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画家 F・S・コバーン Frederick Simpson Coburn [F. S. Coburn] [Marginalia 余白に]

20世紀初めのポー全集に挿絵を描いた画家のコバーンはWikipedia に記事がないみたいなので、書き留めておきます。

F. S. COBURN というふうに大文字で署名している絵が多いらしい F. S. コバーンは、長い名を フレデリック・シンプソン・コバーン Frederick Simpson Coburn といい、1871年カナダのケベックに生まれ、1960年に生まれ故郷の村で亡くなりました。

Coburn,F.S.-Poe_MurdersintheRueMorgue0-mod.jpg
F. S. Coburn, The Murders in the Rue Morgue, frontispiece to Vol IV of Complete Works of Edgar Allan Poe (New York: Fred de Fau, 1902)  右側のページとのあいだにパラフィン紙がはさまっていて、キャプションが書かれています。(クリックで拡大)

  ☆香港の古書店 Lok Man Rare Books のページ(ポー全集の写真と、下の Klinkhoff 画廊からの伝記の引用)・・・・・・これを見ると、モーリちゃんの父が持っている10巻本は "Tamerlane Edition" というもともとデラックスな版の、おそらくは廉価版で(といってもこれだって限定1000なのだが)あるようです――"The Complete Works of Edgar Allan Poe. Edited and Chronologically Arranged on the Basis of the Standard Text, with Certain Additional Material and with a Critical Introduction by Charles F. Richardson. - Edgar Allan Poe 1902 - G. P. Putnam's Sons / The Knickerbocker Press, New York and London - The Tamerlane Edition"
<http://www.lokmanbooks.com/index.php?page=shop.product_details&flypage=flypage.tpl&product_id=583&category_id=%20&keyword=Coburn&option=com_virtuemart&Itemid=1&332c25b43a99a39361f1cad2bf90a6f3=7d6a897ecda122bb1c20fa1ab9af99e2>

  ☆カナダの画廊 Galerie Walter Klinkhoff のページ(くわしい伝記と油絵の風景画の展示あり)――
"Frederick Simspon Coburn, R. C. A. (1871-1960)"
<http://www.klinkhoff.com/canadian-artist/Frederick-Simpson-Coburn>

  ☆カナダの Michel Bugué Art Galleries の画家一覧ページ(肖像とくわしい伝記)―― "F. S. Coburn (Frederick Simpson Coburn) 1871-1960"
<http://www.galeriemichelbigue.com/en/frederick-simpson-coburn-en>

  ☆昨年2010年に没後50年の展覧会が故郷で開催されたときの記事――
"Sherbrooke museum features works of artist F.S. Coburn: 30 paintings from Musee des beaux-arts de Sherbrooke's collection on display" By Mike Fuhrmann, The Canadian Press 
 [Times & Transcript January 16, 2010]  <http://timestranscript.canadaeast.com/rss/article/921615>

 

  以上からの情報をかいつまんで、適当につけくわえて、以下に記します。

  フレデリック・シンプソン・コバーンは1871年3月18日、カナダのケベック州南部モントリオール東部の町シャーブルック Sherbrooke のすぐ北にある小さな村アパーメルバン Upper Melbourne に生まれた。モントリオールの工芸学校で才能を示し、ニューヨークの Carl Hecker School of Art に進学、そして1890年に19歳のときにベルリンの(王立)美術院 Akademie der Künste に留学した。Julius Erhentraut と Franz Skarbina (1849-1910) のもとで解剖学的知見にもとづく精密なデッサン力を鍛錬した。しかしドイツで修行中にカナダの母親が急死、一時帰国。1892年ふたたび渡欧し、パリの École des Beaux-Arts では Jean-Léon Gérôme に師事して印象主義を吸収(ロートレックらと交遊)、フランス滞在中の3年間に、北米の雑誌 Harper’s MagazineMcClure’s New Monthly MagazineThe Monthly Illustrator などにイラストを描くようになり、カナダとフランスを行き来する。

  1896年、カナダ帰国時に、アイルランド生まれのカナダの詩人ウィリアム・ヘンリー・ドラモンド William Henry Drummond (1854-1907) と面識をもち、詩集 The Habitant and Other Canadian Poems の挿画を依頼される。こののちドラモンドの刊行する本の挿画を継続的に手がける。

  1896年から1897年にかけて、ロンドンの Slade School of Art では Henry Tonks に師事して、写実を超えた主観的解釈を学ぶいっぽう、London Sporting and Dramatic News にカナダの野生動物を描いたり、London News の仕事をしたりする。1897年、ベルギーのアントワープの 美術学校に入学、Albrecht De Vriendt のスタジオで人物画を学ぶ。この地で、その後結婚することになる女性画家(画学生だった) Malvina Sheepers と知り合う。Goot 助成金を外国人としてはじめて獲得、2年間、無料のスタジオ、モデル、衣装、美術書の自由な閲覧など認められた。1897年の夏カナダに帰省してドラモンドの次作 Madeleine Verchères の挿絵を描くためにカナダの地方を取材。

  1898年ふたたびベルギーに。その後カナダとのあいだを行き来しながら、ドラモンドの刊行する本の挿画、さらに、さらにドラモンドのつきあいのあったニューヨークの出版社 Putnam からイラストを依頼されるようになり、ディケンズ、ポー、テニソン、ゴールドスミス、ロバート・ブラウニングなどの作品に挿画を描くことになる。

  さらに1903年に新境地を求めてふたたび渡欧した先のオランダではハーグ派 Hague School の画家たちの影響を受ける(Maris 兄弟や J. H. de Weissenbruch と交流)。その後のコバーンの絵はこの派の明るい色調が出てくるみたい(それまでの白黒を主調としたイラストから変化していく)・・・・・・とりあえず、今日のところはここまでにして以下の生涯の記述は略)。

 

  という感じで、全部で80枚くらいのポーの挿絵を描いた1901年、1902年というのはコバーンが暗い色調(というかモノトーン)を好んで描いていた時代だったようで、そのことはポー作品にとってはラッキーだったような気がします。1930年だいとかの風景画を見ると(といってもあくまでWEB上で小さなスキャン画像しか見られないけれど)、同じ作家とは思われないような絵です。

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F. S. Coburn, illustration for "The Murders in the Rue Morgue," between pp. 188-189 [click to enlarge] "In a small paved yard in the rear . . . lay the corpse of the old lady."

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F. S. Coburn, illustration for "The Murders in the Rue Morgue," between pp. 228-229 [クリックで拡大]  "The gigantic animal had seized Madame L'Espanaye by the hair (which was loose, as she had been combing it).

    扉絵が本文中の挿絵で反復されています。手前の、髪の毛をオランウータンにつかまれているのが母親のエスパニエですけれど、笑い仮面みたいにみえるのは気のせいで、下を向いているのだと思います。扉絵はまたちがう仮面に見えますけど。奥の女な娘で、煙突に詰め込まれ、母親は前の挿絵に描かれたように、裏手の舗道に投げ捨てられます。

  ま、作品が暗いから絵も暗くなるのでしょうけど、画家の想像力が文学テクストのゴシック的な消化/昇華を示している絵も見られるようです(ということでスキャンをしながらつづく)。


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