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スティーヴンソン、ヴァイリマ Stevenson, Vailima [Daddy-Long-Legs]

再度、2年生8月10日の手紙の一部を引用します。

During our week of rain I sat up in the attic and had an orgie of reading―Stevenson, mostly.  He himself is more entertaining than any of the characters in his books; I dare say he made himself into the kind of hero that would look well in print.  Don't you think it was perfect of him to spend all the ten thousand dollars his father left, for a yacht, and go sailing off to the South Seas?  He lived up to his adventurous creed.  If my father had left me ten thousand dollars, I'd do it, too.  The thought of Vailima makes me wild.  I want to see the tropics.  I want to see the whole world.  I am going to some day―I am, realy, Daddy, when I get to be a great author, or artist, or actress, or playwright―or whatever sort of a great person I turn out to be.  I have a terrible wanderthirst; the very sight of a map makes me want to put on my hat and take an umbrella and start.  "I shall see before I die the palms and temples of the South."  (p. 77)
(雨の一週間、私は屋根裏部屋に端座して読書に耽溺しました――スティーヴンソンが主ですが。彼の作品のどの登場人物よりも彼自身のほうがずっと面白いですね。きっと彼は、本で印刷されたらよくみえるような主人公に自身を仕立てあげたんです。父親の残した一万ドルをぜんぶ一艘のヨットにつぎこみ、南洋に船出したなんてパーフェクトだと思いませんか。自分の冒険をやるのだという信条に忠実だったのですもの。もしも私の父親が一万ドル残してくれたとしたら、自分もそうするでしょう。ヴァイリマのことを考えると狂おしい気持ちになります。私、熱帯地方が見たいです。私、世界全部が見たいです。いつか、きっといきます――本気なんですよ、ダディー、いつの日か、わたしが大作家になるか、それとも画家か、それとも女優か、それとも劇作家か――とにかくなんでも偉大な人物になれたならば。わたしはスゴイ放浪欲があるのです。地図を見るだけで、すぐにも帽子をかぶって傘を持って出立したくなります。「南洋の棕櫚と寺院を見ずして我死なじ。」)

    最後の引用はテニソンの詩"You Ask Me Why, Tho' Ill at Ease" (1833年ごろ執筆、1842年発表)からのものです。このあいだの記事「スティーヴンソンからテニソンへ」を補いますと、その後調べたところ、テニソンの友人であったエドワード・リアは、私淑するテニソンの詩を題材にしたシリーズの絵を構想していたようで、この題( "You Ask Me . . ." ではなくて "I Shall See . . ." )の絵が1850年代に書かれたということのようです。

  前の記事で書いたように、スティーヴンソンの全集を買って読んでいることが書かれるのは2年生5月の手紙ですから、それから数えても3ヶ月、読み耽っていたさまがうかがえます。

  1887年父親が亡くなり、それ以前に体調を崩して英国内のいろいろな土地での生活を試していたスティーヴンソンは、医者の勧めにしたがって大胆な転地療養を考えます。1880年に結婚していた年上の妻ファニー・オズボーン Fanny Osbourne の故郷であるアメリカへ渡ったのです。ニューヨークに滞在後、奥さんの郷里である西海岸サンフランシスコに移り、1888年6月、ヨット Casco 号をチャーターして南洋へ航行します(伝記参照 <http://www.archive.org/stream/novelstalesofrob26steviala#page/46/mode/2up>)。ハワイ群島やタヒチやニュージーランドを訪れて帰米。さらに1889年、義理の息子ロイド・オズボーン Lloyd Osbourne, 1868-1947 も伴って再度航海。1890年4月にシドニーからJanet Nichol 号で3度目の航海に出て、サモア島に400エーカーの土地を購入。Vailima の村に家を建て、1894年脳溢血で急死するまでその地に住みます。

Stevenson_vailima.jpg
ヴァイリマのスティーヴンソンたち (1890年頃) image via Wikipedia <http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Louis_Stevenson>

vailima1.jpg
Vailima, before the extension, image via "Oceania - The Final Voyages of Robert Louis Stevenson" <http://www.janesoceania.com/oceania_rls/index.htm>

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Stevenson in the Death Chamber (1895?), image via "Oceania - The Final Voyages of Robert Louis Stevenson"

 

  


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さえとあすみ

遺産を全てつぎ込んで航海に出るなんて、この時代にすごいですね。
世界地図が頭の中にぱぁ~っと広がりました。

by さえとあすみ (2009-09-12 22:05) 

morichanの父

さえとあすみさま
いろいろとお読みいただき、どうもありがとうございます。
どういうふうにくだいていこうかなあと思いつつ、ついカリフォルニア時間的な適当さで書いていますが、おつきあいいただき、ほんとうに感謝感激です。なんかもっと日常を書きたい気持ちはあるのですけれど(まあ、どっちにしろ人気はないのですがw)。
by morichanの父 (2009-09-12 22:22) 

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