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ジューディーとジャーヴィー――ジュディーと冒険(3) Judy and Jervie: The Adventurous Judy (3) [Daddy-Long-Legs]

2年生の8月10日付の手紙で、ヤナギの木の股から手紙を書いて、不朽の短篇小説のヒロインをうまくふるまわせることができない云々、ニューヨークにいるあなたに天国のような田舎のいくらかでも届けられたら云々、とダディー・ロング・レッグズに語っていたジュディーのもとへジャーヴィス・ペンドルトンがやってくるのは、たぶん8月の中旬、おそらく16日ごろ、いや16日だったのではないか、と推測されます(細かい傍証は省略)。8月10日の手紙は、スティーヴンソンへの言及〔「スティーヴンソンからテニソンへ From Stevenson to Tennyson」、ついでに「スティーヴンソンの4度目の言及 The Fourth Mention of R. L. S.」参照〕を含むもので、「wanderthirst 彷徨への渇望」を語った後、木曜日の黄昏時に戸口の踏み段に座って書いている手紙では、このごろ哲学的・思索的になってきていて、日常生活の瑣末な細部を記述することよりも、広く世界について語りたい気持ちになっているので、ニュースを書くのは難しいと前置きして、どうしてもニュースが知りたいならば、と家畜や近所の人々の動向を列挙しています。この抽象化や普遍化というのは風呂敷を広げるならば、アメリカ文学のひとつの特徴かもしれないのですけれど、日常的な細部を大事にすべしというリアリズム的な考えをジャーちゃんは持っていて、どうやらそれを折に触れてジュディーに伝えたがっているようでもあります(このへんはストレートには書かれていないのですが、ちょっととんで、最後のほうから引用すれば、4年生の4月4日の手紙では、孤児院を舞台にした新しい作品を書いていることを報告し、ロマン主義をやめてリアリストたることをジュディーは宣言します――“Guess where it's laid?  In the John Grier Home!  And it's good, Daddy, I actually believe it is―just about the tiny little things that happened every day.  I'm a realist now.  I've abandoned romanticism; I shall go back to it later though, when my own adventurous future begins.”(120)。ここでジュディー/ジーンは、冒険の未来とロマン主義に戻る可能性を担保しつつ、リアリズムから進むことを選択するという折衷的な姿勢、文学に冒険的な人生が反映されて初めて確かに成立するだろう「ロマン主義」を肯定するリアリストという立場を示しているとも言えるのでしょうけれど、とりあえず「日々起こるささやかなこまごまとしたこと the tiny little things that happened every day」 について書くことを尊ぶ立場を選択するわけです。ジャーヴィスが来る前の日曜日の手紙で、Mrs. Semple を “monotonous” と呼ぶ(これは2年生5月4日の手紙で “Our lives were absolutely monotonous and uneventful.  Nothing nice ever happened, except ice-cream on Sundays, and even that was regular.  In all the eighteen years I was there I only had one adventure--when the woodshed burned. ”とジョン・グリアー・ホームでの冒険のなさを指摘しつつ「単調」と呼んだのと通じています)すぐあとで、ここはジョン・グリアー・ホームとまったく同じよう[に狭い世界]だ(“It’s exactly the same as at the John Grier Home.")とジュディーは書きますが、スティーヴンソンの生き様に感動し、 “I want to see the whole world” (77) と漂白の思い wanderthirst とともに語っていたジュディーが、ジャーヴィスがやってくる前に感じていたのは、この土地の狭さだったわけです。81ページで言及される郵便配達のニュースのくだりは、 “the Great World” (81) と世界を大文字にし、すぐあとの “Their world is just this single hilltop”(81) と対照化しています。

  しかし、ジャーヴィスがやってきて、この単調で閉鎖的と思えた田舎は変容します。ふたりは「冒険」を体験します。“Such a lot of adventures we're having!  We've explored the country for miles, and I've learned to fish with funny little flies made of feathers.  Also to shoot with a rifle and a revolver.  Also to ride horseback--there's an astonishing amount of life in old Grove. ”(83) と8月25日の手紙でジュディーは書いています。まるで年取った馬のグローヴもジャーヴィスによって生気を与えられたかのようです。

  この前の『宝島』の記事を書きながら、読み直しながら、思い直していたのですけれど、ジャーちゃんこそが海賊言葉や船乗り言葉をジュディーと熱心に語り合う人間なのであり("We")、それは嗜好としては子供時代に愛読したらしい On the Trail (たぶんウェスタンと思われます)の線上にあるのであり、つまるところ、ふたりは似ています。えらく。名前もなにげに似てます(ジュディーは「ジューディ(ー)」に近く、ということはジャーヴィ(ー)に近いです)が、想像力を大事にするところも、ユーモアの精神 ("sense of humor") に富んでいるところも、そして、冒険心に充ちている(た)ところも――ジュディーは作品冒頭で、"adventurous little Jerusha" と語り手に形容されますが、ジャーヴィーは、ジュディーによって、"He seems to have been an adventurous little soul" と推測されていました。

  ジュディーとジャーヴィーは似ています。あるいは親子のように。だから、ジャーヴィスがジュディーの未来を暗示していると考える――文学的姿勢のみならず慈善運動とか社会主義とか――のはあんまり気分よくもないのですが(w)、先に大人になったジャーヴィスは、現実を見るまなざしを、単調を冒険に変えるふるまいとともに、ジュディーに伝えているのかなあ、と好意的に考えているところです。


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