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希望という名のあなた (1) Your Name Is Hope [歌・詩 ]

希望という名の光について考えていたら希望という名のあなたのことを思い出していた。

  岸洋子 (1935-92) の歌唱で有名な「希望」は、岸洋子のために書かれた曲ではなくて、もともとは倍賞千恵子のミュージカルのためにつくられたのを岸洋子が車中で聞き、自ら申し出て1970年にレコーディングしたのだとかなんとかいう薀蓄がWEBを検索するとたくさん出てくる。えーと、いちおう資料とかも示している「学術」的な文章は、東京大学社会科学研究所の希望学プロジェクト(まじです)のサイト『希望学』の<希望の名言集 第3回 岸洋子 「希望という名のあなたをたずねて 遠い国へとまた汽車にのる> <http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/meigen/meigen_3.html>だ。JASRACの許諾を得て歌詞も掲載しているので、読んでいただきたく、冒頭を引用しておきます。――

1970年、日本レコード大賞歌唱賞は、岸洋子の『希望』であった。岸洋子の代表作とも言うべきこの歌は、実は彼女のために作られたものではなく、倍賞千恵子のために作られたミュージカルの曲だった。しかもこの歌は、岸洋子のみならず、シャデラックス、フォーセインツという男性コーラスグループとの競作であった。『希望』は、1968年岸がタクシーの中でラジオから流れてくるこの歌にひきつけられ、曲の題名と資料を集めて、歌わせてもらうようお願いし、歌ったものだったのだ。
  男声フォークグループであるザ・シャデラックスのシングル版「希望」(SONA86109)は1970年5月1日の発売だから、岸洋子の「希望」(1970年4月1日発売)のひとつきあと、そしてフォー・セインツの「希望」は1年前の1969年5月1日の発売でした。作詞は藤田敏雄、作曲はいずみたく。
  
  あれこれ、暑いし図書館に行く余裕もなく、ネット情報によって、調べてみると、以下のようなことがある。――(1) 倍賞千恵子が出演するミュージカルの劇中歌の一つとして製作されたのは1967年〔『伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る<http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/c/b11ad4067974271aa29c31ab3b1f0de8>〕、(2) (岸洋子の1970年のヒットに関して)「この歌は4~5年前から労音で唄われていたのだという。」〔中之島のBOW さんの「歌と思い出 6」 <http://www.asahi-net.or.jp/~mf4n-nmr/song6.html>〕、(3) 倍賞千恵子LP一覧収録曲に「希望」がない <http://www.geocities.jp/marucyann1/lpichiran.html>)、(4a) いずみたくの回想として、文化講演会「体験的音楽論」(1986年10月5日NHKで放送、2011年2月13日・20日に深夜便アーカイブスで再放送)で語っていることとして、永六輔と作ったミュージカルが「見上げてごらん夜の星を」と「夜明けの歌」で、坂本九と岸洋子の同名の歌はここから出たのだけど、「希望」はもともと倍賞千恵子のために作った短いミュージカルで、その歌を岸洋子が歌ったのだ、(4b) いずみたくの著書『体験的音楽論』で語られていることとして、1962年から63年にかけてテレビで1時間のフォーク番組が生まれ、藤田敏雄といずみたくが担当し、大学生のフォークグループのチームが集まった。ふたりは月に2・3曲のオリジナル曲をつくり、そのなかから生まれたのが「君の祖国を」「君が若者なら」「希望のマーチ」「希望」「返しておくれ、今すぐに」だった。〔『倍賞千恵子応援ページ』のmarucyann の記事「希望のマーチ」 <http://www.geocities.jp/marucyann1/kibounomarch.html>〕
  ということで、作曲者いずみたく自身の回想自体に矛盾があるだけでなく、68年に岸洋子がラジオから聞いた音源がなんだったのかがわからんのです。
  さて、なんでこんなことを前置き的に書いているかというと、第一に、ミュージカルのコンテクストの中に置かなければならんのか、という『カリフォルニア時間』で考えた疑問(詩的メモ的にリンクしておくと、「March 28-29 短い文 (ポーの『マージナリア』から) 付 ミュージカルの歌詞についての雑感」など)が再燃したからですけれど、結論的にはたぶん考えなくていいんじゃないの、ということです(あっさり)。そして、むしろフォークソング的に――労音であれ歌声喫茶であれ、あるいはカレッジポップスとして――歌われたときに、中之島のBOW さんの言うように「わずかな希望をあてにして生きようと思う人たちの心に灯をともすような歌だった」だろう。労音ってよく知りませんけれど、大阪労音の音楽フェスティバルやミュージカルにいずみたくも藤田敏雄も一緒に携わっていました。「見上げてごらん夜の星を」なんかも大阪の労音でのいずみたくの同名のミュージカル主題歌でした。『歌のデータ・ベース Jポップス』は、メモとして「メモ:人生の終着駅死でさえも、愛があれば希望を持って汽車に乗れるというハイブロウな歌 」と記しているけれど(<http://www.asahi-net.or.jp/~mf4n-nmr/songs/1000_d2j2.html>)、そういうのとも違うと思う。そもそもどこに愛があるねんw
  第二に、(これは既に明瞭なことなのですが)岸洋子の苦難の人生――それは希望と絶望が暗転しつづけるようなものだったろう――を投影して曲がつくられたのではないということ。
 
  それでも、岸洋子が個人的に自己を投影して曲を歌ったということはありえる。さらに、有名な事実としては、ザ・シャデラックスとフォー・セインツの歌った3番の歌詞は岸洋子のヴァージョンと異なるということがあります。3番の冒頭「希望という名のあなたを訪ねて/涙ぐみつつまた汽車に乗る」は「涙ぐみつつ」以外は同じだけれど、男どもはそのあと「なぜ今私は生きているのか/そのときうたが低くきこえる/なつかしいうたがあなたのあのうた/希望という名のマーチがひびく/そうさあなたにまた逢うために/わたしの旅は今また始まる」と歌い、岸洋子は「希望という名のあなたを訪ねて/寒い夜更けにまた汽車に乗る/悲しみだけがあたしの道連れ/となりの席にあなたがいれば/涙ぐむときそのとき聞こえる/希望という名のあなたのあのうた/そうよあなたにまた逢うために/あたしの旅はいままた始まる」と歌いました。「そうさ/そうよ」「わたし/あたし」はジェンダーなんたらいう問題ですが(いちおう自分メモとして「October 10, 12 【メモ】 ジャズ、ジェンダー、CGP」参照)、そこではなくて、「希望という名のあなたのあのうた」とほとんど自己言及的に「あのうた」=「このうた」=「希望」とくるくるさせて希望を前面に押し出しながら(これは「マーチ」的な伴奏が出て盛り上がるところからも明らか)、奇妙にも「となりの席にあなたがいれば」と「人間性」「身体性」を最後になっても強調するからです。それもなんだか女っぽく。
  長くなったので、以下、パート2へつづく~♪
  

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