『あしながおじさん』の探偵さん (上) Good Detective in _Daddy-Long-Legs_ (1) [Daddy-Long-Legs]
『あしながおじさん』の最後に出てくる「探偵 detective」さんについて。リクツをこねる前に、既訳をいくつか参照して並べてみることにします。しかし、まずは原文。――
Then you laughed and held out your hand and said, "Dear little Judy, couldn't you guess that I was Daddy-Long-Legs?"
In an instant it flashed over me. Oh, but I have been stupid! A hundred little things might have told me, if I had had any wits. I wouldn't make a very good detective, would I, Daddy?―Jervie? What must I call you? Just plain Jervie sounds disrespectful, and I can't be disrespectful to you! (Penguin Classics 131)
ペンギン・クラシックス版だと、『あしながおじさん』は132ページまでなのですが、その最後のひとつ前のページです。カナダで狩りをしていたときに嵐にあって肺炎にかかってずっと具合が悪くて臥せっているジャーヴィスのことをジュリアから聞かされたジュディーは、いったいどうしたらいいか、と相談にニューヨークのあしながおじさんの家を初めて訪れます。その翌日の木曜日の朝に、一睡もしないままでジュディーが "My very dearest Master-Jervie-Daddy-Long-Legs-Pendleton-Smith" 宛 (129) に送った手紙の一節です。
そしてそれからあなたが兩方(りやうはう)の手(て)を出(だ)しながら笑(わら)つて言(い)ひました。
「ジュディーさん、あなたは僕(ぼく)が蚊(か)とんぼだつたのが解(わか)らなかつたのですか?」
あたしはハッと氣(き)が附(つ)きました。まあ、あたし、如何(どう)してあんなに間抜(まぬ)けだつたんでせう! もう少(すこ)しはつきりしてさへゐれば、蚊(か)とんぼさんがジャーちやんだと氣(き)が附(つ)くことは今(いま)までに幾(いく)つも幾(いく)つもあつたのでした。あたしこれでは刮底(とても)良(い)い探偵(たんてい)には成(な)れないわねえ、蚊(か)とんぼさん! ――ジャーちやん! あたしあなたを何(なん)とお呼(よ)びしたら良(い)いでせう。唯(ただ)ジャーちやんでは何(なん)だか馬鹿(ばか)にしてゐるやうだし、あたしあなたを馬鹿(ばか)にする事(こと)は如何(どう)しても出來(でき)ないわ! (東健而訳『蚊とんぼスミス』226-227)
するとあなたは笑って手をお出しになりながら、
「ジュディちゃん、ぼくがあしながおじさんだったということに気がつかなかったの?」とおっしゃいました。
その瞬間、私の頭にその事実がひらめきました。でも、私ってなんて鈍感なんでしょう。もう少し才知があったら、無数の小さな出来事が、私にそれと気づかせたでしょうに! 私はとても名探偵にはなれませんわね、おじ様――じゃない、ジャーヴィスさん? 私、あなたをなんてお呼びしたらいいのかしら? ジャーヴィなんてお呼びしては無礼に聞えますし、私はあなたに対して無礼なことはできませんわ! (松本恵子訳『あしながおじさん』208)
それから、あなたはお笑(わら)いになって、お手を差(さ)しのべて、「ジューディちゃん、僕(ぼく)があしながおじさんだったのがわからなかった?」とおっしゃいました。
その瞬間(しゆんかん)、はっとあたしは気がつきました。まあ、でも、なんてあたしは、ばかだったでしょう! あたしにもうすこし知恵(ちえ)があったら、いくつもいくつもの、かぞえ切れない小さなできごとが、あしながおじさんは「ジャーヴィー坊(ぼつ)ちゃま」だってことに気づかせたでしょうにねえ。とうてい、あたしは名探偵(めいたんてい)にはなれませんわねえ、おじさん、ジャーヴィー! あら、なんてあなたをお呼(よ)びしたらいいのでしょう? ただ、ジャーヴィーではいばってるようねえ。あたし、あなたにいばったりすることできないわ! (遠藤寿子訳『あしながおじさん』150)
そのとき、あなたはわらいながら、あたしのほうに手をさしのべましたわね。
「ジュディ、ぼくが足ながおじさんだったってこと、わからなかったの?」
まあ、ジャービーぼっちゃんが、足ながおじさんだったんですって!
あたしは、なんてなんて、おばかさんだったんでしょう! あたしが、もうちょっとおりこうさんだったら、とっくに、足ながおじさんが、ジャービーぼっちゃんだったことに、気づいていたでしょうに。あとになってみると、思いあたることが、いくつもあるんですのにね。とうてい、あたしは推理小説家にはなれませんわねえ。
おじさん!
ジャービー!
あら、なんて、およびしたらいいのかしら? ただジャービーじゃ、いばっているみたいだし……あたしは、いばる権利なんてすこしもありませんね。 (白木茂訳『足ながおじさん』196)
少しだけ注記。東健而は敢えて「両手」と訳していますけれど、いくつか見た原文は単数形の "hand" でした。白木茂が「推理小説家にはなれません」と訳しているのは、 "make a very good detective" の "detective" を、おそらく "detective fiction" とか "detective story" の意味にとっているのだと思います(しかし make はここでは「つくる」ではなくて「~になる」の意味)。
もうひとつ。ジュディーが "Just plain Jervie sounds disrespectful, and I can't be disrespectful to you!" とびっくりマークつきで強調しているのは、1年生9月の手紙で、"I must take care to be Very Respectful" と、リペット院長の注意を書き、つづけて "But how can one be very respectful to a person who wishes to be called John Smith?" (しかし、ジョン・スミスと呼ばれることを望んでいるようなひとに対してどうしてかしこまったりできるでしょう?」と無名性に対してつっかかり、しかし結びでは "Yours most respectfully" (あなあなかしこ)と記した、ジュディーのほんとに最初の手紙の文章を思い出させます。要するに "I can't be disrespectful to you" は、はじめてアイデンティティーが思いがけないかたちであらわになったあしながおじさんに対する、いろいろな思いをこめたジョークです。
下のリクツ篇につづきます。