SSブログ

希望(という名)の光 A Ray of Hope [文法問題]

山下達郎がひさしぶりのアルバム『Ray of Hope』を出して、プロモーションにいろいろな番組にでている今日この頃。モーリちゃんの父がよく聞いているTBSラジオでも、先週、大沢悠里のゆーゆーワイドを聞けなかったのは残念だけれど、日曜日の朝の久保田智子のプレシャスサンデーでのインタビューは2週にまたがる長いもので、アレコレ話が脱線しておもろかった。おじさん、話し好きなのね。

  「・・・・・・癒しとか、包まれる感じが、アルバム全体にあるんだなあっていうふうに感じました。」

  「厳密に英語的な表現では、"a ray of hope" だと、ほんとに一すじの光なんですよ。だから絶望のなかにほんとに見える一すじの光のことを "a ray of hope" という。ほんとは "A . . ." にしたかったんだけど、日本語のアルバムなので、"a" をつけるとちょっとうるさいんですよ。で、"a ray of hope" という表現だと、天から降ってくる、雲の間から漏れてくる、バーって光があるでしょ、そういうものをだいたい "a ray of hope" と表現するんですよね。宮沢賢治の詩のなかに、空から雲のあいだから光の束が降りてくる、宮沢賢治はそれを「空のパイプオルガン」って表現していたけれど、そういう雲の間の、日本でもよく見るけど、"a ray of hope" っていうとだいたいそれくらいの感じなんです。ちょっとそういう宗教的な表現になりますけど。だからほんとは "A Ray of Hope" のほうがいいんですけど・・・・・・」

  ほかのところでも同じようなことを語っている――山下達郎さん サンデーソングブック 2011年08月07日『Ray Of Hope 』Part2」。〔8.16付記 まちがえてました。2011年8月5日bayfm 「Answer」です。小島麻子の「Ray Of Hopeという単語自体は、いつ頃から・・・」という問いに対してこう答えています――「宗教的な意味で言うと天から降って来る光の束とか、そういうようなものがRay of hopeって言いますね。だいたい、希望の光って、全く同じ意味だと思います。そういう曲はたくさんあります。特に宗教歌では沢山でてきます。」〕

  "a ray of hope" がほんとうに宗教的な表現なのかわからんけれど――達郎が好きらしいラスカルズの "A Ray of Hope" (1968年; 邦題「希望の光」)は主 Lord にむかって呼びかけていたっけ。あー、1年前の4月に「希望という名の光」のシングルCDが出たときに達郎自身が「そういった話を突き詰めていくと宗教観になってくるんだけど……。クライマックスのコーラスで歌っている“A Ray Of Hope”というフレーズは、アメリカのゴスペル・ミュージックでよく使われる言葉なんです。」と語っておったのね(映画『てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~』の主題歌『希望という名の光』を4月14日にリリースする山下達郎さんをフィーチャーした「Amazon.co.jp: Deep Dive」)。

  以上で前説おわり。

  ちょっと興味深かったのは、なるほど宗教的な感覚があるならば、「光」は啓示や知識の訪れの視覚的イメジとして伝統的にあったのだろうけれど、ひとつには「希望」と「光」の比重が逆転しているようなところが気になったのでした。

  えーと、文法問題的に捉えるべく、辞書の記述を列挙してみましょう。――

"a ray of hope" 「希望の曙光(しょこう)」(『ランダムハウス英和大辞典』

"a faint ray of hope" 「一縷(いちる)の望み」(『研究社英和大辞典』

"a ray of hope" 「わずかな希望、一すじの光明」 (『ジーニアス英和大辞典』)

"a ray of hope" 「一縷(いちる)の望み」(研究社『リーダーズ英和辞典』)

  ray は「光」というより「光線」です。『ジーニアス』は "a ray of moonlight" に「月の光」という訳語をあてているけれど、moonlight は既に「月光」なわけで、その月光がなんらかのかたちで――暗い部屋に射し込むなり、雲間から漏れ出るなり――部分的に可視化された場合が "a ray . . ." として表現される。

  さて、『ジーニアス』だけは(ふたつめの訳語として)「一すじの光明」というふうに、「希望」でも「望み」でもない日本語に置き換えているけれども、ここで「光明」というのは、念のために広辞苑の記述を引いておけば、②にあたります。――

①明るく輝く光。「一筋の」  ②比喩的に、苦しい状況での、将来への明るい見通し。「前途にを見出す。  ③仏・菩薩の心身から放つ光。智慧や慈悲を象徴する。

  (①の用例に「一筋の光明」とあっても、あくまでも②ですw。)

  希望というのは光っているモノではないのですから、英語の ray もまた、「比喩的」に使われているのだ、と言えます。

  山下達郎が日本語のタイトルを「希望の光」ではなくて「希望という名の光」とした意図はよくわかりませんけれど、The Rascals の「希望の光」と変えたかった以外には、歌詞としての語呂ならびに歌詞の他のフレーズとの関係があるのかと思われます――「自由という名の風」「勇気という名の船」「愛という名の絆」――「希望という名の光 山下達郎 歌詞情報 - goo 音楽」。

  ううむ。「愛という名の絆」はわかるけど、あとの「自由という名の風」とか「勇気という名の船」とかいうのはわかりませんね。

  わからんところがおもしろいのかも。

  えーと、たぶんこの詩(歌詞)のなかで考えるとなんか解決しそうな気もしますけど、もともとの興味深いと思ったところに戻ると、「希望」の比喩として「光」が抽象的に引き込まれているのではなくて、むしろ具体的なイメジとして光があって――山下氏が繰り返すことばをもちこんでしまえば、天から射す光というイメジがあって――それに希望が重ね合わせられているところです。だから、直喩的に言い換えるなら、「一すじの光のような希望」なのではなくて、「希望のような一すじの光」という感じ。

  英語で「比喩のof」と呼ばれる表現があるけれど―― "a beast of a man" (獣のような人)とか "silver pepper of stars" (「銀のコショウのような星々」――『ギャツビー』)――A of B の関係が入れ替わって主客転倒しているような感じ。

  敢えて広辞苑に重ねるなら、③の宗教的な「光」の「象徴」が比喩に先行しているということかな。そこが「自由という名の風」とか「勇気という名の船」とは違うところでしょうか。

The-Rascals-A-Ray-Of-Hope-410932.jpg
image via 991.com <http://991.com/Buy/ProductInformation.aspx?StockNumber=410932&PrinterFriendly=1>

/////////////////////////////////////////

歌謡曲歌詞検索 Search Engines for Japanese Pop Music [2011/02/21 21:26]

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。