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『パティ、カレッジへ行く』の献辞 Jean Webster's _When Patty Went to College_, Dedicated to "234 MAIN AND THE GOOD TIMES WE HAVE HAD THERE" [When Patty]

ジーン・ウェブスターがヴァッサー大学を卒業した2年後の1903年3月、在学中に発表していた短篇小説を編んで発表されたのが、When Patty Went to College (New York: Century, 1903) でした。
  『あしながおじさん』の前年に発表された Just Patty (New York: Century, 1911) は、時間的にはさかのぼって、主人公のパティーがセント・アーシュラ学院という寄宿学校の最高学年(4年目らしい)に進級したところから始まっています。パティーはまもなく大学に親友のプリシラと進学することを決めている、そういう時期のおはなしで、全12章ないし12の物語からなります。「100年前のセーラー服 (1) Sailor Suits of a Hundred Years Ago」でも書いたように、このセント・アーシュラは、ウェブスターがヴァッサー大学進学前の1894年から1896年まで通った、ニューヨーク州ビンガムトン市のレイディー・ジェイン・グレイ・スクールというフィニッシング・スクールがモデルになっていると言われています――キャンパスのつくりや、建物の名前や制服など。
  When Patty Went to College のほうは、全15章(長篇小説と考えると)で、パティーが4年生に進級したところから話ははじまり、まもなく卒業という春の一日ではなしは閉じています。どこにも校名は出てきませんが、自伝的なものが反映されているならば、出版の事情から考えても、『あしながおじさん』のなかでジュディーの初めて出版社に売れた短篇小説が大学生活に取材したものであったことなどから考えても、ヴァッサーがモデルになっていると考えるのが自然です。し、実際、湖が校舎の裏手にあるとか、パティーが地元の新聞社の報道員として大学生活の記事を書く(ウェブスターは地元ポーキプシーの新聞 Poughkeepsie Sunday Courier のコラムを1週3ドルの原稿料で書きました〔Elaine Schowalter, Introduction x〕)とか、ヴァッサーにおけるウェブスターの姿を彷彿とさせる要素はいろいろあります。
  そして、この本は、人ではなくて、部屋(とそこにおける時間)にささげられています。――

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  "To 234 Main and the Good Times We Have Had There"

    「234 Main と私たちがそこで過ごした楽しい時間に」

    本文に大学の名前は出てこない、と書きましたが、パティーがプリシラとふたりで住んでいる部屋は 399 であることが最初の物語で示されています――"By ten o'clock that night the study carpet of 399 was neatly folded and deposted at the end of the corridor above, whence its origin would be difficult to trace." (その夜の10時には399号室の書斎のカーペットはきちんとたたまれて上の階の廊下の端に置かれ、どこから来たのかたどるのは困難となった); "the study floor of 399 was a shining black" (399号室の書斎の床は黒く光っていた) ("Peters the Susceptible" 15)。

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4年生のパティーと用務員のピーターズ

  それから、この最初の話で辞書をもらいにセーラー服姿でやってくる新入生のGenivieve Ainslee Randolph (彼女はなぜか Lady Clala という名前にされてしまいますw)が Emily Washburn とイタリアから来たOlivia Copeland と3人で住んでいるのが321号室であるのは9番目の話で示されています――

She was sitting on a window-sill in the corridor, pondering on the general barrenness of things, when she suddenly remembered her friends the freshmen in study 321.  She had not visited them for some time, and freshmen are usually interesting at this period.  She accordingly turned down the corridor that led to 321, and found a "POSITIVELY ENGAGED TO EVERY ONE!" in letters three inches high, across the door.("Patty the Comforter" 136-137)。
(パティーは廊下の窓の敷居に腰かけて、ものごと全般の不毛さを思いやっていたが、ふいに321号室の新入生の友人たちを思いだした。パティーはしばらく訪ねていなかったし、それにこの時期〔試験前の時期〕の1年生はたいがいおもしろい。それでパティーは321号室につづく廊下を歩いていって、ドアに、「どなたも絶対入室お断り!」とたて3インチの文字で書かれているのを発見した。)

  ジーン・ウェブスターがヴァッサーでどの部屋に暮らしていたのか、調べがつきませんでしたが、2年生のときに Adelaide Crapsey と同室になった、ということは確かです。そしてその年には、 class president となる Margaret Jackson とも一緒で、3人部屋(というかそれぞれのベッドルームと共同の書斎一室からなる suite)でした。

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1年生のオリヴィア・コープランド

  (ちなみに『あしながおじさん』では、以前書いたように、ジュディーたちの部屋のあるファーガスン・ホールは1907年に建設される9階建ての「塔」をもった Jewett House がモデルだと思うのですけれど、部屋番号は、1年生のときは個室で215号室、2年生のときは258号室です(1年のときに同じフロアで二人部屋だったサリーとジュリアのふたりと今度は一緒に3人部屋に入ります)。

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Daddy-Long-Legs (Century,1912) 100

  サリーは class president に立候補して当選し、結果「「258」 のわれわれはいまやたいへんな著名人になっています」 (We're very important persons now in "258.") というところで部屋番号がでてきます (Century 113/ Penguin Classics 53)。

  同室の同級生が学年委員となるのは作家の伝記と同じです(マーガレット・ジャクソン)。ところでジュディーのモデルは詩人のアデレイド・クラプシーといわれるので、残るひとり、すなわちジュディーに鼻の高さを嫌悪されるジュリア・ペンドルトンがウェブスター自身となってしまいます。これはなかなか刺激的な考えかもしれません(w)。

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2年生のジュディーとサリーとジュリア Daddy-Long-Legs (Century,1912) 114

  と、話がそれましたが、献辞にある "234 Main" がいつの学年のときのものかはわからない(可能性としては同室の相手が変わっただけでウェブスターは234だったということもありえます)のですが、ともかく、Main Building 、つまり建学当初からあった校舎内の部屋にジーン・ウェブスターの思いはささげれておるのでした。独立した寮の建物、ストロング・ハウス Strong House (1893)  とレイモンド・ハウス Raymond House (1897) ではなくてです。

  いま、パラパラと見ていたのですが、どうやらパティーたちの部屋がある建物は Phillips Hall というみたいです ("Impressionable Mr. Todhunter" 51; "Patty and the Bishop" 274)。Main というのは出てきません。ですから献辞は現実の過去、というか、現在完了の時間と空間に対するものだということが確認されます。


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