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イタコのイタロウ Itaro of Itako 潮来の伊太郎 [歌・詩 ]

モーリちゃんとモーリちゃんの母がモーリちゃんの母の実家にしばらく帰っていて、モーリちゃんの父はモーリちゃんの祖父祖母と一緒にしばらく夕食を共にしていたのだけれど、週末の夜につづけてNHK(ナツメロ)とフジテレビ(こっちはモノマネ)で、「潮来の伊太郎」を聞いたので、長年の疑問をモーリちゃんの父はモーリちゃんの祖父にぶつけてみた。

  「ちょっと見なれば」というのは、いわゆる已然仮定というやつなんすかね? 〔Cf. 「已然形」Wikipedia〕、ちょっと見「ならば」、じゃなくて、「なれば」?

  ちなみに、「已然仮定」という用語を「未然仮定」(えーと、潮来でいうなら「ちょっと見ならば」だったら未然形の未然仮定)という用語とともに学んだのは比較的最近で、美人のホマレたかい同僚のKKが就職したときに、彼女の出身校の校歌だかなんだかで、聖書の「求めよさらば」、「求めよされば」という対があって、それぞれを未然・已然という仮定として習ったとかなんとかいうふうに教えられたのだった。

  モーリちゃんの祖父(モーリちゃんの父の父)からは回答を得られず、「さぁー? つづきは?」と、歌詞の先を再三訊かれ、知らんがな、と酔ったアタマで考えながら、いっぽう思いはゲゲゲの鬼太郎とか、恐山のイタコ(中学生のころイタローはイタコだったのか、とマジに考えた時期があった)とか、Oh!モーレツ♪ア太郎とか、あらぬ方向へチャネリングしていたのでした。

  「潮来の伊太郎」 (1960) 作詞・佐伯孝夫 作曲・吉田正 goo音楽 <http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND13850/index.html>

  ま、続く歌詞を検討しても、答えはでてきませんな。それでいいのさ~♪ 〔2010.8.26深更記――と書いて平然としていましたが、リス姉さんとの応答(コメント)によって、どうやら自分的には歌詞の物語の中に問題を回収してしまいました、なぜか〕

  歌詞検討メモ

1.  「この歌の替え歌を大学入試の門に掲げ、母校の受験生を励ました安保闘争真っ只中の先輩たち。♪飯田校[高?]の飯太郎ちょっと見なれば、鈍才そうな田舎猿・・・・・・」 <http://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-itakogasa.html>

2.  「♪イタ公のスタローンちょっと見なれば~」 『コンスタンチン君』<http://bhn.jpn.org/doctor/konstantin.html>

3. 以下  省略

 

  佐伯孝夫と吉田正コンビの作詞・作曲で橋幸夫が歌というと、翌1961年の吉永小百合とのデュエット「いつでも夢を」、1962年の「江梨子」(「野菊」が出てくるところが水郷つながりか?)、1963年の「舞妓はん」、1964年の「恋をするなら」と続いていくのだけれど、・・・・・・うーむ、基本バラバラですな。

 


タグ:イタコ
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りす姉さん

あっ・・・私はぱっと見て「已然形の確定条件(偶然)」だと思ってしましました(--;)

「見たところ」みたいな意味かなあと。

「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の「柿食へば」の使い方、「柿を食べていたら(偶然)法隆寺の鐘が鳴った」と同じ感じじゃないかと思ったのですが。

已然形+ば→確定条件で、意味は
1.因果関係
2.偶然関係
3.恒時条件のうち

1.柿を食べたので鐘が鳴った
2.柿を食べたら鐘が鳴った
3.柿を食べるといつも鐘が鳴る

で、2が一番いいかも。

ちなみに未然形で「柿食はば」にすると仮定条件になるから
「柿を食べたら鐘が鳴るだろう」の意味になるのでは?

同じような理由で「見なれば」も
「見たら(偶然)渡り鳥がいた」じゃないのかと思ったんですけれど・・・

未然形で「見ならば」にしたら
「見たら渡り鳥がいるだろう」で、ちょっとヘンかも。

自信はないです。
by りす姉さん (2010-08-25 06:54) 

morichanの父

(1) 已然形+ば→確定条件で、意味は
1.因果関係
2.偶然関係
3.恒時条件のうち

という説明からすると、そこに仮定はないということ?
 「求めよ、されば与えられん」と「求めよ、さらば与えられん」は? あ゛~仮定法と条件法を分けるわけですか? 仏文法みたいに。

(2) 「柿食へば」、と同じといわれても、「ちょっと見なれば」は、コトバとしてヘンなところがまずあるわけです。「ちょっと見」という名詞なのか、「ちょっと見なり」という形容動詞なのか、どっちにしても異常(笑)。

と、書いて、後段から最後まで読んだら、また違う問題が出てきました。

えーと、潮来のイタロウ=(薄情そうな)渡り鳥です。この渡り鳥というのは小林旭の渡り鳥シリーズみたいな渡り鳥です。

☆イタコのイタロウというひとは、ちょっと見(だと)、薄情そうな渡り鳥である。

a) ちょっと見ならば→薄情そうな渡り鳥
b) ちょっと見なれば→薄情そうな渡り鳥

実はイタロウは薄情ではない、というのが真理だとするならば(たぶんそうなんだろうが)、未然・已然のちがいはそのニュアンスにどのように関わるのでしょうね。

自信はないです。




by morichanの父 (2010-08-25 18:32) 

りす姉さん

已然形に仮定はないのか?ということですが
うーむ、微妙です。スミマセン。

橋本文法では、条件法的扱いだったと思うのですが、
記憶に間違いがなければ、橋本進吉さんは、藤原定家の用法をカード分類して、文法体系を確立したと習ったような気がします。

已然形は江戸時代後期には消滅していき、それまでは未然形が表していた仮定の意味の一部も表現するようになったとか。

そうだとすれば、已然形に仮定がまったくないとは言い切れないかも、です。

イタロウさんですが、どうなんでしょう?

a) ちょっと見ならば→薄情そうな渡り鳥
b) ちょっと見なれば→薄情そうな渡り鳥

a) ちょっと見ただけなら、薄情そうな渡り鳥である。(しっかり見れば違うかも、の含みがある?)
b) ちょっと見たところ、薄情そうな渡り鳥である。

違うかw

ますますいい加減になってきました。
失礼しました。
by りす姉さん (2010-08-26 05:23) 

morichan

「ちょっと見なれば」というのは物語の叙述に突入しているのかもね。
「ちょっと見ならば」は、「ちょっと見」が誰にも起こっていないけれど、「ちょっと見なれば」の某姉さんはちょっと見だったので、薄情そうな渡り鳥の男に見えた。
それでいいのさ。薄情そうな男に見えたって。
(イタローさんと同様に浮気な)風が吹くまま西東の人生なのだから。
と渡り鳥は去っていったのでした。それでも姉さんの脳裏に浮かぶイタコ笠はなぜかしら(以上、一番)

二番の意味は不可解ですが、こっちは姉さんと別れたイタローさんの様子を描いているようです。

三番もイタローさんの旅のその後ですが、あらためて女の心の深さを知ったイタローは、川下にいる姉さんにと、花を手向けるのでした。

自信はないです。
by morichan (2010-08-26 12:14) 

morichanの父

りす姉さんさま

コメントどうもありがとうございます。
結局自分で上に書いたことは、りす姉さんが最初に書いていた、確定条件におさまってしまいました。この歌の物語においては、という条件付きですが(負け惜しみw)。

いちおうメモ的に書いておきますと、英文法においては仮定法過去完了と直説法過去完了(推量)との違いがわからんときがでてきますよね・・・・・・と書いて霊が、いや例が浮かばないけど、たしか過去の叙述において。
by morichanの父 (2010-08-26 18:10) 

morichanの父

追伸
なんか、ohbacomeon さんというひとの、 OKWave「潮来笠・・・歌詞の意味を教えてください。」への回答が目に留まったので、こぴぺしておきます。――

潮来の(潮来で生まれた)伊太郎 ちょっと見れば(その外見は、見ただけでは)
薄情そうな渡り鳥(渡世人) のように見える
それでいいのさ = その印象は間違っていない
あの移り気な 風が吹くまま 西東=天候によって向きが変わる風のように、目的もなく 旅に明け暮れている
その印象(薄情そう)とは裏腹に、潮来笠を思い出している

潮来笠というのは、潮来の農家の女性が農作業のときにかぶる笠(田笠)のことです。それを止めるのに赤い紐(紅緒)で結んでいるのです。
潮来笠や紅緒が目に浮かぶというのは、故郷の潮来に残してきた恋人のことを思い出すということです。
渡世人としていきがって見せますが、やはり心残りがある。
だから利根川沿いの関宿で、その娘の居る下流の潮来に向かって川に花を流すのです。
 

投稿日時 - 2009-02-27 20:07:42。――<http://okwave.jp/qa/q4754376.html>


by morichanの父 (2010-08-27 00:26) 

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