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鬼と死霊 Oni and the Spirits of the Dead――いちおう「魂魄分離」 (森於菟)のつづきみたいな [魂と霊 Soul and Spirit]

昨日は節分だったので、鬼について書こうと思っていたのに、結局会議のあと市ヶ谷で飲んでしまい、鬼は外の豆まきに間に合わないどころか、ブログも書けず、さらに一夜明けた立春の今日も二日酔いの脱力状態でした。

  鬼について書こうと思ったのは、第一に、先の記事「魂魄分離 (森於菟) (一)」に引いた文章につぎの一節があったからです。――「今は魂身に添わず、張生は床から起き上って房の入口の方に逃げると、幽鬼は後に従って走る。寺の門を出た少年がいよいよ急に走れば鬼もますます追いせまる。

  復習的に、図式化して書くと、魂魄はとりあえずシナ・中国の考え方で、

魂――天上的――善性
魄――地上的――悪性

  両者とも霊的なもので、不滅の原理。両者が合わさると人間が生じる。死ぬと魂は天に帰る。

  で、「鬼」ですけど、和語の「おに」ではなくて漢語の「鬼」(キ)が死者ないし死者の「霊」を言うというのは有名かと思われますけど(「鬼籍に入る」みたいな慣用句に残っている)、日本人の森於菟の翻案的な文章の言葉としては「魂」が「身」に添わない状態の存在が「幽鬼」と呼ばれています。でも「身」はあるのだから、体に魂魄の魄のみがついている状態が幽鬼なんでしょうか。

  ちなみに日本語のウィキペディアの記事「鬼」は、「中国における鬼(き)は死人の魂を言う。「鬼は帰なり」と説明され、死者の魂の帰ってきた姿である。死霊を意味する中国の鬼が6世紀後半に日本に入り、日本固有のオニと重なり鬼になったのだと馬場は述べている。」と述べています。魂魄が死後分離するとして、魂鬼も魄鬼も鬼なんすかね。

  またちなみに『広辞苑』の「魂魄」は、あっさりと(コンパクトに)、「(死者の)たましい。精霊。霊魂。」と記述しています。魂魄と霊魂が同じだったらワヤクチャということになると思われ。だって、if 霊魂=魂魄、then 霊魂-魂魄=霊-魄=零だし霊=魄だぜ(わけわかめ)。

  第二に、節分です。豆まいて邪気を払う、の「邪気」は「邪鬼」であり鬼である、ということになっているのですけど、霊的なものだから「体」や「身」という物質からは離れた「気」なのかしら。でも鬼となって現われるのはゾンビみたいに体を借りているのかしら。それとも地縛霊みたいに、地から離れられない存在なのかしら。鬼と福って名詞的カテゴリーが違うように思われるけれど(福は抽象名詞じゃなかろうか、英語だと happiness か fortune か――ちなみに鬼は demon なのかなあ)。

  みたいなことを節分の夜、豆まきの終わった時間に家へ向かう電車に揺られながら考えていたのですが、マメじゃないので紙にメモる余裕もなく、心の片隅にでも、メモしておいたようなおかなかったような。

tubaki.jpg
image via 「椿鬼奴10周年記念リサイタル」[2008 06 09 [Mon] 吉本興業presents] <http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_080515187908_1.htm>

2011年9月6日夜追記――関係のある記事「日本的霊性につきて (1) 「精神」の字義 (鈴木大拙) "On Japanese Spirituality" by Suzuki Daisetsu」を本日書きました。


タグ:節分 魂魄
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