希望という名の夜汽車 A Night Train Named Hope [歌・詩 ]
(山下達郎の)希望という名の光について考えていたら希望という名のあなたのことを思い出していた今日この頃。(岸洋子の)「希望」の話者はなんで毎日のように汽車に乗っているのだろう、という疑問に頭を揺らしていたら、希望という名の夜汽車の歌が浮かんだ。つなぎに書き留めておこう。
「夜汽車」 欧陽菲菲 1972(昭和47)年8月5日発売
作詞 橋本 淳 作・編曲 筒美京平
♪希望という名の夜汽車にゆられ 女心は何処まで行くの
○夜汽車 - 欧陽菲菲 歌詞情報 goo音楽 ○Live
「希望」 岸洋子 1970(昭和45)年4月1日発売
作詞 藤田敏雄 作曲 いずみたく
♪希望という名のあなたをたずねて 遠い国へとまた汽車にのる
○希望 - 岸洋子 歌詞情報 goo音楽 ○Live
夜汽車は演歌だけでなくポップスでもフォークソングでもかつては愛好されたイメジですから、どこに出てきても不思議はないのでしょうけれど、岸洋子が膠原病を再発して1970年の紅白歌合戦には出られず、翌1971年の紅白に「希望」を歌唱しているわけで、69年のフォー・セインツ(ちなみに彼らは1970年秋に解散)、70年のザ・シャデラックスと競作となった「希望」は強くひとびとの心と頭に刻まれていたでしょう。作詞家の橋本淳にも。
そうすっと、なんらかの解釈なり応答みたいなもの、あるいはパロディー的思考が含まれていてもおかしくないのかもしれないと思われてきます。――アップテンポにしたことが曲としての明瞭な違いですけれど、「希望」が実は目的なのではなくて目的をもつことが希望なのだとか(これは「青い鳥」的「聖杯」的モティーフであるw)、毎日汽車に乗っているのは女「心」なのだとか。心の旅。あー、だから。
橋本淳の顔は浮かぶけれど、仕事の総体をぜんぜん意識したこともなく、よーわからんですけれど、つらつら思うに、ブルーコメッツの「青い瞳」「青い渚」「ブルー・シャトウ」の青のシリーズとか、渚ゆう子の「雨の日のブルース」「風の日のバラード」とかあと、弘田三枝子の「渚のうわさ」「枯葉のうわさ」とか・・・・・・なんかインターテクスチュアルな感性があるような気がする(マー、誰でもそうかもしらんが・・・・・というか間テキスト性の定義にもよりますか・・・・・・結局(セルフ・)パロディー的遊び心がかな)。
橋本淳作品集 (2009)
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いま橋本淳と「書く」とジュンじゃなくてアツシで、マジレッドの子なのですね。――
忍術学園六年生で善法寺伊作役の橋本淳
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