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『あしながおじさん』のテクスト問題 (1) ――イギリス版を使っているらしいプロジェクト・グーテンベルクの電子テクスト Problems of Texts in Daddy-Long-Legs (1): Project Gutenberg E-text [Daddy-Long-Legs]

実は前から気になっていたのですけれど、プロジェクト・グーテンベルク Project Gutenberg (以下 PG)の『あしながおじさん』のE-text <http://www.gutenberg.org/files/157/157.txt>は、冒頭に "Copyright 1912 by The Century Company" と書かれているけれどもセンチュリー版のテクストではないです。

  のちに青空文庫で復活されることになるさまざまなE-text やオリジナルの翻訳を作成したosawa さんには、「足長父さん : PG 版とCentury 版の比較」と題するたいへんな労作があって、テクスト間の異同がリストアップされています(osawa さんの仕事については「osawa さんの足長父さん@物語倶楽部 Daddy-Long-Legs Trans. by osawa@StoryClub」を参照)。おそらく2001年か、2002年ごろの仕事だと思われ、その後にPG のテクストも若干の修正があったかもしれないのですが(というのは "Release Date: June 9, 2008 [EBook #157]" と現在のPG はなっているので)、まず、基本的な以下の特徴は変わっておらない。――

(1) 引用符がPG はシングル、Century はダブル。

(2) PG は "cheque" "favour" "grey" "humour" "theatre" "towards" などのイギリス綴り、Century は "check" "favor" "gray" "humor" "theater" "toward" とアメリカ式の綴り。

  この2点から、あっさりと、プロジェクト・グーテンベルクはアメリカ版ではなくてイギリス版を使用している、と結論できます。そして、この2点だけならば、綴り字とパンクチュエーションの英米の歴史的な違い、という範疇におさまるので、それほど大きな問題ではない、といえるかもしれません。

  しかし、英米の違い、ということでは次のような語彙・表現の差異もあります。これには、たぶんイギリスの読者にわかりやすくする、あるいは自然に読ませるための改変が含まれていますが、著者によるもの(つまり、いわゆる "authoritative")だとは思われず。――

(3)  'sauced' a Trustee [PG]/ "sassed" a Trustee [C]; a few cents [PG]/ a nickel [C]〔ニッケル=5セント玉〕; Clothes-Prop [PG]/ Clothes-Pole [C]〔ものほしざお物干し柱〕; really too bad [PG]/ sort of too bad [C]; it's great fun [PG]/ it's sort of fun [C]; rather monotonous [PG]/ sort of monotonous [C]; everywhere else [PG]/ every place else [C]; talk plainly [PG]/ talk plain [C]〔形容詞の副詞化というアメリカニズム〕; Goodbye [PG]/ Good-by [C]; she didn't get in [PG]/ she did n't make it [C]; fail again [PG]/ flunk [C]〔「落第する」のアメリカニズム〕; to post this off now [PG]/ to the mail chute and get this off now [C]; fifty-yard sprint [PG]/ fifty-yard dash [C]; very consequential [PG]/ very up and coming [C]; brought in the post [PG]/ brought in the mail [C]; with tremendously big drops [PG]/ with drops as big as quarters [C]〔クウォーター=25セント玉〕; bad work in maths and Latin [PG]/ bad work in math. and Latin [C]; I'm LONGING to go back [PG]/ I'm crazy to go back [C]; in the street [PG]/ on the street [C]; aesthetic [PG]/ esthetic [C]; letters [PG]/ mail [C]; post [PG]/ mail [C]; box [PG]/ chute [C]; outdoor world [PG]/ outdoors world [C]; in advance [PG]/ ahead of time [C]; ask for more than twenty-five [PG]/ ask more than twenty-five [C]; still at collge [PG]/ still in college [C]; PS. [PG]/ P. S. [C]

(4)  また、上の LONGING = crazy にうかがわれるように、PG版は、本の斜字を、大文字にすることで示そうとしていますが、それが不徹底なところがあります。どうやら強調を示す斜体を大文字にして、フランス語やラテン語などの外国語を示すイタリックは、変更しないままにしているようですが、だとしても、強調のイタリックが大文字に変換されていない箇所がいくつもあります( I'm not a Chinaman の not とか)。いずれにしてもそういう方針では、原文のありようを示すことが不完全なのは明らかです。

(5)  そして、単純な誤植が生じている、あるいは残ったままです。―― shiny sticks [PG]/ shinny sticks [C]/ JUCIEST [PG]/ juiciest [C]; Comers [PG]/ Corners [C]; Acceptez mez compliments [PG]/ Acceptez mes compliments [C]; juniors [PG]/ Juniors [C]; clear me [PG]/ dear me [C]; downs [PG]/ clowns [C]; Patrici [PG]/ Patricia [C]; a absurd [PG]/ an absurd [C]; an more than [PG]/ any more than [C]; Rhode island Reds [PG]/ Rhode Island Reds [C]〔ニワトリの品種〕; an I think [PG]/ and I think [C]; meet me or a surprise [PG]/ meet me for a surprise [C] などなど。もとの版がわからないので断定はできませんが、少なくとも一部はスキャンの読み誤りによって新たに生じたものではないか、と推測されます。(5b) 改行の不全もあります。(5c) パンクチュエーション(上述の引用符はさておき、コンマやピリオドやダッシュの使用)の不備もあります。

  ここまでをまとめますと、そもそも第一にイギリス版を使用することの妥当性の問題があり、第二に、PG 自体の内在的問題があります。

  そして、自分が別の次元で気になったのは、もとにしたらしいイギリス版の、テクストとしての価値です。どういうことかというと、イギリス人たちが慣れ親しんだかもしれないイギリス版をE-text にしたい、というなら、それはそれで意味はあるでしょう(その場合でもきちんとその旨を情報として書く必要はありますけれど)。しかし、イギリス版にもいろいろな版があり、歴史があるはずです。

  どうやら1912年の秋にアメリカ版がニューヨークのセンチュリーから出版され、まもなくイギリス版が出版されているらしい(現物を見ていないので推定です。どうやらロンドンのHodder and Stoughton 社が出しているらしい)。

  WorldCat で検索してみても、たいした情報は得られないので、古本屋のコンソーシアムの AddALL で検索すると、1913年の日付でイギリス版初版があがっています(でも、こういうので断定はできません)。――

First English Edition. A very good copy in the original grey pictorial cloth, spine heavily scarred, boards marked. Scarce. Publisher: Hodder & Stoughton, 1913 Hodder & Stoughton, 1913

  100ドルで売られています。しかし、同じ出版社がその後も永らく版を重ね、あるいはペーパーバック版を出して、1949年には73刷になっています。そして、いつ版が変えられたかはわかりませんけれど、少なくとも1970年のハードカヴァーは190ページで、これは初版のハードカヴァー(249ページあったらしい)とは違いますから、組み換えが行なわれたのは確かでしょう。

  また、次のような記述のテクストもあります。――

Publisher: (London: Hodder and Stoughton: 1916) The Renee Kelly Edition Illustrated from Photographs of the Play. Cl. pp. 249. Frontispiece and seven other plates in addition to the usual text illustrations.

Publisher: (London: Hodder and Stoughton: 1931) A Hodder and Stoughton H and S Yellow Jacket. Pictorial wrappers (that is, paper covers) pp. 128 (209 x 140 mm) Illustrated. Front wrapper says ‘See Janet Gaynor in this FOX Picture’ and has a picture of her in costume. 

  そうすると、これらが実在し、記述が正しければ、同じHodder and Stoughton 社でも128 ページ、190ページ、249ページの版が、ときおりジャケットや図版の改変を行ないながら、存在してきた、ということになります。

  で、話が長くなりましたが、自分が気になったことというのは、PG のテクストから判断して、これはイギリス版であっても、初版ではなくて、後のリプリントをもとにしているのではないか、ということです。

  その根拠の主たるものは、ひとつには today やtomorrow のつづり方、もうひとつには縮約形の印刷の仕方です。

  一点目。PG は一貫してtoday、tomorrow と綴っていますが、センチュリー版は一貫して to-day 、to-morrow と綴っています。しかし、これはアメリカだけのスタイルではなくて、第一次大戦が終わって1920年代くらいまでは英米とも to-day のようにハイフンを入れるのが一般的でした(自信98パーセント)。もちろん今日ハイフンを入れるのは "old-fashioned" になっています。

  たとえば17世紀のサミュエル・ピープスはもちろん to-day と綴ります。しかしPG版は、地のジュディーの文章における to-day、to-morrow だけでなく、引用符に入っているピープスの日記の "To-day came home my fine Camlett cloak . . . ." の "To-day" も "Today" となっています。これが何を語っているかというと、一貫した変更が行なわれ、誤って引用文中の単語も直してしまったということです。そして、一貫した変更は、なるほど今日のようなコンピューターでこそ簡単に行なわれる、と考えられるかもしれませんが、いやしくも公開のe-text を作成する人間が、よほどのバカか歪んだ言語観をもった狂人かでない限り、その種の変更を勝手に加えるということは考えられません。しかし、出版社、とりわけ一般書を出す出版社が、時代にあわせてつづりを「現代化」するということは考えられます。

  2点目。センチュリー版は、たとえば didn't という縮約形を did n't というふうに、n'tの前にスペースを入れています。これは下のセンチュリー版のページを見ていただくとわかるように、 It 's とか she 'd [=she had] とか、 there 's とか、I ’m とか、We 've とか、That 's とか、すべてそうです(can't や don't はちがいます――それはたぶん音と綴りと読みの関係の問題)。

WS000381.JPG
Jean Webster, Daddy-Long-Legs (New York: Century, 1912) <http://www.archive.org/stream/daddylonglegs00websrich#page/64/mode/2up>

    この習慣について、自分はちゃんとした知識がありません、恥ずかしながら。個人的にこういう印刷を見たのは高校生の頃、ペンギン版の『不思議の国のアリス』でした。その後、1900年前後のアメリカ文学のテクストでも(たとえばノリスの『マクティーグ』)、初版では同様に狭いスペースが入っていたことは知りました。イギリスでもアメリカでも、かつてはこういう印刷のされかたをしていた、ということは確かです。

  よくわからんのですが、常識で考えると、ふつうにスキャンすれば、もとのテクストの語と語のスペースは残るはずですから(だって、スペースが自動的に閉じてしまうならば、縮約形の連語のみならずすべての語と語の間のスペースがなくなっててしまうことになる)、やはり、依拠した本が既にスペースをもっていなかった、ということになるのではないでしょうか。今日、「本」にするときには、この種のスペースは保存しないで、詰めて編集してしまうであろうことは承知していますが。

  ということで、Project Gutenberg の Daddy-Long-Legs のE-text は、信用でけへん、というのが結論です。残念ながら、あちこちに増殖しているのですけれど。それだけに、たいへん問題だと思うのです。


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