SSブログ

遠藤寿子と『蚊とんぼスミス』――東健而の『あしながおじさん』 (5) Azuma Kenji's Translation of Daddy-Long-Legs [Daddy-Long-Legs]

以前の記事「『蚊とんぼスミス』――東健而の『あしながおじさん』 (3) Azuma Kenji's Translation of Daddy-Long-Legs」で書いたように、 東健而によるDaddy-Long-Legs の本邦初訳の 『蚊とんぼスミス』は、初版単行本刊行10年後の1929(昭和4)年、改造社の世界大衆文学全集の第34巻として東自身が編集・翻訳した『世界滑稽名作集』におさめらるかたちで再刊されました。この巻は第16回配本で、発行日は1929年6月3日となっていますが、翌年の1930年9月20日発行で同じ世界大衆文学全集の33回配本(第61・62巻)として遠藤寿子訳『ヂェイン・エア』上・下巻が出版されています。遠藤寿子による『あしながおぢさん』の翻訳が岩波文庫から出るのは1933(昭和8)年8月5日のことです。

  先の記事で引用した遠藤寿子の個人的回想は、(1) この本を知るきっかけは、書店でたまたま奇抜なタイトルに惹かれて手に取ったのだったこと、(2) 「ちょうどその頃、わたくしは、イギリスの長い小説を訳したあとで〔『ジェーン・エア』のことだと思われます――引用者〕、軽いものを訳してみたいと思っていた矢先にこの作品を知りましたので、これを翻訳してみようと思いた」ったこと、 (3) 高田とし子によるラジオ放送の講読と解釈や、東京女子の岡田美津による注釈書があったこと、(4) 「岩波書店から出版していただくことになったとき、原題をどういう日本語の題にしたらよいかということになりました。(原題 "Daddy-Long-Legs" というのは、アメリカではたいへん足の長いクモのこと。)結局、当時編集部の布川角左衛門さんが、いろいろお考えくださった末に『あしながおじさん』という題にきまった」ということ、など率直に語っています。また、文体についての苦労も次のように記しています。

この作品の軽妙な手紙の文章を日本語にするということは、けっしてやさしい仕事ではありません。しかも、お嬢さん育ちの娘の書く手紙と孤児院育ちの娘の書く手紙とでは、日本語までしておのずから、そこにちがった調子があるわけで、わたくしは、それに、ずいぶん苦心をいたしました。

  先の記事を書いたころ、遠藤寿子は東健而による既訳『蚊とんぼスミス』を知らなかったのだろうか、という、修辞疑問というのでもなく素朴な疑問がありました。

  モーリちゃんの父が個人的に『蚊とんぼスミス』を知ったのは旺文社文庫によります。旺文社文庫の『あしながおじさん』の訳者の中村佐喜子が「あとがき」の最後に、「ジーン・ウェブスターの著作を訳して早くからこの国にご紹介して下さった先輩がたのお名前を記して、敬意をあらわします」とリストアップした邦訳の並びは、どういう順序なのかよくわからんのですが、『蚊とんぼスミス』は『あしながおじさん』の訳のはじめではなくおしまいに挙がっていたのでした(231ページ)。

『あしながおじさん』 遠藤寿子 (昭8・昭25岩波文庫 昭25岩波少年文庫)
『あしながおじさん』 川端康成・野上彰 (昭30創元社)
『あしながおじさん』 厨川圭子 (昭30角川文庫)
『あしながおじさん』 松本恵子 (昭29新潮文庫)
『足ながおじさん』 中村能三 (昭30若草文庫)
『蚊とんぼスミス』 東健而 (昭8玄文社)  〔以上 Daddy-Long-Legs の訳です〕
『続あしながおじさん』 遠藤寿子 (昭30岩波少年文庫)
『続足ながおじさん』 中村能三 (昭30若草文庫)
『続あしながおじさん』 村岡花子・町田日出子 (昭34角川文庫)
『若き世界』 村上文樹 (昭17教文館)  〔以上 Dear Enemy の訳です〕
『女学生パッティ』 遠藤寿子 (昭30若草文庫)〔Just Patty の訳です〕

  いっぽう、「読書のおと(ジーン・ウェブスター作品のページ)」というWEBページの「おちゃめなパッティ」の紹介ページ <http://www.asahi-net.or.jp/~wf3r-sg/nt2webster.html#justpatty> を読んで、「あとがきによると訳者の遠藤壽子さんはそれまで「蚊とんぼスミス」という邦題だった名作を「あしながおじさん」に変更した方だそうです」と書かれていたので、遠藤寿子はパティーの訳のあとがきで東健而の訳に触れているのかしら、とも思ったのでした。

 その後、復刊ドットコムの『おちゃめなパッティ』を注文し、「あとがき」(じつは「解説」[pp. 315-22])が遠藤寿子によるものではないこと(若草文庫のほうに訳者によるあとがきなり解説なりがあったかは不明)がわかりました。復刊を応援したかたの、たいへん熱っぽい、いい解説だと思うのですけれど、以前の訳に触れているのはつぎの箇所です。――

遠藤壽子さんは、そのウェブスターの三作品を翻訳している。遠藤さん=ウェブスター、という印象は外れていない。しかも、それまでは「蚊とんぼスミス」という、ほとんどギャグのようだった邦題を、歴史に残る「あしながおじさん」と名づけた、まさに生みの親でもある。訳業は意外に少なく、ほかには『ジェイン・エア』や、『四人の姉妹』など数冊しかないことも、寡作さにおいてウェブスターと重なる。〔佐藤夕子「解説」『おちゃめなパッティ』(ブッキング、2004年)316-7〕

三作品において遠藤寿子を筆頭に掲げるのは、旺文社文庫と同じ気持ちなのかもしれません。なお、戦前の村上文樹による『若き世界』(昭和17年)というのは、Dear Enemy の訳だと、つい最近確認しました。

  で、自分は、遠藤寿子の訳業を批判する気はサラサラ毛頭なく、また、「蚊とんぼスミス」がギャグのようだということもなかば同意するのですけれど、東健而による「滑稽文学」(東自身の著作とのつながりを考えれば、これは「ユーモア文学」というのに等しいと思われます)としてのウェブスター受容と翻訳があってこそ遠藤寿子の日本語の「苦心」がそれなりに成就したのではないか、という気はします。

  (なお、上記の旺文社文庫の中村佐喜子の訳はたいへん丁寧なものだと感心するのですが、「あとがき」によれば、昭和五、六年に彼女が「まだ学生で寮にいたころ」に「友人と辞書を引き引き読んだなつかしい小説」だとのことです。旺文社から話のあったときに引き受けたのも、その思い出のあるためでしたが、「いざ訳文にしようとするとこれが手紙体であるために予期以上の苦労を」した、と中村は記します。――「要点をあげると、――新鮮で、明快で、鋭敏な文体の中に巧まないユーモアを出すこと。しかも恩を受けている相手にたえず感謝や尊敬をこめた、上品な手紙であること――〔・・・・・・〕」〔「あとがき」230ページ〕)

  以下、作品冒頭と2年生の夏(8月10日・・・・・・これの諸訳は8月3日の記事「デビルダウンヘッド (1)  Devil Down-Head」で並べました)と卒業後と、三つの箇所の東健而と遠藤寿子の訳文を並べてみます。東の訳は手元にある1929年の改造社大衆文学全集版(原文の旧漢字を新字にあらため、ルビは原則割愛)、遠藤の訳は1961年の岩波少年文学全集版を使用します。

A1    
   蚊とんぼスミス
                    ウヱブスター
      なさけない水曜日

  毎月の第一水曜日はほんとに怖ろしい日でした。びくびくもので待ち構へなければならない日でした。一生懸命勇気を出して我慢しなければならない日でした。そして大急ぎで忘れて了ふ日でした。床は隅から隅まで汚点一つないやうに拭いて、椅子と言ふ椅子は一つ残らず塵一つないやうにして、そして寝床(ベッド)はどれもこれも小皺一つないやうにしなければなりませんでした。(8)

E1
    あしながおじさん
                  ウェブスター
     「ゆううつな水曜日」

  毎月の第一水曜日は、ほんとうにおそろしい日であった。――びくびくしながら待っていなければならない、勇気を出してこらえなければならない、そして、大いそぎで忘れてしまわなければならない日であった。どこの床も、すみからすみまで清潔にして、いすといういすは、ちりひとつないように、ベッドというベッドは、小じわひとつないようにしておかなければならない。(5)

A2
  八月十日
  蚊とんぼ様
拝啓、牧場の水溜りの側(わき)の柳の樹の二段目の股から申し上げるのよ。下には蛙が鳴き、頭の上では蝉が歌つてゐます。さうして小さな栗鼠が二匹樹の幹を矢のやうに駈け上つたり駈け下りたりしてゐます。あたしもう一時間も前から此処へ来てゐるのよ。大変工合の良い樹の股なのよ。長椅子の蒲団を二枚持つて来て被せてからは尚更良い工合です。あたし不朽の名作を書く積りでペンと原稿用紙を持つて此処へ登つたのよ〔・・・・・・〕。(127)

E2
    八月十日
  あしながおじ様
  牧場の水たまりのそばに立っている、ヤナギの木の二番目のまたから申しあげます。下にはカエルがなき、頭の上にはセミがうたっています。小さなリスが二匹、幹をかけあがったり、かけおりたりしています。あたしはもう一時間も前からここにきていますの。たいそうすわりぐあいのいい木のまたで、長いすのクッションを二枚しいてから、なおさら、ぐあいがようございます。あたしは、ペンと便箋をもって、不朽の名作を書こうと思って、ここへきたのですけど〔・・・・・・〕。(86)

A3 
  蚊とんぼ様、あたしは一体如何したら良いのでせう?
                               ジュディー
  十月六日
  大好きな蚊とんぼ様
  えゝ、行きます、行きます――今度の水曜日の午後四時半に必(きつ)と行きます。勿論、路は解ります。あたし紐育へは三度も行つたことがあるんですもの、そして赤ん坊ぢやないんですもの、解らないことがあるものですか。あたし本当にあなたに会ひに行くのだとは如何しても思へないのよ――あたし余り永い間あなたのことを思つてばかり居たもんだから、あなたが血と肉で出来た、手で触れる人のやうな気がしないのよ。(220-221)

E3
  あなたのお考えでは、あたしは、いったい、どうしたらいいのでしょう?
                               ジューディ
    十月六日
  おなつかしい、あしながおじさん
  ええ、きっとまいります! 来週水曜日、午後四時半にきっとまいります。もちろん、道はわかります。あたし、ニューヨークへは三度も行ったことがあるんですもの。それにあたし、赤ちゃんじゃありませんわ。あなたにお会いしに行くなんて、なんだかほんとのことに思えませんの。あたしはほんとに、ほんとに永い間、あなたのことを、ただ考えてばっかりいました。だから、あなたが血と肉でできて、手でさわることのできるほんとの人のように思えませんの。(146)

  くりかえしますが、遠藤寿子が東健而の訳をパクっているとかいうつもりもヘアほどもありません(そういうのでいえば、遠藤訳とその後の訳のあいだの近さのほうが東訳と遠藤訳の近さよりも近い場合もあります)。それでも、東の訳を知っていたのは確かでしょう。そして、やや滑稽に走るきらいのある東健而的なスタイルと、まっすぐな女の子の真摯なコトバとしてのスタイルと、そのあいだでバランスをどうとるか、が、「苦心」なのだ、と思うのです(けれど、もちろん、原文がマジメにオカシイ文章なのです)。

  最後に、もう一度東健而の「訳者より読者へ」を引いておきます。――

「蚊とんぼ」――"Daddy Long-Legs"[ママ]の著者ジャン[ママ]・ウヱブスター Alice Jean Webster は、マーク・トウヱインの姪[ママ]だ。お母さんがマーク・トウヱインの妹なのである[ママ]。この「蚊とんぼ」を見ても解るだらう。彼女の豊かなることおどろくべき想像力と、鋭い滑稽観念と、さうして明るい人生観とは、まつたくあの偉大なる伯父さん[ママ]譲りの天分だ。
  だがその文章の旨さと、簡潔さと、そして鋭さとに於いては、私は思ふに伯父さんよりも遥かに旨い。そして伯父さんより小さな姪の方が若いのだから当り前なことだが、彼女の文章は遥かにハイカラだ。ヴァッサー女子大学出身の秀才、永く伊太利に遊んで伊太利文学の造詣が深かつた彼女。ウンなある程――竟(つま)り彼女が持つてゐたアングロサキソン人種独特の滑稽観念は、情熱的なそして典雅な南欧文学に依つて磨きがかゝつだのだ。彼女は千九百十六年に死んだ。肺病だったらしい[ママ]。真(まこと)に惜しい。だが、読者よ、「蚊とんぼ」に見られよ。彼女の人生観が如何に戦闘的に、そして明るかつたかを。

    
  


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。