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ディドロの「私の古い部屋着への惜別」(4) Regrets sur Ma Vielle Robe de Chambre (4) [私の古い部屋着への惜別]

ディドロの「私の古い部屋着への惜別」(4) Regrets sur Ma Vielle Robe de Chambre (4)  [私の古い部屋着への惜別]  

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  どうしてあれをとっておかなかったのだろう? あれはわたしにフィットしていたし、わたしもあれにフィットしていた。あれはわたしの体に窮屈でなく、体のあらゆるラインにはまっていた。わたしはピトレスク〔pittoresque〕(*) で美しかった。もうひとつのは、こわばっていて、ごわごわしていて、わたしをマネキンみたいにぎこちなくさせる。いかなる用事にもあの服はこころよくはからってくれた。というのも貧窮というのはつねに親切なものだから。本がほこりだらけになっていると、部屋着の襞がそれを拭いてくれた。ペンのインクが濃くなってきて出るのを拒んだときには部屋着がその裾を提供してくれたので、頑固なペンから出てきた長い黒いラインが跡になっているのが見えるだろう。長いすじは、その持ち主が著述家、作家、刻苦する人間だということを吹聴していた。いまのわたしは裕福なのらくら者で、誰もわたしが何者かわからない。

  あれの庇護のもと、わたしは従僕の粗相も、わたしの粗相も、火の閃光も、水の飛沫もおそれなかった。わたしはわたしの古い部屋着の絶対君主であったのだ。それが新しいやつの奴隷になりさがってしまった。

  金の羊毛を見張っていた龍(*) もいまのわたしほど不安ではなかった。憂いがわたしを包んでいる。

  手も足もくくられて若い娘の気まぐれと愚かさに身を委ねた情痴の老人は、朝から晩まで愚痴をこぼす――わたしのもとのいい、わたしの古い家政婦は、どこだ? この娘にかえてあれを追い出したときに、いかなる悪魔 (démon) がわたしに取り憑いていたのか? そして彼は泣いたりため息をついたりする。

  わたしは泣きはせず、ため息もつかない。けれどもしょっちゅうこう言う――普通の生地を緋色に染めて値打ちをつける術を発明した者は呪われよ! わたしが敬まわねばならぬ高価な衣服は呪われてあれ! わたしの古の、わたしのつつましやかな、わたしのここちよいカルマンド(*)の襤褸着はどこに行ってしまったのか?

  友たちよ、諸君の旧友を大切にとっておきたまえ。友たちよ、富の接近に注意したまえ。わたしの例が諸君へのよい教訓となるように。貧乏は自由を有するが、裕福は拘束をもたらす。

  ああ、ディオゲネス(**)よ! 汝の弟子がアリスチッポス(***)の贅沢なマントを着ているのを見たらさぞかし笑うことだろう! ああ、アリスチッポスよ、贅沢なマントはたくさんの卑下によって購われたのだ。汝の軟弱で、放縦で、女性的な(****)生き方と、襤褸をまとった犬儒派の自由で確固とした生のあいだにどれだけ懸隔があることか! わたしは今まで君臨していた樽(*****)を、暴君の下に仕えるために、出てしまった。

  つづきです。第8、第9、第10、第11パラグラフ――。

Ce n'est pas tout, mon ami. Écoutez les ravages du luxe, les suites d'un luxe conséquent.
それだけではないのだ、我が友よ。それに続いて起こった奢侈の嵐、奢侈の一連の結果に耳を傾けよ。

Ma vieille robe de chambre était une avec les autres guenilles qui m'environnaient. Une chaise de paille, une table de bois, une tapisserie de Bergame, une planche de sapin qui soutenait quelques livres, quelques estampes enfumées, sans bordure, clouées par les angles sur cette tapisserie; entre ces estampes trois ou quatre plâtres suspendus formaient avec ma vieille robe de chambre l'indigence la plus harmonieuse.
わたしの古い部屋着は、わたしを取り巻く他の襤褸とひとつになっていた。ワラの椅子(*)、木のテーブル、ベルガム(**)の壁掛け、何冊かの本をのせていたモミの板、額に入れられておらず壁掛けの角のところにピンで止められただけの煤けた数枚の版画、そして版画のあいだに吊るされた三つ四つの石膏像が、わたしの古い部屋着と一緒になって、貧乏の最も調和的な効果を形成していた。

Tout est désaccordé. Plus d'ensemble, plus d'unité, plus de beauté.
[いまや]すべてが調子がはずれている。もはやアンサンブル〔全体的効果〕も統一も美もない。

Une nouvelle gouvernante stérile qui succède dans un presbytère, la femme qui entre dans la maison d'un veuf, le ministre qui remplace un ministre disgracié, le prélat moliniste qui s'empare du diocèse d'un prélat janséniste, ne causent pas plus de trouble que l'écarlate intruse en a causé chez moi.
牧師館(***)に新しく来たうまずめの新しい家政婦も、男やもめの家に入った女も、面目失墜した大臣の座にとってかわった大臣も、ヤンセン派(****)の司教の管区を奪ったモリーナ派(*****)の司教も、緋色の闖入者が私のところに起こしたような混乱は惹き起こさない。

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ワラの椅子(*)
chaise de paille たぶんゴッホのアルル時代の絵のようなやつ――

VincentVanGogh-LaChaiseetlaPipe.jpg
Vincent van Gogh, La Chaise et la Pipe [The Chair and the Pipe] / Vincents Stuhl mit Pfeife [Vincent's Stool with Pipe] / Van Gogh's Chair (1888) National Gallery, London. 
image via Wikimedia Commons <
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vincent_Willem_van_Gogh_138.jpg?uselang=ja>

  日本では「アルルのゴッホの椅子」とか「パイプが載っている椅子」とか呼ばれているみたい。1888年の絵ですけど、前年の1887年には都会のパリにいたのでした。

ベルガム(**)
Bergame に相当する英語は Bergamo。もともとイタリア北部のロンバルディア州の町の名。ベルガムとは、はじめイタリアのベルガモでつくられ、フランスでは16世紀末から使用され、製造されるようになった、ウール、絹、木綿、麻、あるいはヤギや牛の毛で織られた質素なタペストリー。フランスではノルマンディー地方のルーアン (Rouen)(ジャンヌ・ダルクが火刑になった町) とエルブフ (Elbeuf) が製造の中心地だった。ゴブラン織が高級なタペストリーとしてあるのに対して、粗野な壁掛けとしてあったらしい。明代の中国からで壁紙 (wallpaper) とその技術が伝わり、そしてとくに19世紀に広まるまでは壁掛けが用いられていた。・・・・・・"Designer Fabrics" というサイトで "Bergamo tapestry" を検索すると、意外と高級なのもありそう <http://www.iluvfabrix.com/products.php?cid=13&page=15>。

牧師館(***)
presbytère はプロテスタントの長老派教会 (Presbyterian Church) を思い起こす綴りだけれど、新教以前にキリスト教会に「長老」はいて、初期キリスト教会でも「監督」の下が「長老」なのだけれど、簡単にいうと、のちの司祭(監督⇒司教に対して)です。司祭はプロテスタントだと牧師です。だから英語だと rectory か manse で、「牧師館」です。どこのセクトの牧師・司祭にせよ、「子だくさん」という俗説(?)があるけれど、そういうセクシュアルなことをあてこすっているのかどうか不明(stérile = sterile (英) =  「子ができない」「不妊の」)。

ヤンセン派(****)
janséniste は英語だと Jansenist。ヤンセン Cornelis Jansen (1585-1638) はオランダのカトリック神学者。ヤンセン主義とはこのヤンセンの教会改革の精神を奉じる主張・運動だが、とくに性に対する厳格な考えを特徴とする。

モリーナ派(*****)
moliniste は16世紀スペインのイエズス会士ルイス・デ・モリーナ Luis de Molina (1535-1600) が唱えた Molinism (molinisme 仏) を奉じる立場。神の恩寵と人間の自由意志の調和を、神の恩恵は人間の自由意志に左右される、あるいは神の恩恵は人間の意志的同意によってのみ力がある、人間の自由意志の協力が必要である、というかたちで唱える(自由意志の同意をもってはじめて力を発する「充足的恩恵」という概念の導入)。充足的恩恵はGoogle 検索で2つしか出てこない。Yahoo 智恵袋あたりで聞いてみようかなw。

父と子と聖霊 キリスト キリスト教 AVE MARIA アヴエ マリア 天使祝詞 ...

おおくの神学者達や私たちの修道会の支持をうけている私たちの学説又は意見は,内在的に効果的な恩恵と完全に一致するとともに,まことの充足的恩恵とも合致しています。 ・ ・・。 P166 ミサや告白のほかに,いのりの生活の為ピオ神父がすすめた主要な事 ...
www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/6063/sub1.htm - キャッシュ
 
実は、神は烈しい熱意、溢れるような愛と豊かな恵みを取り上げられたが、永遠の救いのための充足的恩恵は残っているからである。 ... 反対に、荒みの中にある人は、充足的 恩恵をもつ自分が全ての敵に十分抵抗できると考え、創造主を頼りにして、力を身に ...
www.beati.jp/se.html - キャッシュ

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