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タコに落ちる摩天楼の影 The Shadow of the Skyscraper on the Octopus [Marginalia 余白に]

1912年に出版されたアルヴィン・ラングドン・コバーンの写真集 New York におさめられた『タコ The Octopus』(リンク先は Heilbrunn Timeline of Art History; 別url <http://www.metmuseum.org/toah/hd/pict/ho_1987.1100.13.htm>)は、冬の雪に覆われたニューヨーク、マンハッタンのマディソン・スクウェア・パーク Madison Square Park を俯瞰的に切り取ったものです。

Coburn,AlvinLangdon-The Octopus(1912).jpg
"Alvin Langdon Coburn: The Octopus (1987.1100.13)". In Heilbrunn Timeline of Art History. New York: The Metropolitan Museum of Art, 2000–. <http://www.metmuseum.org/toah/hd/pict/ho_1987.1100.13.htm>

  タコというと、19世紀後半にアメリカに広がった鉄道網をタコにたとえた作家フランク・ノリスの The Octopus が有名ですが、コバーンのタコは公園のセンターとそこから放射状に延びる道の様子をタコに見立てている模様です。

  しかし画面の左半分に巨大な影が落ちています。ニューヨークという都会の摩天楼の影です。雪は空から降ってくる。摩天楼 skyscraper というのはその空を引っ掻く (scrape) ような高さを誇る建物のことです。

  ウィキペディアで「摩天楼」を調べようとすると「超高層建築物」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E9%AB%98%E5%B1%A4%E5%BB%BA%E7%AF%89%E7%89%A9>というミモフタモナイ名前の項目に飛ばされるのですが、そこには、歴史的なリストが挙がっていて、ニューヨーク関係では、リストのトップにあがっている1873年の8階建て43m のエクイタブル生命ビル (1912年解体)、1890年の20階106mのニューヨークワールドビル(1955年解体)、1894年の18階建て106mのマンハッタン生命保険ビル (1930年解体)、1899年の30階建て119mバークロービル、そして世紀が変わって1908年の47階187mのシンガービル (1968年解体)、1909年の50階213mのメトロポリタン生命保険会社タワーというのが、1912年の時点(ちなみにたまたまこの年は『あしながおじさん』出版の年でもあります)でニューヨーク市に建っていた「摩天楼」群だということがわかります(最初の8階建て程度のものはその後たくさんつくられたでしょうから、歴史的な意味合いで載っているのでしょう)。

  で、最後のメトロポリタン生命保険会社タワー (Metropolitan Life Insurance Company Tower) がマディソン・スクウェアに影を落としているのではないかな、と見当をつけて、現代の地図を見てみました。――


大きな地図で見る

  A地点が、
 

 40°44′28.49″N 73°59′14.76″W / 40.7412472°N 73.9874333°W / 40.7412472; -73.9874333

 

 

  にある、Met Life Tower です。なんか緑がだいぶ多くなっています(季節の問題ではおそらくなく)。

  このタワーは、1893年完成の11階建ての建物に付け足された建造物で、ヴェニスのサン・マルコ広場の鐘楼(カンパニーレ)を模してつくられ(つーことはバークレーのセイザー・タワーと同じですね――「March 18 バークレーのセイザータワー The Sather Tower in UC Berkeley」参照)、時鐘というか鐘楼というか鐘塔としては鐘ではなくて4面に直径8mの時計をはめこんでいます。

415px-Met_life_tower_crop.jpg
メトロポリタン生命保険会社タワー (Metropolitan Life Insurance Company Tower), "Metropolitan Life Bldg., Manhattan, New York City, in 1911," image via Wikipedia <http://en.wikipedia.org/wiki/File:Met_life_tower_crop.jpg>

  1911年ごろのようす。

  なんだか、地図が違っているような不安がありますけれど、ともかく、摩天楼の影はこのタワーであると思います。

  タコというのは欧米人にとっては悪魔のイメジということはよく言われてきましたけれど、そういうのを引きずっているのかは不明です。しかし、海のイメジと空のイメジがぶつかっているということは言えるのでしょう。そして水平的に広がっていったノリス的なタコ(鉄道)に対して、垂直的に広がる人間の野心みたいなものを映しているのかもしれないな、と思いました。

  高さ213mというのは700フィートです。1913年の Woolworth ビルの建造まで、このタワーが世界一の高さの建造物だったのだそうです。

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メモ的 urls―

Frank Norris, The Octopus: A Story of California (1901) e-text <http://www.archive.org/stream/octopus00norr#page/n5/mode/2up>

Herman Melville, "The Bell-Tower," The Piazza Tales (1856) e-text <http://www.archive.org/stream/piazztales00melvrich#page/400/mode/2up/search/bell+tower>

「「時計」の文学論 - 教授のおすすめ!セレクトショップ」 <http://plaza.rakuten.co.jp/professor306/diary/200911210000/> 〔      釈迦楽先生のブログ2009.11.21 〕

「今週の本棚:富山太佳夫・評 『ワシントン・アーヴィングと…』/『時の娘たち』 - 毎日jp(毎日新聞)」 <http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2005/08/20050807ddm015070156000c.html> 〔書評 2005.8.7〕

岡村仁一 「「平地からは見えない光景」――ハーマン・メルヴィルの「鐘塔」について」 『新潟大学言語文化研究』pdf. <http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/6000/1/06_0001.pdf>

モーリス・ブランショ 「メルヴィルの魔法」(『日曜風景』誌連載、<本>、モーリス・ブランショ、19451216日、3頁所収) <http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/4761/Melvillepaysdimanche.htm>

風間賢二 「オートマトンが怖い!」 文学と科学のインタフェイス2) 季刊 環境情報誌ネイチャーインタフェイス No. 5 <http://www.natureinterface.com/j/ni05/P90-91/>


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写真家アルヴィン・ラングドン・コバーンについての覚え書 A Note on the Life of Alvin Langdon Coburn [Marginalia 余白に]

〔いちおう「拝啓着物柱様 Dear Clothes-Pole」のあとの「シルバニアファミリーのものほしセット――拝啓クローズ・ポール(着物柱)様、パート2 Dear Clothes-Pole, Part 2」に載せた写真家コバーンのものほしざお写真から派生したものです。〕

アルヴィン・ラングドン・コバーン Alvin Langdon Coburn, 1882-1966?はアメリカ生まれの写真家です(最晩年にイギリスに帰化)。ボストンのシャツ製造会社の息子に生まれ、7歳のときに創業者の父親が死去、1890年に母方の親戚のいるロサンゼルスに行ったときに、おじさんたちからカメラをプレゼントされ、少年はたちまち写真に魅了されます。1898年、既に国際的に名の知られていた親戚(いとこ)のF. Holland Day?を訪問し、写真の技術を認められます。1899年、母親とロンドンへ移住。そこには王立写真協会 Royal Photographic Society?に招聘されていたDay がいて、アメリカの写真家たちの作品を集めた展覧会の企画の仕事をしていました。その展覧会に若干17歳のコバーンの作品も展示されることになり、華々しいデビューを飾ります。当時もっとも尊敬されていた写真家である Frederick H. Evans, 1853-1943?の目に留まり、エヴァンズらが創設していた写真家グループ Linked Ring の展覧会にも出品します。エヴァンズという人は、教会建築などの写真で有名ですが、ビアズリー (1872-98) の肖像なども撮影しているひとです。――

Evans,FrederickH-AubreyBeadsley(1896).jpg
Frederick H. Evans, Aubrey Beardsley (1894) [コピーライト] Estate of Frederick H. Evans

  その後、国際的に活躍し、有名なスティーグリッツの雑誌 Camera Work に掲載されたり、スティーグリッツによって個展を開いたり、1910年のニューヨーク州バッファローのAlbright-Knox Art Gallery での展覧会のあと、アメリカ国内を旅行してグランド・キャニオンやヨセミテなどで「自然」の写真を撮ります。1911年、ニューヨークで街の写真を撮影、1912年には写真集 New York を出版(これにおさめられた『タコ The Octopus』が彼の最も有名な写真のようです)。1912年、ボストンの Edith Wightman Clement という女性と結婚。

  コバーンというひとが個人的に興味深いのは、1916年ごろからの神秘主義や神秘思想への傾倒です。1916年という年は、いっぽうで詩人のエズラ・パウンドと知り合い、パウンドの影響を受けて、ヴォーティシズムの写真における実践を試みた年です。1913年、パウンドによって Vorticism の名称を与えられたイギリスの前衛的な美術運動は、1914年に機関誌 Blast を創刊したグループ自体は、1915年の第2号の刊行とロンドンのドレ・ギャラリーでの展覧会ののち解散していますが、パウンドはコバーンに新たな可能性を見たのかもしれません。3枚の鏡をはめこんだ機材を用いて撮られたコバーンの写真はパウンドによって Vortograph と呼ばれました。

coburnpound.jpg
Ezra Pound (1916)

  コバーンは abstract photgraph というコトバのでてくるエッセイ "The Future of Pictorial Photography" を1916年に書いて、イメジの外側に指示対象をもつのではなくて、イメジの下にある形態や構造を強調することを説いており、パウンドとの出会いは、コバーンの「抽象写真」に影響を与えたわけでしょうが、同じ年に、写真家のジョージ・デイヴィッソン George Davison, 1854-1930?と親しくなってもいます。デイヴィッソンは Linked Ring の創立にかかわったひとでもあったのですが、その後イーストマン・コダック社の管理職になりながら、博愛主義者として社会改良運動に傾倒してアナキストと関係をもったために会社を追われます(最終的には1912年)。それはそれとして(ちょっと『あしながおじさん』のなかの philanthropy や socialism を思わせるのですが)、デイヴィッソンがコバーンに与えた影響は、彼が神智学者でもあった(あとはおまけにフリーメイソンでもあった)ところで、コバーンは神秘思想やドルイドの研究にのめりこんでいくのです。

  1920年ごろにはフリーメイソンのなかで Royal Arch Mason の位階にのぼっています。さらに、薔薇十字運動の流れをくむと称する、スコットランド起源の?Societas Rosicruciana に入会。Societas Rosicruciana というのは、フリーメイソンの第三位階である親方 Master Mason のみが加入できる交友組織です。1923年、the Universal Order という秘密結社の人物と出会い、その後の人生に決定的な影響を受けたといわれています。the Universal Order というのは季刊誌 The Shrine of Wisdom: A Quarterly Devoted to Synthetic Philosophy, Religion & Mysticism (これの1920~30年代のバックナンバーを Kessinger が復刻しています)刊行しているくらいですから、めちゃくちゃ秘密の結社だとは思いませんけれど、この人物は謎のままです。コバーンはさらにフリーメイソンの歴史や古代祭儀やオカルトの研究に没頭するようになり、多数の講演活動や調査旅行を行なったりします。1927年、Gorsedd (ゴーセズ:古代ウェールズにおける吟遊詩人とドルイド僧の祭を19世紀に復活させた集会)において名誉第三級吟遊詩人となり、ウェールズ名、Maby-y-Trioedd を取得。1930年ごろには写真に対する興味はほとんどなくなっており、過去は無意味と考えて、ネガなどを処分すると同時に、コレクションを王立写真協会に寄贈。1957年10月11日、結婚45周年の日に妻のイーディスが逝去。1966年、北ウェールズの自宅でコバーン死去。享年84。

  コバーンの生涯をふりかえって、神秘主義への傾倒でちょっと類推関係を感じるのは、アメリカの作家のハムリン・ガーランドやウィンストン・チャーチル(同名の英国首相のいとこの)なのですが――神秘思想に傾倒する作家は多いのですけれど、それによって過去の自分の芸術的営みを無意味化する身ぶりが気になるのです――、話が錯綜するので、またそれは別の機会があれば、と思います。


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