはなかなかむつかしいところです。

  『あしながおじさん』が変わっているのは、たぶんそもそも「児童文学」ではなく(もっとも『若草物語』もそうではない、と論じることもできるでしょうけれど、人物の関係とかは上原きみこの昔の漫画のようなところがある(といって、上原きみこのロリちゃまとかのシリーズも、その物語の中の人物関係も含めた偶然性はロマンスという物語ジャンルの許容範囲である、と論じることもできるでしょうけれど)――つまるところ「児童」を超えて「アダルト」へ架橋するのが「少女」ということかもしれませんが)、日本語の翻訳でいうと、抄訳で落とされてしまうような政治的な問題とか、女性問題とか、もとのテクストから、え、子供が読んでいいの、みたいな感じで、あらわにあるわけです。

  とりあえずオルコットが「小さな」読者を想定していたのは(執筆の経緯を含む編集者とのやりとりからも)確かなことで、それは広い意味での文体にもあらわれています。いっぽうジーン・ウェブスターは、小説として児童を読者と想定していたとはまったく思われません。もっとフリーです。

  ・・・・・・と、話がまったくあしたかあさっての方向へw

 

  探偵問題でした。

『あしながおじさん』の最後に出てくる「探偵 detective」さんについて。リクツをこねる前に、まずは原文。――

 

     Then you laughed and held out your hand and said, "Dear little Judy, couldn't you guess that I was Daddy-Long-Legs?"
     In an instant it flashed over me.  Oh, but I have been stupid!  A hundred little things might have told me, if I had had any wits.  I wouldn't make a very good detective, would I, Daddy?―Jervie?  What must I call you?  Just plain Jervie sounds disrespectful, and I can't be disrespectful to you!  (Penguin Classics 131)
(それからあなたは笑って手を差しのべて言いました、「ねぇ、ジュディー、ぼくがダディー・ロング・レッグズだってあてられなかったの?」
  一瞬のうちに閃きました。あー、なんてわたしはオバカだったのでしょう! たくさんの小さなことからわかってよさそうなものだったのにー、わたしにアタマがそもそもあればですが。わたし、探偵さんにはなれそうもないですね、ダディー?――ジャーヴィー? なんと呼ぶべきでしょう? ただジャーヴィーだと敬意を払っていないように聞こえますし、わたしはあなたに敬意を払わなければならないんですから!)

    ジュディーがダディーの正体をわからないでいることについて、なんか批判的に書いている文章を読んだ記憶があったので探していたのですけれど、10個ぐらいの翻訳のあとがきを見ても載っていませんでした。夢だったのかしら。

  川端有子の『少女小説から世界が見える』の第5章「あしながおじさん」にはつぎのような文章があります。これは「一人称という手法」という節のつぎの「知らないのはジュディだけ?」という節で、前節の「ジュディの視点の限界は、彼女の主体性のあやうさでもある」という文(この文は考えると意味深長な文ですけれど、少なくとも曖昧です。一人称語りの設定と主体性は別問題のはずですから、だとすれば、「主体性」自体が他者(読者)によってつくられるものだと言っているのでしょうか? あるいはルソーとかも含めて告白的一人称によって成立する「主人公」は信用できんということでしょうか?)を引き継いでいる内容です。――

  そもそもあしながおじさんを、ごましお頭か禿の老評議員の一人だと思い込んだのは、ジュディの先入観でしかなかった。あしながおじさんがそれを訂正しなかったため、彼女の思い込みはそのまま突っ走る。ジュリアを訪ねてきたジャーヴィスさんと会った時、「二十年前のおじさまを思わせる」ひとだと述べていながら、そのあとも続く偶然を疑ってもみない。
  夏の休暇にロック・ウィロー農場へ行くよう、あしながおじさんにお膳立てをしてもらい、そこがジャーヴィスさんの持ち物だと知って「偶然」に驚くジュディに、そろそろジャーヴィスの正体に気がつきはじめた読者は、鈍い奴だと苛々しはじめることだろう。クリスマス休暇にサリー・マクブライドの家に招待され、サリーの兄のジミーに惹かれた様子を見せるや、ジャーヴィスさんの訪問が増えてくる理由も、ジュディにはまったくわかっていない。次の夏、マクブライド家のキャンプに行くことを、おじさんは強制的にやめさせ、ロック・ウィローヘ行かせる。作者も読者もその理由は先刻承知だ。おじさんは彼女をジミーと近づけたくない。ロック・ウィロー農場に行かせて自分が会いたいだけなのだ。ジュディだけがわけもわからず振り回されているのである。 (193-4)

  この文章が興味深いのは、読者をジュディーよりも優位に置き、さらにあしながおじさんの下心を下位に置いているところです。「そろそろジャーヴィスの正体に気がつきはじめた読者」の「そろそろ」というのは、1年生6月のことです。

  ううむ。そんなに早く気づくのかー。つーか、やっぱり最後にまでいたらずに気づくのかー。 「作者も読者もその理由は先刻承知だ」という一見無意味な(だって作者だぜ)文は、「ジュディだけが」ということを強調するためのレトリックなのでしょうが、作者がどこまで計算して「偶然」や「たくさんの小さなこと」を配置していたのか、気になるところです。少なくも最後のジュディーの「(名)探偵さんにはなれそうもない」という言葉は、それこそ、読者に対して、「探偵」作業 (detection) を(いまさらながらですが、暗に)求めていた、あるいは挑んでいたことを示唆しているわけです。

  まったく個人的な結論から言うと、「アイデンティティー探求」が探偵物語の中心的な枠組みであるならば、それにかぶらせて自己のアイデンティティー探求の物語を構築しているところが『あしながおじさん』という作品のおもしろさということになるのですが、そもそも『あしながおじさん』をミステリーとして読むこと自体が一般的ではないのだから、はなはだ脆弱なリクツで、結論にもなっていないす。なんか結論をひきのばしたくなってもきましたし。

  ところで、文章を探して、あらためて松岡正剛の「千夜千冊」を読んでみたら、男の読者であることに自意識過剰的な文章のなかで、どうやら、最後まで「あしながおじさん」のアイデンティティーはわからなかったように吐露しているようなのです <http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1308.html>。

  中学校時代くらいの男の子にいちおー戻っているふりをしている松岡と、大人の女としてフェミニズム的な姿勢を出す川端、というふたりのカッコツケの違いなのでしょうか。主人公ジュディーに対しても、探偵能力はさておき、対照的な評価になっているように見えてしまいます。

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少女探偵ナンシー・ドルー image: 「読んでいるブログ 女探偵物語 探偵日記

  あー、また話がしあさっての方向へw。

   もすこしがんばってつづきます。

   が、たぶん、『若草物語』とか、ほかの作品、作者にちょっとひろげて書くことになりそうな春の予感 または春の予感です。そろそろ『あしながおじさん』も150以上は記事を書いて煮詰まってきましたし。


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morichanの父

インテリアンさま、こんばんは~。どうもありがとうございます。
by morichanの父 (2010-04-05 23:03) 

morichanの父

pcluxury さま、kaoru さま、inspirit さま、ゆとりOL さま、ご訪問どうもありがとうございます。
by morichanの父 (2010-04-07 12:28) 

morichanの父

ゆとりOL さま、couple さま、」どうもありがとうございます。
by morichanの父 (2010-04-09 21:14) 

morichanの父

ネオ・アッキーさま、ご訪問とnice、どうもありがとうございます。ご
by morichanの父 (2010-05-08 21:56) 

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